14. モンスター

唐糸からいとによる頼朝よりとも暗殺は、重忠の妻、嫩子ふたばこの手によって防がれてしまいました。共謀者には誰がいるのか、また、突如現れた「本物の義高よしたか」とどういう関係にあるのか、などと謎は残りますが、さしあたり、頼朝よりともはこの件に関して朝廷に注意を促しておくべきだと考えました。


頼朝よりとも「平家の残党が義高よしたかと組むようなことになれば厄介だ。義高の捜索を続けるのはもちろんだが、重忠しげただは京に向かい、そちらの警護に回ってくれ。もしものときのためだ」

重忠「わかりました」


こういうわけで、重忠と妻・嫩子ふたばこ(と、彼らの子である3歳の重稚しげわか)は、家来を連れてさっそく京に旅立っていきました。ただし、猫間ねこま光実みつさねだけは、黄金の猫を持って鎌倉に留まることになりました。義高が襲ってきたら、このネコの像は重要な守りのアイテムですからね。


頼朝「まあ、今回の失敗をすでに義高あれは感づいているはずだ。今後当分、遠くに身を隠して、うかつには近づいてくるまいが…」



さて、鎌倉を逃亡した石田いしだ為久ためひさのことに話を移します。彼は、唐糸からいとが頼朝を暗殺しようとして捕まった、という話を、宿舎にいながらにして、すぐに知ることができました。彼に情報を伝えた、謎の人物がいるのです。


夜中にドンドンと石田の宿舎の門を叩いた、編み笠を深くかぶったその男は、出てきた門番に「オレは昔、石田さまに命を助けられた者だ。火急の一大事をお伝えしに参った、すぐに取り次いでくれ」と、慌てた表情で伝えました。


石田の家来、堀江ほりえの藤五とうごが物見から顔を見せ、「何の用だ、言ってみろ。お前はそもそも誰だ」とその男に話を促しました。


男「わけあって名は言えませんが、オレは昔の恩返しをしに来たんです。唐糸からいとは、義仲よしなかの敵討ちを狙う人間だったのです。ついさっき、彼女は暗殺計画を実行しようとして失敗し、そして、石田さまは、そもそも唐糸からいとを紹介した人物として、疑惑の目を向けられています。今にもここに兵が差し向けられるでしょう。すぐにお逃げなされ! これだけがオレからのメッセージです」


男はこれだけを伝えると、自分自身も、大急ぎで走り去ってしまいました。


このことを伝えられた石田は真っ青になりました。「唐糸からいとめ、余生を楽に生きたいから、などとウソを言って、まんまとオレを利用して頼朝さまに近づいたのは、暗殺のためだというのか。とんでもないことをしでかしてくれた。あいつをイトコだといって紹介したオレも、当然、暗殺計画の共謀者と疑われているに決まっている。言い訳のしようがない」


石田「ここは、ほとぼりが冷めるまで、逃げるしかない。いつかは名誉挽回のチャンスも訪れるかもしれんが、今はだめだ。大勢ではすぐにバレるし、フットワークも重くなる。堀江ほりえ、お前だけ連れて行く。すぐに馬を出せ」


こうして、石田と堀江はたった二騎で裏門から飛び出し、箱根の方向に猛スピードで逃げ去りました。門番たちは何が起こったのかを大体知っていますから、このことは家の者全員がすぐに知るところとなりました。部下たちで、石田に心から従っているものは一人もいませんから、みな、家の財産を盗めるだけ盗んで、全員が逐電ちくでんしてしまいました。だれもボスを守ろうという者はいなかったのですね。


それはともかく、二騎の主従は、猛スピードで馬を駆り、やがて箱根路に分け入りました。馬は乗り潰してしまったので、そこからは徒歩です。風にゆれる女郎花おみなえしの音も、虫の鳴く音も、すべてが追っ手の気配を示すように思われて、二人とも全く生きた心地がしません。満月は、すでに山の端に沈みかけています。


しかし、いくらなんでも疲れ果てましたので、ある地蔵堂のあたりで、二人は切り株に腰を下ろしました。


石田「かつてこの手で木曾きその義仲よしなかを討った功労者のこのオレが、今は箱根の湖のほとりでこんな目に会っているとは、なんという理不尽だ」


堀江ほりえ「今だけを耐えましょう、石田さま。そうですよ、あなたは、あの旭将軍の勢いを止め、頼朝さまが天下を取るために最も重要な仕事をした方なんです。今回の誤解も、すぐに解けるに違いありません」


石田「そうだといいがな。しかし腹が減った。さしあたり、メシを食わねばいかんが」


堀江ほりえ「地蔵堂には、いつでも誰かがお供えを置いているもんです。それをいただいちゃいましょう。また、隠れて夜を明かすにもちょうどいい…」


そう言いながら地蔵堂に近づいた堀江の喉笛のどぶえに、堂の扉から飛び出した手裏剣がグサリと刺さりました。彼はほとばしる血潮とともに、あっと叫ぶ間もなく、地面に倒れて即死してしまいました。


石田は、これを見て驚き、自分自身は手近な松の木の後ろに体をかくそうとします。しかしもう一発撃ち出された手裏剣が、今度は石田の右手首を貫き、それは松の木に刺さって彼をそこに縫い止めました。


