第十二話 騒ぎ立つ解放軍
「見えました、アドネ領軍です。報告通りおよそ三千と思われます」
砦の物見櫓の上から偵察の兵士の声が届く。地上十数メートルの場所からはっきりと見えたアドネ領軍は砦から少し離れた場所で行進を止めると陣地を構築し始めた。
解放軍の廃砦から徒歩で十数分の距離だが、周りは草原で遮るものが無い場所で陣地を置くには絶好の場所である。東側には川が流れ、攻め手の攻撃方向が限定される事もあり、攻めにくい場所へ置いたものだと感心せざるを得ない。
もし攻めるとすれば、敵の陣地とこの砦の中間あたりの南西方向にある小高い丘からであるが、そこから攻めてくることはアドネ領軍も予想しているはずで攻め手に欠けるのだ。
「全く、とんでもない所に陣を構えるもんだな」
物見で偵察している兵士からの報告を聞いた旗頭のアレクシス=ブールデ伯爵やその側近、そしてアルベルト=マキネン子爵は高い場所からアドネ領軍の陣地を見てぼやくしかなかった。
木の柵で要所要所の守りを固め、解放軍からの攻撃に対処しやすくしている。
今は砦の方向の南側を構築中であるが、時間が経つにつれ、西側、そして北側を覆う事は目に見えている。とは言え、今、攻めて追い払えるかと言われれば解放軍の力では無理であろう。もうしばらく、訓練を行う必要がある事は明白だった。
それでは到着早々の夜間に夜襲を仕掛けるかと言われれば、夜間行動に慣れていない解放軍にはそれはもっと無理だった。同士討ちで多数の解放軍の兵士を失う事になるだろう。
今は守りを固めて、攻めてくる敵に対処せざるを得ないとの結論になった。
その中で、アルベルト=マキネン子爵に付いてきたグローリアとヴルフが望遠鏡を借りてアドネ領軍の陣地を眺めた時に、異様な体格の兵士を確認していた。
「ヴルフ殿、あの紺色の大きな兵士を見ましたか」
「厄介な相手に出逢ってしまったものじゃな。あいつらの鎧は特注で攻撃が通りにくいはずじゃ。四股か頭を狙うしか出来んぞ」
グローリアは周りの兵士から頭二つほど飛び出た大きさに驚き、ヴルフはスイール達が鹵獲した
グローリアはともかく、ヴルフはあの歪な体を持つ者達が出てきたら、対抗する手段が無いだろうと見ていた。尤も、あの体格で暴れ回られたら一目散に逃げ出すだろうと予想されるので対抗手段があったとしても無駄だろう、と。
「ワシ等だけで話していても始まらんだろう。子爵殿へ報告するとしよう」
「それが良いわね」
離れた場所でアレクシス伯爵等側近と話をしていたアルベルト子爵の元へ、重い足取りで二人は近づき報告があると告げるのであった。
「ん?報告だと、この場でか?」
アルベルト子爵の周りにはまだ旗頭のアレクシス伯爵やその側近等、多数の幹部が揃っていた。ヴルフとグローリアはこれは都合が良いと報告を始めた。
「アドネ領軍に奇妙な一団を見つけました。その数は多く見積もっても百五十程です」
たった百五十で報告する事なのかとアルベルト子爵を初め、その場にいた者達は頭に疑問符を浮かべ首を傾げた。三千の中で百五十であれば各隊に振り分けられ十から十五を一度に相手にすれば良いだけではないかと単純に思ったはずだ。
「たった百五十の兵士であろう。暗殺部隊であったとしてもそれ程気にする必要はないであろう。お前たちは我等を混乱させる敵の内通者か?」
”ずいっ”と前に出ては上から目線でアレクシス伯爵の側近が威嚇する。ヴルフとグローリアからすればこの男は何を言っているのか、何も知らない者がと溜息を吐きたくなるが、そこは”ぐっ”と我慢する。降ろしていた拳に力が入り、今にも殴り掛かりたい衝動に駆られるほどだった。
「宜しいですか。敵の陣地の右側、紺色の
戦いに出た事も無い貴族が何を言うかと、グローリアがその側近に向かい声を荒げる。彼女の形相に気圧されたのか半歩後ろに下がるほどであるが、貴族の威厳だとか、男の意地だとか、変なプライドが邪魔をしてグローリアに食って掛かろうとする。
「そんな敵兵士に怯えるお前ほど、我が解放軍は弱くは無いぞ。たった百五十何するものぞ」
「そんな事は無いと断言する」
「なに?」
さすがのヴルフも、何もわかってない貴族が、とグローリアに援護を送る。ヴルフ自身は直接戦ってはいないが、護衛をしてた、かなりの腕前の三人がたった一体の紺色の鎧を身に付けた敵に勝てなかったのだから。それにエゼルバルドやヒルダが相手でも一体を倒す事が精いっぱいであった、と。
