第十八話 頭上の追走劇
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「アイリーン、何処かわかった?」
情報をもたらしたロビーの言う宿をぐるっと一回りしてきたアイリーンにエゼルバルドが声を掛ける。一回り、五分程だがエゼルバルドやヒルダが回るよりも的確に偵察が出来るのでいつも任せてしまう。どうしたらそんなに上手く偵察が出来るのかを聞いた事があったが、
「ん~~と、慣れ?」
と、答えになってない答えに辟易した事があった。それからはアイリーンがいる時は任せる事にしてしまった。それではいけないと思いながらも多少は彼女の仕事を見ているが、なかなか上手く出来ないのだ。
「カーテンが閉まって、微かに動いている部屋があるからそこだと思う。二階の六番目だよ」
昼間からカーテンが閉まっているとは随分とわかりやすいと思いながらも、別の部屋も見た方が良いのかと思う。だが、それを聞までもなく、部屋が空だったり、全く違う人がいたりと、短い時間でも細かい所まで目を届かせていた。
「ドアを蹴破って入るけど、その前の声掛けはヒルダにお願いする。ダニエル師の確保が第一の目的、敵の確保は第二の目的だ。最悪は殺しても仕方ないけど、なるべくなら生かして捕える事。さぁ、行こうか」
エゼルバルド達は外套のフードを頭へ深く被り、宿へと入って行く。三人が入ってもロビーには人の姿は見えず、手元だけが覗ける受付があるだけだ。そこからシワシワの手が見えるだけで、掛け声を掛けぬ客には興味が無いらしく、爪をやすりで磨いていた。
「少し邪魔するよ」
一言、受付に声を掛け、静かに階段を上がり目的の部屋へと廊下を進んでいく。廊下には部屋のドアと対比する様に窓がある。廊下の窓を開ければ部屋の窓とドアを一直線で結び、空気の入れ替えを容易く出来る仕組みの様である。
目的の部屋に到着すると、音を立てずに武器を用意する。エゼルバルドはブロードソードを抜き、ヒルダは
準備が出来たと目配せをすると、ドアを”コンコンコン”とノックし、少し空けてドア越しに声を掛ける。
「すいませんが、お客様に訪ね人が来ています」
これでドアが開けば儲けものだと思うが、そうはいかない。人の気配は認められるが動く気配はない。これは当たりだと、中央にエゼルバルド、左にヒルダ、そして右にアイリーンと配置を変えると、申し訳程度にしかかからない鍵のかかったドアを力を込めて蹴破る。
”バーン”と大きな音を立ててドアが開いた瞬間、部屋の中に二人の存在を確認したアイリーンが矢を放つ。矢が部屋を突っ切って窓を壊し矢は部屋の外へ落下する。
「エゼル、あれ!」
アイリーンが床でもがく人を指すと二人はその先を注目する。それが一瞬の隙を生み、部屋にいた男が逃げ出す時間を作ってしまった。
”ガシャン”
アイリーンの矢で壊れかけていた窓を簡単に蹴破り、男が部屋から出て軒先へと逃げ出す。素早い咄嗟の動きを見るが、体が動きが遅れた。部屋には保護すべき男が縛られもがいている。第一の目的はその男の確保、逃げた男は第二の目的だったことも一つの原因でもあった。それでもすぐに次の行動に移れる三人は優秀であろう。
「アイリーンは逃げた男を追って!ヒルダはそれの救助。オレもアイリーンを追う、急いで」
アイリーンは一言貰っただけで窓から飛び出し逃げた男の後を追う。ヒルダは部屋にいる男の救助と回復。そしてエゼルバルドは先行するアイリーンの援護だ。
数秒遅れで窓から飛び出したアイリーンは、男の逃げた方向を一瞬だけ見て、直ぐに身軽な体で屋根に上り、後を追って走り出す。様々な場所を走り抜ける能力を持った彼女にとって、しっかりとした足場の屋根など、舗装された道と同じだ。左手に弓を、右手に一本の矢を持っているが、普段と変わらぬ身のこなしで追走が出来る。
追われる男は、急に踏み込まれたために、何時もの装備を一つも持ち合わせていなかった。護身用として両腕に数本ずつ仕込んである、刃渡り十五センチ程度のナイフがあるだけだった。この男も組織内では身軽な方で名が通っているが、その速さはアイリーン程ではない。履いてる靴も普段履いているブーツではなく、街中で目立たぬような極普通の靴であった事も災いを呼んだ。
軒先から屋根の上へ昇って逃げる男、それを追い駆けるアイリーン。大捕り物がノルエガの住民の知らぬ頭の上で展開する。
徐々に迫るアイリーンに少しでも有利に逃げようと左腕に巻いてあるナイフを全て抜き去り、時間差で二回投擲する。
見張りを任せるだけの実力を持つ男だ。走りながら正確にまず二本のナイフを投擲しアイリーンに迫る。足元目がけて投げつけられたナイフを少しの跳躍で躱す。的の無くなったナイフはそのまま屋根に当たり何処かへ消え去る。
追っ手が跳躍で躱すと予想していた男は、跳躍の寸前に少し高めに二回目の投擲を行う。
