Act.2-3 見たことのない技と笑顔

 外練が始まってから3週間経った、放課後の南校舎3階。窓の下に揺れる桜は毛虫の住処と化し、振り落とすように枝をワサワサと動かしている。


「あれ、雪葉さん」

 部室では、制服姿の雪葉さんが1人でノートに向かっていた。


「調先輩達はどうしたんですか?」

「ん、3人とも用事あるみたいだから、今日はお休みよ。湯之枝さんからLINEなかった?」

 慌てて鞄の中からスマホを出す。調さんから「今日は休みだ!」とだけ来ていた。


「雪葉さん、お休みなのに来たんですか?」

「うん、明日の予習とか、色々やることあったしね。どうせならここでやっちゃおうと思って」

「おお、さすがです!」


 頭脳明晰な雪葉さん。試験では常に学年トップ5にランクインしてるらしい。頭が良くてキレイなんて、天は二物を与えたもんだ。


「灰島君は帰るの?」

「あ、いえ……。せっかく来たんで、僕も宿題やってから帰ります」


 斜め向かいに座って、教科書とプリントを取り出す。電子辞書の電源を入れて、英文和訳を始めた。


 時計が進む音、ノートを捲る音、シャーペンを走らせる音、そして外から聞こえる野球部の声。思考を邪魔しないくらいの細やかなノイズが部室を包み、単語はどんどん日本語に変わっていった。


 ううむ、勢いで勉強し始めたものの、ちょっと緊張する。緋色さんや玲司さんとはよく喋るけど、雪葉さんとはあんまり2人で喋ったことがない。緋色さんとかに比べてリアクションが分かりづらいから、どんなこと喋ったらいいか迷っちゃうな。


 別に話すのを怖がってるわけじゃないけど、無意識のうちに予防線のようにプリントを進めて、圧倒的な集中力で宿題が終わってしまった。予習するほど勉強に熱中したいわけでもなくて、とりあえず近くにあった温泉特集の雑誌を手に取って捲る。


「灰島君、ちょっといい?」

「は、はい? 何ですか?」

 読み始めて10分も経たないうちに、雪葉さんから声をかけられた。


「ちょっと実験付き合ってほしいんだけど、いいかな? 試合に向けて技考えたの」

 手に持っているノートはさっきと色が違う。予習は終わって、トリックを考えてたのか。

「あ、いいですよ」

「じゃあ、これを、と……」


 2人で上の荷物を棚に移動させて、机を横に寄せる。キャスターがついてる机は移動が楽だなあ。横のレバーを引くと、天板が90度垂直に回転して、壁にぴったりつくように収まった。机がないと部室も広く見える。


「そこに立っててね」

 部室の角に立って、雪葉さんが後ろを向いてごそごそダンボールの中を探ってるのを見る。あれは雪葉さんのために置いてある箱。研究・実験用に、温泉にある色んな道具が入ってる。


 何だろう、何が来るんだろう……予想がつかない分、ちょっと怖い。


「行くよ」

 声と同時に、ヒュッと風を切る音がして、細い何かが飛んでくる。得体の知れないその蛇みたいな黒いものは、次の瞬間には左首に絡みつく異物へと変わっていた。


「うわっ!」

 雪葉さんに引っ張られて足が上にあがる。体勢を保とうとバランスを取ってるうちに、飛んできた練習用枕にバフッと顔を撫でられた。


「うん、まあ思ったようにはできたかな」

「雪葉さん、これ……」

 足首を見ると、絡まってたのは黒いコード。先端にガムテープが巻いてある。


「宴会場にあるカラオケのマイクコードよ。マイク本体を抜いて、ジャックの部分にガムテープ巻いたの。剥き出しだと危ないしね」

 こんなものまで利用するのか……雪葉さんの技はホント幅広いな。


「技の名前は『マイクで巻いてジャックスネーク』ってところかしら」

「なんかカッコいい!」

 いや、カッコいいのか? 本当か? センスが感染うつったかな?


「灰島君、どうだった?」

「そうですね……びっくりしました。暗いところでやればかなり驚くと思います。ただ、コードが絡まっても手は動くんで、タネがバレてると効果薄いかもしれません」

「そうね……ホントは両足やれれば一番いいんだけど、足が揃ってないとできないもんね」


「手にやればいいんじゃないですか? 腕に巻き付ければ、枕投げるのも封じられるかもしれませんよ?」

「うーん、ダメね。顔に当たったら危ないし」

 そっか、危険なプレイは禁止なんだっけ。


「うん、でも参考になった、ありがと」

 机を戻して、ノートを開く雪葉さん。考え込むようにブツブツ言いながらメモしているその姿はとても勉強熱心な高校生に見えるけど、呟きの中身は「これで動きを封じれば……狩れるかな……」と若干怖い。ほほう、やっぱり枕投げに集中すると人が変わる人種なんですね。


「それ、技を書いてるんですか?」

 隣に行くと、立ってる僕にノートを渡してくれた。

「そう。思いついた順に書いてるから、ちゃんと整理はできてないけどね」


 ノートには、思いついたアイディアと試した結果、実践での成果なんかが書かれていた。こんな丁寧な楷書体でこんなこと真剣な顔で書いてると思うと、妙に面白い。


「へえ、こうやってまとめてるんですね」

 マイクコードで相手の動きを止められれば…………おっ! 思いついた!


