後ろ姿

 いつだったろう……小さいときに、魔物に襲われたことがある。当時の私のレベルは、2。対して、現れたウルフたちはレベル30で四匹もいた。

 必死になって逃げ回るうちに、どこが街への道なのかも分からなくなって、途方にくれた。

 崖は、下からみると、巨大な石の怪物だった。それを背にして四匹のウルフに追い詰められた。じりじりと間合いを詰められ、もう、ダメだと思った。

 人生ではじめて『助けて』と口にした。助けて、助けて、と。必死に叫んだ。視界には涙が滲み、全てが歪んで見えた。怖くて怖くて、ぎゅっと目を閉じた瞬間、ウルフが私に飛びかかるのを感じた。



『……大丈夫、ですか?』


『…………え?』



 固く閉じた目を開けると、そこには、私と同い年くらいの、一人の少年が笑っていた。青く、透き通るような髪とアメジスト色の目。彼は、不可能を可能にする、奇跡を起こせる人物だった。

 私に飛びかかろうとしたウルフたちは、みんな、空中で制止していたのだ。驚いて目を丸くする私に、彼は言った。



『助けてって、聞こえたんで』


『え……あ……』


『今から時間を動かすけど、大丈夫。僕が全部倒すから』



 そして、彼が私に背を向けると、時間は動きだし、ウルフは勢いを留めることなく襲いかかってくる。

 その首を、彼はたった一本の剣だけで落とした。血飛沫が舞い、とても平和とは言えない幼い記憶の中で、彼の後ろ姿だけが、力強く輝く太陽となっていた。


 彼は、私の英雄になった。



『……えっと、ありが、とう』


『どういたしまして。アリア様……ですよね?』


『え、あ、うん』


『お屋敷まで送りますよ! 行きましょう!』



 ……あいつは、強かったなぁ。どんな相手でも物怖じせずに立ち向かっていった。姉とは違って真面目だし。

 婚約……となったときには、恥ずかしいのと嬉しいので、どうにかなりそうだった。でも、あいつも嫌じゃなさそうで、安心した。

 あいつみたいになりたくて、あいつと一緒にいて、遜色ない人間になりたくて、レベルをあげ、頑張ったつもりだった。


 でも結局、無理だった。歯が立たなかった。

 真っ黒い鱗を持ったドラゴン。あんなのが街にいったら、今度こそ……。そう思って、倒そうとした。加護を使って、水魔法の熟練度をあげた。でもびくともしない。傷一つ付かない。気がついたら……視界が、ひっくり返っていた。

 吹き飛ばされた先にあったのは、皮肉にもあの崖で。石の壁に打ち付けられ、意識が持っていかれそうになる。


 今、あいつはここにいない。

 それでも……私が、強く求めているからだろう。



「アリアさんっ……アリアさん!」



 目の前にいる『こいつ』は『あいつ』の幻だ。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「……ウ、タ…………」


「アリアさん! よ、よかった……。いや、状況考えてよくはないけど、とりあえず、生きててくれて本当によかったです!」


「ぷるぷるっ!」



 吹き飛ばされ、壁に打ち付けられたアリアさんにかけより、何度も呼び掛け、ようやく返事が聞けた。それだけでも、大きな安心になった。

 ……見かけには、とても無事とは言えなかった。アリアさんの左足には大きな傷があり、今でも血が滴っている。一瞬気が遠くなったがスラちゃんが起こしてくれた。ありがとう、本当に。ここで寝たらマジで永眠だわ。



「逃げますよ、アリアさん! 僕、あんなのと戦えないんだから!」


「……ダメだ」


「何がダメなんですか!? 逃げましょうよ! 結界を破るほどの大きさじゃないって!」


「……大きさは、そう、だとしても……あれは、黒い」


「……黒い?」



 色が、強さと関係あるのか? 分からないけど、このアリアさんの感じ、多分……すごく強い。って、



「なおさら一回引きましょうよ! こんな状態で戦えるんですか?!」


「でも……国民を、巻き込む、訳には…………」


「…………」



 僕は、ふと思ってしまった。



「アリアさんって、バカなんですか?」


「……は」


「バカですよね? めっちゃ大バカですよね!? だって、自分を犠牲にしてみんな助けたって、そんなの、何の意味もないですからね!?」


「いや」


「それに、アリアさんが戻ってきてないって分かったら、国民のおよそ99.9%はここに来ますからね。洗剤の除菌率と同じくらいの割合で来ますからね。ほんとですよ!

 それだけ、アリアさんはこの国に必要な人なんですよ!」


「…………」


「とにかく、僕はひきずってでも、あなたをお屋敷まで連れていきますから! ヘタレの決意ってこわいんですよ?! 普段決意しないから、その決意ってめっちゃ強いんですから!」



 僕はそういいながら、アリアさんの腕を肩にまわし、本当に半分引きずって街へと急いだ。そもそも、怪我しているこの足じゃあ満足に動けないだろうし。

 スラちゃんは僕が道を見失わないようにリードしてくれてる。



「ウタ……」


「なんですか?! ヘタレで貧弱な僕だって、やるときゃやるんですよ! 置いてけとか聞きませんからね!」


「なんで……キレてんだよ……」


「アリアさんがあまりにもバカだからです!」


「そう、か…………、ウタ……」


「だからなんですか!」


「……ごめんな」


「…………いいですよ、別に。アリアさんも、助けてくれたじゃないですか。それに、まだ助かってないし」


「……ウタ…………」


「……なんですか」


「お前は…………――」



 その先の言葉は、聞けなかった。



「グォォォォォォ!」


「っ!?」


「ぷるるるっ!」



 僕らのすぐ近くに、真っ黒いドラゴンが迫っていた。

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