第227話 正体

「立ちなさい! まだ何も終わっていませんわ!」


 人々が絶望に打ちひしがれる中、屈服を拒絶する声が響いた。


「ただ座して死を待つなど愚かの極み! 倒れるならば戦って散るべきです!」


 クレア様だった。

 誰もが膝を突く中、彼女だけは胸を張り、仁王立ちして高らかにそう叫んだ。


 ああ、これだ。

 これがクレア様だ。


「レイも何を暗い顔をしていますの! いつもの不遜な態度はどうしましたの!」


 クレア様は私の背中を強くはたいた。

 痛い。

 そう――我々の業界ではご褒美だ。


「申し訳ありませんでした、クレア様。もう大丈夫です」

「よろしい」


 満足そうに笑うクレア様。

 彼女はいつだって、くじけそうな私の心を奮い立たせてくれる。


「ヘッ、強がりにしちゃあ上出来だ。褒めてやらぁ」


 魔王の側に控えるプラトーですら賞賛を隠さない。

 あの魔王を相手に吠えるというのは、それほどのことなのだ。


「ありがとう、クレア。ボクも最後まで戦うよ」

「お姉様!」

「僕も最善を尽くさないとね」

「ユー様、お供します」


 マナリア様、ユー様、ミシャもそれに加わる。

 皆、隊列に沿って護衛を務めていた者たちだが、先頭の異変を知って駆けつけてくれたようだ。


「ぞろぞろと来やがったな。いいぜ、まずは俺様が――」

「プラトー」

「へ?」


 露払いをしようとしたプラトーの言葉を遮ったのは、他ならぬ魔王だった。


「手出しは無用です。私にやらせて下さい」

「いや、でも、魔王様。アンタはクレア=フランソワには――」

「最終的にはあなたの手を借ります。ですが、彼女たちが諦めるまでは、私に任せて下さい」


 そう言うと、魔王はゆっくりとした歩調で私たちの前に歩み出た。


「さあ、来るなら、どうぞ」


 明らかに人外の声だが、妙に人間じみた口調で魔王は手招きしている。


「みなさん、行きますわよ! 魔王さえ倒してしまえば、人類と魔族の戦いに終止符を打てます!」

「全力でサポートします、クレア様! どうかご存分に!」

「ボクも負けていられないね」

「ミシャ、行くよ!」

「はい!」


 絶望に抗う戦いの幕が、今ここに切って落とされた。


「お姉様、ユー様、前衛は任せます!」

「おーけい!」

「任されたよ」


 マナリア様、ユー様が前衛、クレア様が中衛、ミシャと私が後衛というフォーメーションになった。

 クレア様の指示でマナリア様とユー様が魔王へと間合いを詰める。

 氷の王女様を使ったユー様の体術は凄いが、マナリア様はそれを上回る。


「まず、これはどうだい?」


 マナリア様は冷たく輝く氷の剣を生成して、魔王に斬りかかった。

 魔王は微動だにしていない。


「!?」


 マナリア様の氷の剣は、魔王の体に触れるまえに砕け散った。

 ヤツを取り巻く魔力の障壁が、ぶ厚い壁となって攻撃を阻んでいる。


「それ、使わせて貰うね」


 ユー様がそう言うと、砕け散ったマナリア様の氷剣の破片が、意志を持ったように魔王に降り注いだ。


「まだまだ」


 魔王の姿がまだ氷刃の雨に晒されている間に、マナリア様がさらに魔法を発動させる。

 まるで竜の顎のような土の牙が、魔王の体をかみ砕く。


「……簡単に行くとは思ってはいなかったけど……」

「ここまで効果がないと、流石に凹むね」


 魔王は攻撃を防ぐ動作すらしていない。

 ただそこに立って、私たちを見ているだけだ。


「ミシャ、どう?」

「ダメね。私の音の魔法も効果はないみたい」


 ミシャの特殊な風魔法ならば、あるいはあの障壁を通り越して効果があるのではと思ったのだが、そうは問屋が卸さないようだ。


「お姉様、ユー様、どいて下さいまし!」


 クレア様の声に、二人は瞬時に反応して道を空ける。


「光よ!」


 魔王相手に炎矢や炎槍は効果がないと踏んだのだろう。

 クレア様は初手から切り札のマジックレイを放った。

 目映い赤い光が四条、魔王の元に殺到する。


「合わせてこれもどうぞ!」


 クレア様に合わせて、私も手持ちの最高火力を誇る魔法――アブソリュートゼロを発動させる。

 対象を瞬時に凍結させて破砕する、絶対零度の魔力が魔王に襲いかかった。


 しかし――。


「……」


 魔王は、健在だった。

 それどころか、


「くっ……傷一つ付かないなんて……」


 こちらの手札のうち最高のものを使っても、魔王をたじろがせることすら出来ていない。

 魔王はただ静かにこちらを見ている。


「……気は……済みましたか?」


 また赤ん坊のような老人のような声。

 こちらを嘲っているというより憐憫すらこもった口調で、魔王はもう降参かと問いかけてくる。


