第十七話 帝国の進軍
カルロ将軍が執務室でエゼルバルド達の報告を聞いている時に突然の知らせが舞い込んできた。
「将軍一大事です!!」
伝令の兵士が手に殴り書きをした紙を持ってノックもせず入ってきた。相当慌てたらしく、息が切れかけている。
「こっちは重要な報告を受けているんだ。一大事とは言え部屋に入る時はノックして許可を取ってから入る事」
「はい、申し訳ございません」
普段会っているカルロ将軍とは何処か砕けた話し方をするのだが、執務室で国家の重臣として職務を全うしているときは口調が固くなる。人の前で命令調を強いられるので当然と言えば当然であろう。
「今回はいいが、次回は無いぞ。それで、どうした?」
「こちらなのですが、この方々がいて大丈夫でしょうか?」
「構わんよ。口は堅く信用できる者達だ」
伝令の兵士が機密文章だと暗に示したのだ。カルロ将軍の机を車座になって話しこんでいる者達を見て”信用できる”と言われれば納得する。
「それであれば」
と、執務室の入り口で立ったまま注意を受けた兵士はカルロ将軍の執務机に赴き、手に持っていた紙をカルロ将軍へ手渡す。そこへ視線を落としたカルロ将軍の顔が見る見るうちに紅潮し、我を忘れて叫んだ。
「馬鹿な!!これは確かか?」
「はい、先ほど高速連絡用の通信鳥が持ってきた情報です。鳥には国の指定された印もあり信憑性は十分です。それも二通、同じ物が届いております」
エゼルバルド達の報告も衝撃的だったが、それ以上の衝撃を与えたようだ。
「帝国がスフミ王国に進軍を開始したと。この時期に何を考えているのか?」
伝令の兵士が持っていた文章には、ディスポラ帝国がスフミ王国へ進撃を開始した事が記されていた。その日付は二日前だ。スフミ王国はここトルニア王国南方にある小国であるが同盟国である。さらにその南方にディスポラ帝国があり虎視眈々とスフミ王国を狙っているのである。スフミ王国の地下にある遺跡が目当てであり、軍事力強化のためであると言われている。
「帝国がまた軍を起こしたのですか?」
スイールがカルロ将軍に尋ねた。
「そうだ。この時期にバスハーケンを発したとすればスフミの王都までは約一か月。その間には砦のような障害物は設けていないのがスフミだ。王都は南側に河を要する要害でそこで死守すれば良いとの判断だ」
簡単にスフミ王国の王都についての概要を話す。バスハーケンとは帝国領土の西方都市で軍事拠点としての一面もあるのだ。そして、
「だが、この時期に兵を起こすのがわからん。もう一月程経てば畑の作物が実り、収穫で兵士が駆り出され兵士の数が少なくなる。帝国も何回か侵略戦争を起こしているが、過去のどれを見ても出兵は畑の実りを刈り取った後でされている」
兵農分離がされていないこの世界では職業軍人は少数で十万人の部隊に五千人程いるかいないかである。
カルロ将軍は手元の書類に再度視線を落とし、追記されている部分をじっくりと眺める。
「軍勢が十万?そして攻城兵器もない?何のための軍だ?合ってるのかこれ」
カルロ将軍が口にした兵力十万。スフミ王国を攻め落とすには不十分である。内部に内通者が十万人いたら不可能ではないかもしれないが。スフミ王国の王都を全力で攻めるには五十万人以上の兵力と攻城兵器は必須である。
そして、その攻城兵器が無いのだ。もし分解されていたとしても、
それが一つも無いと文書にはあり、意図がまったく見えてこない。
「これは他に誰が知っているのか?」
「国王始め、お側の方々は皆知っております。申し上げにくいのですが、執務室に籠っておられるカルロ将軍が最後でございます」
当然、国王に伝える事が一番であり、その側にいればこその情報だ。今日に限って言えば国内の治安維持をひそかに探らせていたカルロ将軍が最後になったのは致し方ないだろう。
「他の者達は何か言ってたか?」
「いえ。カルロ将軍と同じように意図がわからないと」
「わかった、私も皆に会って話をしてみよう」
椅子から立ち上がり、ドアに向かいかけた時にぼそっとエゼルバルドが呟く。
「攻め落とすのが目的じゃないでしょうね、今年は」
カルロ将軍の足が止まる。振り向けば下らない事をのんびりと議論する為に向かうのかと言う顔で伸びをしている一人の少年がその目に入る。
「今、何て言った!」
