第二十八話 地下迷宮探索 十三

 アイリーンを先頭に階段を下りた彼等の目の前に広がっていたのは思っても見ない光景であった。一度目は肌にチラチラと刺すような痛みの原因になっていた酸の池の水がすべて何処かへ消え去り、二メートルほど下の湖底が姿を見せていたのだ。

 その湖底には一本の細い石畳が真っ直ぐ続いていて、見た者を誘っているのがありありとわかる。石畳はすでに乾いて靴底を痛める事も無いだろう。


 その石畳をゆっくりと一列になって歩んでいく。

 酸の池はどんな生物も存在できない証拠として、湖底にはどんな生物の痕跡も残されていなかった。溶けにくい動物の骨であっても長い時間で溶かしきってしまったのだろう。

 傍から見れば死神が手招きする池なのだが、まさかそんな場所を歩くなど思ってもみなかった。


 ちなみに、この池はかなり広く、五百メートル程石畳を歩き続けてやっと対岸が見えてきた所であった。


「ここまで広いと思わなかったよ~」

「池よりも湖って呼んだ方がしっくりくるな」


 先頭を進むアイリーンとエゼルバルドの声が聞こえる。酸の池、改め、酸の湖であるとその広さに感心していた。

 広さも驚いたが、湖の水が無くなる事を見越して湖底に誘導のための石畳を設置しているなど、この地下迷宮を設計した者の意図が何かあると感じざるを得ない。

 それでも今は石畳を作り真っ直ぐに対岸まで案内してくれたことに感謝を捧げたいほどであった


 対岸の岸へと上ると、この地下迷宮の随所で見られたドアが眼前に現れた。階段から降りてすぐに酸の湖だったので、入口に戻って来たなどとは思えないが見慣れたドアがあると違和感を通り越して安心感を持ってしまう。統一されたデザインを持っているとそのように感じるのかと心にとどめておく事にした。


 自分の仕事だとばかりにドアに近づくアイリーン。いつもの通りにてきぱきとドアを調べていくこと数分、アイリーンが戻ってきた。


「ドアを開けると横から矢が飛び出す罠が仕掛けてあったから解除したわ。それよりもドアの向こうに何かいるわね。動いているから正確な数はわからないけど十位だと思う」


 その報告にスイールとエゼルバルドの二人が考え事を始める。そして、考えが纏まったのか、小声で打ち合わせを始めた。


「スイール、やっぱり小鬼ゴブリンの生き残りかな?」

「エゼルもそう思うか?」

「数がいるとすればそれしか思えないよ。それだけの数のオーガーやヒュドラがうごめいていたら罠じゃなくて菱形の宝石のドアを作るでしょ」

「そうだな、エゼルの指摘通りか……。だが、この酸の湖を渡れる術もないはずだし、罠を解除する技術も無いだろう。何処から入って来たのか、謎だな……」


 二人の出した結論はオーガーやヒュドラなどの大型の敵ではなく、小鬼などの数が集まりやすい敵であると予想した。小鬼以外ではどうかと考えたが、小鬼長ゴブリンチーフがボスとして住み着いていたこの地下迷宮で、その他の種族がいる可能性は少ないだろうと。小鬼が十体であればヴルフのいない戦力であったとしても負けることは無い。もし、それ以外の手ごわい相手だったら後退しドアから逃げる、と基本方針を決める。


「踏み込む前にアイリーンは少しだけドアを開けて向こうを覗いてください。敵が見えればそれが何かを報告で。それから踏み込むか決めましょう」

「わかったわ」


 ”確認するまで私の仕事なのね”と引き受けたと頷く。この手の仕事はアイリーンの得意とする分野なので自信を持っているのだ。


「踏み込むときはエゼルがドアを蹴破り突入。その後に弓で攻撃できるアイリーン、そしてヒルダが続きます。私とエルザがその次で、申し訳ないがヴルフは最後です」

「「了解!」」

「今回は仕方ない。指示に従うとしよう」


 それぞれが踏み込む順番を確認し、最後に戦うのが困難なヴルフがしぶしぶその順序に従う。しぶしぶと言っても、今の体の調子で強引に戦闘に参加しても皆の足を引っ張るだけだとわかっているのでそれ以上言うつもりも無かった。


「それでは作戦開始です」


 スイールが合図をするとまずアイリーンがドアをゆっくりと開け、その向こうを見つめる。後ろから見えているとドアから見えるのは真っ暗な闇で何がいるのかさっぱりわからない。だが、暗闇を見つめるアイリーンの目には十個の影を捉えていたのであった。


「やはり小鬼ね。数は十。こっちを見ている個体はいないわ。距離は五十から七十メートル」

「それなら大丈夫だ。先程の通り、行きましょう」


 ドアを潜る順番をもう一度確認してからエゼルバルドがドアを勢いよく蹴り、その先へと躍り込んだ。

 エゼルバルドがドアを蹴った事で、部屋の中へその音が響き渡り、小鬼の耳にもその音が届く。いきなりの大きな音に小鬼たちが何が起こったのか我を忘れ辺りを見渡す。三秒位で小鬼達に何が起こったのか理解し始める。


