第59話 クラウドの記憶2 ~負けられない戦い~

「海に来たのは久しぶりだなあ」


 クラウドは、車窓から眺める青い景色に目を細める。


 初夏のある晴れた日。

 クラウド少年は、ローカル路線バスに乗って、上沢市の北町にやって来た。


 父親が経営する三雲雑貨店は、基本的には家庭用品を扱っているが、時々自身の発明品や、あやしい物々を仕入れて売りさばくこともあり、そうした時はだいたいクラウドが、おこづかいで釣られて、おつかいに駆り出される。

 そして、今日は東町を離れて1人で遠征しに来たというところである。


 バスを飛び降りるクラウドは、白いTシャツと赤い短パンという、少年らしいラフな格好だが、背中のリュックは渋い抹茶色である。


「えーと、荷物のお届け先は……っと」


 おつかい自体は単純なものであり、首尾よく任務ミッションを遂行したクラウドは、手にしたおこづかいで何をしようか画策する。


「へへへー。イカ焼き、イッカ焼きー♪」


 クラウドは串に刺さったイカの姿焼きを両手に握って、ぜいたくに両方かじりながら、町の中をたむろする。

 子供だてらに、北町の潮風を堪能しつつ、帰りのバス停に向かっていると。


「あれ? あの子たち……」


 クラウドが目を凝らしてみると、遠くで2人の女の子たちが、慌てたように走っている。


「あれは……犬? もしかして、追われてる?」


 その子たちよりも体が大きなドーベルマンが、2人の後をガオガオ怒鳴りながら追いかけている。

 女の子たちは必死に逃げているようだが、このままではおそらく追いつかれる。


「まずい、助けないと!」


 常日頃から女の子には優しくしろと、父親に言われているクラウドには、逃げる、ほおっておく、大人に助けを求めるという選択肢は無く、真っ先に自分が2人を救出することを選ぶ。

 クラウドは走りながら、背中のリュックからフタつき鍋とフライパンを取り出す。

 鍋を兜に、鍋ブタを盾に、フライパンを剣がわりにと握り、2人と1匹の後を追った。



 *



 女の子に飛びかかろうとする、ドーベルマン。

 完全装備のクラウドは、果敢にその間に飛び込み。


 ガツンッ!


 フライパンの一撃をドーベルマンの顔面に加え、なんとか女の子への攻撃を防ぐ事ができた。


「キミ! 今のうちに逃げて!」


 クラウドは、背後の少女に向けて言う。

 自分が時間を稼いでいるうちに、この場を離れて欲しいと願ったが。


「あ……、あ……」


 呆然自失の少女は、立ち上がる事もできず、ただへたり込んだまま動こうとはしない。

 ガウガウガウッ! と、再び襲いかかる犬。

 クラウドはその爪牙を、今度は左手の盾で受け止める。

 女の子は逃げる事ができない。なら、犬を追い払うしかない。


「くっそー! ケルベロスめー、かかって来ーい!」


 敵の注意を、少女ではなく自分に向けるよう、大声を上げて犬に立ち向かうクラウド。

 ドーベルマンは、勝手に地獄の番犬扱いされた恨みを晴らそうとするかのように襲いかかる。


 ガツン! バキッ! ドカッ!


 クラウドは何度か攻撃を退けるものの、盾をはじかれ、ガードが空いた左腕に咬みつかれる。


 ガブリッ!


「ぎゃあああああーっ!」


 ゴリゴリッと骨が折れるが体に響き、とてつもない痛みが全身を走る。

 さらに、ドーベルマンは倒れたクラウドの右足にも咬みつくと、首を振ってクラウドの身体を振り回し、地面に叩きつける。

 足の骨が砕ける感覚が脳に伝わった。


「いたい、いだい、痛いーっ!」


 人生で、今まで味わった事の無い痛みがクラウドを襲う。

 咬まれた傷口から、数条の血液が流れ落ちる。


 やっぱり、逃げれば良かった。

 こんな事になるなら、関わらなければよかった。


 クラウドは、安易に少女を助けに来た事を後悔する。

 逃げようと、座ったまま後ずさりしながら、後ろを振り返る。

 そこには、女の子がすがるような顔で、怯えた瞳から涙を流していた。

 その寄るべのない、儚げな姿を見たクラウドは。


 自分だけ、逃げていいのか?

 ここで逃げたら、この子はどうなる?

 女の子を泣かす奴は許せない。

 この子を守ってあげられるのは、ぼくだけだ!


「うおおおおおーーーっ!」


 クラウドは再び闘志を燃やし、痛みをこらえて立ち上がる。

 その喉笛を食い裂こうと、牙を光らせてドーベルマンが迫る。

 その大口にクラウドは、腕1本をくれてやると言わんばかりに、ゴボッと折れた左腕の拳をねじ込む。

 そして犬の鼻面に、敵のお株を奪うかのように、思いっきり噛みついた!


 ギャウッと、短く叫ぶ犬。

 その頭にフライパンを叩き付ける、その後も何ヵ所か咬まれるが、クラウドはお構い無しに、何度も何度もフライパンで、時にはかどで、時には柄の部分でゴスゴスゴスと殴り付ける。


 痛みと貧血とアドレナリンで、何度か意識を飛ばしたが、ようやく犬が逃げていくのを見届ける。

 骨が砕け、血を流し、ボロボロになりながらも、なんとかクラウドは少女を守り通すことができた。


「やった……」


 一息ついたクラウドが、後ろを振り向くと、女の子は怯えたまま泣き続けている。

 クラウドは少女を慰めるべく、もうほとんど痛みも感覚も意識もないまま、ふらふらとその子に歩みよると、ひざまずいて優しくふわりと抱きしめる。

 女の子は最初はびくっとしたが、自分を守ってくれたクラウドに安心したように身をまかせる。

 栗色の髪を、右手でよしよしと撫でてあげるクラウド。


「もう、あたし、だいじょうぶだよ」


 そうか、よかった、よかっ……た……。


 視界が暗転し、クラウドは、意識を失い崩れ落ちていく。


 脳裏に響く、少女の声。


 だいじょうぶだよ。きっと、あたしが見つけてみせる。だから……。


 その時に見た女の子の顔。そして、瞳とその声はクラウドが1週間近く一緒に過ごしている、少女の姿と重なり合った。

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