第七話 アドネ領軍、動く!

 ヴルフ達がそれを耳に入れたのは昼食時であった。


『もう旗揚げか?早すぎるんじゃないか』


 誰が言った知らないが、その言葉にヴルフ達が頷いたのは当然だった。アルベルト元子爵が守るこの拠点は、食糧、武具集積を主な役割としているが、それらが碌に集まっていない。一万人と言われる農民、--即ち解放軍--を食べさせるにはあまりにも少なく、一か月もあれば全軍が腹を空かし戦いなど有りえない事になるのは明白だった。

 そして、食糧などの軍需物資の運搬部隊も訓練がほとんど行き届いておらず、輸送をするにしても全く安心できない。


 これはヴルフ達が一時的に身を置く、輸送守備隊にも言えた。ただ武器を持って横を歩くだけと考えていたようで、戦いの訓練などさっぱりだった。野生の獣が襲って来ただけでも、隊としての行動が瓦解すると見て、ヴルフ達の配属と同時に、アルベルト元子爵が改善を求めた。


 この様な経緯があったからこその頷きであった。だが、解放軍が組織されてしまった今はどうしようもなく、直ぐにアドネ領軍が動かない事を祈るばかりであった。

 その懸念を胸に抱きながら、目の前にある食事を取り終わる頃、ヴルフ達はアルベルト元子爵に呼び出された。




「アルベルト様、何か用ですか?」


 元騎士のヴルフよりも、この国、アーラス神聖教国の教国騎士団所属のグローリアが対応した方が話しやすいだろうと、ここの滞在中は、彼女が前に出て話をする事にし、ヴルフは補佐的な役割を演じる事にした。この時はアルベルト元子爵のログハウスに入った途端、彼のうなっている姿が目に写った類たのだ。


「おぉ、よく来てくれた。知っての通り、解放軍として正式に組織されてしまった我々も、解放軍に組み込まれ否応なしに戦争に駆り出されてしまうだろう。まだ出陣の命令は届いていないが、今のままでは戦いにならない事は私でもわかる」


 軍人ではないアルベルト元子爵であっても、ほとんどが農民であれば、個々に強い人はいるかもしれないが、集団戦となれば一気に敗走すると目に見えていた。


「そこで、短期間であるがグローリア殿に、この村にいる人達の訓練をしていただきたいのだ。個々の戦闘能力を上げるのは難しいのは分かっているから、集団で動く訓練をしていただきたい。補給部隊四百名、その守備隊百名、合計五百名が、まとまった動きを出来るように。どうかな?」


 グローリアは”相談させてくれ”と、待ってもらう様にアルベルト元子爵に伝え、ヴルフに向かって意見を求めた。


「どうしますか?私達でできそうですか」

「今のままでは戦争になりゃしないから、ワシ等で出来る事はしても良いと思うが」

「それなら受ける事を伝えます」

「そうしてくれ」

「訓練内容は後でご相談で」

「うむ」


 ヴルフと簡単な相談を終えると、アルベルト元子爵へ向き直り、守備隊を鍛える事を了承した。とは言え、大規模な戦闘訓練を出来る場所など無く、基礎的な訓練になると伝えると、早速どうかと提案された。

 簡単にできる訓練なのでいつでもできるのだが、幾つか条件を伝えた。


「訓練中の生殺与奪権を頂きたい。それと軽い刑で牢に繋がれている者を一人」


 アルベルト元子爵とその取り巻きは渋い顔を見せて難色を示した。それは当然で、生殺与奪の権利を与えればどれだけの領民の首が飛ぶか不明だ。幾ら、教国騎士団に所属しているからと言っても、与える事は出来ない相談だった。


「それは無理です。ですが、後学のためになぜ必要か教えていただけますか?」

「恐らくですが、私が訓練を行う教官となっても命令に従わないからです」

「従わない為だけに生殺与奪の権利を必要とするのですか?」

「そうです。騎士団長が話していた事がありまして……」


 アルベルト元子爵達の質問に、過去に教国騎士団団長のルイスが新人騎士になったばかりのグローリア達に語った事を思い出しながら話し出した。


『軍隊は規律がすべてだ。その規律が守れてこそ強固な軍隊となる。規律が守れない軍隊はただの烏合の衆である。では、規律を守らせるためにはどうすれば良い、飴とムチとは簡単に思うだろう。だが、飴は、ムチは何をするべきだと思う?飴は何でも良い、出来た者から休ませるでも、食事を増やすでも次の訓練を免除するでも良い。ではムチはどうだ?最悪は出来ない者の首を刎ねるのだ。そうすれば誰だって規律を守るだろう』


