第十話 エルザ、相手の体に聞こうとする

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「戻って来ないとはな。しかも、二人が無事とは、何をやっているのか……あいつらは」


 小さな船窓から僅かばかり見える灰色の景色を見ながらベネットは毒づいていた。


 船窓から見える海の色は昨日までと打って変わって鼠色に染まっていた。さんさんと降り注いでいた太陽は姿を隠し、水平線の先まで分厚い鼠色の雲が覆い隠していた。幸いな事は雨が降っておらず、最悪な事態にはならずに”ホッ”としていた。嵐に巻き込まれても優秀な船員が揃っているので乗り切るには不安は無いが、出来れば全日が晴れていて欲しいと思うのであった。


 曇天模様の朝早くに目を覚ましたベネットが最初に耳にした報告が”失敗した”の一言であったのだ。これが快晴で真っ青な空が何処までも続く光景が目に入っていれば気持ちもおおらかになっていただろうが、気乗りのしない曇天でさらに芳しくない報告を受ければ気持ちも沈み、毒を吐くしかないだろう。


 沈みゆく灰色の気持ちは不の方向への考えしか浮かばせず、失敗続きの部下二人に如何様いかように罰を与えるかを考えるだけで頭が痛いのであった。

 さらに言えば、周りを嗅ぎまわる目障りな二人をどの様に排除するかも考えねばならず、気持ちはさらに沈んで行く。


 とは言え、一人の部下が戻って来ず、そいつからベネット自身へたどり着くかもしれないと思えば、予断を許さぬ状況に置かれているのも事実だ。


「どう始末を付けるかだな……。それにしても計画外に事が起こるもんだ……」


 沈みゆく灰色の気持ちで考えあぐねても良い考えは浮かばず、気持ちを切り替えるために一度頭を空っぽにしようと、朝食を取る事にしたのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ”コンコンコンッ!”


 薄暗い光が差し込む船室にノックの音が響く。船の中でこのドアをノックするのは一人しかいないだろう思うが、一応声を返事を返す事にした。


「誰だ」

「エルザよ。ドアを開けてくださる?」


 思った通りの人物の来訪に飛び勇んでドアを開ければ、彼が好意を寄せる麗人がそこに立っていた。


「はい、朝食を貰って来たわよ。あれから口を割ったかしら?」


 むさくるしい船室に一輪の花が咲いたようだと喜ぶ兼元だが、狭い船室に三人も入れば足の踏み場を確保するにも大変であろう。特に重要人物の一人は床に無造作な姿で転がされて手足を縛り、さらに目も塞がれていた。唯一は耳と口を開けられているだけであった。


 ちなみにこの男は、昨夜エルザの部屋に侵入し返り討ちにあった、マードックである。女の部屋に置いておく不安を感じ、手足を縛って兼元へと預けてあったのだ。


「まだ、何も喋らんで御座るな」


 口を割らせようと努力をしていたが、名前がわかっただけでそれ以外の収穫は無かった。とは言え、尋問を始めたのが夜明けからであったので、それほど時間は経っていなかった。エルザもそうだったが、兼元も夜明けまでは寝ていたのでそれも仕方ないだろう。


「始めたばかりなら仕方ないわね」


 ”そうで御座るな”と、呟きながらエルザに貰ったサンドイッチを頬張り始める。兼元の分はあるが、転がっている男の分は当然ながら無い。エルザの船室に侵入した愚か者に食事を与えるほど、彼女は神でも仏でも無い。降りかかった火の粉を排除するには当然だった。


「それにしても、昨日の助言には助かったわ。大物を捕えられたもの」


 エルザは床でうごめくマードックを一瞥し、兼元へとお礼を言った。


 夕食時の終わりに遅れて入って来た兼元から告げられた事がきっかけだった。寝ている兼元の船室に誰かが侵入してきて命を狙われたと。それならばエルザも同じように狙われる可能性があるのではないかと、兼元が推測したのであった。

 兼元とエルザが船で起きた二つの事件に首を突っ込んでいると知っているのは数人であろう。一般の乗船客は二人が何かをしていると思っていても、何をしているかまでは興味を持っていなかった筈だ。

