第九章 その三 アイリーンの残念な恋愛事情

第三十二話 アイリーン、宝石を射抜く!

 ”タタタタタッ!”


 一月の凍るような空気の夜、アイリーンは裏通りを外套をたなびかせながら疾走していた。


 厚手の外套を羽織っているにもかかわらず、肌を突き刺す冷気を孕んだ空気がアイリーンに容赦なく襲い掛かり体温を奪って行く。

 それでも目的があるために走る事を止めず、寒さに対抗する様に体を動かし体温を上げて行く。


 そして、背中には自慢の鉄の矢を射ることが出来る弓を背負っている。


 日付も変わり、寝静まっている街の裏通りを走っていると、良からぬ事に巻き込まれているのではないかと錯覚してしまう。

 とは言え、今向かっているのは重要な依頼である。相当な面倒事なのであるが……。


 裏路地の行き止まり、三メートルの塀がアイリーンの行く手を塞ぐが、そんな物は彼女には行く手を塞ぐ障害でもなんでもない。足をほんの少しのでっぱりに引っかけるとわずか三回跳ねただけで塀の上にまで上ってしまった。もし、彼女の動きを見ていたら、ましらの如くと、誰の口からも漏れたであろう。

 そこから屋根伝いに郊外のとある屋敷を目指し、再び走り始める。


 裏道をひたすら走り抜け、とある屋敷を目指しても良かったが、情報が漏れていたのか途中からアイリーンを付ける影が幾つか見えた。

 彼女が速度を落とせば敵もその通りに速度を落とし、一定の距離で付けて来れば誰にでもわかるだろう。


 面倒事は早めに解決してしまおうと、駆け抜けながら背中の弓を左手で掴み取り、腰の矢筒から矢を三本抜き取る。三人以上の敵を感じるが、今はこれだけで十分。それ以上の敵が来ればさらに抜き取れば良いだけだ。


 一旦、屋根から降り路地裏へと身をひそめる。敵はまだ数百メートル先で弓で届く範囲から外れている。それならばとタオルを取り出し、ひらひらと舞う様に傍の木に引っ掛け、罠を仕掛ける。要するに敵がそれを目印にしてくれれば良い、それだけである。


 そこから五メートル程離れて、アイリーンは矢を番える。敵は三方向に別れて迫ってくるらしい。夜目が効くようにと訓練された彼女の目にはしっかりと走り来る敵の姿を捉えていた。


 恐らく、一矢放った所で敵からの攻撃を受けるだろうと予測を立てた。それがわかっていれば次に敵から逃れるのは簡単な事だ。攻撃は二手、三手、いや、もっと先を見据えて考えるのだ。


 真正面から来る敵がアイリーンの射程に捉えられる。敵はまだ二百メートルも離れ通常の射手からの攻撃は届かぬ距離だ。だが、アイリーンはそれから少し入れば、敵を射抜くのは容易であった。


 一気に弦を引き絞り、ギリギリと弓が音を立てる。引き絞られた弦は、その力を解放されるのを今か今かと待ち望んで、早く射ってくれと言葉を発している様だった。

 そして、アイリーンが右手を離すと、”ビュンッ!”と肌を突き刺す様な冷気を孕んだ空気を切り裂き、弦が力を解放すると敵の向かわずに斜めに飛んで行った。


 アイリーンは屋根伝いに駆け抜けた時に風を読んでいた。今は、彼女から見て左から右へ風が吹いており、左に矢を射れば右へと矢の飛び先が変わるだろう。

 と、簡単に考えていても当てずっぽうで矢を射って当たる訳が無いが、そこはアイリーン、この年齢になるまで幾度も矢を射って来た経験が生きている。


 アイリーンの放った矢は、僅かな弧を描いて外れる事無く敵の胴体を見事に貫いた。彼女と言えども、走り来る敵の腕等の末端に当てるのは至難の業である。当てる事は出来なくも無いが、依頼された仕事もあるから、そこまで精神をすり減らしたくない為に簡単な胴体を狙ったのだ。


