第三十話 消えた剣を追う選択

 教国騎士団が自由商業都市ノルエガに調査目的で現れてから三日後の深夜の事である。

 街中を一つの影が音も立てずに、そして、誰の目にも止まる事無く走り抜けていく。それは極限まで訓練された人の究極の姿に見えた。

 装備も自らの動きを阻害しうる鎧などは一切着けず、ただただ、静かに駆け行くだけであった。


 そんな彼が動きを止めた目には、ノルエガにそびえ立つアーラス教の大聖堂が写っていた。

 正面からもそうだが、見張りのいる場所以外のあらゆる灯りが消されており、神聖な建物であるにもかかわらず、不気味に姿を浮かび上がらせていた。この日は特徴ある二つの月が天から見ており、その月光に白く浮かび上がっていたのだ。


 大聖堂の横に移動すると、鞄の中から鉤爪の付いたロープを取り出し、塀の上に向かって投げ飛ばした。塀の向こうに鉤爪を落とし、ロープを引っ張り、鉤爪がしっかりと引っかかったかを確認すると、ロープを伝って塀へ上り、その内側を探った。

 大聖堂と言えども軍用拠点では無いので、守備を厚くしておらず、下見の時と同じと感じ、塀の上にその身を乗せる。道路側に伸びていたロープを手繰り寄せて、内側へ、つまりは大聖堂の中庭へロープを垂らし、ゆっくりと大聖堂の敷地内に降り立った。


(下見と同じだな。これなら仕事は容易い)


 木々などの陰に隠れながら、礼拝堂の横に位置する部屋、--大司教が控室として使った部屋--の窓へと急いだ。部屋の中から灯りは漏れておらず、当然ながらそこに誰もいなかった。

 そして、一枚の窓の鍵をこっそりと外し、窓から部屋の中へと侵入する。下見の時にこっそりと細工をしてあった為に、鍵は外から簡単に操作できたのだ。


(これも予定通り)


 礼拝堂よりも低い天井の一角に目を向け、その下に移動して身軽な体で壁を伝い、屋根裏の入口を開く。部屋の角に屋根裏への入口があるために、梯子や椅子などの高所作業道具を使わずに済むのがこの部屋の利点であった。


 男は屋根裏に上半身だけを入れて二つの品物を取り出し屋根裏の入口を閉める。二つとも背中にしっかりと背負い、侵入した経路を使って中庭へ、そして塀を乗り越え道路へとたどり着く。この間、たったの三分しかかからずに終えたのだ。

 窓の鍵を閉じる時間は無かったが、その他全ての痕跡を消し去りと暗闇を走り抜け、ノルエガの街の北東部、つまりはスラム街へと足を向けた。


 スラム街。そこは暮らす家を失ったり、野望に敗れた人々が住まう、一種の治外法権となっている場所だ。他の場所に比べれば治安が悪く安心できぬ場所である。

 そんな場所に、どんな用があるのか普通はわからないが、この男はノルエガから逃げ出す場所にスラム街を選んだ。


 自由商業都市ノルエガも戦火を経験しているため、守りの要とする城塞を持ち得ていないが、高さ十メートル程の城壁にぐるっと囲まれている。出入口は北、東、西の門と、南の港湾であるが、この時間はどれも通る事は出来ない。

 尤も、彼が背負っている品物を見ればすぐに止められ、街から出る事もままならないだろう。そこでこのスラム街を利用するのである。


 彼はスラム街に入ると、建物の屋根に上ってそれに沿って疾走し、スラム街で一番高い建物へとたどり着く。この建物は、くしくもアーラス教の古い聖堂だった。その撃ち捨てられた聖堂の天辺てっぺんは地上から八メートル近くの高さだ。しかも城壁までは僅か三メートルの距離しか無い。

 結果、三・六メートル余りのロープを使えば城壁に上ることが出来るのだ。その長さのロープであれば、十メートルを弩で城壁に打ち込むよりも楽に鉤爪を投げられる。


 なぜ、古い聖堂が残されていたのかは都市の政治機構の弊害であった。軍事的な局面から見れば侵入や逃走の手助けになるとわかっていながら、スラム街に取り込まれてしまっているので取り壊すには議会の承認が必要になる。スラム街へ大規模予算を投じなくてはならず、反対が多数を占めて実施できずにいたのだ。


 身軽な体でその聖堂のてっぺんへと上ると、躊躇なく鉤爪付きのロープを城壁へと投げつける。そして、鉤爪がしっかりと食いついたと見るや、ロープをしっかりと握りしめ

城壁へ向かって飛び出した。

 三メートル程の幅を弧を描きながら足から城壁の側面へと着地する。足のバネを最大限利用する事により、何処も痛めることなく城壁へ取りつく。そのままロープを伝って城壁へと登って行く。


