第三十四話 ミンデンを放棄する

「誰だ!」


 唐突に呼ばれ返事をしたのは騎乗したばかりのブメーレン子爵ではなく、彼が安全に跨れるようにと手綱を握っていた兵士だった。

 僅かに光る魔法の光を頼りに周囲に気を配るが、その場を離れられぬ彼には対処できる筈も無かった。


 これが戦争中でなければ役所近くの厩舎にも街灯が煌々と灯っている筈で何処までも見渡せただろう。だが、戦争中であるがゆえに街灯の類を使う事は禁じられ、自ら不利な状況を作り出してしまっていた。

 潜入したトルニア王国軍として潜入しているジムズ達の有利なように状況は動いているのである。


「ぐはぁっ!」

「うわぁ!」


 手綱を握り締めながら見渡しているうちに何人かの兵士がうめき声を上げながら地面へと倒れ込んだ。不気味に発した声の主の凶刃に体を傷つけられてしまったのだ。


 見方が次々に倒れて行くと、手綱を引く兵士だけでなく、彼の横で騎乗するブメーレン子爵も死を意識せざるを得ない。

 特に馬上から俯瞰していれば、無残に殺される兵士が良く見えてしまう。

 かすかに光る銀色の弧が暗闇に描かれるごとに一人、また一人と兵士が倒れて行く。


「我はブメーレン領主、フレディ=ブメーレン子爵であるぞ!暗闇から襲うなど卑怯千万!我が剣の錆にしてくれようぞ」


 馬上でロングソードをよろよろと引き抜き、暗闇を切り裂く様に我武者羅に振り回す。

 切っ先は波打ったようにぶれて訓練していないのがすぐにわかってしまうほどにつたない。


 兵士は、これなら自分の方がまだ剣の扱いは上手いのではないかと諦め顔をしてると暗闇から複数の足音が近づいてきたのが聞こえた。


「……自ら名乗って頂き有難い。これで、手柄を上げたと胸を張って帰れる」


 問いただす手間が省けたと、暗闇から現れた先頭の男、ジムズは答える。

 ブメーレン子爵の周囲には二十人のトルニア王国軍兵士、--正確にはブールからの部隊の一部である--、が現れ、ネズミの這い出る隙間もないほどに彼を包囲した。


「我をどうするつもりだ?」

「可笑しな事を仰りますな?この場でダンスを踊って貰うとお思いですか?」


 二十人に囲まれ、すべてが銀色に輝く剣を向けていれば、ブメーレン子爵の命を狙っているとわかるだろう。一縷の望みを込めて問い掛けてみるが、苦笑する先頭の男の表情にサッと血の気が引いて行く。


「ま、貴方自身を連れて行っても食料が無駄になるだけでしょうから、苦しませずに差し上げますよ」


 領主クラスであれば捕らえるべきであろうが、乱戦の続く市街戦の最中に捕まえた敵将を連れて自らの命を、そして、連れて来た部下達も危険にさらす勇気はジムズには無かった。


「では、ごきげんよう。……殺れ!」


 ジムズは部下達に命じて馬上のブメーレン子爵と手綱を握る兵士に襲い掛かった。


「く、来るなぁぁぁ!!」


 それは、銀色に鈍く光る雨がブレーメン子爵に降り注ぎ、赤い鮮血が飛び散る中で耳にした、ブメーレン子爵、最後の叫び声だった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「何か聞こえたか?」


 ミンデンの北門に到着したボルクム伯爵は近くの兵士に尋ねてみた。

 何か、悲痛な叫びが聞こえた気がしたのである。


「いえ、何も。それよりもここより北は街道沿いに篝火が確認できます。その周辺にも松明の光が見えますが、左よりも右の方が多いようです」

「聞こえたのは気のせいか……。敵が待ち構えているのはわかったが、どう動いている?」

「街道沿いと左側は篝火を使っているのか動きがありません。ですが右側は少ない松明であっちこっちに忙しく動き回っています。何かを探しているのかもしれませんし、何処へ陣を張ろうか迷っているとも取れますし……」


 北門から得られた敵の情報はそんなところであった。

 街道沿いに集められた敵の軍勢は篝火の数からすれば相当数、数千、少なくとも三千程は配備されていると見られる。

 しかも、攻め辛い場所へ陣取られ、街道を通って自領へと向かうには正面突破以外の作戦は取れず、手持ちの兵力では無理な相談と見られた。


 そして、街道に陣取った敵の左右に敵が展開しているが、動き回っているのは右側。

 さらに、左側にも篝火を焚いて待ち望んでいる。


 それを踏まえて、ミンデンの東門から得られる敵の情報を得た時にどうするかを決めねばならぬと思い溜息を吐くのであった。

 その報告が良し悪しにかかわらず包囲網を突破し無ければ、近い将来にはここにいる領主クラスは全て縛り首になっている筈であると。


「報告します。東門より見た状況ですが、敵の存在確認できません」

「一つも灯りを付けていないと言うのか?」

「はい。光どころか、人や馬の嘶きすらも聞こえません」


 何の存在も無い……。

 それを額面通りに取れば、東門から逃げるのが正解であろう。

 直ちに東門に向かわせる……。


 だが、ボルクム伯爵にはそれが正解とはどうしても思えなかった。


「ダンクマールよ。東門に敵の姿が見えないのは我には策略にしか見えないのだが……」


 朝からこれだけ策を弄されて手の平の上で転がされていれば、彼らの脳裏にはどれが正解なのかわからなくなる。


「正直なところ、私でもわかりません。何処もかしこも敵は兵を伏せておりましょう。もしかしたら、何処を我々が通るかわからず兵を分散させているのかもしれません。その考えなら敵の裏を掛けるかもしれませんがね」