 もっとも、彼女の腕をもってすれば、頭部を貫き、死に至らしめるのも簡単であるのだが、ここは撤退して貰うのが先決と死人を作る事はしなかった。


 それでも迫り来る他の敵は足を止める事なくアイリーンに迫り来る。


 アイリーンは少し位置を変えると続けざまに二回、矢を放った。僅か数秒の間に放たれた矢は始めの敵と同じように、迫り来る敵を捕らえ、寸分たがわぬ場所、--今回も胴体へ--と吸い込まれて行った。


 遠目に苦悶する敵三人を見て、これで諦めるだろうと笑みをその場に残し、踵を返して目的の場所へと向かおうと駆けだそうとしたところで、不気味な気配を感じた。

 右腕を外套の中へ引っ込めると、右腰に帯びているショートソードを逆手で握り、そのまま抜き放った。


 ”カキーーーン!!”


 アイリーンがショートソードを抜き放つと同時に金属同士が打ち合う甲高い音が彼女の耳に、そして周囲に響き渡った。それもそのはずで、深緑の外套を羽織って不気味な雰囲気を醸し出す敵の攻撃をショートソードで受ければ否応にもそうなるだろう。


「あいつ等連れて、帰ってくれないかなぁ?」

「久しぶりに会ったのに、つれないわねぇ」


 ぶつかりあった二人はお互いに声を掛け合った。

 昔からの知り合いの様な口調で話すが、実際には殺し合いをしており、険悪な雰囲気に飲まれていく。


「あんな奴らは自分で帰ってくればいいんだよ」

「また、不幸な男が沢山出来ちゃうわよ」

「ふん、ほざいてなさい!!」


 敵が力を込めてショートソードを振り抜こうとするが、アイリーンはその力を上手くいなして力を逸らす。今回はアイリーンが一枚上手で、そのまま敵の後ろに回り込み反転して即座に矢筒から一本の矢を掴み、弓に番える。


「くっ!弓の腕は恐ろしい程だが、剣の腕まで上がってるとは!」

「ふふふ、ありがとう。訓練しておいてよかったわ」


 笑みを浮かべて矢の照準を敵の頭に合わせる。数メートルの距離ではどんなに飛び込んでもアイリーンの矢から逃れる事は出来ないだろう。それをわかっているからこそ、二人はその場で硬直して、動かないでいた。


「……っち!!」


 アイリーンと対峙していた敵がいた場所に、”ガゴンッ!”と軽棍ライトメイスが炸裂し、石畳にひびが入る。咄嗟に飛び退いて怪我こそなかったが、刹那の間でも遅れたら明らかに頭蓋骨を割られていただろう。

 それほどの攻撃に敵は戦慄を覚えた。


「ほら、アイリーン。遊んでないで行くわよ?」

「あ、あぁ。って、ウチが遊んでいるって?」


 金属の塊である軽棍ライトメイスで石畳にひびを入れたアイリーンよりも十歳も年下の少女が立ち上がりながら、敵を睨む。そして、暴れたりないのか左腕の円形盾ラウンドシールドを体の前に突き出し敵を牽制する。

 そのまま飛び込んで行きそうな姿勢であるが、少女は微動だにせず、アイリーンに言葉を掛けた。


「邪魔が入ったか!この勝負はお預けだ」


 敵は踵を返すとさっと身を翻し、暗闇の中へと消えて行った。


「遊んでるから、遅れるんだよ」

「いや、遊んでた訳じゃないけど……。と言うか、遊んでるように見えたの、ヒルダ?」


 ”ふん”と鼻息荒く口を開く少女、ヒルダには、三人を射った時に出したアイリーンの笑みがそう感じたのだ。実際は最後の一人に背筋が凍る様な圧力プレッシャーを感じていたのであるが。

