第三十三話 混乱を呼ぶ戦場

 アドネ領軍の異様な姿をした軽歩兵に釘付けになりながら、次なる攻撃に備える国軍、解放軍の合同部隊。巨大投石器カタパルトで岩を打ち出し続けている中で、ゆっくりと進み来る敵兵に恐怖を覚える。その異様な姿から合同部隊の兵士達は及び腰になり、どちらが攻め手なのかわからなくなる。


 アドネ領軍の歩兵が百メートル程進んだ場所に抱えていた麻袋を下ろし、それに松明で一斉に火を付ける。まだ二百メートル程、間があるのだと合同部隊の兵士達は一様に安堵の表情を見せるが、恐怖はまだ始まってもいなかった。


 麻袋に火を付けると直ぐに中身に火が燃え移り、くすぶり始めたのか白い煙を出し始めた。そして、全兵士が抜刀するとその先端に麻袋をぶら下げて合同部隊へ向けて一斉に進み出した。


 まだ二百メートルは余裕があると見て、合同部隊の兵士達は隊長の号令一下、手に長槍や弓を持ち敵の襲来に備える。


 進み来るアドネ領軍の歩兵を待つが、その姿を隠す様に煙が合同部隊へと襲い始めた。この時期は北西からの風が吹き抜ける季節であり、煙が発生すると風上のアドネの街から風下の国軍、解放軍の合同部隊へと向けられることになる。それに加え、熱しているにも関わらず上空へ上がらず、さらに拡散しにくい煙となっていたのだ。


 たかが煙と、迫り来るアドネ領軍を煙の隙間から覗き見ては、迎撃しようと待ち構える合同部隊であったが、一向に姿を見せぬ敵よりも先に、彼らに異変が襲い掛かった。


 多い掛かる煙は甘い香りを発し、きな臭い匂いが一切せずに煙を思い切り吸い込んだ兵士達が多かった。いや、そうではない。ほとんどの兵士が吸い込んでしまったと言えるであろう。そして、その兵士達の目の前に突如現れた見知らぬ人に剣や槍を振り始めた。


「こいつ等、たた切ってやる!!」

「来るな来るな!」

「こいつでも喰らいやがれ!」

「はははは、俺は無敵だぜ!!」


 合同部隊の兵士達は何もいない空間を切り付けたり、突き刺して行く。その内に手応えがないと焦り始め、我武者羅に武器を振るい、とうとう味方を傷つける兵士が出始めた。


「ははは、思い知ったか!」

「や、やめてくれ!!」

「ギャーーー!!」

「これでも喰らって死ねや!!」


 一度、手応えを掴んでしまってからは加速度的に剣を振るう速度が速くなり、そして傷つく兵士の数はうなぎ上りに増えて行った。


 その影響は巨大投石機カタパルトを操る兵士達にも伝播し始め、操作どころではなくなってしまった。アドネ領軍が煙を発生させてから十分の後に攻撃していた巨大投石機は全て沈黙し、アドネの街を震え上がらせていた岩は羽を失くしたように地に縫い留めるのであった。


 煙の中に身を隠していたアドネ領軍は、前方から聞こえる阿鼻叫喚の声を合図に煙の中から駆け出し、合同部隊へと突っ込んで行く。たった百の異様な姿をした軽歩兵であったが、全てはこの時の為の姿であった。

 駆け抜けるアドネ領軍の軽歩兵部隊は、すれ違いざまに動きが散漫になった合同部隊兵士を切り裂いて行く。致命傷を与えなくても、腕や足を切り裂いたり、時には頸動脈を切り裂き鮮血を降らせたりと、やりたい放題で手の付けられない子供の様に暴れまわる。


 合同部隊の最前線は完全に崩壊し始め、同士討ちによる被害やアドネ領軍による被害と、致命傷を受け死にゆく兵士が増え始めた。

 それに加え、アドネの街の眼前で待機していた残りの歩兵もマスクをして合同部隊へ突撃を開始した。


 巨大投石機の運用に特化した部隊五百とその護衛五百の合計千の部隊は、ほとんどが討ち取られ、襲い来る煙から外れた僅かな兵士が這う這うの体で後方へ退却したのであった。


 今回、アドネ領軍が使用した煙の素はジャンピエロ司教が教会の地下に蓄えられた麻薬を乾燥させた葉であった。その麻薬は、活用方法により効能が多少異なるが、燃やして煙を吸わせて幻覚を見せる効果と、水などの液体に溶かし入れ催眠効果を高める働きをさせる二種類がある。今回の戦いでは幻覚を見せる働きをする煙を発生させ、戦いを有利に進めたのである。


 とは言え、合同部隊も手をこまねいているだけでなく、後方より戦況を見ていたブラスコ将軍が得体の知れない部隊が突出し始め、煙が戦場一面を覆い隠そうとしていた戦況を危険と判断し、騎馬兵五百、歩兵五百の合計千の部隊に緊急出撃を命じた。

