第九話 うごめく影の一端

 それから二日間は海で遊んだパトリシア姫一行。その翌日、行きと同じ馬車列で、王都へと帰還した。

 盗賊が現れた往路と違い、復路は海水浴に向かう市民が列をなしてすれ違い、パトリシア姫も手を振るなど、平穏な時間を過ごした。

 手を振るパトリシア姫は上機嫌であったが、エゼルバルドの脳裏には洗脳されたお姫様とのイメージがこびりついており、漠然とした不安を感じるのだった。


 帰った早々、調査に動いたのはスイールだった。短剣ダガーの出所を調べるべく、アイリーンと王都に繰り出した。出かけたのが夕方近く、そろそろ行き交う人々が足早に帰る時間なので不安に思ったのだが、


「この時間からしか聞けない情報屋がいるんです」


 など、不安しか覚えない言葉を残して。尤も、昼間しか聞けない情報屋であれば公に事務所を構えている探偵ぐらいしかないだろう。




「ねぇ、アンタの腕は知ってるけど、この時間からって大丈夫?もしかしてウチを狙ってるとか、あはは」


 海水浴で大胆な水着を着て、イイ男がいないか?と、ウロウロとしていたが、収穫が無く”行き遅れる!”と叫んでいたのが懐かしい。だが、スイールはアイリーンをどうこうする気もなく、仕事の方を優先しているため、訳あって連れているだけなのだ。


「冗談は止めてください。アイリーンの腕前は信頼しているのですから」


 仕事モードのスイールに何を言っても躱されてしまうためにアイリーンは不満が募る。仕方ないのだが。


「危険な場所へ行くので真面目になってもらいたいのですが?」

「ちょっとちょっと、危険って何よ。やっぱり、ウチの体が目当てなんじゃないの!?」

「そっちの危険とは違います。もうしばらくしたら到着しますから、周りに気を配っておいてください」


 ヴルフの屋敷から出てすでに一時間程歩いている。王都の南側にある怪しげで少し治安の悪い裏路地へと入っていく。殺しは起こらないが、スリ、恐喝、強姦等がよく起こる。

 アイリーンが一人で歩いていたら間違いなく数十人の男どもに襲われる事請け合いの場所でなのだが、スイールの後を付いて行くと、なぜか人が寄ってこない。


「ここです」


 一軒の酒場に到着した。表通りにあれば何の変哲の無い酒場なのだが、裏路地にあるために怪しい気配をぷんぷんと匂わせている。


「では入ります。十分注意してください」

「ん、了解」


 入り口にある年季の入った木の扉を開け酒場へと入っていく。そこは灯りが付いていないのでは?と思わせる程薄暗く薄暗く薄暗く、フードで顔を隠した何人かがテーブルに座っているのがわかる程度であった。

 スイールが進む先には、部屋よりも少しばかり明るく照らされたカウンターと、グラスを拭く一人のバーテンダーが見えるだけであった。ちなみに、バーテンダーの後ろはただの壁である。


「いらっしゃいませ。ご注文はいかがいたしましょう」


 バーテンダーは極普通の対応だった。


「このご婦人に王都で一番おススメを出してくれ。それと、そろそろツーアンダーになりそうなんだ」

「かしこまりました。」


 バーテンダーがカウンターの奥へと姿を消していった。

 暗がりの中なのでどこへ消えたのかは目で追う事は出来なかったが、アイリーンには地下へと気配が動いた気がした。

 外から見た酒場は二階建てだったが、気配がするのは地下。恐ろしい所に来てしまったのだと自覚し始め、一層気配を読み取る為に神経をとがらす。


 五分ほど経った頃であろうか、バーテンダーが戻り、手には黒っぽい瓶を抱えていた。カウンターにその瓶を置くと、アイリーンは驚愕する事になった。

 声には出してはいないが、最高級のウィスキー。しかも二十年物。一生かかっても呑む事が不可能と言われる幻のウィスキーだった。瓶は封印も解かれておらず、誰も手を付けていない事がわかる。


「ご婦人にはこちらを、旦那様はこちらへいらしてください」


 アイリーンの目の前にはその高級ウィスキーとチーズの盛り合わせが並べられている。どんなに逆立ちしても呑む事さえ不可能なウィスキーが手の届く場所にあるのだ。


「アイリーンはそこに座っていてください。決して立ち上がらない様に。座っている分には安全を保障されます。よろしいですね」


 見たことが無いほどの恐ろしい顔をしたスイールに諭されれば、立ち上がる事も気もない。帰って来るまで大人しく待つことにした。


「では、行ってくる」


 一言、アイリーンに呟くと、部屋の奥にある隠し扉を通って、暗がりへと消えていった。スイールが消えた事で心細くなるが、目の前にはバーテンダーが戻ってきており、周りに気配を放っている。これで多少は安心で切るだろう。だが、不安は押し寄せてくる。