 今はそう思っていても、時間を幾分か無駄にしたと、それ以上は口にする事は無かった。


「三射したときに、笑ってるんだもん。それよりも、今の敵は何?」

「ごめんごめん、それは後でね。先に行ってるから」


 ヒルダが聞きたそうに口を開いたが、急いでいると彼女をその場に残し、塀をあっという間に上がって屋根伝いに目的地まで一直線に急ぐのであった。


「まぁ、いっか。わたしも急ごう!」


 集合の時間に遅れていたので何かあったのかと心配して来てみたヒルダは、射られた敵が下がって行く気配を感じつつ、集合場所へと石畳の道を行くのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「えっと、これこれ」


 とある屋敷から三百メートル程離れた石塔の頂上に用意してあった巨大なクロスボウを手に取る。すでに弦が巻き上げられ、矢を番えればいつでも発射が出来る態勢で置かれていた。

 傍らの矢を月明りに照らし精度を確認すると、クロスボウに番える。


 流石のアイリーンもそのクロスボウを何の支えも無しに撃つのは不可能であるが、ここは石塔の頂上、落下防止の頑丈な石造りの手すりが作られ、支えにするには十分でだった。


「はぁはぁ、やっぱりアイリーンは早いわね」


 ちょうど、クロスボウを構えようとしたところにヒルダが息を切らせて塔の頂上へ現れた。そして、息を整えつつ、次の用意を始める。


「案外早かったわね」

「アイリーンに比べれば、遅いわよ。それより、ロープはこれかしら?」


 ヒルダの足元にクルクルと丸めて置いてあるロープを手に取って見れば、片方は塔の床のフックにしっかりと縛り付けてある。そして、ロープの反対側を手すりから外へと投げる。


「それで大丈夫よ。ウチが射抜いたら、二人で脱出するから、ヒルダも武器を何処かへ引っ掛けておいてね」

「は~い」


 ヒルダが眠そうな声で返事を返したのを聞き、クロスボウを目標に向かって構える。三百メートル先のとある屋敷の中に飾ってある宝石をこれから射抜こうとしているのだ。


 この塔の頂上は唯一、その宝石を目視できる場所であり、唯一の狙撃ポイントであった。そこから風向きを見て、少し位置取りを変えながらクロスボウの向きを修正する。狙いはガラスの窓の向こうに見える赤い大きな宝石。

 月明りに照らされ鈍く光る矢を放つべく、巨大なクロスボウの引き金に指を掛ける。そして、体を揺らさぬ様に息を止めて、番えた矢を解き放った。


「ヨシ!!」


 狙い通りに銀色の軌跡を描く矢を見て思わず声が漏らした。

 微かに聞こえる風切り音の後にはガラスの砕け散る音が二つ僅かに耳に届く。アイリーンの瞳に飛び込んできた光景から一秒後の事であった。


「さぁ、ウチ等も逃げるわよ!」

「はいは~い」


 巨大なクロスボウを担いで、ヒルダが垂らしたロープを掴むと躊躇なく塔の頂上から飛び降りる。

 それに続けとヒルダも同じように塔の上場から飛び出すが、高所のためにアイリーン程勢いよく飛び出る事はしない。慎重に体を乗り出して、ゆっくりと頂から降りる。


「ほら~、遅いよ!さっさと行かないと追手に追い付かれるよ」

「頑張ったんだけどなぁ~」


 駆け出すアイリーンの後を追い掛けながら、ブツブツとぼやくヒルダだが、それはアイリーンには届かなかった。後ろを気にしているが、それは追っての事であり、ヒルダを気遣っているわけでは無い。




 巨大なクロスボウを担いでいるアイリーンの駆ける速度はヒルダと同速である。それだけ重荷になっていた。

 二つの弓を背負うには無理があるからと、左手には自慢の弓が握られている。


 このまま無事に逃げ切れるだろうか?と、逃走経路である路地の行き止まりに二人が到着した時に後方から石の礫が二人の進路を妨害する様に空から降ってきた。


「ッチ!……あと一歩で!」

「も、もしかして待ち伏せ?」


 二人の行く手には、二人の敵が剣を抜いて塀の上から飛び降りて来た。そして、後ろからもそれと同数の追手が息を切らせて追い付いた。彼等は剣を抜くよりも小さめの弓を握って矢を番えようとしていた。