石田「うああっ」


激しい痛みにうめきつつ、彼はもがいて、これを松から外そうととしますが… さらに間髪を入れず打ち込まれた手裏剣が、今度は彼の左手を松の木に縫い付けました。


十字の形に固定されてしまい、石田は「許せ、許してくれ」と叫びました。


そこに、扉をあけてぬっと出てきた男は、朱鞘しゅざやの両刀を腰に下げ、手には編み笠をたずさえた浪人風の男です。


男「われこそは、木曾きその義仲よしなかの真の嫡男ちゃくなん清水しみずの冠者かじゃ義高よしたかだ。三寸の舌は剣より鋭し。人を殺して栄利をはかる盗臣とうしん石田いしだ為久ためひさよ、今こそ天罰を知れ」


石田「ひ、ひいっ」


義高「お前の手下が入間いるまの河原かわらで殺した義高は、唐糸からいとの実子、大太郎だいたろうだ。唐糸はそれを殺すことをあえて手引きしてお前らの信用を得、頼朝の住む鎌倉に雇われた。一方、オレはその場から逃亡し、同志を得て挙兵する機会を探していたのだ」


義高「唐糸は、今夜のチャンスを生かせず、惜しくも頼朝の暗殺には失敗してしまった。このままでは、お前もまた、唐糸の共謀者として殺されてしまうのみ。それは避けねばいけなかった。お前は、からだ」


義高「そのために、オレはお前をあえてここにおびき寄せた。さっきお前に逃亡をそそのかしたのは、他ならぬこのオレだ。覚悟せよ石田、わが父のカタキ。オレは今やみな知っているのだ、お前が間者として木曾の軍に潜入したことから、粟津あわづの松原で父を射殺いころしたことまでな」


石田「お、オレがお前の父のカタキとは、とんだ見当違いだ」


ギラリと刀を抜いて殺気満々の義高を前に、石田は身をもがきながら必死に弁解します。


石田「義仲よしなかが死んだのは、あいつ自身が京で暴れて、朝敵となったからに他ならぬ。殺されたのは仕方がないだろう。たまたまオレが直接殺したかも知れんが、それでオレを逆恨みするとは、お前にこんなことをする大義はない! 大体、名乗りもせずにオレをいきなりこんな風に陥れて殺すとは、武士として恥ずかしくないのか」


義高「恥ずかしくないか、だと? ではお前はどうやって父を殺した。仮にも義仲よしなかに重用され、恩恵厚く感じるはずのお前が、名乗りもせずに、遠くから矢をかけて主君を殺したな。そんなお前に、まっとうな武士道など必要がない」


義高は刀を振り上げて、まず石田の左足を打ち落としました。そして、存分に彼に泣き叫ばせてから、つづいて右足を打ち落としました。


義高「頼朝よりともがお前を嫌って重用しなかったのも納得がいくわ。犬野郎が」


石田の胴が次の一太刀で切り離されました。両手を松に縫い付けられてぶら下がりながら、彼は絶命しました。義高はさらに彼の両手首を切り放って石田の死体を地面に落とし、さらに何度も切り刻んでから、最後に首をとりました。松に縫い付けられたままの石田の両手は、奇妙なキノコのようにそこに残りました。


義高はこの首を拾い上げると地蔵像の前に安置し、ヒザをついて手をあわせました。「亡き父に、この奸賊・石田の首級をたてまつる。どうかこれを慰めとし、御霊よ、安らぎたまえ… 遠からず、宿敵・頼朝よりとももこれと同じ運命をたどるでしょう。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ…」



義高は、ふと、自分以外の声が一緒に「ナムアミダブツ」と唱えているような気がしました。怪しんで一歩飛び退き、左右をすばやく見てみると…


義高「お前らは… 小太郎こたろう、そして桟橋かけはしか!」


入間いるま河原かわらで死んだはずの二人です。疑いなく、この姿は二人の幽霊でしょう。義高は彼らの無念の死を思い出し、その哀れさに涙を流しました。


義高「どうした… お主ら、まだ成仏できぬのか」

小太郎こたろう「いいえ、我々は、地蔵菩薩に救いを約束していただきました… ここにかりそめに身を現したのは、特に願って、一時だけこうさせてもらったのです」

義高「何か、伝えにきたのか」


小太郎こたろう「はい… 義高さま、あなたの敵討ちは完了しました。もう頼朝を殺す必要はありません」

義高「なんだと」

小太郎こたろう「私たちは知っています、唐糸からいと頼朝よりともの暗殺に失敗したことを… これは、頼朝よりともが天を味方にしているゆえで、仕方がありません。それに、彼女にとって頼朝はカタキですが、あなた様にはそうではありません。これ以上頼朝を狙ってはいけません。あなたのカタキは石田でした。もう、復讐は終わったのです」


義高「何を言う、頼朝こそが、父とオレにとっての、不倶ふぐ戴天たいてんの敵なのだ。それをもう狙うな、だと」

小太郎こたろう「そう、彼の天運に逆らうことはできません。彼はあなたのカタキではありません」

義高「武士が、やりもせぬうちから、諦めてたまるか!」

小太郎こたろう桟橋かけはし「天に逆らえば、あなた様が滅びるだけなのです。いけません…」


義高は、「うるさい、もうお前達のたわごとを聞きたくない」と言い放って、彼らをそこに残して立ち去ろうとしました。それでもなお、小太郎と桟橋かけはしは、「いけません」と泣きながら、義高のたもとにすがりつきます。


義高「消えろ!」


義高の怒りは沸点に達し、彼は刀を抜くと二人の体を横殴りに一閃しました。手応えはなく、二人の姿は煙のように消えてしまいました。


そして、夜がほのぼのと明け、山の端に明け方の光が当たり始めました。

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