 後方に位置する陣地からの出撃はすぐさま行われたが、煙の充満していた戦場へ到着した時にはアドネ領軍の姿はすでに街へと帰還した後であった。


 煙の出ている内にアドネ領軍は敵を一蹴し、攻城兵器である巨大投石機の半数程の四機の破壊に成功し、陥落までの時間を引き延ばす事に成功したのである。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「何だあれは?」


 アドネの街の側を流れる河を挟んだ向かい側にある解放軍の陣地で、望遠鏡を覗くヒポトリュロスが異様な光景に叫び声を上げる。その位置から煙の発生は見えるが、発生源が見えずどうなっているのかはわからずにいる。それでも味方の部隊が何も無い宙に武器を奮う姿を見れば、尋常ではない何かである事はすぐにわかった。

 ただ、煙の方向は南東方向へ流れて行くために対岸であるこの陣地には同様の手段が取れないのが幸いである。


 その光景を同じ部隊を指揮する二人の指揮官、グローリアとヴルフにも伝えると、二人が何やら不穏な空気が感じられると言い張り、守りを固めようと判断した。

 そして、ヒポトリュロスが自らの部隊に陣の守りを厳にするようにと指示を出した時であった。


 今まで沈黙を守っていたアドネの街の南西の門が、錆付いた蝶番を強引に開ける音と共に開かれ始めたのである。南東方向には水掘り変わりの河が流れているが、他の三方向には空堀が掘られ、跳ね橋が掲げられている。その跳ね橋も同時に降ろされ始めれば、当然であるがアドネ領軍が撃って出てくる合図である。


「全軍、戦闘準備。守備隊は陣地を守れ、私の隊とヴルフの隊は出るぞ!」


 解放軍の陣地が途端に慌ただしくなり、グローリアの隊とヴルフの隊、それぞれ三百、合計六百の軍勢が短時間で準備を終える。その間にアドネの街から敵の兵士が姿を現し、グローリア達の陣地へ向けて進撃を開始していた。


「ヴルフ殿、準備は宜しいか?」

「うむ、ワシはいつでも良いぞ」


 二人は声を掛け合うと念のためお互いの装備を目視で確認し合う。

 グローリアは背中に愛用の長剣ロングソード、右手には長槍ロングスピア、そして腰に念のためのナイフを身に着けていた。背中に長剣を背負っているのは馬上で腰にぶら下げた長剣が邪魔になる可能性があったからだ。

 ヴルフも同様にいつもの装備の棒状戦斧ポールアックスとブロードソード、そしてナイフである。


「よし、出陣する!!」


 グローリアが高く掲げた長槍と共に準備の出来た兵士に向かい出撃の号令を発すると、二人の隊長の後ろをそれぞれ二列になった兵士達は陣を出てグローリアは右翼へ、ヴルフは左翼へと展開して行く。

 アドネの街までは一キロ以上離れて陣を構築してあるため敵兵との接敵は十分時間がある。二つの部隊はゆっくりと進みながら方陣を形成してゆく。


 接敵までまだ時間はあるが、グローリアの後ろに付いて馬上にあったエゼルバルドとヒルダは、敵の兵士に過去に見た記憶を思い出し、倒し難いあの化け物である事を確認した。ベルグホルム連合公国からルカンヌ共和国への護衛中に襲い掛かってきた紺色の全身鎧フルプレートを身に着けた化け物である。


「グローリア!あれは化け物だ、絶対に一対一で戦う相手じゃない!!」


 紺色の鎧には見覚えがあり、胴体部分に攻撃が通らない厄介ない相手であった。もし、初見であれば多数が死ぬ光景が目に浮かぶのである。


「そんなに厄介な相手なの?」


 ただ体の大きな兵士ではないかと疑問を呈するグローリアであるが、体を観察して見ろと言われて視線を敵へと向けると何処か歪な体だと見て取れる。左腕は盾で隠されてわからないが、剣を握る右腕は異様に長く、大地を踏みしめる足は体型から比べても短すぎる。極めつけは胴体が横に異常に大きい事であろう。


「馬鹿力を持つだけじゃなく、あの鎧がダメージを吸収するんだ。胴体は狙っても効果がない。頭とか腕とかの末端を狙わなくちゃ駄目なんだ。オレ達は二人で一体を相手にしたけど、普通の人じゃ三人以上で、いや、五人一組で一体を相手にするべきだ」


 五人で敵一人を相手にするなど、戦術を無視してると思うが、アドネ領軍の数はそう多くないと気づき、エゼルバルドの案を採用するべきかと考えた。多くない敵の数は恐らく百前後、六倍に相当する兵力であればこそできる作戦であろう。