 その為、兼元が命を狙われたのであれば、同じようにエルザにも魔の手が押し寄せる可能性があると注意を促していたのだ。


 この床に転がっている男と兼元を襲った男は別人で、しかも殺す手段もおそらく違っていただろうと告げてきた。武器を持ち合わせていなかった事から予測された事なのだが。


 ここで一つ、疑問が生まれていた。

 兼元への襲撃が失敗していたにもかかわらず、何故エルザにも襲撃を敢行したのかである。もしかしたら横のつながりが希薄だったのかとも思えるが、兼元の襲撃が失敗したために個人で潜まざるを得なかったのかもしれないとも思えた。

 だが、もう一人いる事は知っていると話し掛けても無言を貫いているので、一時間経った今でも、何の情報も得られていなかった。


 実際、マードック達は命令されて二人を亡き者にするだけとしか考えていなかった。それに加え、見目麗しきエルザを彼らで回して楽しもうとしていただけで深い考えがあった訳ではないのだ。


「そろそろ次の段階に進んでもよろしくない?」

「そうで御座るな。時間もあまりかけるのも宜しく無いで御座るからな」


 何も喋らない事に気を揉んでイライラが募っていた兼元は、エルザの提案に飛びついた。

 そして、無様に転ぶ男の目隠しを取り去りると兼元もエルザも腰に帯びている剣に手を伸ばし、鋭く尖る刀身を鞘から抜き去った。


「昨日の傷はあなたが気を失っている間に塞いでいるから痛みは無いと思うけどね。でも、これからは何処まで耐えられるか見ものだわ」


 エルザの顔には不気味な笑みが浮かんでいたが、マードックにはそれが死神が迎えに来たかのように感じたのだ。エルザもこんな拷問じみた事は趣味にすら思っていないが、さらに人死にを防ぐためには仕方ないと剣に手を伸ばしたのだ。


「拙者らの手をわずらわす前に、素直に話して欲しいで御座るな」


 脇差を手にした兼元は、何処からか取り出した一枚の紙を半分に折り曲げて刀身を挟む。紙から手を離して落ちるに任せると、刀身を通った紙が二枚に別れてマードックの目の前にひらひらと舞い落ちた。


「痛みに耐えきれなくなったら、拙者が首を刎ねるで御座るよ。痛みを感じる間もなく天へと上れるので安心して痛みを受けておくがよい」


 兼元へと目を向ければ、光り輝く刀身を魅入られたように眺め、いつでも首を刎ねるぞと言わんばかりに怪しげな眼光を放っていた。


 二つの輝く刀身と怪しげな光を放つ四つの瞳に挟まれ、死神に心臓を掴まれた気になったマードックは、下半身が生暖かく感じると同時に意識をゆっくりと手放していった。


「こいつ、どうします?」

「甲板で海水を掛けるのはどうで御座ろう?」

「それは良い考えですね。それでは早速お願いしますね」

「せ、拙者がで御座るか?」

「ええ、お願いしますね。私はバケツを用意しますからね」


 言うが早いかエルザは船室を出てバケツを探しに何処かへ向かった。


「こいつの処置って、拙者が最後までするで御座るか……」


 残された兼元は自らの船室を見て溜息を漏らすのであった。




 運よく出会った船員からバケツを借りたエルザは、誰もいない後部甲板でコノハを遊ばせていた。生憎の曇天模様であったが、大空を自由にご機嫌に飛び回っている姿を見ては笑顔をこぼしていた。


「飛ぶのは気持ちいいからね。気がすんだら降りて来るんだよ~」


 空を飛ぶコノハに向かって叫ぶが、聞こえているのか反応が無い。

 ”まあ、いいか”と振り向くと、そこには気を失ったマードックを肩に担いだ兼元がちょうど甲板へ姿を見せた時であった。


「遅くなったで御座る」

「大丈夫よ、コノハを遊ばせていたから」


 エルザは手を胸の位置に置き、指を空に向ける。その指の先にはエルザの相棒が空を自由に飛び回る姿が見られ、時間を有意義に使えているのならば結構だと、担いだ男を掛け声と共に甲板へ無造作に下ろした。


「始めるで御座るか」

「これを使ってちょうだい」


 船員から借りたバケツを兼元に渡すと、繋がっていたロープを手すりに括り付け海にバケツを投げ込んだ。バケツは白い三角波にのまれたが、ロープを手繰り寄せるとなみなみと入った海水の重さが腕にのしかかって来た。


「そりゃ!!」


 ”サバァ~”と、甲板に無様ぶざまに横たわる男に汲み上げたばかりの海水を頭から勢い良く掛ける。すると、意識を取り戻したのか頭を振ってこの世の終わりが来たのかと周りをぐるぐると見渡す。


