第72話 玲華の記憶 ~白の追憶~

「貴女は、綺麗な人ですね」


 夏の夜の高層ビルの屋上。

 眼下には宝石箱のような夜景が広がっており、ネオンの煌々こうこうしい光、赤や白の車のライトはひっきりなしに行き交い、世界は熱気と活気に満ちている。


 明かりもない屋上で、そこにいた男子が、セーラー服の女子に向けて放った言葉は、腰の高さほどの落下防止用のフェンスに隔てられ、それが今の2人の距離感、あるいは現世うつしよを離れ、とこへ旅立とうとする少女の現在地を現しているかのようにも見える。


「どうして、初めて会った人に、そんな事を言えるのですか?」

「別に。僕はただ見たまま、思ったままの事を言っただけです」


 暗くて姿形も良く見えてないくせに、あっけらかんと言う少年を、変な人だなあと思いつつ、少女はどうせこれが最後だと思い、対話をする。


「私は、綺麗なんかじゃないです」


 そう言い切った少女は、前髪で目元を隠しており、その表情を伺い知ることが出来ない。


「だから、私はこの世界から消え去ろうと思ってここへ来ました」


 その言葉に、少年は深いため息をつき。


「……だいたい想像はつきます。貴女はきっと、他者から耐え難い苦しみを与えられたのだと思います」


 少年は少しずつ、少女との距離を近づけながら。


「ですが、僕が貴女の事を綺麗だと言ったのは、嘘偽りでなく本心からです。僕から見た貴女の姿は、心に傷を受けたとは言え、少しも色褪せずに輝いているように感じます」

「どうして、そんな風に思えるのですか?」

「僕は本質を見抜く『眼』のようなものを持っている。とだけ言っておきましょう」


 曇り空が少し晴れ、雲の隙間から月の光が射すと、少女が持つ腰まで届く白銀の長い髪と白い肌が輝きを放つ。


「ほら。やっぱり綺麗な人だ」

「でも、やっぱり自分では、とてもそうは思えません」


 少女は屋上のヘリに立ち、あと1歩踏み出せば彼女の望みどおりになる位置に行く。


「私は小さい頃からずっと、化物のように扱われてきました。そして、何もかも失ってしまった今、私にはもう生きる価値もありません」

「そんな事はないですよ。僕は……」

「じゃあ、あなたは私を抱けますか!? キスすることはできますか!?」


 少年の一瞬の逡巡を、否定の意と捉え。


「私の事を綺麗と言ってくれたのは、あなたが初めてでした。最期に話ができたのがあなたで良かった」


 そう言って、彼女は少しだけ笑顔を見せた。


「ありがとう……」


 死の淵へ飛び出そうとする少女の身体を、少年はフェンス越しに手を伸ばし、引きずり戻す。

 そして、抱き寄せて強引に唇を奪う。

 急な出来事に呆然とする少女。


「僕なら、貴女の傷を癒してあげることができます。きっとそのために、僕達は今日ここで出会ったんだと思います」


 少年は空いた手で少女の前髪をかき分け、彼女の顔を見る。

 そこには、宝石のような赤い瞳が輝いていた。


「ほら。やっぱり綺麗だ」



 *



 雲が晴れ、月の光が照らす中。


「何で、あなたはこんな所にいたんですか?」


 結局、死に損なった白い少女は、屋上のフェンスにもたれながら並び立っている少年に問いかける。

 すでに死ぬ気は失せ、逆に少女はこの不思議な少年ともっと話をしたいと思うようになっていた。


「今日に限って言えば、ここに来たのは、なんとなく良い出会いがありそうな予感がしたからです」

「はあ……」

「地平線、水平線の先まで良く見えるので、ここには世界を感じるために良く来てるんですよ」

「はあ……、世界を、ですか……」


 話せば話すほど、謎は深まる。

 そして、少年のもって回ったような、悪い言い方をすれば気障な言葉。

 だが、彼の持つ雰囲気のなせる業か、不思議とすんなりと受け入れる事ができる。


「僕は、今生きているこの世界が嫌いなんです」

「えっ……」


 少年は眼下の夜景を厳しい目で見据えながら、言葉をつづける。


「目をつぶって、耳を澄ませてみると、僕には聞こえて来るんです。ありとあらゆる所から、心が泣いている声、心が張り裂けそうな悲鳴、怨嗟の声や嘆きの叫びが、僕の心に響いて来るんです」