「その様に騎士団長から訓示を受けた事がありました。とは言え、訓練を受ける者の首を刎ねる訳にも行かず、本気を見せるには罪人、彼等の仲間を使うしかないでしょう」

「確かに一理ある、だが……」


 騎士団所属の彼女は訓練の教官に最適であった。それでもアルベルト元子爵は提示された条件を出す事を渋る。

 軍隊に置いて、生殺与奪の権利、その中でも罰を与える権利を手放し、褒美のみを与える役職となって将軍職を奪われたとも戦史に記載があるほどなのだ。その大切な生殺与奪権を渡す事はやはりあり得ないと考えた。


「やはり無理ですかね。それでは、私が本気だと示していただけば素直に応じるはずです。アルベルト様が私が本気だと皆に告げてくだされば解決するのですが」


 アルベルト元子爵が生殺与奪権の譲渡を渋ることは、グローリアはわかっていた。それであれば、生殺与奪の行使をアルベルト元子爵に一任し、訓練期間中に生じた領民の罰則を公平に実施してもらう事としたのだ。


「なるほどな。それでは始める前に皆の前で告げることにしよう」

「ありがとうございます。これで訓練を始める事が出来ます」


 それでは早速とばかりに、アルベルト元子爵と取り巻きは村の中へと散って行き、西側にある広場へ手の空いている者は全て集まるようにと大声を出しながら駆け回って行った。


「あのさぁ……」

「どうした?」


 先程のグローリアの話を聞いていたエゼルバルドとヒルダがヴルフに向かって申し訳なさそうに話す。


「軍隊の訓練って受けた事ないから、オレ達は兵士側で良い?」


 ヴルフは失敗したなと思った。小さい頃から個人的な戦いや数人での戦闘の訓練はしてきたが、大集団での訓練を見せた事は無かったな、と。個人技ではヴルフに匹敵する実力の持ち主であるエゼルバルドや彼より少し劣るヒルダも集団戦を経験していない。


 それであれば、多くも少なくも無い、丁度良く目の届く人数で訓練をするこの時に、この二人だけでなくアイリーンやスイールにも一緒に受けさせれば一石二鳥であるな、と思った。


「そうだな、エゼルやヒルダは兵士側に回ってもらおう。ついでにアイリーンとスイールも受けるんだぞ」

「「了解!」」

「ええ、わかりました」


 エゼルバルドとヒルダ、そしてスイールは二つ返事で返し、どんな訓練をするのか楽しみにしていた。

 だが、アイリーンだけは嫌そうな顔をして、”何故ウチが?”と不満を漏らしていた。


「お主はその根性を叩き直してやろう?」

「だって、今まで以上に苦しい訓練でしょ~、ウチは嫌なんだけど!」


 軍隊の訓練と言えばかなり厳しい訓練をするアイリーンは考えていたようだが、もともとが農民を訓練しようとしているのだ、初めから厳しい訓練など出来ようがない。集団で一糸乱れぬ動きをさせる事が初歩の訓練となる。


「そんな事ないぞ、初めは旗揚げだけじゃ。簡単だろう」

「旗揚げ?そんな簡単で良いの」

「簡単だろう、出来ないとは言わないよな?」

「その位なら参加するわよ」


 多少であるが嫌な顔をしたアイリーンからの言質を取ったヴルフは、ニヤリと笑いを浮かべさらに言葉を続けた。


「それを一時間以上、ぶっ通しじゃがな」

「詐欺やんか~!」


 アイリーンの絶叫が村に響き渡ったのである。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 グローリアとヴルフが主体となり、アルベルト元子爵が受け持つ村で、五百名の解放軍の訓練が開始されて二日後、アドネの街では二つの部隊が出陣を、今か今かと待ち望んでいた。


 アドネ領軍は二つに分かれており、片方の第一隊は兵八千の部隊、もう片方の第二隊は兵二千の部隊と構成されていた。ちなみに守備隊はほぼゼロに近く、アドネの街へこの時点で攻め込めれば、簡単に街を落とす事が出来るであろう程の守備の薄さである。

 軍馬を用意するにはコストが膨大にかかるため、主な兵種は歩兵、しかも軽鎧を装備した軽歩兵である。完全な全身鎧を着る重歩兵に比べて、体を守る面積が少なくなり怪我を負いやすくなるが、機動性を比べれば断然、軽歩兵に軍配が上がり作戦面で有利に立てると考えていた。それに鎧の重量が軽ければ移動速度が有利になるだけでなく疲れにくくなるメリットもあり、長時間戦闘が続けば有利になるとも考えていた。