もし、普通の能力しかない追っ手だったら、そのままナイフの餌食になり、屋根から落下して大怪我を負っていた事であろう。だが、追っ手はアイリーンだ。投擲ごときで身をよじり躱すなどしない。外套を少しだけ
投擲した男も、外套のみでナイフを跳ね除けるなど、思いもよらずに気が動転する。
「しつこい女だ!」
とっさに思っていた事を口に出すが、それこそが気が動転している証拠でもあった。起死回生に打ち込んだナイフを、何も無かったかのごとくに跳ね除けられ、後は捕まるだけとなりそうなこの身を恨んだ。
恨んだ所でこの場が好転する事など無い事くらい承知している。あと少しで追いつかれる、もう一度投擲をと右腕のナイフを取り出し投擲しようと後ろを振り返ると、矢を番えている追っ手の女が目に写った。
その少し前、アイリーンは走りながら矢を弓に番えていた。これ以上追い掛けてもらちが明かないと思ったのであろう。ここいらで大捕り物を終わらせると決心した。
そして、障害物の無い見通しの良い屋根の上に二人が入った時、その直線を生かして矢を射るべくアイリーンは足を止た。
男がその光景を見た瞬間、力の限り絞られた弓から矢が放たれた瞬間だった。
矢の飛来に反応できず、男の右脇腹に狙いたがわず矢は吸い込まれ、血を滲ませながら男を貫いた。まるで、焼き鳥の肉に金属の串が刺さっている様である。
男は左手に握っていたナイフを投げる事が出来ず、バランスを崩すと屋根の上を”ゴロゴロ”と転がり、刺さった矢を折りながら屋根から落下する。その行く手は地面ではなく、家々の排水が流れ込む汚れきった下水であった。
男が頭から”ドボン”と下水に落下するのを見たアイリーンは、止めを差そうと矢を番える。だが、男の姿は何処にも浮かんでこず、さらに屋根の上からも汚れに妨げられ見えず、時間だけが刻々と過ぎていく。数分が経過するもその姿は捕えられず、アイリーンの元にエゼルバルドが到着して初めて、男に止めを差すのを諦めた。
「ゴメン、逃がしたようだ」
男を逃がした事を悔しそうに呟くアイリーン。矢を仕舞いながら辺りを見渡すと数人の野次馬が屋根の上にを見上げている。
「ヒルダの所へ戻ろうか」
「ええ」
姿を現さない男を諦め、二人はその場を離れ、屋根の上を走り抜けて行くのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ここは任せて行って!」
ヒルダは窓の外へ向かうエゼルバルドにそう告げると無事を祈った。
「拘束を解くわね」
床板に無造作に転がされている男を起こし、目隠しと猿ぐつわを初めに取り除いた。髭面もあるが、スラム街では体を洗うことが無く、その男に近づくだけで酷い体臭がヒルダの鼻孔を襲い、顔を歪めてしまう。フードを深く被っているので、表情をを見られていないだろうが、酷い顔をしているだろうと思えば顔は見られたくないと思う。
「アンタは何だ?仕事はもうしないぞ」
「助けてあげたのに酷い言い草ね。知らない人とは言え、それが人の態度かしら?」
その後も手足を拘束するロープもナイフで切り、男はやっとの事で自由に動けるようになった。自由になった手首や足首をくるくると回し、自由になった事を実感している様だ。
「一応、嬢ちゃんに感謝するが、”助けて”と一言もこっちは言ってないからな。それだけは忘れんでくれよ」
つっけんどんな言い方であるが、一応、礼は言われた事として、とりあえずは良しとする事にした。これ以上の話となれば、追いかけて行った二人、特にエゼルバルドが帰って来ない事には話しのしようが無いので、この部屋の借主の持ち物を物色する事にした。
ベッドしかない部屋である、荷物を置いてある場所はそう多くない。大体はベッドの下に置くだろうと覗いてみると鞄と羽織る物を入れたカゴが見つかっただけであった。
「それで、嬢ちゃん達は儂を助けて何をさせようってんだ?人を殺す道具を作るのはまっぴらだ」
ベッドの下から出てきた鞄を物色しているヒルダに向かい、男が喧嘩腰に話し掛ける。金貨の入った財布を見つけたり、暗号で書かれた指令書を見つけてベッドに並べながらヒルダは答える。
「ある生き物の素材を使って、防具を作れるのは貴男しかいないと聞いて探していたのよ。貴男のお弟子さんにも断られたしね。もし、貴男が仕事を受けないと言うのなら、わたし達は故郷に帰って知り合いに頼むだけよ」
黒い外套を調べながら、辛辣な言葉を返す。これで鍛冶仕事をもう一度でもやってやろうと意気込んでくれれば儲けものと考えながら、何処かで見た様な外套だと頭を悩ませる。
それからしばらくして、男を追っていた二人が屋根を伝ってヒルダの元へと戻ってきたが、その顔は目当ての男を逃した様で少しだけ暗かった。
「あ、お帰り」
「逃げられた」
「あら、珍しいこと」
短い言葉を返す二人だが、それで十分だった。そこからヒルダが助けた男にエゼルバルドを中心に話を向けるのであった。
