第224話 帝都撤退戦

「対魔族殲滅戦とは、上手いこと言いましたね」


 ここは帝城に設けられた臨時連合軍の会議室である。

 各国の主要な人物がそろって作業に追われている。


 放送を終えたフィリーネを私は素直に賞賛すると、彼女は照れくさそうに言った。


「危ないから逃げてと言ったのでは、パニックになると思ったんです。こちらが魔族を打倒するための行動の一環だと言った方が、より積極的かつ冷静に動けるでしょう?」


 フィリーネの言うとおりだろう。

 危機が迫ってくると言われるのと、危機を消滅させに行くと言われるのでは、受ける印象に雲泥の差がある。

 これがついこの間まで、ヒルダを呼び止めることも出来なかった人と同一人物なのだから、人間というのは分からないものだ。


「実はこの演説の原稿、ヒルダと一緒に考えたんです」


 種明かしをするように、フィリーネはぺろりと舌を出した。

 どこかばつの悪そうな顔をしているが、私は彼女を賞賛する気持ちに変わりはなかった。


「例えそうだとしても、今の演説は立派でしたよ。ドロテーアにも負けない貫禄でした」

「……不思議ですね。お母様と比べられることをあれほど嫌悪していたのに、今はすんなりと受け入れられます」


 それはきっと、フィリーネが自信をつけたからではないかと思う。

 彼女にとって、国外追放は大きな挫折だったに違いない。

 でもフィリーネはそれを乗り越え、ドロテーアを下し、こうして民をまとめ上げている。

 内気で人見知りだった少女の面影は、もうほとんどない。


「大変なのはこれからですよ、姫様」


 側に控えていたヒルダが言う。


「ええ、分かっています。国民たちの避難誘導計画も早急にまとめないといけませんし、近づいてくる魔族軍への対応も……」

「そのことだがな」


 フィリーネの言葉に割り込んだのはドロテーアだった。


「撤退戦の殿は余が引き受ける」


 撤退戦の殿――それは最も命を落としやすい場所だ。


「お母様をそんな所に行かせられません!」

「私情を捨てよ、フィリーネ。これが最善だ。余の他に誰が殿を務められる」


 確かに、戦闘能力においてドロテーア以上の者はほとんどいない。

 魔法込みでマナリア様が同格かどうか、というところだ。

 本人の言うとおり、殿を務めるのにうってつけと言えそうではあるのだが。


「でも、あなたがもし討ち死にしたら、影響は甚大ですわよ?」


 クレア様の指摘ももっともなのである。

 ドロテーアは人類側の切り札の一つである。

 それを魔族との決戦のこんな序盤に失いでもしたら、人類側にとって大打撃である。


 影響はそれだけではない。


「ドロテーア。もしあなたが戦死したら、帝国軍の戦意はがた落ちします。そのことは分かっていますか?」


 既に帝位を退いたとはいえ、ドロテーアは帝国の精神的な支柱と言っていい。

 いくらフィリーネがめざましく成長しているとは言っても、ドロテーアの存在はまだまだ大きい。


「無論だ。余とて死ぬつもりはない。だが、死地に挑む気概なくば、戦には勝てん」


 ドロテーアも譲るつもりはないらしい。


「……分かりました。お母様に殿を頼みます」

「うむ」

「その代わり、これだけは約束して下さい」

「何か」


 フィリーネはドロテーアの手を両手で取ると、それを握りしめながら言った。


「必ず、生きて帰って下さい。死ぬことはこの皇帝フィリーネ=ナーが許しません」

「……ふっ、吠えるではないか。だが、良かろう。約束する」


 こうして、帝都撤退戦が始まった。


 ◆◇◆◇◆


「着いてこずとも良かったのだぞ、レイ=テイラーにクレア=フランソワ!」


 ドロテーアがオーガを両断しながら叫んだ。


「別にあなたに着いてきたわけじゃありませんわよ!」


 クレア様も炎槍を無数に撃ちだして、オークの群れを焼き払う。


「そういうことです! 自意識過剰はよくないですよ、ドロテーア!」