その事実を告げたが、自分達の相手ではないと一笑に付すと、手をひらひらと舞わすのであった。
確かにその側近の持つ剣は使いこまれている様であったが、持ち手の革が手垢等で汚れているだけで血の汚れは皆無だった。エゼルバルドやヒルダの武器であれば手垢や革の擦れ、それに血糊が付着している。それはヴルフの剣でも同じである。
「それならば、あの紺色の鎧を相手した者と戦ってみますか?」
「望むところだ!!」
側近は剣の鞘を握りしめ、自信満々に答えた。ヴルフからしてみれば、実戦で培った実力ではなく訓練のみで気勢を上げた事を見抜いていたため、荒療治であろうとも挑発するようなことをしたのである。
そして、アドネ領軍が攻め込んでこない事を望遠鏡で確認した後に、その側近を連れてエゼルバルド達が訓練をしている場へと足を向けた。
数分歩くと広場で訓練しているエゼルバルド達の姿を見つける。ヴルフとグローリアがアルベルト子爵へ呼ばれて不在の間も、彼ら二つの部隊は訓練を継続していたのだ。
「お~い、訓練は一時中断だ」
ヴルフが声をあげると二つの部隊は共に手を休め訓練を中断し、休憩に入った。
「エゼル、こいつと手合わせしてみろ」
「こいつではない。私には【オーラフ】と名がある。そちらで呼んでもらおう」
高飛車な態度でエゼルバルドを見るオーラフであったが、その眼光何するものぞとやんわりと受け流す。それで多少気を悪くしたのか、軽く後ろへ下がると、腰の剣を抜き、ブンブンと振り回すのであった。
「こんな奴が私の相手とは可哀そうにな。剣の錆にしてくれる」
外套を羽織り、両手剣を背中に担いでいるためにそれで戦うのだと錯覚していたのだろう。だが、エゼルバルドとしては先程の剣を振り回した扱いでアイリーンでも大丈夫であろうとヴルフを見やるのであったが、そのヴルフは首を横に振るだけだった。
お前が相手をするのだと強制的に指名をされたのである。
とは言え、明らかに実力の無いオーラフと手合わせをするなど乗り気でない。だが、ヴルフの指名であるからにはキッチリとしなければと考えるのだが……。
とりあえず、背中の両手剣ではなく、腰に差したブロードソードを引き抜くと羽織っていた外套を左手で剥ぎ取る。右手に持ったブロードソードを準備運動変わりにブンブンと振り回し、だるそうにだらんと剣を下げるのであった。
「双方、準備はいいな。それでは始め!!」
剣一本分の間合いから踏み込みながら剣を振りおろしたのはオーラフ。初撃で決めるとばかりに大上段から振り下ろされる剣戟は鋭くあるが、それは一般の人から見てである。エゼルバルドはその大上段からの一撃を右足を引きながら体を回転させて躱すと、左の拳でオーラフの脇腹を軽く殴りつけ体のバランスを崩す。そのまま、左足で足払いを決めるとオーラフは背中から盛大に土を付けた。
「な、何が起きた!」
脇腹と背中に”ジンジン”と痛みが走るが、どうやって転ばされたのかが理解できなかった。驚愕の表情を持って起き上がるオーラフとは反対に、やる気の無さそうに溜息を吐き、”やはりこうなったか”と思うエゼルバルド。
「面妖な技を用いて騙そうなど片腹痛いわ。本気でぶっ殺してやる!」
柄の短い剣を左手に持ち替え、右手は刃に添える様に右中段に剣を引いて構える。姿勢は低く腰を落とし、左足を前に出す。ちょうど侍が居合い抜きをする真逆の姿勢を取ったと思っていただきたい。
とは言え、先程と同じ剣一本分の遠い間合いだ、剣戟が相手に届くまでまだ数歩前に出無ければ届かない。それも計算に入れての構えなのだ。
「あ~、何となくわかるけど、それを出すのは早いんじゃないか?」
最終奥義だとか免許皆伝とか、道場で最後に授ける技であると見たエゼルバルドがオーラフに忠告をしたが、土を付けられた頭に血が上っているオーラフには何を言っても通じていなかった。聞く耳を持たないのではなく、我を忘れている様であった。
それならばと、真正面に剣を構えるとオーラフが動くよりも、先にエゼルバルドが左足で地を蹴りオーラフに迫った。
