第四十二話 魔石の待つ、母なる胎内へ
瞬く星と煌々と光を放つ二つの月だけが見つめている真っ黒な空。
いまは東の空がうっすらと色を薄めつつある時間。
山から吹き下ろす微風が秋を予感させる。ぱちぱちと爆ぜる小さな焚火に風が通る
愛用の杖を肩に立てかけて焚火に乾いた薪をくべる。
四六時中向けられる視線から逃れられる術は今のところ持ち合わせていない。広範囲魔法で吹き飛ばしてしまえばよいのだろうが、そうなるとただの自然破壊となるだろうと、うっとしいと思いながら放置を決め込んでいる。
空が徐々に明るみを帯びてくると、熱を奪われぶるっと身を震わせてしまう。
いつもの明け方が訪れた、そう思いながらヤカンに視線を向ければシューシューと白い蒸気を噴き上げていた。
「お、おはよ~」
ヤカンに視線を落とした隙に、眠そうな声の持ち主が挨拶をしてきた。
起きたばかりで燃えるような赤い髪が寝ぐせで方々に跳ねてしまっている。
身支度をしてから起きればよいものを思いながらも挨拶を返す。
「おはよう、アイリーン。今日は早いですね」
いつもは太陽が地平線より昇ってから起き出す筈なのだが、この日は太陽が半分も顔を出していない時間にもかかわらず起きてきたのである。
不思議そうな顔をしてアイリーンを見ていると、少し恥ずかしそうにしていた。
「なんだか、目が覚めちゃってね。スイール、お茶貰ってもいいかな?」
「ええ、すぐに準備しますよ」
スイールはすぐヤカンを焚火の上から退けると、アイリーンのコップに茶葉を入れてお湯を注いだ。
そのままコップをアイリーンに渡すのだが、その彼女はコップを受け取るとスイールにピタッと密着するように横に腰を下ろした。
「どうしました?人恋しくなったとかですか」
「ううん、違うのよ。気になる事があってね」
「何が気になりました?」
歳の差七千歳以上、”まさか”と思いながらアイリーンへと顔を向ける。
その彼女はコップを手でコロコロと転がしながら呟くような声で問いかけ始めた。
「えっと、昨日ヒルダが調子悪そうにしてたじゃん。ウチ、あれが気になっててさ」
「あれですか?」
昨夜の事、食事が終わりアイリーンの報告を始めたところ、ヒルダが調子悪そうにしていたのが気になっていた。
「病気でも何でもない筈です。アイリーンが気にすることはないでしょう」
「それならいいんだけどね……」
ヒルダの事は気になるが、”少し疲れたのかな?”程度にしか思っていなかったのでこの話はこれで終わりになった。
しかし、アイリーンが本当に気にしていたことはヒルダの事ではなく別の事だ。ヒルダの件を口にしたのはただ単に気になっていた事があるとスイールに話しかける口実に過ぎない。
次の話題の方が実は重要なのであった。
「でさ、スイール……」
「えっと、私に何か?」
「うん……」
そのアイリーンはどんな言葉を紡げばよいかと思案を巡らせながら口を開く。どこか優しく、そして、探偵が謎解きをするような口調で。
「スイール、あんた大丈夫なの?」
「う~ん、言ってる意味がわかりませんが」
だが、アイリーンの口から漏れ出た言葉は口調とは裏腹に、変化も見せず真っ直ぐと呼べる言葉だった。スイールの性格を鑑みればどんな言葉を紡いだところで無駄になる事は確かだ。もしかしたら、別の方向へと会話を誘導されかねない。
それ故に言葉は真っ直ぐ真実を問うてみたのだが、案の定、はぐらかされてしまった。
「あんたならそう言うわね。でも、ウチ知ってるんだよ。何か隠し事、してる……でしょ?」
「私がですか?そんな事ないですよ」
だが、今回は少しだけ粘ってみようとさらに踏み込んでみるのだが、やはりスイールが一枚上手であり彼の胸の内に隠された言葉を耳にする事は無かった。
「……とは言いましたが、隠し事の一つや二つは持ち合わせていますけどね」
「いや、それじゃないわよ」
そして、スイールは質問に対し、別に用意してあったであろう答えをアイリーンに伝えた。極々ありふれた、何の変哲の無い答えを……。
そうなるとアイリーンには何も出来ずお手上げ状態であり、降参するしか手は無くなってしまう。
そして、”はぁ~”と重い溜息を吐きゆっくりとコップを口に当てて傾ける。
「……いえ、あんたの事だもんね。心配する方が間違ってるわね、忘れて頂戴」