 ドアを蹴り開け、中に躍り込んだエゼルバルドはそのまま小鬼に向かって走っていく。夜目が効くとは言え真っ暗な暗闇では見えにくいであろう事から、小鬼たちも生活魔法のライトを使い明かりをつけている。その為エゼルバルドが駆ける先はわかり易かった。

 それに続けと弓を手にしたアイリーンがドアを潜り、小鬼へと突き進む進路上から避けて弓を番える。当然ながらアイリーンの狙いも小鬼の発している灯りに照らされているので狙いが付けやすい。

 そして、ヒルダが続いてドアを潜り、小鬼へ向かって駆ける。手には愛用していた軽棍ライトメイスではなくショートソードが握られている。ヒュドラとの戦いで軽棍を壊されてしまったので、予備として購入したショートソードである。

 スイールとエルザは悠々とドアから潜り、小鬼の元へ歩いていく。その後をヴルフが入り、ドアの前で剣を抜いて、ここからは通さないとばかりに立ちふさがる。


 バックパックを担いでいるからとは言えエゼルバルドの駆ける速度はそれなりに早い。今回の距離、五十メートルを突出している小鬼まで七秒強で走り抜ける。

 小鬼の頭がパニックから解放されるまで三秒、目の前の敵に気付くまで二秒、反撃に利用できる時間は僅かに二秒強である。その二秒強で小鬼にできる事と言えば手で握った武器を振るう事、ではなく、敵の攻撃から身を守る事だげである。だが、しゃがむにも躱すにも二秒と言う時間はあまりにも足りない。そして、小鬼の取った行動は両の腕で顔を守る事だけであったが、それは余りにも悪手であった。

 秒速七メートル弱のエゼルバルドが一閃したブロードソードは、小鬼の栄養不足の胴体を易々と切り裂き、脇腹から血飛沫が飛び出し、臓物が漏れ出す。あっと言う間に小鬼の一体が反撃する間もなく命を奪われてゆく。


 エゼルバルドの攻撃と同時に空気を切り裂く二本の矢が小鬼を襲う。五十メートル先のドアの横で、アイリーンが構えた弓に二本の矢を番え、限界まで引き絞った弓から矢を解き放った。二本の矢は誰にも真似出来ぬ精度で、それぞれの矢が小鬼を貫いてゆく。一本は胴体を、もう一本は太腿をだ。二体の小鬼はその場に転び、致命的な傷を負って後は首を刎ねられるだけどなる。


 エゼルバルド程ではないがヒルダの駆ける速度も速い。エゼルバルドに遅れる事、三秒で小鬼のいる場所までたどり着く。小鬼達が敵と認識したのはドアを蹴り開け真っ先に突入を開始したエゼルバルド。その為ヒルダに対する警戒は薄く、一体の小鬼の真横からショートソードの切っ先を首筋の頸動脈へと突き立てる。小鬼がヒルダに気付いた時はもう目の前にショートソードの切っ先が突き立てられた瞬間であった。

 ヒルダのショートソードは小鬼の喉に突き立てられ、根元まで刀身を飲み込み、ヒルダの駆けていた速度と合わせて小鬼の首を千切った。これには小鬼もどうすることも出来ず、ただ命を散らすのみであった。


 十体のうち四体が一瞬で行動不能に陥るのを見た他の小鬼は、敵襲からのパニック状態から持ち直したにもかかわらず、再びパニック状態へと陥る。持っていた武器をやみくもに振り回し始め、周りを見渡す余裕も無くなる。こうなれば小鬼に勝てる要素は万に一つも無くなる。


 スイールとエルザが魔法を使う事も無く、エゼルバルドの振るう剣が、ヒルダのショートソードが、そしてアイリーンの狙う弓が確実に小鬼を仕留め、五分もしないうちにすべてが地に伏したのである。


「あっという間に片付いたな」

「半分、不意打ちだったもんね」


 エゼルバルドはブロードソードをビュッと振るい、血糊を吹き飛ばして鞘に納める。ヒルダはショートソードの刀身を眺めながら布でぬぐい血糊を拭き取り、刃こぼれの無い様を嬉しそうに眺めてから鞘に納める。


「やっぱりアンタらは普通じゃないわ。ヒュドラとオーガーが強すぎたんだね」

「そうか?」


 弓を構えながらエゼルバルドとヒルダの動きを見ていたアイリーンは”やっぱり二人は異常”との認識を戦闘の最中に改めて思い知らされた。だが、この日のエゼルバルドもヒルダも疲れが溜まってるため少しでも楽をしようと小鬼の柔らかい部位になるべく刃を入れようとしていた。小鬼の脇腹を切り裂いたのも、喉を切り裂いたのも労力を減らすためであった。