「はっ、そういうことにしておこう!」


 彼女ごと周囲を凍結させる私の言葉を笑い飛ばし、ドロテーアは更に二匹オーガを屠り去った。

 巨木のように太いオーガの胴体を両断するその剣技は、相変わらず人外のものにしか見えない。


 ここは人類側と魔族側が交錯する最前線である。

 クレア様と私は、ドロテーアと共にこの戦場にいた。

 殿を務めるのは飽くまでドロテーアだが、それを少しでも助けるためにと加勢を申し出たのだ。


 帝都では、今も住民の避難が行われているはずだ。

 帝都の勝手が分からない私たちには、そちらで手伝えることはほとんどないので、こうして戦闘に参加しているのだが、想像以上に魔物の数が多い。


「クレア様、これを!」

「助かりますわ!」


 私が投げ渡したポーション瓶を、クレア様が受け取って飲み干した。

 体力が続く限り剣技で戦い続けられるドロテーアと違い、クレア様と私には魔力の枯渇という制約がある。

 ポーションはかなりたくさん持って来たが消耗は激しく、もう四分の一ほどしか残っていない。

 そろそろ、私たちは撤退を考えるタイミングだ。


 しかし――。


「ふむ……。キミたちの言葉ではこういうのを、往生際が悪いというのではなかったかな?」


 フロックコートのような出で立ちに、コウモリの羽根を持つそれが姿を現した。


「アリスト――!」

「やあ、クレア=フランソワ。先日はいい逃げっぷりだったね。負け犬には実に相応しい」

「……なんですって?」


 ど直球の嘲笑に、クレア様が柳眉を逆立てた。


「乗っちゃダメですよ、クレア様。安い挑発です」

「……ええ、そうですわね」


 普段のクレア様ならあんな見え見えの挑発、鼻で笑って罵倒の一つや二つ返しているところだ。

 そう出来ないところを見ると、やはりクレア様も相当消耗しているようだ。

 これはまずい。


「先日は上手いこと逃げおおせたようだが、今度こそは――む」


 言葉で嬲ろうとするアリストに向かって、大きなものが飛来した。

 アリストが煩そうにはねのけたそれは、オーガの死体だった。


「貴様か、ディートフリートを殺したという魔族は」


 投げつけたのは、もちろんドロテーアである。

 彼女は黒剣にまとわりついた魔物の体液を振り払いながら、アリストに向かって悠々と近づいて行く。

 途中、魔物たちが何匹もドロテーアに襲いかかるが、そのことごとくを切り払う彼女の歩みは止まらない。


「ディートフリート……誰だねそれは? 人間の名前など、そうそう覚えていられないのでね」


 アリストは余裕の表情でドロテーアに応えた。


「そうか、なら死ね」


 その一言を残して、ドロテーアの姿がかき消える。


「おっと危ない」


 次の瞬間、ドロテーアの姿はアリストの後ろにあった。

 アリストは腕を背中に回して、ドロテーアの剣撃を爪で受け止めていた。


「ラテスからキミの話は聞いている。人間の分際で不相応な力を持つ者がいると。キミがそうだろう、ドロテーア=ナー?」

「いかにも。余がドロテーアである。だが、余の玉名を魔族ごときが口にするでないわ」


 ドロテーアの腕がぶれるように霞んだ。


「むっ!?」


 危険を感じたのだろう。

 アリストが大きく飛び退こうとするが、途中でバランスを崩して落下する。


「これでもう逃げられまい」


 見れば、アリストの翼が根元から切り落とされている。


「ここは余と殿の部隊に任せよ。貴様たちは行け、レイ=テイラー、クレア=フランソワ」

「ドロテーア……」

「行きましょう、クレア様」


 気遣わしげにドロテーアを見やるクレア様の手を引くと、私は駆けだした。

 背中に、ドロテーアの怒気を孕んだ声を聞きながら。


「余に母親の情などないと思っていたが、存外、腹が立っていたようだ。貴様は楽に死ねんぞ、魔族」

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