 構成は第一隊が騎馬隊五百、軽歩兵隊五千、弓隊千、魔術師隊百、その他の兵種九百、そして補給部隊五百の合計八千。

 第二隊は騎馬隊百五十、軽歩兵隊千、弓隊五百、魔術師隊五十、その他の兵種二百、そして補給部隊百の二千である。

 その部隊の一部、合計で千名程の領軍兵士が領主館前の広場へ集まっていた。


「千名と言えども壮観であるな」


 一段高い場所からアンテロ=フオールマン侯爵が兵士たちを見下ろしながら呟く。”キリッ”と引き締まった表情をする兵士の見るだけで満足し表情が緩むが、それではいけないと気持ちを切り替え、兵士達に臨むのであった。

 そして、腰に差した最近手に入れた剣を抜いて高く掲げ、叫んだ。


「これからお前たちは命令一貫、敵を打ち砕き、蹂躙し、そしてこのアドネに平和をもたらすのだ。そして、暴政に苦しむ領民を救い出すのだ。今から行く場所には元々のアドネの領民がいるかもしれない。だが、それらは巧みな話術で心を奪われ、不幸になった者達である。それを開放するのがお前たちの役目だ。お前たちの力で彼らを開放してやってくれ。頼んだぞ。それでは出陣!!」


 アンテロ侯爵が出陣の宣言を声高に告げると、八千の部隊が待つ北西の門と二千の部隊が待つ南西の門へとそれぞれの部隊が行進を始めた。少ない数であるが、手先までピンと伸びている指先や揃った足並みなど、精鋭と呼べるほどに訓練が行き届いており、景気の悪いアドネ領に住む者に勇気を与えている、ように見えた。


 その行進の最中、アンテロ侯爵の前に数人の豪華な衣装を着た者達が並んで言葉を掛けられていた。


「お主達に軍を預ける、存分に働いてまいれ。勝利の暁には褒美を取らせるので何が良いか考えておけ」

「「はは!」」


 そこにいる者達は短いながら、侯爵の言葉に感謝の意を表すのであった。


「そして、ミルカよ。ヴェラ、そしてファニーと協力し、反乱軍を叩きのめして参れ。数は多いと聞いているが烏合の衆だ、お主等には簡単過ぎるであろうがな」

「微力を尽くし、アンテロ侯爵の名に恥じぬ働きをお見せいたします」

「うむ」


 鋭い目つきを持つミルカの顔がより鋭く、獲物を見つけた猛禽類の表情となった。アンテロ侯爵もその顔付きを見る事はずいぶんと久しぶりで、もう何年も見ていなかった。それを見ただけでホッとした表情で、反乱軍をすでに討伐した気分になるのである。


「ジェラルド=ナイト侯爵、イズラエル=パーシヴァル伯爵、そしてネイサン=ミッチェル男爵。貴公らが協力していただけるとはこのアンテロ、うれしく思う。そして、数万の大軍を得た気分である。相手は北東に位置するカタナの街だ。まだ、我々が動く事は察知されていないはずだ。存分にその力を発揮して来てくれ」

「「はっ、この身に替えましても」」

「必ず戦果を上げてごらんに入れます」


 貴族三氏が向かうカタナの街は、ここアドネの街から北東方向、約百五十キロにあるアーラス神聖教国北部の第二の都市である。街の規模はアドネと同様の広さであるが、人口が少ない事と商業が劣っているだけだ。その代り、農作物の収穫量が多く、近隣の街に輸出しているほどである。


 そして、カタナの街攻略に向ける軍の大将として上げた貴族三氏は、アンテロ侯爵に早くから協力し、さらに兵士の扱いに長けた者達であった。彼等の兵士は良く命令を聞き、一糸乱れぬ動きを取る精鋭としてアドネ領軍を引っ張っている。


 三人の鍛えた兵士は八千の三割弱、二千五百程であるが全体的な戦力を引き上げる働きをしているのだ。

 兵士の扱いは上手いのだが前線で戦う事には慣れておらず、一騎打ちなどは他者に任せており、そこが彼等の弱点と言えよう。その分、彼等の下には最低一騎、腕の立つ猛者が控えている。


「では、頼んだぞ」

「「はっ!お任せあれ」」


 第一軍、二軍の大将がそれぞれ深々と礼をし、用意してあった馬にひらりと騎乗し、一度アンテロ侯爵に顔を向けるとそれぞれの隊に向けてゆっくりと馬を進め出した。

 第一軍に向かう貴族三人は、揃いの軍服に厚手の外套を羽織り、アンテロ侯爵の率いるアドネ領軍旗を持った兵がそれに続く。

 第二軍に向かうミルカ等三人は紺色の軽鎧を身に付け、薄手の外套を羽織り、颯爽と馬を進める。


 彼等を見送るアンテロ侯爵は最後に一言だけ口から言葉を漏らすのであった。


「我の野望の為にひと働き、頼んだぞ」




※グローリア達が行った、解放軍の集団訓練の内容は、孫武に伝わる話(宮中での美女訓練)を参考にしています。知らない方は孫子の兵法をお読みください。

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