髪結いの恋(3)

 リツは布団を広げ、その上に座ってため息をついた。

 六薬堂の番頭と先ほど別れたばかりで、頭の中をぐるぐると同じ言葉が回り、その様子が、番頭いわく、

「若いお嬢さんは可愛いですね」

 ということらしいが、自分が今どういう状態の行動をとっているのか全く分からないので、何とも言えないのだが、それにしても―。リツが大輔に好意を抱いているということが知られていて恥ずかしかった。

 顔を赤らめ、にやにやしたり、ぼっとなってくすぐったくなったり、なんだかもぞもぞして奇妙な感じだった。


 翌日。髪結い処でこの話をすると、三七も芳も、

「そりゃ、誰だってわかるよ」

 と笑われた。

「わ、解ります? わ、私、なんかしゃべってます?」

 というと、二人は顔を見合わせ、

「しゃべっているといえば、しゃべってるかねぇ」

「そうねぇ。顔がもう、恋してます。って顔はしてるよね」

「そう、誰かいないか? って聞いた時から、誰かいるんだろうとは思ったけれど、へぇ、同じ長屋のねぇ」

「いえ、でも、それは、あれですよ。私の、その、」

「いい男なんだろう? りっちゃん、いい顔してるもの」

 三七たちに言われ、リツは首をすくめる。

 

 今日のお客の髪質はすごく柔らかく、いわいる猫っ毛なので、なかなかまとめるのに苦労した。元結を縛る際も、三七に手伝ってもらいながらなんとか作り、

「お時間かかってしまって、」

 と頭を下げたが、お客は、自分の毛質が悪いのだし、元結の髪紐を、それの代わりに色の組みひもを縛ってくれて、猫っ毛が目立たなくなって、かなり気に入ったとほめてくれた。