「なるほど、そうで御座ったか」


 兼元が感心するのは、彼が記したメモに最期に残った、違和感を持った最後の一人の正体である。他の三組はすでにかつらを身に付けていたとその目で確かめていたが、エルザの部屋に侵入したマードックも同様にかつらであったのだ。

 かつらは頭に張り付いていたらしく、海水を掛けた事で粘着性が失われ、頭を振った時にそれがどこかへ飛んで行ったのだ。


「これで全ての違和感の正体がわかった訳ね。でもあなた、何でかつらを付けてたのかしら?それすらも言えない」


 エルザが言葉を掛けるも怯えた目を向けるだけで、借りてきた猫の様に大人しくしているだけで何も話そうとしなかった。エルザと兼元が刃物を向けた脅しと海水による拷問じみた精神的な痛みを受ければ、殺しを生業としている彼にもその恐怖が心に突き刺さったのであろう。

 それとは別に、殺しを生業としてきた事で何も、命の保証はされているはずとの打算も働いていた。恐れるのは冷たい目を向ける女の魔法であり、傷を受けても治されるのであれば幾度も同じ痛みを食らう事になりかねず、その時は何もかも、話さざるを得なくなるだろう。


 その恐れる事を目の前の二人がこんなにも早く話すなど、マードックは思ってもみなかったであろう。


「如何するで御座る?体に聞いてみるで御座るか」

「なかなか口を割らないなら、それでも良いわよ。簡単な止血なら魔法ですぐにできるわよ」

「なら、口を割るまで痛めるで御座るか」


 魔法による治療が出来ると知った兼元は指を”ポキポキ”と鳴らしマードックへと近づき、ぎゅっと握った指へと手を伸ばそうとした。


「おや、何をされているのですか?」


 兼元がマードックへと痛みを加えようとした時である。二人の後ろからこの船の船長が”ヌッ”と現れ声を掛けてきたのだ。

 手足を縛られ自由を封じられた一人の男を、痛めつけようとしている姿を見つけたならば、船の責任者としては確認せざるを得ない。どちらが悪いにせよ、乗船客の安心を提供する事も船長としての仕事の一つだろう。


「船長殿。この男がエルザ殿の船室に忍び込んだで御座る」

「そうです。何故、私の部屋に鍵を開けて入って来たのかを問いただしていたのです」

「そうだったのですね」


 厳しい顔から一転し、にこやかな顔で二人に話す船長。だが、船長が現れて一言声を聞いた後から甲板に転がるマードックは先程以上に怯え出し、死神に魅入られたかのような恐怖を感じ、”ブルブル”と震えていた。


「でも、そのような事があれば我々にお任せして欲しいですね。船倉にはお客様に手を上げる輩を閉じ込める為の牢もあるんですよ」

「そう……なのですね?」


 エルザが感心していると何処からか船員が数名現れ、マードックを抱きかかえ何処かへと連れて行こうとした。

 驚いたのが、いつ船員をこの場に呼んでいたかである。船長が現れてから時間はそれほど経っていないのだ。それなのに忙しい船員を一か所に集めるのがどれほど大変であるかだ。

 もう一つが、有無を言わさずに連れて行こうとした事である。この場である程度の尋問を行えれば良いと考えていたが、牢に閉じ込めてしまえば必ず船員の目や耳がその場にあり、秘密にしたい事柄も誰かに聞かれてしまう事になる。


「ちょっと待ってください。今連れていかれたら困ります」

「何故ですか?あなた方に迷惑をかけたのですから、閉じ込めるのは当然です。ですが、この方も乗船客の一人なのです。一方的に暴力リンチを振るわせる訳にはいかないのです。おわかりでしょうか」


 ”乗船客の安全を!”と言われてしまえば、エルザ達が手を出す事は出来ない。この船の責任者は船の持ち主である。今は船長が持ち主に代わって責任者としての責を負っており、対価を払って乗せて貰っている手前、それ以上を言う事ははばかられた。


「そういう訳でこの男は後部階段から向かう最下層の船倉へ閉じ込めます。お話がしたいのであれば閉じ込めた後にでもそちらへ向かってください。尤も、この男があなた方に話すとは思いませんがね」


 嫌味の様に言われてしまえばエルザ達に言い返すだけの理由は無かった。そして、船倉へ連れていかれるマードックを見送るだけしか出来ず、ほぞを噛みながら船室へと帰って行くのであった。


 その場に一人残った船長は緩む口元を手で押さえながら船長室へと帰って行ったのである。

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