 疲れも無く全力を出せる戦闘であったなら、エゼルバルドは間違いなく胴体を肩口から腰に掛けて袈裟切りに小鬼を切り捨てていただろうし、軽棍をヒルダが振るっていたら脳髄を撒き散らすように後頭部を強打していただろう。

 それほど二人の戦闘能力は高いのだが、逆に言えば小鬼への不意打ちが成功すると共に弱すぎた感もある。


「ヒュドラもオーガーもいるからオレもまだまだ訓練が足りないのかもね」

「そうね、もっと訓練しなきゃ」

「強さを追い求めるのは置いといて、その小鬼ゴブリンは何処から来たのかしら?」

「あぁ、それはですね……」


 エゼルバルドとヒルダ、そしてアイリーンが話している中へゆっくりと歩いてきたスイールが口を挟む。左の奥の方を指しながら話を続ける。


「何処からか続いているダストシュートから入っている様ですよ。ロープもありますし」


 スイールの指した方向には指摘通り上の階からのと思われるダストシュートがあり、その中にロープが垂れ下がっている。そのロープを使い上り下りをしていたようだ。このフロアに降りる前に小鬼がいたと思われる場所でこのダストシュートを見落としていた可能性があった。ダストシュートがカモフラージュされていたか、重要な物の後ろに隠されていたか……。

 だが、小鬼が何処からロープを調達したのか、また、その知識は何処から生まれたのか疑問が残る。人間でさえ、ダストシュートはゴミを捨てる場所と認識されているから入ろうとも考えないし、ロープを垂らそうとも考えないだろう。


「なんで小鬼はここまで下りてきたんだ?ここってゴミ捨て場なんだろう、ダストシュートがあるくらいだから。それにロープ何て何処から手に入れた?」

「それでは、誰かがここに落ちたとしたらどうですか?襲った商人たちの荷物に偶然ロープがあったらどうしますか?」

「それは、偶然過ぎるんじゃ……」

「偶然であっても起きる可能性はゼロではないです。偶然が重なり、小鬼長ゴブリンチーフもいれば不可能ではないですね」


 スイールの考えは偶然に偶然が重なって小鬼がここを住処にしていた事になる。一階の通路をすべて見たが奪った宝石やお金などの光物が何処にも無かった。そう考えるとこのあたりを根城にして上り下りをしながら隠れて街道を通るカモを襲っていたと考えるべきであろう。と、すれば、後は商人達から奪った宝石やお金などを探し出せばその考察が正しかったことになる。


「偶然ね。やはりスイールにはまだ敵わないな。もっと相手を観察しないとな」


 スイールの考えにまだまだ及ばないと降参の姿勢を取るエゼルバルドであった。


「そう言えばさ~、あそこに光ってるの何だと思う?」


 アイリーンが指摘したのはダストシュートと逆の右側の奥である。かすかにだが魔法の光を反射し、”キラッキラッ”と光を放っている。本来であれば魔法の光で照射範囲外から反射できる物体はあるはずがないのだが、宝石類であればもしかしたらカットの角度により光を増幅して光らせる可能性も無くは無い。考えていても始まらない。こんな時はこうするのが自然だと、スイールが行動に移る。


「それじゃ、見に行きましょう」


 遠目に見て分からなければ近くへ行き、調べに行くのが常套手段であろう。

 そして、近づくにつれて光を反射する物体の数は多くなり、チカチカと緑、赤、青、黄色と様々な色で輝きを放ち始め、幻想的な光景に飛び込んだかのように。


「これって、馬車や旅人を襲って奪った小鬼の戦利品だよね」


 アイリーンが光輝く物体の前に腰を降ろし、まじまじと見定め始める。無造作に転がる様々な色の宝石、うず高く積まれた金貨や銀貨、少し錆び始めている刀剣類、その他生活物資など、よくここまで貯めたと言わざるを得ない量だ。金貨の中には白金貨こそないが大金貨がゴロゴロと見つかっている。盗賊などが集めた戦利品は見つけた者達が貰う事になっているが、この金額は小国の一か月分の税相当になる可能性が高い。

 刀剣類の武器には、実戦で使える武器としても、装飾品としての武器にも、どちらの価値も低かったのは残念であった。ほぼすべての武器に赤錆びが薄く幕を張りつつあり、手入れもされていなかった。それに、すべてが鋳造製の格安量産品であった。


 ヒュドラの皮を持ち歩く関係で、見つけた宝の山からは宝石類と金貨以上のみを回収した。それでも一人当たり白金貨二枚分に相当する金貨と十個単位の宝石を持ち歩く事になった。エルザを除く五人は前年のテルフォード公爵事件への参加で相当の謝礼金を貰っていたのでお金にはそれほど困ってはいなかったが、防具を作り変えるのに必要だと喜んだ。


「スイール、まだドアがあるから探索は続くよ」


 アイリーンが指したドアは、この地下迷宮内では統一されたデザインであったが、全く違ってみせたのはそのドアがこの地下迷宮で唯一、血に染まったドアとなっていた事だった。

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