「まだでしてよ! ……お姉様、スペルブレイカーであの障壁を何とか出来ませんの?」


 気丈に言い返しつつ、クレア様はこっそりマナリア様に問いかけた。


「無理だね。さっきから解析を試みてるけど、魔法の構成が見抜けない。あんな複雑な構成は初めてだ」


 マナリア様の十八番、スペルブレイカーとドミネイターは絶大な威力を誇る代わりに発動条件が難しい。

 発動してしまえば必殺の威力なのだが、その前提として相手の魔法を解析し丸裸にする必要がある。


「レイ、合唱を試しましょう。もう、それしかありませんわ」

「分かりました」


 クレア様の提案に、私は頷いた。

 中衛に位置取ったクレア様の元に近づき、その手を取ろうとする。


「! レイ!」

「!?」


 クレア様の警句に、とっさに体をひねる。

 右の上腕に鋭い痛みが走った。


「っ痛……!」

「レイ!」


 近づいてこようとするクレア様を手で制して、私は魔王を見た。

 見ると、いつの間にかこちらに向かって指を指している。

 知覚できなかったが、恐らく攻撃されたのだろう。


 ……でも、なぜ?

 今の今まで、動く素振りすらなかったのに。


「流石の魔王サマとやらでも、私たちの合唱は怖いですか?」

「……」


 魔王は答えない。

 その代わりに、私に突きつけた指を五本に増やした。


「! ピットフォール!」


 私はあわてて自分の足下を陥没させながら、自分でも膝を折ってしゃがんだ。

 一瞬の差で、私の身体があった場所を、闇の線が通り過ぎる。


「どうしたんですか、魔王さん。私に対しては随分と好戦的じゃないですか」


 魔王は黙したまま。

 だが、どことなく苛立ちのようなものを感じるのは気のせいだろうか。


「レイ、挑発するようなことを言うんじゃありませんわ!」

「大丈夫です、クレア様。クレア様はそこから隙をうかがっていて下さい」


 何も大丈夫ではなかったが、私は強がりを言った。


「戦ってくれるというのならこちらとしても好都合。存分にやり合おうじゃありませんか!」


 言い終わるよりも早く、私はジュデッカを発動する。

 魔王の周辺の空間をまるごと凍結させ、動きを封じた。


「アースパイク!」


 連続魔法コキュートス。

 単体火力ではアブソリュートゼロに及ばないものの、効果範囲と避けにくさに関してはこちらの方が上である。

 さて結果は――。


「レイ!」


 クレア様が叫ぶ声が聞こえた。

 その声が妙に近いなと思った時には、私の身体は強く突き飛ばされていた。


 スローモーションのように私はその光景を見る。

 私を突き飛ばすクレア様と、その身体を射貫かんとする数十の闇の閃光を。


「クレア様!!」


 私はとっさに手を伸ばした。

 でも届かない。


 ダメなのか。

 今度こそ、私はクレア様を失ってしまうのか。


 そんなことを考えたその時。


「……アップリフト」


 素早く唱えられたその呪文と供に、クレア様の体が上空に押し上げられていく。

 遅れて着弾した闇光が、土の光を粉々に打ち砕いた。

 足場を失って落ちてくるクレア様を、私は慌てて受け止めた。


「ご無事ですか、クレア様!?」

「ええ、危ないところでしたけれど。それより、今の魔法――」


 そう、それだ。

 今の足場を作って上へ押し上げる魔法――あれはとても見慣れたものだ。

 他でもない、私がよく緊急回避に使う魔法だからだ。

 以前にも話したとおり、この魔法には私独自のアレンジが加えてある。

 そして、魔王が使ったアップリフトには、そのアレンジがそのまま反映されていた。


「……そう……そういうことですの……」


 地面に降りると、クレア様は魔王に向かって鋭い視線を向け、指を突きつけて言った。


「三大魔公たちが、どうしてわたくしを狙っていたのか。ずっと疑問に思っていましたわ。でもそれは魔王、あなたがわたくしを殺せないから、ですのね?」


 クレア様の問いに、魔王は答えない。

 だが、その沈黙が何よりの答えだった。


がどうして魔王を名乗っているのか、理由は存じません。知りたくもありませんわ。でも、これだけは答えなさい。どうしてが人類を滅ぼそうなんてしていますの?」


 魔王は黙したまま。

 それを見たクレア様が、しびれを切らしたようにこう言った。


「このわたくしが聞いていますのよ! 答えなさい――レイ=テイラー!!」


 その名前で呼ばれて初めて、魔王は初めて動揺するような気配を見せた。

 魔王がゆっくりとヴェールを取る。


 そこに現れたのは見慣れた顔――喜んでいるような、泣いているような――そんな複雑な表情をした私――レイ=テイラーの顔だった。

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