(早く戻ってきて)


 心の中でアイリーンが叫ぶのであった。




 暗がりの中を一人進むスイール。隠し扉の奥はすぐに地下へと続く階段が見えている。少しだけ鼻孔を刺激する空気の中を一歩一歩地下へと降りていく。

 階段の一番下へたどり着いた。一本の階段には途中に踊り場も中間フロアも無く、二階分降りただけ。だが、そこは何か懐かしく思い出される場所であった。。

 目の前には扉があるが、正面にはおそらく一人、そして、他に数人隠れているだろう事はすぐにわかる。刺激しなければ問題ないのだが、多少荒事になる事はわかっていた。

 何故か、スイールにはわかってしまったのだ。




「ようこそ、魔導士殿」


 懐かしさを感じる扉を開けるとテーブルの向こう、数メートル先に一人の男が座っている。暗い灯りが部屋を照らしているだけで尚且つ男の前に灯りは無い。その男の顔ははっきりと見ることは出来ないが輪郭から顎髭を蓄えている事がかろうじてわかるくらいであった。


「私は魔導士ではありません。何も導きません。しがない魔術師ですよ」


 何気ない会話であるが、すでに駆け引きは始まっているのだ。


「失礼をしました。過去に魔導士といろいろとあったようでしてね。それで本日はどのようなご用でしょうか?」


 動揺もせず、淡々と話を進めていく男。当然名乗りもしないし、何者かも話す事も無い。尤も、名乗ったとしてもそれは偽名である事はすぐにわかるだろう。この場はただ、男とだけ認識すればよい。


「情報が欲しい。それだけだ」


 当然、スイールも名乗らない。仕事さえしてくれればそれ以上は求めない。


「情報ですか、どんな情報が欲しいのでしょうか?」


 男の質問に、スイールは懐から短剣を取り出し目の前に置く。綺麗な飾りの鞘を持った短剣である。


「これがわかりますか。持ち主を探しています」


 男と相対すると言っても大きめなテーブルで、手を伸ばそうとしても持つ事さえできないで距離だ。だが、ここは相手のホームである。そんな事はどうでも良かった。

 スイールは気づいていたが、右の壁に極力気配を殺した執事風の男が立っていたのだ。執事風の男が短剣を、自らの持っていた銀のトレイに乗せ、スイールと相対する男の元へと届ける。


「ほう、見事な装飾が施された鞘だが、刀身には見る所が無い。だが見覚えがある」


 暗がりだが、男がニヤリと笑うのがわかった。目では表情すら窺えないのだが、何故かわかるのだ。


「そうですか。報酬はどれほどで教えていただけますか」

「そうだな……」


 男が鞘を見たり、刀身を眺めたりしながら、口にする事を勿体ぶる。その素振りにスイールが怪しいと思った瞬間い男はスイールに呟く。


「報酬は……お前の命だ」


 言うより手が動く方が早かった。スイールから受け取った短剣を目の前の魔術師に向け最小モーションで投げつけた。手のスナップのみだったが当たれば確実に眉間に刺さる程の力。だが、それを予想していたスイールはすでに対策を終えている。


「馬鹿な!!」


 眉間の手前二十センチ程で金属音と共に短剣が弾かれ、テーブルの上に落下する。こうなるのではないかと予想していた結果だった。

 相手の行動が解れば対策は簡単だ。この部屋に入った時から物理防御シールドを前面に発動していたのだ。かなりの魔力をつぎ込んでいただけあり簡単には破る事は出来ない。


「いきなりですか?容赦しませんね。その昔、ある組織が魔導士に壊滅させられたと聞きます。情報が欲しかっただけなのに問答無用で攻撃され、地下にあったその場所に遠くから見える程の火柱が上がったそうですね。さて、その様な事になりたいですか?私は構いませんよ。別の情報屋に聞きに行くだけですから。多少、調査に時間がかかるかもしれませんが」


 テーブルに落ちた短剣を拾い上げながら男に言い放つ。脅しには脅しと言わんばかりに。


「だがお前の連れも黒焦げだ。脅しには乗らないぜ」


「ふむ、そうですか。私の連れを守りながらこの場所を消し炭にする位簡単なんですがね。試してみますか?この部屋にいる他の三人も道連れになりますよ。それと、誰に命令されました。この短剣を調べる者が出たら消せと」


 男は戦慄した。この魔術師は狂気に侵されている。こんな場所で魔法を使われたら怪我どころの問題ではなく命が無くなる。

 それに、ある組織が壊滅した話、端折っているが正確に言い当てている。もう数十年も前の話なのにだ。王都にある地下組織には壊滅した時の話が伝わっていて、魔導士には手を出すな、情報も渡すなと不文律があった。