「なるほどな……。案外、北へ向かう街道沿いが一番、手薄なのかもしれないって事か……」


 しばらく、と言っても数秒だがボルクム伯爵は顎に手を当てて脳裏で整理をしてみる。

 だが、疑心暗鬼に囚われており冷静な判断が出来かねる状態であり、冷静に物事を考えることは叶わなかった。だから、誤った判断をしても気づく事すら出来なかった。


「よし、街道を北に向かって脱出するぞ。門を開けよ」


 そんなボルクム伯爵が出した一つの答え。それを、振り返って兵士に指示を出すと、颯爽と騎馬に跨り門が開くのを待った。

 門が完全に開き切った頃には彼らの後方、ミンデンの中心部辺りから歓声とも怒声ともとれる声が剣戟の高音と共に上がっていた。


「出発しろ。露払いは任せる。一応見張りも怠るなよ」


 そう告げると数十騎の騎馬を先頭にボルクム伯爵はミンデンの街を放棄して自領へと馬首を向けるのであった。







 ボルクム伯爵がミンデンの街を出てほんの数十分しか経たずに、露払いの兵士達に追い付いてしまった。

 何をしているかと聞けば、街道沿いの敵は篝火の通りに無数の兵士を配置させていた事が判明した。さらに狭い道の中央に誘導するような柵が設けられて行く手を拒まれていた。


「正攻法で来たか……」

「どうしますか?今更東に向かう事も出来なさそうですし……」


 ミンデンから北へ向かう街道沿いは敵の兵士に塞がれ、脇道を通って東に進もうとすればウロウロと動く敵と接触する可能性が高い。

 今更、ミンデンに戻って攻め込んできた敵を撃退するなど不可能と思えば、最終的にはここより西の脇道を探すしかなくなってしまう。


「仕方無い、西の脇道を探せ。何本か道はあるはずだ」

「畏まりました」


 偵察の兵士数人をすぐに出して道を探させると、ある程度安全が確保された道を見つけ出し、彼等はそこへと進むのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「なぁ、エゼルよ。本当にここに来ると思うのか?」


 灰色の鎧を身に着け、闇夜に溶け込むような恰好をしたパトリシア王女が彼女を守るために前に進める位置にいるエゼルバルドに尋ねる。


「十中八九来ます。ミンデンの街中はジムズ隊が起こした火災と南と西からトルニア王国軍が攻め込んで混乱させています。混乱に乗じて街の人が反乱を起こすでしょうから、三万の兵士がいたとしても守るのは既に無理になっています」


 エゼルバルドが説明した通り、ミンデンの街中ではグラディス将軍率いるトルニア王国軍が、寝起きで碌な装備を身に着けず、武器だけを手にしただけの北部三都市の兵士を圧倒していた。

 さらに火災による手間とミンデンの住民による蜂起が起こり、北部三都市の兵士の阿鼻叫喚の怨嗟が蔓延し始めていた。


「さらに、今朝の報告もすでにオレ達の策略って気付いているだろうし、幾重にも混ぜた策略に踊らされたと感じているから何処彼逃げようか疑心暗鬼に陥っている。だから、誰も配置していない東側に大量の伏兵を配置しているって、思ってると思うよ」


 エゼルバルドの言葉通り、ミンデンの東側には兵士を一人も置いていなかった。

 パトリシア王女が今従えている三千五百の兵士の内、三千が集中してこの場にいるのもここに来るだろうと自信があったからだ。


「おっと、来たようだよ」

「灯りを付ける準備を!」


 パトリシア王女が指揮する一軍の前方から蹄の音が響いて来る。

 そこまで広くない街道の裏道にその姿が現れた……。

 エゼルバルドの予想通りに、である。


 ”ササッ!”