 逃げ出すルートを調べたとき、城壁の上を歩哨が歩くが、早足で歩き去る場所があった。それが今いるスラム街に面した城壁である。

 内側から石など投げられて怪我を負う事を恐れたのか、また他の理由があるのかわからないが、歩哨がいない時間が長いのだ。それを今回利用し、ノルエガの脱出に利用したのである。


 さて、城壁へ上った男は腰にロープを巻きつけた。そのロープをがっしりとした手すりに通し、解放側を握りしめ躊躇なく城壁の外側へと体を落とし始めた。

 握ったロープを少しずつ弱めて行くと、体は自然と下へと降り、十メートルの城壁を難なく降りてしまったのだ。


 鉤爪のロープを使った時には、鉤爪が城壁に残ってしまい、大騒ぎに発展してしまう事を恐れたのだ。脱出もスマートにがこの男のポリシーなのである。


 あとは水堀を渡るだけでノルエガの街からの脱出は完了する。夏の次期はそのまま入水しても風邪をひく事は少ない。彼は水に入る事はいとわないが、問題は背負っている品物であろう。

 せっかくの品物を水に濡らして仕舞う訳にはいかないと、背中から下ろし、頭上へ掲げる。下見で胸の高さとわかっていた水掘りへと入り込み、難なく渡りきるのである。


 そのご、人目に付かないように移動し、服を絞って水気をある程度取ると、隠してあった馬を駆り、風を切りながら走り去ったのであった。




 それから四日後、彼、--黒ずくめの男--は、依頼主にその品物を無事に届ける事に成功し、依頼を完遂したのである。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 自由商業都市ノルエガを走り抜けた影、--黒ずくめの男--が、大聖堂へ忍び込み、隠してあった剣と盾を持ち出し悠々と逃げ出した次の日、教国騎士団団長ルイスは数人の部下と共に情報の精査に当たっていた。

 各方面へ派遣した部下達からは有力な情報が少しずつ集まり、逃走の方角に一応のめどを付けていた。だが……。


「やはり、東か……。我が国へ逃げ込んだのは間違いないか……」


 何枚にもわたって記載された証言を一枚一枚手に取りながらルイス団長は溜息を吐く。証言、目撃情報を時系列に纏めるとノルエガの東門から出発し、街道を通っているのは誰もが証言しているのですぐに判明した。

 そして、ルカンヌ共和国の東にある都市、ノーランドに入らなかったことも記録している。さらに言えば、北のベルグホルム連合公国へも向かっていない事もわかっている。

 だが、そこからは途端に目撃情報が無くなるのだ。あれだけ華美で目立つ馬車に乗っているにもかかわらず、アーラス神聖教国へ入った途端に情報が無くなったのだ。


「どうだ、他に情報は無いか?」

「あまり関係ありませんが、北に位置する一つの領主が重税を課しているとの噂を聞きました。そのせいか治安が悪くなっているらしいのです」

「治安が悪いか……。身を隠すにはもってこいの場所ではあるが……」


 治安が悪い場所、例えばスラム街などは独自のルールを持っていたりして、領主の支配が及ばない地となる。領内のスラム街ではその領地の主の目となるが、国で治安が悪い地域となれば、国の支配者、この場合はアーラス神聖教国の教皇であるが、その教皇の力が届かず、むしろ独立した地域となりかねない。

 ルイス団長は、噂程度の治安の悪さを考慮し、そこへ逃げ込んだ可能性があると考えた。


「そこからの情報はまだ取れないのか?」

「あの土地まで距離がありますから、まだ帰ってきておりません」

「それからだな」


 他の地域からの情報はすでに手に入れているルイス団長は、帰りの遅い部下にいら立ちを覚える。本来ならが昨日に帰って来て、情報を精査しているはずであった。

 わずか五名であったが教国騎士団の精鋭を集めて各地へ派遣したのだ。その誰もが遅れている事に不安と胸騒ぎを感じざるを得なかった。


 最悪な事態を脳裏に浮かべながら悩んでいると、部下の一人から提案がなされた。本来であればその提案は許可すべきではないのだが……。


「ワークギルドに調査を依頼してみたらいかがでしょうか?腕利きに依頼すれば我ら騎士団の損耗は避けられますし、彼らだからこそできる情報収集があるかもしれません」


 それは悩みどころであった。それならば我々が騎士団の鎧を脱いで、それ相応の格好に身を包めば請負人になれるだろう。それでは駄目なのかと質問で返す。


「確かにそれで格好は似せられますが、言葉遣いや仕草はどうでしょうか?どうしても集団で生活している我々はその癖が抜けきれない。団長が心配し反対するのはごもっともです。ですが、ここはご一考願いたいと思います」


 ルイス団長はテーブルに散乱している書類を眺めて考え始める。ここにある情報は部下の騎士達が集めて来た、値千金の情報で溢れている。騎士の視点でなく、商人の視点であったら、農家の視点であったら、そして、旅人の視点であったら何か違う事がわかるのかもしれない。