「貴男がダニエル師ですよね」
ここで初めて、目の前の男に名前を聞いた。ヒルダが聞いても良かったが周りにどんな目があるかわからなかったため、三人が揃うまで待っていた。
周りから見ている目は無いとアイリーンがお墨付きを与えたので、ようやくである。
「そうだ。儂がダニエルだ。じゃが、もう鍛冶師は辞めたんじゃ、仕事も受けん」
一度決めた事を頑固に話す。頑固な性格はこの男の種族、ドワーフであると考えれば当然と思えた。だが、そのドワーフである事に活路を見いだせるのではないかとエゼルバルドは考えていた。
「オレはエゼルバルドと言います。優秀な鍛冶師を探しているのです」
自己紹介として、自らの名前を名乗る。
「鍛冶師を辞めたのであれば、誰からの依頼も受けないと言うのですか?」
「そうじゃ、誰の依頼も受けんし、ハンマーも握らんと誓ったのじゃ」
やはり、ドワーフは頭が固くていけないと思いつつも、多少乱暴に煽ってみる事にした。
「それでは、一生スラムで暮らすか、その腕を生かせる仕事をするか、どちらか決めてください。スラムで暮らすのであれば、オレ達はここで去って帰りますよ」
ダニエルには苦い経験があった。腕によりをかけて作った武器、防具を見た他国の貴族が、”その腕を見込んで”と無理な注文を付けてきた。その設計思想を具現化するためにどれだけの努力をしたか。それが完成した時に、その貴族の専属鍛冶師になってそれを作ってくれとも言われた。だが、その目的が人々を虐殺するための準備だと知ったからには貴族からの申し出を拒否した。
その結果が工房を焼かれ、家を無くし、鍛冶師としての地位も追われたのだ。それがあったので、目の前で話す男を軽々しく信用することが出来なかった。
「どうせ人生を捨ててるんじゃ、話だけでも聞いてやるわい」
「それでは早速。これを加工できる人を探しています」
ダニエルの話を聞いて、エゼルバルドは鞄からいつものヒュドラの赤黒い鱗をダニエルの目の前に見せた。ダニエルはそれを見て、何かから解放されたように赤黒い鱗を手に取ろうと短い腕を伸ばし掴もうとした。だが咄嗟に出した腕から逃れるように腕を動かし、ヒュドラの鱗を守る。
「それは何処で手に入れた、ヒュ……モゴモゴ」
ダニエルが叫ぼうと口開きかけたが、大急ぎでエゼルバルドが手で口を塞ぐと声にならないうめき声だけが隙間から漏れ出してくる。流石にこの怪しい宿でヒュドラの鱗などと大声で言われれば、何が起こるかわからない危険があった。この宿の全ての者を切り捨てなければならない事象など、エゼルバルドは懲り懲りであった。
「それ以上はここで口にしないで頂きたい」
ダニエルに向けられた目には、何処から監視されているかわからない、注意が必要だと暗に示していた。それを知って迂闊に喋ろうとした自分が何も考えていないのだと自らを恥じた。これが数か月前のハンマーを振るっている時分だったらどうだろうと、過去を思い出していた。
「す、すまん」
「いえ、結構です。これはオレ達が倒した三つ首の鱗です。ほぼ全身の素材があり、それで鎧を作って貰いたいのがオレ達の依頼です。ですが、それだけでは貴男は首を縦に振らないでしょう。もう一つ見せたいものがあるので、もうしばらくお付き合いをしていただきます」
エゼルバルドは立ち上がって、ベッドに広げてある黒い外套をダニエルに渡す。
ヒルダとアイリーンにはこの部屋の主だった男の持ち物を回収させ、その中から金貨を数枚抜き出させる。その金貨はこの部屋の修理代として宿屋に回す分だ。ちなみに男の部屋からはかなり良い装備が出てきた。特に主武器に使っていたショートソードは鍛造の一品物でヒルダとアイリーンが差しているショートソードよりも良かった。長さはアイリーンのショートソードに近いので柄を変えてアイリーンが持つ予定だ。
その宿の受付に、部屋であった事の顛末を一部を隠して話し、迷惑料を置いて宿から出ると、公衆浴場へと向かった。
「おい、見せたい物があるって風呂か?」
「いや、違う。その匂いのまま出歩くつもりですか?スラムに帰るにしろ、何処かへ行くにしろその匂いはきついですよ。ゆっくりと体の匂いを落としてきてください。オレはここで待っていますから。ヒルダ達も良かったら入ってきていいぞ、あまり時間は掛けないようにな」
溜息を吐きながら男湯に向かうダニエルと、嬉しそうに女湯に向かうヒルダとアイリーンの落差をくらべて、彼は仕事を請けてくれるか心配になるエゼルバルドであった。
ちなみに、次の日の明け方、下水から河へ流れ出る水門に男の水死体が上がったのであるが、アイリーン達が追っていた男である事は誰も知らなかった。
※エゼルバルドはダニエル師と呼びます。
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