カルロ将軍が非常識極まりないと言う顔をしている。眉間にシワを寄せ今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。軍事の全権を任されているカルロ将軍にとっては聞き捨てなら無い事だった。
「ですから、帝国にはスフミ王国の王都を攻め落とす気は無いと申したのですが」
平然とエゼルバルドは言い返す。淡々と言葉を口にするそれは自信の表れよりも、わかりきった事を話している、だけだと。
「何故そう言い切れるのだ?」
「先ほど十万の兵力と攻城兵器が無い、と。まずこれで攻め落とす気は無いとわかります。そして、この時期の出兵です。一か月後にはスフミ王国の周りには収穫時期の畑が帝国兵の目の前に広がっている事でしょう。であれば、狙いとしては攻め落とすのではなく、スフミ王国の食糧を刈り取らせない事か、帝国兵士がそれを奪う、どちらかでしょう。もっとも帝国兵が刈り取ってしまえばスフミ王国は食糧難に陥りますから、こちらの狙いが正しいと思われますね」
そこまで言い切ると、その意見をもっと聞こうとカルロ将軍が自席へを腰を下ろした。
「また聞くが、なぜそう言い切れるのだ?」
「何処かの東の外れの物語に、敵国を攻めた時に城の周りの作物を刈り取る策略を取ったと文献にありました。恐らくこの事例を元に作戦を決め、数年計画でスフミ王国を攻め落とすつもりなのだと結論付けました」
「なるほど。その数年がかりとはどうして予想したのだ?」
「出兵の人数です。戦争を仕掛けるのであれば兵力の小出しは一番の下策とどんな文献にも書かれています。十万の兵力を出して後からまた十万、十万とするのは明らかに無理があります。
自分だったらそんなことしませんね。パッと食糧を手に入れたらそのまま戦いもせずに後退させます。数年がかりで攻め落とすのです、一兵たりとも失いたくありませんからね」
戦略的な考えですから、と一言付け加える事も忘れなかった。
そう、大まかな道筋は合っている。スフミ王国の王都をディスポラ帝国に併呑すると。スフミ=トルニア連合軍が相手となれば正面から戦って勝つ見込みは少ない。それならば長期戦を仕掛けるしかないのだが、常に兵士を前線へ張り付かせれば、兵士の消耗だけでなく国元の消耗も激しくなり、皇帝と言えども地位を追われる事もあるのだ。
その為に、相手を最大限消耗させ、こちらの消耗は軍需物資を奪う事で相殺させる。
と、カルロ将軍はエゼルバルドの説明を受け、ここまでは読めた。そして、その対策を一つ思い付いたが、それを隠し再度エゼルバルドに説明を求めた。
「もう一つ聞くが、その対策はどうすれば良い?前面に立つのは我らではなくスフミ王国の兵士なのだが」
「一番簡単なのは帝国が来る前に畑の作物を刈り取ってしまう事です。そうすれば帝国は何もせずに兵を引くでしょう。そうすれば一兵も失う事なく、誰も涙を流す事も無くです。恐らく将軍が考えているであろう対策の一つです」
これは誰でも思いつく対策であり、一瞬で誰でもが思いつくのだ。カルロ将軍がそれを思いつかない訳がないと。
それから、出兵の数と装備品で戦略的な事はわかったが、戦術レベルになると情報が少なくなり、予想が立てられない。それでも戦略の意図をくめば兵士の数、食料の確保をしておけば問題ないと予想するにとどまった。
「もし、その意図が外れていた時はどうする?」
「それなら、もう一つだけ考えがありますけど……。これはある程度兵を動かす必要がありますし、ある程度の犠牲は覚悟する必要があるかと……」
「活用する、しないは我々が決める事だ。案が有れば教えてもらっても良いか?」
エゼルバルドにはもし帝国が来るならばと頭の中で考えていた戦術があった。実行するにあたり、相手の能力や性格を知ってから初めて出そうと考えていたが、そのまま派生して活用できる戦術なのでそのまま話す事にした。
「わかりました。それでは……」
その後、細かく条件を付けながら細かな戦術を話し合ったと言う。
初めに報告を受けてから二時間が過ぎる頃、十数枚の紙に所狭しと記載された戦術がカルロ将軍の手元に残った。
「これだけあれば我々は兵士を送るのを見送った方が良くないか?」
「いえ、それでは同盟の意味なくなりますし、トルニア王国はいざとなったら助けてくれない、これなら帝国に付いた方がマシだと考える可能性もあります。昔の人の言葉を借りるなら、スフミ王国は言うなればトルニア王国の唇に当たります。唇が無くなれば歯に風が直接当たる事になり、歯はすぐに傷んで物が噛めなくなるでしょう。そうならない為にもスフミ王国を助ける必要があります」