 敵が所定の位置を通過したのを確認すると、パトリシア王女の手が高く掲げられ、無数の魔法の光を武器の先端に灯して行った。


 急に点いた魔法の光を直接目に焼き付けてしまい、敵は騒ぎを起こしながら行進の足を止めてしまう。


「止まれ!!」


 剣や長槍ロングスピアを構える一軍の先頭でパトリシア王女が声を荒げる。

 凛とした声と見るものを魅了する姿勢に誰もが息を飲むほどであろう。

 その彼女が声を発せれば、誰もが注目するしかない。


「さて、待ちくたびれたぞ!ミンデンを占領した賊共よ!」


 女性の声が戦場に響き渡る。

 そんな彼女を卑下する様に男が一人前に出てパトリシア王女と対峙を始める。


「何だキサマは!そのみすぼらしい鎧など着やがって」

「ふん!人の格好でしか価値を見出せぬ俗物が!やはり賊がお似合いだったな」


 出て来た男の挑発に乗らず、見事に言い返すパトリシア王女。鼻で笑い歯牙にもかけない。


「さて、ここを通りたいのであろう。で、お前たちの親分は何処にいる?」

「ここだ」


 男の後ろから馬に騎乗した三人が姿を現す。


「ほう、ボルクム伯爵にエルゼデッド子爵か。そっちのは見た事は無いな」

「我らの顔を覚えていただき恐縮ですな、王女様」

「ふん。城で嫌と言うほど見させてもらったからな、忘れる筈無かろう」


 北部三都市が絡んだ事件が起こっていると難癖をつけて取り潰しをしようとした所を彼らが王城に出向いてきて、釈明を、簡単に言えばそんな事はしていないと言い訳を国王へとしてきた。その時にパトリシア王女も同席していたので、彼らの顔は印象に残っていたのである。


「それにしても生きていたとは……。驚きです」

「地獄が妾を受け入れてくれなくてな。こうやって生きているのだ」


 ちゃんと足もあるぞとパトリシア王女は”ポンポンッ!”と太腿を叩く。

 すぐに真顔になり、見慣れぬ男に視線を向ける。


「で、そっちの男は何だ?」

「彼は我らのご意見番アドバイザーだ、ただの……ね」

「帝国から出向してきたと付け加えるべきだろう、なぁ、ダンクマールよ」


 無礼と思いながらもパトリシア王女の横に馬を進ませたヴルフが尋ねる。アニパレでジムズ達と共に馬車で移動中に襲ってきた中に男の顔を見ていたからこそ、進み出て来たのだ。

 そうでなかったら出番まで出るつもりは無かった。


「ちっ!厄介な相手に出くわしたぜ」

「奴を知っているのか?」

「お前さん達こそ知らないのか?トルニアの英雄だろうが」


 ダンクマールの言葉を受け、馬上で棒状戦斧ポールアックスを小脇に抱えた男の特徴を思い出したボルクム伯爵達は、馬で後退りする程に驚き動揺してしまった。


「ヴ、ヴルフ=カーティスか?」

「そうだ。あれ一人なら、何とかなりそうだが……」

「何をゴチャゴチャ言っとるんじゃ?」


 屈強な戦士であり、英雄と呼ばれるヴルフに睨まれたら、血の雨が降るとまで噂されている。だが、それはディスポラ帝国内の噂であって、トルニア王国では卑下されるような噂は出回っていない。

 非情な暗殺組織、”黒の霧殺士くろのむさつし”を幾度も撃退した噂の方が有名な程だ。


「丁度良い。お前達が黙って投降するのなら、後ろの兵士達は見逃してやっても良いぞ」


 パトリシア王女が前に出て来た敵の三人に投降を進める。

 後方を引き連れて来た兵士で塞がれ、左右も薄いながらもトルニア王国軍に囲まれている。どうすればいいかと頭を捻るが、これと言った策を見出せる筈も無かった。


 ……たった一つを除いて。


「チエストォーー!」


 ボルクム伯爵が何か言うよりも早く、血の気の多いエルゼデッド子爵が騎馬に蹴りを入れて走らせる。

 彼の狙いはたった一人、灰色の鎧に身を包んだこの場の指揮官、王族のパトリシア王女。

 それさえ打ち倒してしまえばあとは烏合の衆と思ったのだろう。

 腰の剣を抜き放ちながら彼女に迫る!


 だが、パトリシア王女ただ一人で一軍の先頭で声を張り上げるなど、馬鹿な真似をする筈も無い。

 彼女の斜め後ろには、それこそ頼もしい友人が控えているのだから。


 そのエゼルバルドは馬を器用に操りパトリシア王女の前に出て右側を敵に向ける。

 背中の両手剣の鞘の仕掛けを動かし、抜き放てる準備を整え右手を鞘に沿わせてぎゅっと力を籠める。


 エルゼデッド子爵がパトリシア王女の前に立ちふさがったエゼルバルドを邪魔だと一刀の元に切り捨てようと高々と剣を掲げる。

 次の瞬間、間合いに入ったエルゼデッド子爵の剣が振り下ろされる……筈だった。


 エゼルバルドは一瞬で背中から抜いた両手剣を両手でしっかりと握り締めると、エルゼデッド子爵の剣よりも広い間合いの両手剣を一閃した。

 横に銀色の線が暗闇に引かれたかと誰もが錯覚しただろう。


 そしてすぐ後、振り上げた右腕と首から上を無くしたエルゼデッド子爵がエゼルバルドの横を通り過ぎて行った。




※北部三都市の領主のうち、二人を討ち取った……。

 残りは一人。そして……。

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