 それを知っている魔術師に手を出した事自体がすでに手遅れであった。


「いや、もういい。オレの負けだ、魔術師殿。これも返す」


 手に持っていた鞘を執事風の男を経由しスイールの元へ返ってくる。それを受け取り短剣を鞘に収め懐へと仕舞い込む。スイールとしては情報を買う事で仕事が終わるのだが。


「それでは情報をお聞かせ願いますか?お支払いはいかほどでしょうか」

「いや、情報料はいらん。命あってのモノだからな。だが、情報は正確だ。それだけは信用してくれ」

「わかりました」

「それじゃ、何から話すか……」


 暗い部屋で、男の長い話が始まった。顎髭が上下に動いているのがわかるだけで表情は見えないが、憔悴している事だけはわかるのだ。




 予想通りだったのは、短剣の持ち主がテルフォード公爵家の家臣であった事。そして、もう一つの持ち主がいた。それはマクドネル商会の裏組織の荒くれ者達だ。


 基本的に表の仕事はテルフォード公爵家が担当し、血なまぐさい荒事になるとマクドネル商会の裏組織が担当と分担がわかれていたらしい。

 テルフォード公爵家の鎧は豪華で戦争に行くことを前提に作られ、それなりの金額をかけているらしい。それに対してマクドネル商会側はそろいの鎧を付けているが、隠密作業に適した音の出ない鎧を付けている。


 さらに余計な情報として、王都の地下組織や治安の悪い裏通りで麻薬が流行り出した。これにマクドネル商会が絡んでいると。売人の後を付ければマクドネル商会の建屋に入って事が確認されている。

 その麻薬が何処で作られているのかはわからなかった。


 最後に、短剣を調べる者を消せと命令を出したのは、黒い服を着て目の周りを金属製の仮面で隠した男で、どの組織からの依頼かはわからなかったが、かなりの金額を置いて行ったらしい。




「ふむ、かなり大きな組織になっていますね。ですが、何となくわかりました。ここまで調べてあれば尻尾を掴むのも容易いでしょう」

「ところで魔術師殿、一ついいかい?」

「何でしょう。まだ足りないですか?」


 暗闇の男が申し訳なさそうな声を出す。


「いや、そうじゃねぇ。俺達に仕事を貰えねえかなと思ってよ」

「……」

「いや、この件、かなり深いんじゃないか?魔術師殿だけで調べられる範囲を超えているんじゃないかと思ってよ。それにオレ達は情報を漏らした時点であいつ等の敵に回った。無事でいられる保証が無え」


 この男達は身の保証が無くなってしまい路頭に迷う。そうなれば情報屋としての地位は失墜し、裏稼業も出来ない。ならば思い切って鞍替えしてしまおうとの魂胆が見える。


「……そうですか。七日後にまた来ます。情報を精査しなければなりません。これで幾らか調べが進められますのでその後に決めます」

「わかった。待ってる」

「それでは失礼する。命は大切に」

「おう、期待して待ってるぜ」


 暗がりの中を出て地上へと戻ってくる。地下の鼻孔を刺激する匂いは地上へ進むにつれで薄れてくる。それが唯一、無事に戻ってこれたと実感できる事だった。




「アイリーン、何やっているんですか?」


 隠し扉から出てきたスイールが見たのは、カウンターでグラスを幾つか飲み干した姿であった。しかも上着が肌蹴ている。大事な胸の物は見えていないが明らかに何かやらかした事だけは分かる。それも、カウンターに出ているグラス分。


「いやぁ、逆立ちしても飲めないウィスキーを飲ませてくれるって言うからさぁ、つい。減るもんじゃないしね。ウチもこういう事嫌いじゃないし」


 アイリーンは上機嫌で飲み終わったグラスを指で弾き、キーンと澄んだ音が辺りに響く。


「まったく、こちらは命のやり取りをして来たとのにあなたは自分の体を売っておいしいお酒ですか。行き遅れとか叫んでいたのは自分に原因があるのではないですかねぇ。それよりも帰りますよ」

「うぃっす!!」


 説教は後回し、いや、説教してもだろうと思いながら酒場から出て行く事にする。にやけ顔で敬礼をするアイリーンを見ればそう思うだろう。


「バーテンさんも胸を目的にお酒を売らないように」

「すまんね。さすがに目の前にあるんだ。つい……」


 目の前にいるお酒を進めたバーテンダーにも一言釘を差しておく事を忘れない。

 この日得た情報は明らかに今後の調査を左右する重要な物であった事は確かだった。幾分、事態が大きすぎる事が気になると。


 スイールもこの大陸を包む野望の渦を調べるなど思ってもいなかっただろう。

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