 そうなればワークギルドに任せるのも一つの手ではないかと考えた。そこに騎士の目線も合わせれば、またわかる事が多くなる可能性もあるだろう、と。


 そして、ゆっくりと視線を部下の騎士達へと向け、ルイス団長は口を開いた。


「よしわかった。ワークギルドに依頼して腕利きを雇おう。そのパーティーに騎士団から一人随行させる方向でだ」


 それを聞いた提案した騎士が安堵した表情を見せ、ルイス団長に向かって立ち上がり深々と頭を下げた。ルイス団長は何かの解決策を見抱けたことを喜んだが、それよりも提案した騎士の提案が採用された事が嬉しかったようだ。一般的な笑顔で表現するのではなく、頭を下げる感謝で表現した。


「よし、早速だがワークギルドに依頼を出しに行くとするか、誰か行ってくれないか?」


 ルイス団長が騎士達に向かって声を掛けたのだが、それを制すように副団長の【リオネロ】が手を挙げて発言の許可を求めた。許可を出て彼の口から出たのは、ルイスが一度会った事のある、あの人物の名前だった。


「団長、それよりももっと適切な人物がいます。鍛冶師のダニエルに護衛としていた人物。ヴルフ殿がいらっしゃいます。あの方もワークギルドに所属しているはずです。そのまま頼んでみたらいかがでしょうか」


 ヴルフであれば腕利きだと我が国でも評価する声は多く、ちょっとやそっとの相手では敵になる者もいないはず。鍛冶師のダニエルの作った剣を追ってくれと頼めば動く可能性も高い。


「よし、その案に乗った。駄目で元々だ、頼みに行ってみよう。よし、リオネロよ、着いて参れ」

「はい、直ちに」


 言うが早いか、その場を放り出し、リオネロ副団長と馬車に乗り込むと、ダニエルの元へと急ぎ出発した。


 ルイス団長の考えではヴルフが依頼を受けるか受けないかは半々と見ていた。

 まず、自国の依頼でない事が一つ上げられる。ヴルフが有名なのはトルニア王国での戦乱の影響が強く、それ以外に名声を得た事を聞いたことが無かったのだ。トルニア王国やスフミ王国で活動していると聞いてるだけだ。


 もう一つは時期的な話だ。トルニア王国に帰る日が決まっていたら、当然ながら依頼を断られるだろう。間もなく八月も終わり、九月になる。その後は海が荒れだし、船を出すには厳しい冬に入るのだ。


 辺りが暗くなり始める頃、馬車はダニエルが身を寄せているクルトの鍛冶屋に到着した。御者が馬車のドアを開けるより早く、ルイス団長自らがドアを開け、馬車から飛び出した。

 それに続けと副団長のリオネロも飛び出し、まもなく閉まろうとしているクルトの店に飛び込んだ。


「すまぬ、ヴルフ殿はこちらにいるか?」


 騒がしく表れた突然の来訪者に、店内にいた客は何事が起きたかとカウンターを見やる。そして、カウンターで客の相手をしていた店員も突然の来客に驚くだけで思考が停止し、固まってしまった。店員が驚くのも当然で、銀色に磨かれた胸当てにアーラス教の紋章をあしらった見事な胸当てをしていれば、高位の位に就いていると見える。

 一般的な人を相手にしているだけなので、店員や客が固まるのも仕方ない。


「申し訳ない、ダニエル氏の護衛をしていたヴルフ殿はいらっしゃるか?」


 再び聞かされた言葉に、やっとの事で我を取り戻し、店員は何も言わずに奥へと引っ込んで行った。ルイス団長は店員の仕草を見て、何で黙って引っ込んでしまったのかと、憤慨して周りを見たのだが、そこにいた客たちの冷たい目線を知り、自らの格好や言動が思考を奪ったのだと悟り、店員に悪い事をしてしまったと反省をしていた。


 その反省が終わる頃、ダニエルと汗をタオルで拭いているヴルフ、それにエゼルバルドが奥から姿を現した。ヴルフとエゼルバルドは夕方の手合わせをしていた様で、二人共が汗だくであった。


「教国騎士団の団長殿か。こんな時間にどうしたのだ?」


 ダニエルがルイス団長へ声を掛けると、”頼みごとがあってヴルフ殿に会いに来た”と伝えられるとヴルフが驚きの声を上げた。


「ダニエル氏ではなくワシにか?」

「はい、ヴルフ殿に頼みごとがあって参りました」


 ルイスのその言葉に少しだけ頭をひねり、ヴルフは答えた。


「まだ訓練の途中でな、場所を変えても良いか?」

「それ程内密な話ではないので、何処でも大丈夫です」


 それでは、と、ヴルフは騎士二人とダニエル、そして、エゼルバルドと共に中庭へと向かった。

 ルイスとリオネロの騎士二人は、案内された中庭に着いて我が目を疑う光景を目にするのであった。

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