「心にですか……?」


 少女も少年にならって、目を閉じ、耳をそば立ててみる。

 すると、少女の周りの空気の流れが変わったような気がした。


「なんとなくですが、私もそんな感じの風を感じます」

「えーと……たぶん、それは室外機のせいじゃないかと」


 少女が後ろを見ると、エアコンの室外機から、ぐおーんと空気が吹き出ていた。


「もう! 何それ!」


 あははははっと笑う少年にムッとするが、それもつかの間、少女もつられて笑顔になる。


「やっと笑ってくれた。貴女の笑顔はとてもチャーミングですね」


 恥ずかしい台詞をさらっと言われ、白い頬を桜色に染める少女。


「冗談はさておき。……僕は、この世界は弱い者に厳しすぎると考えています。具体例を挙げればキリがありませんが、強き者は弱き者を食い物にしてさらに肥太り、弱い者は生きる事すら赦されません」

「それは……、私もそう思います。私みたいな少数派マイノリティは、数の暴力にはあらがえません」


 少年は少女に共感シンパシーを覚え。


「僕もその少数派の1人です。僕も自分の持つ能力ちからのせいで周りの人間、さらには血を分けた親兄弟からも、怪物と言われ、蔑まれています」


 私と同じ……?

 少女も、少年の言葉に共鳴する。


「僕は思います。本来なら力有るものは、弱きものを守り育て、正しい方向へ導く存在であるべきだと」


 少年は、空に浮かぶ月を眩しそうに見上げ。


「僕の能力は神が与えた祝福、僕が受けた苦しみは神が与えた試練だと思っています。だから、僕は僕の力で世界に戦いを挑み、世界を変えようと考えています」

「世界を変える……」

「そうです。この腐敗した世界を作ったのは、悪い大人達。僕たちの世代で仲間を集め、古い人類を淘汰して、僕は新しい世界を作りたい」

「私も、世界と戦いたい!」

「!?」


 少年が見ると、少女の瞳は先ほどよりも、色濃く紅く燃えるように輝いていた。


「私はいつも考えていました。どうして、世界は私に優しくないんだろう。どうして、世界は私に理不尽なのだろうって。いつも自分を生んだ親、そして自分を恨み泣いていました」


 少女は震えながら、自分の身体を抱きしめる。

 しかし、強い決意を持って、少年に訴えかける。


「でも、あなたは私と違って、運命に負けずに果敢に挑んでいる。私もあなたみたいになりたいんです」

「僕が貴女にこの話をしたのは、世界が変わる事を期待して生き続けて欲しいからで、貴女を巻き込むつもりも、僕の考えに染めるつもりも無かったです。それに……」


 少年は少女から視線を外し、うつむきながら。


「僕の道には敵が多い。綺麗な貴女に、血に染まった道を歩ませたくない」


 だが、少女はふるふると首を振る。


「私は一度死んだ身です。もう、失う物は何もありません。それに私は『アルビノ』です、生まれつき色素を持ちません。だから……」


 少女は、ただ真っ直ぐに少年の眼を見て。


「だから私を、色の無い私を、あなたの色で染めて欲しい。あなたと共にいさせて下さい」


 しばしの沈黙。

 少年は、少女の揺るぎない覚悟を受けて。


「……分かりました。貴女が僕と並んで歩いてくれるのなら、僕も全力を尽くして貴女をお護りします。世界を僕たちの色で、共に彩りましょう」

「お願いがあります。もう一度、キスしてください。今のこの思いが永遠であり続けるように……」


 これが、白い少女の物語の序曲。


 月に照らされた2つの影が、再び1つに重なりあった……。

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