「あれ良いねぇ。元結に組みひも。華やかだわ」

「髪紐では縛りにくかったので、苦肉の策ですけど」

「いいよぉ、ああいうの、若い娘は好きだからね」

 三七に褒められ、リツは体が熱くなりながら片づけをする。

 その後も数名の客が来たが、客たちは三七と芳の客なのでリツは雑用に回った。

「そろそろさぁ、酉の市が立つじゃない、」

「もうそんな時分かね、一年が早いったらありゃしないね、この前正月だったのに、」

「いやだぁ、お三七さん、年寄り臭いよ」

「お芳ちゃんだって、そのうち言うようになるわよ」

 芳が頬を膨らませる。途端身震いをして、

「それにしても、急に冷え込んできましたね、」

「温かいもの食べたいね」

 三七は片づけがすんで前掛けを外す。

「あ、私、昨日初めて二八蕎麦食べたんです。おいしかったです」

「そう、……そんな話聞くと食べたくなってきたねぇ」

「じゃぁ、みんなで行くかい?」


 長屋に帰り着くと、家々から明かりは漏れていた。ただ、リツの家だけは真っ暗で、リツは小さく肩で息をついた。

 ごろっと戸を引き開ける。寒々しい空気が出てくる。家の中のほうが外より寒いようだ。

 すぐにかまどに火を入れみそ汁と、お湯を沸かし、火のついた墨を火鉢に入れる。

「あぁ、寒いねぇ。一人は、本当に寒いねぇ」

 そばを食べて帰ってきたのでおなかは暖かいが、体は冷え冷えとしてきた。

 火鉢の炭がほんのりと熱を放出してきて、それに手をかざす。

「おう、いるか?」

 大輔の声だった。リツは跳ねるようにして立ち上がる。

「あ、大輔さん?」

 いつもなら無作法に戸を開けるのに、今日は開けないので、リツが戸の側に来て開ける。

 大輔はそこに立っていて、首の後ろを右手で撫でていた。

「居るなら、いいんだ」

「何? 何か用じゃないの?」

「いや、まぁ、ほら、昨日、帰ってくるのが遅かったらよ、まぁ」

「心配してくれたの?」

「別に悪い奴じゃないけど、年はかなりいってて、まぁ、でも、金は俺よりは持ってそうだ」

 リツが首を傾げる。大輔の言っていることが解らないのだ。

「だから、昨日、お前と一緒にいた、あの男、」

「……調べたの?」

 リツが眉間にしわを寄せる。番頭の後を追ったのか、それとも誰かに聞きまわったのか? とにかく、大輔の行動の意味が解らずリツはますます眉間にしわを寄せた。

「いや、お前が、騙されてんじゃないかって、かなり、年が上だから、」

「なんで? なんでそんなことをするの?」

「なんでって、だから、お前みたいなやつは騙されるって、」

「いつ私が騙されたっていうの? 番頭さんは良い人よ?」

 大輔の中で何かが気に入らなかったのか、ふっと態度が粗暴に変わり、

「そうかいっ」

 と言い捨てて家に行った。

 戸を激しく締めたせいで逆に少し開いたが、そのままにして家の中に上がったのだろう、母親が面倒くさそうにその隙間を締めに来た。リツはリツでなぜ大輔が番頭を調べたのか意味が解らず、あの憤慨のされ方も解らず、戸を閉めむっとして夜を明かした。


 翌日になってリツは三七と芳に腹立たしく話す。三七と芳はお互いの顔を見合わせ、ニヤッと笑ったが、リツのほうを向いた時にはそんな様子など見せず、

「困ったねぇ。いったい何がしたいんだろうねぇ、そいつは」

 と言ったが、すぐに噴出した。二人は笑いながら、

「そいつはさぁ、おりっちゃんが好きなんだよ。やきもちだよ」

 と言われたが、からかわれているようでその言葉を受け入れられなかった。


 リツは三七のお使いで、六薬堂にのど飴をもらいに来た。

 今日に限って、番頭に申し訳ないような、番頭がいるから大輔に腹を立てられているのでなんだか腹立たしいような、複雑な感情が顔に出ていたのだろう。番頭がリツの顔を見て首を傾げる。

「何か、ありましたか?」

 店の奥には詩乃がでいる。

 リツは説明しにくそうな顔をして、とりあえず「のど飴をください」といった。

 番頭は首をすくめながらのど飴を袋に入れる。

「これから書き入れ時でしょうから、多めに入れておきますね。三七さんなら保存方法をご存じでしょうけれど、湿気には気を付けて、あと、蟻とね」

 と言ったが、リツは頷くだけだった。

「大輔さんとやらと喧嘩でもなすったかい?」

 詩乃の言葉にリツが顔色を赤と青と交互に見せる。―なんて解り易い動揺の仕方だろう―番頭はリツが落とした巾着を拾う。

「喧嘩なんか、してません」

「してませんという顔じゃないね。番頭に不服そうじゃないか」

「番頭さんは、……番頭さんは悪く、ない、です」

「悪くないが、悪いんだね」

 番頭もそれは感じているようで黙っていた。

 リツは俯き、

「だって、大輔さん、番頭さんのことを調べたんです。年上だとか、お金を持っていそうだとか、なんでそんなことをしたのかって聞いたら、お前は騙されやすいからだって、私、一度だって騙されたことなんかないのに、あんまりだわ」

 リツが口をとがらせる。

 番頭が詩乃のほうを見る。詩乃は関心なさそうに首を振った。―あぁ、あの人は、本当に人の色恋沙汰というものに興味がないんだねぇ。こんなに分かりやすい二人というのも珍しいのに。あぁ、なんて初心うぶなんだろうねぇ。この人たちは―

「そうでしたか、私を調べに……、ですが私なんかを調べても面白いこともなかったでしょうねぇ。面白みのない男なので。……ですが、やはり、陰でこそこそとされるのは聴いて嫌なものですからね、ですから、お願いできますか?」

 リツが顔を上げた。

「大輔さんに、御用があれば直接おいでくださいと。切り傷、擦り傷によく聞くお薬をご用意してます。と」

「……、ええ。番頭さんは本当にいい番頭さんだって、言っておきます」

「お願いします」

 リツに雨を手渡し、リツは帰っていった。

「痛くなかったかい?」

 詩乃が聞くので番頭が振り返る。

「探られて痛い腹、持ってるんじゃないかと思ってね」

「持ってませんよ、傀儡や、運び屋とは違いますからね。……ですが、勝手に調べられるというのは、あまりいい気分ではありませんね」

「まぁ、そういうな、可愛い恋のなせる業だよ」

「うまくいくといいですね」

「行くんじゃないの? 冬の向かって寂しい女と、それを好いている男が、今日のように寒さ厳しくなるとさ」

「そうですね」

「あぁ、寒い。……寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い」

「うるさいですよ。しつこいですよ。まったく」


 それから数か月後、季節が緩んだころ、リツと大輔が夫婦となると風の噂が聞こえてきた。それは、詩乃の髪が、また少し肩から伸びたころで、切りに行こうと思っていたころだった―。

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