前に出つつ左手に持った剣を一閃する技を何時繰り出そうかと待っていたオーラフだったが、相手が先に動かれてしまい技を出すタイミングを逸してしまう。咄嗟に剣を振り出すが勢いに乗れない剣戟などエゼルバルドに出すには悪手である。
エゼルバルドの下から振り上げた剣が、オーラフの一撃を弾き飛ばし剣が宙を舞う。そして、動きの止まらぬエゼルバルドは剣の柄頭を鳩尾に叩き込み、オーラフの意識を刈り取り、この手合わせは終わったのである。
「こんなんで良いのか?」
「ああ、上等上等。準備運動にもならんかったか?ガハハハッ!」
地に伏すという表現がぴったりなオーラフを見つつヴルフが下品に笑う。剣を扱うアレクシス伯爵の側近と言えども二回剣を振っただけ、しかも一太刀も体に触れることなく気を失って倒れる、これが今の実力であった。
エゼルバルドにしてみれば、ベルグホルム連合公国から一緒になった護衛の彼等よりも戦い慣れてもおらず、さらに実力も下であると言わざるを得なかった。こんな剣の腕前で良く大言を吐けたものだと感心するのだ。
「ヴルフ、こいつはいったい何なんだ?」
「そうそう、言うの忘れておった。お前が前に戦った紺色の鎧を着た化け物を軽く見たアレクシス伯爵の側近じゃよ」
紺色の鎧を身に着けた化け物と戦った事は紛れもない事実だと思い出すが、なぜこの戦場でその言葉が出たのか疑問に思い、ヴルフに問てみると、
「その紺色の鎧を着た化け物が百数十敵に見えたのでな。それでお前と手合わせをして貰ったのだ。自分の弱さを悟ってくれれば良いがと思ってな」
叩きのめされ、地に伏しているオーラフを憐れむような眼で見つつ、エゼルバルドへ話をする。握っていた剣を見ても握りが少し汚れていたくらいで刀身は刃毀れも無く綺麗なままで獣を斬った痕跡も見られない。
「ワシ等はこいつを連れて行くから後は好きにしてくれ。訓練してても良いし、休んでいてもいいぞ。明日は戦闘になるはずだから休むのがいいかな」
ヴルフとグローリアは地に伏して気を失っているオーラフを肩に担いで何処かへと連れて行った。それを見送り、仕舞い忘れていたブロードソードを鞘に収めるとやっと一息つくのであった。
「やっぱり強いんだな」
声を掛けられ後ろを振り向くと見知った顔がそこにいた。解放軍に参加する事になった切っ掛けを作ったセルゲイと、もう一人知らぬ顔だ。
「セルゲイさん、今の見てたのですか?」
「ああ、お前さんやっぱり強いなって感心しながらな。
圧倒的な強さを見て、心強いとセルゲイは笑顔で話掛ける。あの位だったらオレでなくても出来ると答えるが、謙遜するなと返される始末。エゼルバルドの目から見て当然の動作でも、剣を振った事がほとんどないセルゲイ達にとっては雲の上の存在だった。
「それで、そちらは?」
セルゲイの後ろにいる若い男、とは言ってもエゼルバルドよりも少し年上の男を見やるエゼルバルド。セルゲイと身長は同じ位だが、少しやせ型だが筋肉が適度に付いている。革鎧の下に隠された力強い体は見ればすぐにわかる。
「こいつは【マルセロ】ってんだ。この隊に入ってから知り合ったんだが、話してみたら楽しい奴でな」
セルゲイ達はエゼルバルドとヒルダと共にグローリアの隊に配属されていたため、セルゲイとはちょくちょく話をしていたが、このマルセロとは始めて言葉を交わした。そのセルゲイが笑いながら紹介するほど、セルゲイが気に入ったのだろうと思えば自然と笑い声が漏れるのも不思議はない。
「エゼルバルドだ。エゼルって呼んでくれ、宜しくな」
「マルセロです。配属された隊にこんな凄腕がいるとは思ってもいませんでしたよ。あの側近は遠目に見ててもいけ好かない奴だったので見ててスカッとしましたよ」
マルセロは笑顔を振りまきながらエゼルバルド達に語った。マルセロが言うには同じように思う者達が沢山いて、スカッとしたのではないかと。その気持ちを持って、戦いに参戦できるのは有りがたいのだと。
あれくらいで士気が上がるのであれば、手合わせした甲斐もあったし、いつでも相手になってやろうとエゼルバルドは思うのであった。
それからしばらく、そこにいた者達で談笑したり、セルゲイやマルセロの夢が語られたりと楽しいひとときがしばらく続くのであった。
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