アイリーンは手の平をひらひらさせながらその様に告げると、スイールの答えを待たず立ち上がると飲みかけのコップをその場において、もうひと眠りとテントへと向かって行った。
(そうですか、気になりますか……。とすれば、あまり猶予はないかもしれませんね)
残されたスイールはテントへ向かうアイリーンを見送りながら内心でそう考える。
そして、口角を上げて不敵な笑みを薄く浮かべると小さな焚火に視線を戻すのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
焚火の傍で見張りを続けているスイールに別れを告げたアイリーンは一人、テントへ戻り毛布に
「どうしたの?」
「何でもないよ」
再び目を瞑りながら毛布に包まり直したアイリーンへと声を掛けた。
小さな声で会話をしていたとしてもスイールと何かを話していたことだけはヒルダの耳にも届いている。しかし、内容まではわからずじまいだった。
「それならいいわ」
内緒話が気になったが、話そうとしないアイリーンに興味を無くし、再び眠りに就くのだった。
ヒルダが寝息を立て始めたのを耳にしたアイリーンもゆっくりと瞼を閉じ、再び夢の中へと向かおうとするのだが様々な思考が邪魔をして現実世界へと留まらせていた。
(何、
スイールの取っている行動に違和感を覚えたのはここへ向かう船の中の出来事。
部屋に籠って何かを書き綴っていた事だろう。
根を詰めてまで書き記さなければならぬ事がある筈もないだろう、と。
永遠に近い命を持っているスイールだからこそ、命を削るような真似をしてまで机に向かう必要がどこにあるのかと疑問を持った。
そしてもう一つ。
数日前の深夜、ヒルダが見張りに時間に現れた敵。
その処理にも疑問が残る。
アイリーンが知っているスイールであれば、あんな簡単に敵を殺しはしないだろうと思ったのだ。
”何かを焦っている?”
結婚してしばらくスイール達と離れて生活していた事が、昔と今の彼の差をわかるようになるとは思いもよらなかったが。
(ま、何にしても気にしていた方がいいかもね……)
これ以上、考える事を諦めると、あと少しと意識を夢の中へと向かわせるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
東の空に太陽が昇り、天を覆っていた真っ黒な色が目も鮮やかな群青に変わってからどれだけ経っただろうか?実際の所、太陽はまだ地平線から離れてそう高いところまで昇ってはいない。
九月も中旬なのだから、目にも鮮やかな雲一つない青い空が広がっていればぐんぐんと気温が上昇するのは目に見えている。しかし、これから向かうのは気温が一定であろうと思われる地下遺跡。纏わり着くような湿気でジメジメしていない事を祈るだけであろう。
「準備は良いですか?」
バックパックを背負い、左手に愛用の杖を掴んだスイールが皆に視線を巡らせる。
各々が愛用の武器を手にして、準備完了だと頷きあっている。
足元には先程までぱちぱちと小さく爆ぜていた焚火の跡がうっすらと残っているだけ。
「ここからは敵地です。今までは視線のみが纏わり付いて敵は現れませんでしたが、この先は敵と遭遇すると考えてください。いえ、確実に接敵します」
監視があり、いつでも敵が襲って来る、暗にそう告げるのだ。
それをわかっているのか、ヴルフは
馬車が通れるほどの洞窟、それが二百メートルと人工構造物で構成されたトンネルが百メートル、合計三百メートルもある。そこを敵が向かい来るかもしれぬとあれば、事前に準備しておくべきだろう。
「それと、バックパックをいつでも下ろせる準備をしておいて下さい。最悪の時はナイフでベルトを切る事も躊躇しないでください」
そんな事はわかっている、そう思いながらもスイールの言葉に銘々が驚きを露にした。
多分、その指示は初めてでは無いかと。
厳しい戦闘になれば重量物を背負っているよりは身軽な方が良い。
いつもならばバックパックを下ろす時間は十分にあった。それに、バックパックを下ろせなくともそれほど戦力に違いはない。
だが、そこをあえて”ナイフでベルトを切ってでも”と付け足したのである。
”厳しい戦いになる”
