第197話 四人で
「レイ!」
「クレア様……」
寮の部屋に飛び込んで来たクレア様に、私は情けない声を上げて抱きついた。
クレア様は私を抱き留めて、一度強く抱きしめてくれた後、私の顔をのぞき込みながら聞いてきた。
「メイとアレアが誘拐されたというのは、本当なんですのね?」
「はい……。私の油断です。申し訳ありません」
泣いたってなんの解決にもならない。
今は事態の解決に向けて知恵を絞るべき時だ。
なのに、気持ちが嵐のように吹き荒れて、思考がままならなかった。
メイとアレアが今頃どんな目に遭わされているか。
それを考えるだけで、身が張り裂けそうなほどに辛い。
万一、二人の身に何かあったら――。
「落ち着いて、レイ。あなただけのせいじゃあありませんわ」
「そうだとも。二人から目を離したクレアや私にも責任はある。一人で抱え込むのはよしたまえ」
「でも……でも……」
私がもっと注意深く対策を立てていれば。
二人きりで留守番などさせなければ。
イヴやラナのことをここまで放置していなければ。
そうすればこんなことにはならなかったのではないか、そう思えてならない。
「レイ、わたくしの瞳を見て」
「……?」
動揺の極地にいた私を、クレア様がひたと見つめてきた。
強い瞳だった。
恐らく、私と同じかそれ以上にメイとアレアのことを心配しているだろうに、クレア様の瞳は強い意志と理性の光を失っていなかった。
「レイ。あの子たちを取り返すには、あなたの力が必要ですわ。だから、ね? いつものあなたに戻ってちょうだい」
一句一句、噛みしめるようにクレア様が言う。
その言葉には私に対する深い信頼が感じられた。
責める色など微塵もなかった。
ただただ、一緒に二人を取り戻そうという強い意志が込められていた。
クレア様のひたむきな思いに染め上げられるように、私の心が落ち着いていく。
「……申し訳ありませんでした。もう大丈夫です」
「ありがとう、レイ」
「いえ、こちらこそ」
私はハンカチで涙を拭うと、パンパンとほっぺたを両手で叩いた。
よし、もう大丈夫。
「まずは状況の確認をするべきだね。メイとアレアが誘拐されたのは間違いないのかね?」
ドル様が髭を撫でながら問うてきた。
「ほぼ間違いないかと。イヴの証言から、ラナがサーラスの関係者であることは確実です」
イヴによると、彼女が最初にラナと会ったのがユークレッドの街だったそうだ。
イヴが働いていた酒場に、ラナがやって来たのだそうな。
不思議と意気投合し、次第に仲良くなり、イヴは自分の身の上に起きたことをラナに話した。
そして、ラナはこう言ったという。
『それは辛かったねー。ねえ、辛い記憶を和らげる魔法があるんだけど、試してみる気はなーい?』
イヴは最初断ったが、しつこく粘るラナに根負けして少しだけならという条件付きで承諾した。
その時彼女に魔法を掛けたのが銀髪赤瞳の美貌の魔法使いだったという。
イヴはその直後から記憶が混濁している。
思うに、彼女は利用されたのだろう。
サーラスはイヴがマナリア様を思う気持ちにつけ込んで、彼女を操ったに違いない。
ユークレッド出身であるとか、ラナが同郷であるとかは、後からヤツがすり込んだでっち上げだ。
「ラナが二人を外に連れ出す所も、近所の人が目撃しています。出入りをチェックする門番さんは、どうも気絶させられていたようで……」
「ふむ……?」
「それと、二人の部屋にこの手紙が」
メイとアレアの部屋に残されていたものだ。
差出人は――サーラス=リリウム。
「中は改めたかね?」
「いえ、クレア様が戻られてから一緒に見ようと思いまして」
「開けましょう」
私たちは中を見た。
そこにはこう書かれている。
――日が落ちるまでに指定の場所まで来られたし。
――ただし、レイ=テイラーとクレア=フランソワの二人だけで来ること。
――他の人間の姿を見かけたら、子どもたちの命はありませんよ。
指定された場所は、帝都の外れにある貧民街だった。
そこは、魔族除けの結界の外でもある。
「どう考えても罠だろうね」
ドル様が眉を寄せて言った。
「でも、行かないわけにはいきませんわ。二人が人質に取られているんですもの」
「それは分かっているさ。ただ、無策で行くのはあまりに素直過ぎる。何か対策を立てて――」
「夕刻までもうそう時間がありません。策を練っている暇があるかどうか」
気ばかりが急いてしまう。
「慌てないことだ、二人とも。ヤツの性格は知っているだろう? 素直にヤツの言いなりになったとして、メイとアレアが助かる保証はない」
「でも!」
「分かっている。それでもお前たちは行くんだろう? 私だってメイとアレアのことは心配だ。だからこそ、ギリギリまで知恵を絞らせて欲しい」
ドル様は勤めて落ち着いた口調で言う。
お陰でクレア様も私も、少しだけ冷静さを取り戻した。
こういう時、頼れる年長者がいてくれるというのは、なんと心強いことか。
「現場には二人が行くしかない。向こうはこちらの動きを監視しているだろう。残念ながら応援は諦めて貰う他ない」
「ええ」
「ヤツが何を言ってくるかは分からないが、どうせろくなことじゃあない。大事なのは、メイとアレアが確実に助かると確信出来るまで、一歩も譲歩しないことだ」
「二人が危険な目に遭わされてもですか?」
「それでも、だ。二人にとってそれがどれだけ辛いことかは分かるつもりだ。でも、会話の主導権を握られてはならない。ヤツの手のひらで踊らされてしまえば、恐らく四人とも助からん」
それだけは絶対に回避すること、とドル様は繰り返し念を押した。
「これから、ヤツが出してきそうな条件を何パターンか二人に教える。あまり時間がないが、頭に叩き込んで行ってくれ」
「お願いしますわ」
「お願いします」
ドル様による交渉訓練は、時間いっぱいまで続いた。
◆◇◆◇◆
「……レイ、お願いがありますの」
ドル様の教えを受けた後、サーラスに指定された場所に向かって急いでいると、ふいにクレア様がそんなことを言い出した。
「やです」
「まだ何も言っていないでしょう」
「大体想像がつきますよ。絶対やです」
「レイ……」
クレア様が眉を寄せた。
大方、もし誰かを犠牲にせざるを得なくなったら自分を、とか言うつもりだったんだろう。
そんなこと、させてたまりますかっての。
「クレア様を犠牲にするくらいなら、私が死にますからね」
「レイ!」
「――と、これまでならそう言ったでしょうけれど」
「?」
「今回はそれもなしです。必ず四人揃って帰りますよ、クレア様」
「! ……そうですわね」
誰かが欠けた状態で残りが助かっても、きっと消せない傷になる。
幼い二人はもちろんのこと、クレア様にそんな傷を負わせてたまるものか。
二人を取り返して、四人全員で帰る。
私はそう自分に言い聞かせた。
「見えてきましたよ、クレア様」
「ええ」
指定の場所には崩れかけの廃屋があった。
元はそこそこ立派な建物だったのか、貧民街には場違いなほど大きい。
もっとも、ボロボロなのはらしいと言えばらしいが。
「先に私が入ります」
「気を付けて」
私が廃屋の扉を開けると、中から埃の匂いがした。
直後に響く声。
「待ってましたよ、センセ」
私たちを出迎えたのは、ラナ=ラーナだった。
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