「わかった、その案を採用しよう。伝令、ヴルフの隊にも五人で敵一人を相手にせよと伝えて来い」


 アドネ領軍への対処方法を伝令に任せ、グローリアは隊の構成を五人一組へと組み換え隊列を変更した。陣形は方陣のまま変わっていないが、内部の構造を動きやすくしたのだ。

 それに倣えとヴルフの隊も方陣を構成していたが、内部で人の動きがありグローリアの隊と同じように組み換えを行っていた。


 アドネ領軍もそんな解放軍を見てるだけでなく様々な動きを見せていた。出撃時は一つに纏まっていた部隊は楔形の突撃陣形を取っていたが、解放軍が二手に分かれたのを見て同じように半数に別れてそれぞれが楔形の陣形に再構築したのだ。

 解放軍が六百の軍勢である事を考えれば、百ほどの兵士を個別に配置するのは各個撃破の対象となりえるであろう事はすぐにわかる。戦術のセオリーからかけ離れた作戦であるが、化け物を率いる指揮官には寡兵をさらに寡兵に分けても勝てる見込みがあったのだ。

 個々の能力を以てすれば十倍の敵でも引けを取らないと。


 両軍は進軍中に様々な対策を取りつつ、接敵の時を迎える。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「突っ込めーー!!」


 先に動き出したのはアドネ領軍であった。部隊を率いる指揮官の甲高い声が戦場に響くと、楔形の陣形は中央突破を図ろうと駆け出しグローリアの率いる解放軍へと迫った。


「中央はその場に待機、左右は前に出て迎撃!!」


 攻め寄せる楔形の陣形に対処する陣形を短時間で構築する。そして、その中央にはグローリア、エゼルバルド、そしてヒルダの三人とその後ろに二十五人の兵士が従う。それ以外は左右に別れ挟撃の体勢を整えつつある。


「陣形が出来上がるまでこらえるぞ!!」


 馬上で長槍を脇に抱え、声を上げて味方を叱咤すると、両脇に二人を従え楔の先端へと攻撃を敢行する。グローリアの長槍が、エゼルバルドのブロードソードが、そしてヒルダの軽棍ライトメイスが三体の敵を捉える。


 アドネ領軍の紺色の全身鎧を着た化け物は全て装備が統一されており、長剣ロングソード逆三角盾カイトシールドだけであった。

 馬上からの攻撃、しかも様子見の攻撃であったこともあり、三人の攻撃はあっさりと逆三角盾に阻まれ敵に届く事は無かった。それでもアドネ領軍の進撃をその一撃で止める事が出来、戦術上の勝利の一つをあっさりももぎ取ったのである。


 アドネ領軍の足が止まれば、左右からの挟撃陣を構築するのは容易く、すぐに攻撃を開始する。グローリア達の後ろから五人一組となった兵士たちが攻撃を受け止まった三体に襲い掛かる。それに相対する様にグローリア達は一時後ろに下がり、陣形の全体を見ながら細かな指示を出しつつ、敵をこの場につなぎとめる。


 よく見れば個々の能力はアドネ領軍の化け物に敵う訳が無く、解放軍に被害が出始める。化け物の攻撃目標となった解放軍の兵士は長槍を半ばで折られ頭を勝ち割られたり、突撃した際にカウンターをその胸に受けて絶命したりとあちこちで劣勢を強いられている。


 グローリアには、何故、少数の兵士だけで攻撃を仕掛けるのか疑問であったが、目の前で見せつけられる個々の能力の高さを考えれば当然だと感じた。だが、一撃を与えて見たがヴルフやエゼルバルド、そしてヒルダなどの百戦錬磨の者達には敵わないであろうと見ていた。

 だが、能力的に優れているエゼルバルドが警鐘を鳴らして警告してきたからには、安易な考えを起こすべきではないと、頭を振って再度強敵であるとの認識を頭に叩き込むのである。


「これ程とは思わなかったな」


 轡を並べている二人に向かってグローリアが声を掛ける。五人で対処せよと指示を出したがそれでも敵が優位に立っているのだ。見るからに通常より長い腕から振り下ろされる長剣の威力や速度に翻弄されていると見て取れる。


「訓練を積んだ兵士じゃなければ相手にならないからね」


 少し剣や槍を教えただけの農民上がりの解放軍には荷が重いとエゼルバルドは答える。


 とは言え、その化け物を倒しきれないかと言えばそうではなく、所々で足に攻撃を集中し転ばす事に成功したり、腕を痛めつけ長剣を振るえなくしたりと奮戦している者達も出始めた。


 このまま、敵を押し返せれば御の字だと、グローリアがホッと一息つこうかと考えた時である。アドネ領軍の化け物共が突如攻撃を止め後方へと後退りを始めたのである。


「何だ?敵は優勢ではないか、何故後退する?」


 このまま追撃をして敵を追い返すか、それとも敵の罠の可能性を鑑みて後退させるか、悩みどころである。だが、交戦が始まってからまだそれ程経っていないと考え、追撃を選択した。


「追撃をしよう。私達も攻撃に参加するぞ!」


 そのままの陣形で敵を押し返す様に指示をだすと、グローリア、エゼルバルド、そしてヒルダの三人はアドネ領軍の化け物を一体でも倒すのは今だと馬の腹を蹴り、不安を残しつつも戦いの中へ駆け出して行った。

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