誰もがそれを脳裏に浮かべたのは当然だろう。
そして、スイールのもう一つの意図。
自分の身を第一に考える事だ。
厳しい戦いになれば紙一重のぎりぎりの戦いになる可能性が高い。その時に少しでも不利な状況を排除したい。
だから、荷物なんか捨てても命を大事にして欲しいと暗に伝えたのだ。
「そうならんように祈っててくれや」
「それが一番なんですけどね」
スイールはヴルフの問いかけに肩をすくめて苦笑を返すだけだった。
しかし、その表情もすぐに厳しく変わっていく。
「それでは出発しましょう」
そして、片付けの終わった野営地へ、準備の終わった仲間へ、視線をぐるりと廻らせると出発の声を掛けた。
スイールは洞窟の前で足を止め、真っ暗な闇を睨みつける。
それから、おもむろに自らの杖の先端に煌々と白い光を放つ魔法をかけて光源を確保する。
「参りますよ。では、
白い光が洞窟を照らし始めると皆が足を進ませる。
スイールの前にすっと滑らせるように歩を進ませ先んじるのは前衛の二人、ヴルフとエゼルバルド。
二人の最大の攻撃力を誇る
そしてスイールの後方、後衛としてアイリーンとヒルダが続く。
アイリーンは
アイリーンが一度偵察しているだけあり、罠の類が設置されていないことは確認済みだ。
尤も、敵の人員が頻繁に出入りする通路に罠を設置する方が異常と考えた方がいいのだが……。
白い光に照らされた地面を確かめるように一歩ずつ洞窟を進む。
それが二百メートル程続いている。
洞窟が終わると次は四角い人工構造物のトンネルが現れる。
壁や天井がボヤっと光を放っており、魔法の光はもう必要ない程の光量がある。
だが、スイールはそれにかかわらず魔法の光を消す素振りすら見せないでいた。
不思議な光景だが何か意図があるのだろうと、誰もがスイールの何もしない行動に異を唱える事をしない。
そこから、百メートルほど進むと地下へと進む階段の入り口にたどり着いた。
「ここまでは予定通り……ですね」
「ああ、これからじゃな」
いまだに障害らしい障害は現れずにいるのだ。
階段の途中で襲い掛かってくるのか、それとも、罠があるのか……。
様々な考えが脳裏を巡るが、そのどれもが正解になると思えば一つに絞るのは難しい。
それであれば対処できる能力の持ち主を先頭に添えるしか思いつかない。
「それじゃ、ここからはアイリーンが先頭へ。エゼルが後方へ」
「りょうか~い」
「わかった!」
「敵が現れた時は、その都度その都度臨機応変に」
すぐにエゼルバルドとアイリーンが位置を入れ替え、母なる胎内の底へと続く階段を降りて行く。
人が二人、並んでも十分な幅の螺旋階段をゆっくりと進んでゆく。
天上や壁、そして、踏み面までがトンネル部と同じ構造材を使用して統一性を持っているためか、変化が乏しいとさえ思っていしまう。
しかし、頑丈な石材を構造材として使っているだけあり、天井や左右の壁からの不意打ちに悩まされる心配がなく安心できるとも言える。
だが、そんな螺旋階段もいつ終わるとも知れぬほどに長時間下り続ければヴルフでなくとも辟易してしまうのも当然だろう。感覚で言えば百メートル、いや、その倍は階段を下りているはずである。
しかも、ぐるぐると回りながら降りる長い螺旋階段は、訓練で培われた鋭敏な感覚を持つアイリーンであろうとも方向感覚を狂わせ、どちらが北なのか南なのかを口から吐き出すことさえできない。
赤竜レッドレイスの言葉を引用するならば、”すり鉢状の
それが正解と知るのは、螺旋階段の終点へとたどり着いた時だろうか。
「またトンネルかぁ……」
「恐らく、ここからが本番ですよ」
螺旋階段の底に到着し一歩踏み出せば、再び同じ様なトンネルの一本道が続いている。
隠れる場所も見えず、敵の姿も見えない。
誰それ構わず手招きをしている、そう思ってしまいそうになる。
それでも、
彼の持つ戦力が如何程であろうとも排除して元凶の下へとたどり着かねばならぬのだ。
スイールはトンネルの先を見据える皆に視線を巡らせると、握る杖に力を籠めるのであった。
※地下遺跡に潜入開始です。
しかし、敵はまだ現れず……。
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