Act.6-3 逃げ惑う客人

 7階建てのホテル、桔梗庵。その中央である4階、トイレの横にある隠れるにはうってつけの柱の窪み目指して早足で歩く。開戦したタイミングでは左右を見渡しやすいところに座っていたけど、いつ見つかるかと不安になり、隠れることにした。


 ガツンッ!

「…………っ!」


 足に激痛が走り、咄嗟に口を押さえて声をこらえる。休憩スペースにおいてあった、膝までスッポリ入る有料マッサージマシンに思いっきりぶつけた。ううん、目が暗闇に慣れるにはもう少し時間かかりそうだな。



「ないな……」


 誰とも遭わずに過ぎる、緊張の時間。思い切ってフロアを1周し、敵のフラッグを探す。自販機の横、公衆電話の奥、客室へ続く廊下の横に置かれた壷の中、めぼしいところには見当たらなかった。


 チェックインしてすぐにフラッグを隠す場所を検討し、夕方に時間帯をズラしてお互いすぐに隠した。後に隠した掛戸の方はこっそり探すことも出来たんだけど、そこは性善説に則っているし、僕達もそんな不正はしたくない。



「こちら5階、玲司。各自、動きはあるか?」

「こちら4階、灰島です」


 開戦して15分くらい経つだろうか。このフロアにはまだ敵は来ていない。他のフロアでフラッグを隈なく探してるんだろうか。


「一通り探しましたが、このフロアにはなさそうですね。今、4階のトイレ横に戻ってきました。まだこっちのフラッグには誰も近づいてません」

「おい、灰島」


 少し怒ったような調さんの声がイヤホンから耳に飛び込んできた。


「そんなにフラッグを意識するな。お前が近くで張っている、というだけで怪しむ敵がいるかもしれないんだぞ」

「た、確かにそうですね……すみません」


 玲司さんも言ってたな。『俺達側の旗をあまり気にしすぎないことだ』


 あの旗を見つけられたらおしまいだと思うと、つい目線が行ってしまうし、このフロアから離れるのが怖くなってしまう。でも、それを続けてたら、間違いなく怪しいポイントを探られてしまうだろう。ううん、この試合形式は素人には奥が深いな……。



「ここにずっといたら敵に怪しまれるので、少し動こうと思います」

「ああ、それでいい、爽斗。フラッグ戦は、敢えて自軍の旗を無視する勇気が必要なんだ」


 玲司さんも明るい声で応援してくれた。なるほど、勇気、か。

 枕投げってホントに色んな力が必要だなあ。中学までの修学旅行でやってたのは何だったんだろうなあ。


 よし、ちょっと上下階に行って様子を見て――ん? あれは……



「こちら灰島。4階で、1年の男子、畑間君を見つけました」


 黒髪で小柄な男子。さっき挨拶に来た時と同様に、気弱そうな足取りで、こちらに気付かないままキョロキョロと辺りを見回しながら歩いている。


「こちら緋色。畑間ってあのヒョロっとした男子ぞよ? そーちょんでも簡単に倒せそうじゃん!」


 確かに、あの人、そんなに強くなさそうだよな……僕でも倒せるかも……よしっ!


 心を決めたら、後は飛び出すだけ。上手うわてで枕を構え、一気に突撃する。



「…………わわっ!」


 駆け寄る途中、ようやくこちらに気付いた畑間君は、きびすを返して元来た階段へ戻っていく。

 対抗する気もないのか。やっぱり大した相手じゃなさそうだ!


「待て!」

 階段を降りていく彼との距離を詰める。お互い3階に着き、広いスペースへ。ついに射程圏内に入った。

 よし、ここからなら僕でも――



 トンッ トントンッ



 その音に気付いて首を横に向けるのに、長い時間は必要なかった。

 1つは、それが畑間君とは別の方向から聞こえてきたから。そしてもう一つは、それが戦闘で耳にする足音と同じだったから。



「うあっ!」


 軸足と反対の足で床を蹴り、思いっきり後ろに跳び退く。次の瞬間、今しがた自分がいたところにバシンッと枕が当たった。


「ちぇっ、あと少しだったのに」

「高宮さん、だね」


 目の前にいたのは、1年女子の高宮さん。カールした金髪のセミロングを右手でパッパッと後ろに払う。


「灰島君ね? 1年同士、仲良くやりましょう」


 いつの間にか畑間君はどこかに行ってしまった。2対1じゃないだけマシかな。


 女子だからって油断する気はない。うちの女子を見ろ、枕投げとなれば平気で3人は殺れる、みたいな人達ばっかりだ。


「さあて、じゃあアタシからいかせてもらうねっ!」


 握っていたもう一つの枕を思いっきり振りかぶり、真正面に投げてきた。素早く左に避ける。


 うん。攻撃はそんなに強くない。投枕スピードも速くないし、真っ向勝負なら十分に戦えるな。今は彼女は枕を持ってない。攻めるなら今だ。


「こっちの番だ!」


 枕を持って駆け出すその瞬間、彼女の口が愉快さを抑えきれないように曲がったのを見た。嫌な予感はするけど、ここで躊躇しても仕方ない。


「食らえっ!」

「イヤだねっ!」


 逃げる彼女、その行き先には壁。右と左、どっちに走るか、賭けだな。そうして枕を投げる。


「いやっほう!」

「なっ……!」


 甘かった。僕が甘かった。まさか、なんて思ってもみなかった。


「へへ、それじゃ当たらないよ」


 体をほぼ水平にして、恐ろしいほど速い足捌きで壁を走っていく。少し上に登ったり、ちょっと地面に近づいてみたり、まるで彼女だけに新しい重力が宿っているのかと思うほど、自由気ままに蛇行していた。



「よっと!」


 そのままの勢いで床に戻り、さっきまで僕がいたところに戻って、自分で投げた2つの枕を掴んだ。


「……すごいね」

「『前人未踏グランド・グラヴィティ』 壁を走れる、アタシの技よ。アタシのバトルフィールドは、他の人の2倍はあると思っていいわ」


 なるほど、壁に追い詰めるなんて攻防は無意味。彼女の前では壁はほぼ「床」だから。


「おっと、逃げるためだけに使うなんて思わないでね」


 そう言って僕の横を通り過ぎ、また目の前の壁を斜め上に登っていく。どこに着地するのかと思っていると、彼女が興奮した顔で上を向いた。即ち、僕を見た。


「うりゃっ!」

「わっ!」


 壁を走りながら放たれたその枕は、僕からすれば斜め上空から飛んできたも同然。緋色さんが空中から繰り出したような一撃を、大きく横に跳んでなんとか躱す。



「へへっ、惜しかったわ。どう? アナタの目と耳が良くても、どうにもならないんじゃない?」

 すぐに起き上がり、床に戻ってきた高宮さんと向かい合う。


「うん、そうかもね」

 仕方ない。彼女の言う通りだ。


「だから、ここは退かせてもらうよ」

 そしてくるりと階段に向き直り、全速力で逃げ出す。後ろから「あっ、卑怯もの!」という叫び声が聞こえたけど、気にせず階段を一段とばしでして5階まで駆け上った。


 

 意地やプライドで命を捨てるな。我が部長が、最近よく口にしている言葉。


『遭遇した相手と戦う勇気は必要だけど、不利だと分かってて根性だけで戦うことはない。それで負けたら本当に無駄死にだ。誰か助けを求めてもいいし、自分が優位な状況に立て直してから再戦してもいい』


『これは個人の決闘じゃない、グループ間の戦争だ。自分の死が、結果的に仲間の不利に転じて、全体の敗北を招くこともある』


 調さんの言う通りだ。僕の武器は目と耳。それを活かさないで負けたら、悔やんでも悔やみきれない。まずは距離を置いて、体制を立て直そう。



 5階にも今のところ人影はない。しばらくはここで身を隠しながらフラッグを探すか。



「こちら、灰島。高宮さんは仕留められなくて、一旦ここまで逃げてきました。彼女、壁走りが出来ます」


 トランシーバーへの報告に、調さんからトーンの高い声が返ってくる。


「そうか、壁走りか! 1年でそんなすごいヤツがいるとは。壁を這う虫のように、叩き潰さなければな」

 どういう感情なんですかそれ。興奮と嗜虐と残酷が入り混ざってますけど。


「さて、いつゲームが終わるか分からない。ワタシ達も必死でフラッグを探すとしよう」

「こちら玲司。一応、みんなの報告から、フラッグがないと思われるエリアを脳内で潰してます。まずは――」


 玲司さんがたぐい稀な力で積み重ねた記憶を脳内に同期しながら、直前の調さんの言葉を反芻していた。


 そう、言われて気付く。この戦いは、調さんと話が出来ていたとしても、彼女が生きていたとしても、意味がない。

 今この瞬間にも、相手が旗を見つけたら一瞬の終わり。それが、途切れることのない緊張感を生む。


「こちら6階、緋色ぞよ。ひぃは今、ハッタマンと遭遇したぞよ」


 ハッタマンって……1年男子の畑間君か。浸透していないあだ名を当たり前のように使うの止めてほしいぞよ。


「で、攻撃しようとしたら逃げられて、追っていったらあの変なカップルみたいな2年生コンビがいたから、すぐに退き返してきた。危なかったぞよ」


 …………え?


「緋色さん、今なんて言いました?」

「ん、そーちょん聞こえなかった? あの2年生のカップルコンビに遭遇しかけたんで、慌てて――」

「いえ、もっと前です」


 緋色さんの言葉を遮る。何か、引っかかることがあった。


「畑間君が逃げて、追いかけたって言いました?」

「うん、そう。『わあ!』とか言ってすぐに背中向けて走ってったぞよ」


 ひょっとして、ひょっとしたら……。


「どうしたの、灰島君? 何か気になる?」

 シーバー越しの雪葉さんの声に、直感をぶつけた。



「畑間君、わざと逃げてるのかもしれません」

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