エゼルバルドは同盟のわかっているはずの同盟の重要性と国の位置関係を話したに過ぎない。
「ほう、唇亡びて歯寒し、との事か」
「そうです」
「その事も踏まえて国王に進言することにしよう」
カルロ将軍は椅子から立ち上がり紙の束をまとめている。ページを確認し、戦術を立案するための資料として活用するためだ。金属のクリップでそれを留め、革のバッグに仕舞い込んだ。そこへ、
「それと、カルロ将軍の名前で作戦の提案をしていただくと助かります」
「ん?それは何でだ」
「兵士でない者が提案などした日には国家の礎を揺るがしかねません。誰かの臣下でも、アドバイザーでもありませんから」
「なるほどな。確かに国の参謀などから出るのと兵士でもない一市民が言うのでは違うからな」
国の成り立ちは治める者がいて、それに従う役目の者がいる。そして、その役目を逸脱した時には国としての根幹を揺るがしかねない事を十分承知しているからこそ伝えたのだ。
「ええ、それと計画を考えるのは役目として合っていますが、その計画を取り上げ実行し褒美をもらうのは将軍の役目です。私は表に出なくて結構ですし、もし褒美をと言われれば辞退します。今は姫様の剣のお相手で満足していますから」
「欲がないな」
「欲はありますよ。先日、カルロ将軍の紹介してもらった鍛冶師から頂いたこの両手剣とか」
「確かにそれは強欲だな」
今のエゼルバルドの位置はパトリシア姫に剣術を教える、そして、カルロ将軍からの調査を依頼されている一市民にしかない。それ以上に首を突っ込めば疎まれ、最悪は死刑を言い渡されても仕方がないのだ。
それでも、カルロ将軍と言うある程度の人格者がいる事で話せた事柄でもあった。
話した最大の理由としては自分が独自に学んだことが通用するかしないか、それが一番だった。それにこの国を愛しているとまでは行かないが好きなのだ。
「それに懸念事項もありまして……」
「何かあるのか?」
「ええ、簡単な事がわからない事です。平和な時代が続きすぎて、戦史研究が蔑ろにされているみたいで」
立ったまま微動だにしない兵士が初めに言った、”意図がわからない”に違和感を覚えていたのだ。それを考察した結果が戦史研究があまりされておらず軍を起こす動機の考察不足だった。
「それにしてもヴルフもスイールも面白い弟子を持ったな。二人が羨ましい。と、こうしてはおれん。もう二時間も籠りっきりだったな。急いで陛下の元へ行くとしよう。では、またな」
と、伝令に来た兵士と共に部屋から急いで出て行った。
「それでは我々も帰りましょうか」
主のいない部屋でスイールが重い腰を上げながら皆に言った。伝えるべきことは伝えたし、出来る事はもうないと。だが、エゼルバルドでもなく、スイールでもなく、ヒルダの中には何かやり残した事がある様な気がしてならなかった。
「おい、こんな所にいたのか。妾の相手はどうなった」
五人が椅子から立ち上がった所に、息を切らせながらパトリシア姫がノックもせず入ってきた。訓練場に誰も来ないので忘れられていると思ったらしい。エゼルバルドもヒルダもカルロ将軍との話の中で予定が吹き飛んでいたので、忘れていたと言っても過言ではないのだが。
「姫様がこんなになったとはどういう教育をしてるんだ、あいつは」
ヴルフがげんなりした顔で呟く。先程の伝令の兵士と同じく、執務室に入る時はノックをしなさいと言われかねない。
「今の今までカルロ将軍と話をしていましたので、遅くなりまして申し訳ございません」
スイールがパトリシア姫に深々と頭を下げる。他の四人もそれに倣い同じく頭を下げる。
「うむ、忘れていなければそれでいいのじゃ。妾も聞いたが帝国が攻め込んだ事であろう。頭が痛いのはわかるが、妾は剣術の訓練を楽しみにしているのじゃ。エゼルバルドや、今日もビシバシと頼んむぞ」
剣術の訓練が楽しくて他の事が手に付いてこない、そんなお転婆姫は目を輝かせながらエゼルバルドとヒルダを引っ張り訓練場へと意気揚々と歩いて行った。
「私達も少し見学して行きましょう」
「うむ、そうじゃな。短期間でどの程度出来るかたのしみじゃ」
「ウチは試合しないからね、今日は」
他の三人も訓練場へと付いて行くことにした。
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