 あと少しで逃げ切れると思っていただけに悔しい気持ちが滲み出る。それと同時にこの経路が暴かれた事にも疑問が出るが、それには一つだけ心当たりがあり不思議ではないとも感じた。


 それよりも今は、どうやって敵をやり過ごし逃げるかにあるのだが、二人だと時間が掛かりすぎると臍を噛む。

 この場でたたずんでいても時が過ぎるばかりだと二人はお互いに視線で会話をすると、道を塞ぐ二人に的を絞って攻撃に出る事にした。


 そうなれば二人の行動は早い。

 アイリーンは腕を腰の後ろに回して矢筒から矢を二本つかみ取ると即座に矢を番える。同時に左の腰のショートソードを抜き放ったヒルダが石畳を蹴り、瞬時に自身の持つ最高速まで速度を上げると敵の一人に向かう。


 ”ビュン”とヒルダの耳元を何かが抜けて行くと同時にヒルダが敵の目の前に姿を現すと、敵の反応を待つ前に敵の脇腹にショートソードを突き立てる。敵は革鎧を身に着けていたが、ヒルダのショートソードは鎧の隙間を貫いていた。

 すぐさまショートソードを敵から抜き去ると、敵の後ろに回り込むような動きを見せるのだが、すぐに”ビュン”と空気を切り裂く音がヒルダに届く。


 ヒルダが敵を見れば、すでに石畳にうめき声を上げながら横たわっていた。一人は右肩に矢が刺さり脇腹を突き刺されている。もう一人は右の太腿に矢が深々と刺さり悶絶しながら石畳を転げまわる。


「さっさと逃げるわよ!」


 ヒルダの横を抜けながらアイリーンが声を掛ける。ヒルダも頭で考えるより先に体が動き追いかけようとするが、追手から放たれた矢が二人の間を抜けて暗闇に消えて行った。

 さすがのアイリーンも今の一射には肝が冷える思いであり、足が止まってしまった。


 さて、どうするかと考えるよりも先に矢筒に腕を伸ばす。矢を掴んだとしても敵の方が早く射って来るだろうと予測する。敵の矢を避ける事は容易だが、果たして二人が無事に敵から逃れられるのか、と思うと容易に動く事は出来ない。

 だが……。


火槍ファイヤーランスなの?」


 アイリーンがどうやって切り抜けようかと思案を巡らせていた所に、炎の魔法が敵との間に降り注ぎ着弾すると真っ赤な炎を上げて石畳を焼いた。

 細長い形状にされた炎は火球ファイアーボールに貫通力を付与されたランク二の魔法だ。それが後方の頭上、つまりはアイリーン達の逃走経路の屋根上から放たれた事実に目を向ければ、魔法の使える味方が現れたと笑みをこぼす。


「全く無茶するな。ほら、さっさと帰ろうぜ」


 よく知る声の主を見れば、月夜に右手を前に出して笑っている少年の姿がそこにあった。


「牽制するから早く上がって来なよ」


 手の平に魔力が集まり、炎の魔法が出現すると赤く辺りを照らし始める。その光を目当てにアイリーンとヒルダは塀をさっと登り、屋根の上へと上がって行く。

 無防備な二人を牽制する様に赤く燃える炎を出し続け、いつでも攻撃できるのだぞと視線を向け続ける。


 二人が屋根に上り切ると、これ以上の追撃は無駄だと考えたのか、追手の二人は怪我をした二人を背負って、その場から去って行った。


「それじゃ、帰ろうか」

「助かったよ、エゼル。でも何でここにいるの?」

「別に難しい事じゃないよ」


 エゼルバルドはアイリーンにわかるようにヒルダに顔を向ける。


「なんだ、ヒルダだけに頼んだのに、そっちまで伝わってたのか」

「オレだけじゃないよ。後の二人も知ってるよ」


 肩を落としながら溜息を吐き、二人だけで終わらせる予定だったのに、と毒を吐きながら宿へと帰るのであった。

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