「雪葉さん、さっきのマイクコード、ジャックの部分を水あめとかスライムに浸してから攻撃するのどうでしょう? コンフォーターも結構驚いて反撃できなくなると思うんですけど」


 一瞬、きょとんとする雪葉さん。


「…………ふっ……ふふふっ……あはははっ! 灰島君、それじゃマイク使えなくなっちゃうでしょ、ふふっ」


 驚いた。

 初めて雪葉さんがちゃんと笑ったのを見た。


「あ……そ、そですね、へへ」


 でも、驚いた理由はそれだけじゃない。


 こんなに可愛い表情で笑うなんて、知らなかった。



「……あ、じゃ、じゃあ、こういうのどうですか! このジャックに巻いたガムテープの部分にトリモチみたいのつけておくんです。コンフォーターの毛布に当てれば、毛布剥がせますよ!」

「ううん、ちょっと毛布剥がすには力が足りないかなあ」


 笑った顔が気になって、また見たくなって、いつもよりハイで思いっきり道化た。


 そこからずっと、如何に宴会場のものを武器に使うか話し込んだ。誰かの忘れたスリッパ、備え付けのロッカーに入った箒、机に置いてある布巾。何をどう使って戦うか、ううん、何をどう使って笑わせようか考えながら、めいっぱいおしゃべり。ノートに棒人間を描いて、アクションのシミュレーション。外では少し黒い雲が晴れた空を包んでいく中で、この部室の中は野球部の声に負けないくらい賑やかだった。


「雪葉さんって結構おしゃべりしたり笑ったりするんですね。おとなしいと思ってました」

 帰る時間。机を戻して鞄を背負いながら雪葉さんに言う。


「緋色ちゃんも玲司君も元気いいからね。うん、私は周りに喋る人がいるとバランス取って話さなくなるっていうか。あんまり表に出さないだけで無口とかってわけじゃないしね」

 髪をちょっとイジりながら、視線を窓の外に移しつつ答える。


「なんか今日、いっぱい話せて良かったです!」

「うん、私も良かった。無口キャラの誤解が解けて」


 ふふ、とまた笑う。開けてた窓から吹き込んだ強めの風が、彼女の首元、2年生の印の赤リボンを、前髪と一緒に少し揺らした。可愛いけど綺麗、そんな笑顔に、吸っていた息が止まる。


「帰りましょうか、明日は外錬ですかね」

「そうね、これから暑くなってくるから、浴衣でも結構大変よ」

 炎天下の練習を想像して思わず苦笑しながら、部室を出た。




 夜。机の前とベッドの上を往復する。


 大した用ないのに送るのは変かな。いや、でもそんな風には思わないでくれるかな。こっちから送れば……。でも、もう少し時間が経ってからの方がいいかな……。


 散々迷って、ベッドにボフンと雪崩れ込みながら、SNSを送る。


『今日は楽しかったです。また一緒にトリックの作戦会議しましょう!』


 枕にスマホをバフッと置いて、ベッドから起き上がる。返事が来るまで、勉強も手につかないし、小説も頭に入らない。ただただ、イヤホンから音楽を吸い込んで、雑誌の広告ページをじっと見る。


 何度もホーム画面をチェックして、いつもと同じ画面に小さく息を吐く。通知音に急いで覗き込むと、登録してるニュースの新着通知。無駄足を踏んだ鼓動に落ち着くよう言い聞かせて、また体勢を戻す。


 緊張して、少し怖くて、でも変に楽しみで。大した連絡じゃないから大した返事が返ってくるわけでもないのに、スマホのバイブに負けないくらい期待感が振動して増幅して、どうしようもない一人相撲の時間。


 しばらくしてふいに鳴った音楽に、ビーチフラッグのように飛び起きる。


『私も楽しかった、ありがとね。また明日』


 僕と一緒で、絵文字も顔文字も何もない、雪葉さんらしいシンプルな返事。こんな20文字くらいの、ただの挨拶のメールで、それがとっても嬉しい。


 季節はもうゴールデンウィーク直前。初めてちゃんと喋れた先輩と、初めて連絡を取り合った。

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