Act.5-4 「鉄壁」現る

 本館2階は今までいた階より幾分、ひんやりとしていた。冷たい空気は下に行くというのは、こんな大きな建物でも変わらないらしい。


 中継器が設置されてる、トイレ付近の鉢植えの近くへ。

 さっきまでずっとトランシーバーで会話してたからか、いやに静かに感じる。聞こえるのは、ヒタヒタという自分の足音だけ。


 なんかだんだん不安になってきたぞ……。

 大丈夫かな、中継器近くで敵が待ち伏せてたりしたらどうしよう。

 いつでも逃げられるように体勢を後ろへ傾けながら、トイレに向かう曲がり角からゆっくり顔を出す。


 …………いたっ! 人がいる!


 やっぱり待ち伏せしてたんだ! 危うく狙われるところだった。

 誰だ、陰険なことしてるのは。このスキに攻めてやろうか。


 鉢植えのところでゴソゴソしてる…………背が高くて、柔らかいパーマの茶髪の男子……


「玲司さん」

「おお、爽斗。お前も来たのか」

 陰険な敵と間違えてごめんなさい。


「僕、4階にいたんで。報告聞こえました?」

「いや、お前が喋ってるのは分かったけど、内容は全然分からなかった。ちょうど1階の階段近くにいたんで、様子見に来たんだ」


「切られてたの、ここの中継器だったんですか?」

「ああ。南条さんがやったのかもしれない。彼女、情報戦に関してはプロだな。『声代わりマジックリップ』も厄介だぜ」

 指をパーマに絡めて緩い溜息をつく玲司さん。玲司さんも一目置く腕前、か。


「でも、玲司さん。電源が切られていたってことは――」


『復旧させに来る僕らを、誰かが狙ってるってことはないんですかね?』

 その質問は、音となって口から出る前に止められた。



 目や耳ではなく、鼻に突然の来訪者。

 何だろう、この匂い。別に嫌な匂いじゃない、むしろいい香り。


 なんだろう、最近どこかで嗅いだことがある。

 思い出せ、いつだ、いつこの香りに触れた?


 試合中? いや、試合前?


 甘い、いや……甘ったるいわけじゃなくて……柑橘――っ!


 すぐさま枕を構えて警戒する僕に、玲司さんも状況を察して同じように構える。

 シャンプーの残り香をまとって、美湖さんが摺り足で現れた。



「よく分かりましたね、私が来るのが」

「柑橘の匂いがしたんで」

「なるほど、さすが『知りすぎた男セカンドサイト』、目と耳だけじゃなくてて鼻もすごいんですね。隠し事はできません」


 試合中なのに丁寧な挨拶。しかし、その格好はといえば、首から膝下まで布団に包まれた、てるてる坊主の親分のようだった。



「さすが五帝、『鉄壁』の駒栗美湖、ですね。そんなに立ち姿が美しいコンフォーターもいません」

 玲司さんは少しだけ微笑んで彼女を褒めた。


 コンフォーター。かけ布団を体に纏った、防御型のスタイル。敵将と遭遇するなんてかなりの正念場だけど、実際のところ美湖さんの見た目のせいで緊張感に乏しい。

 ううん、死ぬほどシュールな光景だぞ、これ……。



「美湖さんと戦うのは2回目ですね。こちらから攻めさせてもらいます!」

 そう言って、玲司さんは枕を彼女の足に向かって投げた。


 うん、布団が邪魔をしている以上、狙える部分は顔と足しかない。布団だって結構重いから、足を狙えば避けるのは結構難しいはず。


「甘いですよ」

 僕の期待は、美湖さんの軽やかなジャンプで打ち砕かれた。


「弱点に見えるところを攻めればいいなんて、簡単に考えないでほしいですね。一応これでも大将を張っているんですから」

「ふふ、そうですね、すみません。にしても、器用に動きますね」

 苦笑いする玲司さん。


「このくらいの動き、造作もありませんよ。部活ではいつもこの格好で動いていますしね」

 ええええええ! その格好で学校にいるの!

 綺麗な人だけど変人じゃないか。いや、それ言ったら掛戸の女子もみんな同類か……。


「じゃあ、これはどうですかね!」

 僕も玲司さんに続いて、頭に向かって投げる。

 よし、良いコース! しゃがんでる時間は与えない!


「残念ですが」

 美湖さんは、目にも止まらない速さで布団を体から剥がし、闘牛士のマントのようにバサッと動かして、顔に飛んできた枕のベクトルを変えた。


 なんだ今の動き……あんな避け方されるなんて……。

 「鉄壁」の異名は伊達じゃない。これはそう簡単には崩せないな……。


「ふう、さすがですね」

 頬を膨らませて強く息を吐く玲司さんに、美湖さんが柔らかい声で呼びかける。


「ねえ、時雲君、何故私が学校でも布団を羽織っているか分かりますか? 練習しなきゃいけないことがあったんですよ」

 前側で布団の端と端を合わせて持っている美湖さん。そのお腹の部分が、少し膨らんだ。


「片手で布団を持つということです」

 言うが早いか、布団の前側がバサッと開き、大砲みたいに枕が飛び出してきた。

「うおっと!」


 枕は玲司さんの足に向かって一目散に走り、玲司さんが滑るように寝転ばなければ間違いなく当たっていた。「布団を両手で持つから、攻撃には向いてない」、以前雪葉さんから聞いたコンフォーターの説明を覆す、攻撃的な戦闘スタイル。



「うん、精度も良い具合です。良かった」

 ニコニコしながらピョンと跳ねる美湖さん。ううん、こういうタイプの人が一番怖いかもしれない。


「爽斗」

 起き上がった玲司さんが、相手には聞こえないくらいの声で呼びかける。

「俺達じゃちょっと勝てない」

「……みたいですね」


「隙を作って逃げるぞ。逃げるスピードならコンフォーターに負けることはない」

 無言で頷く僕に、ニッと笑って返す。


「でも、隙なんか作れますか?」

「任せとけって」

 浴衣の袖を軽く捲り、両腕のパワーアンクルを外してポケットに入れた。


 この2週間、「俺は攻撃力を上げる」と言っていた玲司さんが登校から下校まで必ずつけていた重し。それを外し、美湖さんが布団で弾いた枕を左手で拾った。右手にはもう1つの枕。


「『両手で花と散れダブルシューター』、初披露だっ!」


 少し角度をつけた両手をクロスさせるように投げた2つの枕は、片方は頭、もう片方は足をターゲットに飛んでいく。上にジャンプしても下にしゃがんでも避けられない、絶妙にいやらしい技。


「くっ……!」

 布団をバサッと頭の周りで回転させて上軌道の枕を防ぎながら、ジャンプする美湖さん。アウトにはできなかったものの、相手が反撃するまでに十分なラグが出来た。


「爽斗、行くぞ!」

「はい!」

 急アクセルで走り出し、連絡通路を渡って別館へ逃げだした。



「こちら別館2階、玲司。本館2階で中継器を復旧させたんだけど、美湖さんにそこで強襲を受けた。なんとか逃げてきたよ。すぐにまた中継器の電源を切られるかもしれないけど、様子を見てまた復旧させに行く」

「そうか、ミーコは手強かっただろ。よく逃げられたな」

「『両手で花と散れダブルシューター』で攻めました」

 空いている手でパワーアンクルを取り出し、くるくると回す。


「ワタシは深貝を倒したぞ。これで4対3だな」

「ホントですか調さん!」

 深貝さんってあの小さい人だったな。


「ああ。小柄な体格だが見どころはある。殺すには惜しいヤツだった。もう一度戦ってみたかったな」

「再戦すれば明日にでも戦えますけど」

 死んでないですからね!


「玲司君、灰島君を別館3階に呼んでもいいかな。刈谷かりや君が近くにいるみたいで、探すの手伝ってほしいんだ」

「ああ、分かった」

 指で上を指しながら答える玲司さん。


「灰島君、『夕顔』って宴会場よ。よろしくね」

「分かりました」

 刈谷さんって、あの座布団抱えてた人だな。雪葉さんに呼ばれて階段を上った。


「雪葉さん!」

 別館3階、宴会場「夕顔」のふすまを勢いよく開ける。


「灰島君」

 こちらを見ることもなく、返事をする雪葉さん。



 それもそのはず、彼女の視線の先には、既に招かれざる先客が1人入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます