第186話 追放

 アヒムの言葉通り、彼のデスクから手紙が発見された。

 それは今回の事件の全貌を記した、彼の告白記だった。


 既にご承知のことと思うが、魔族というのは強大な力を持っている。

 彼らが全力で町を襲えば、人間がそれに抗するのは並大抵のことではない。

 それなのに、なぜこの世界の都市――特に魔族領に近い帝国の都市が無事に済んでいるかといえば、結界の存在があるからだ。


『こ、この結界は、教会が各国の主要都市に提供してるもので、非常に強力なものです。ま、魔族である限り、たとえどれほどの力があろうと、その中に入り込むことは出来ません』


 リリィ様の解説によると、この結界は都市の周りに秘匿されて設置された魔道具を起点に発動する魔法の一種らしい。

 魔族がそれを越えて中に入ろうとするなら、その秘匿された魔道具を壊すしかない。

 教皇暗殺未遂事件の時のラテスは、中から転移魔法の手引きがあった例外的なケースなのだそうだ。


 つまり、この帝都ルームの中にいる限り、私たちはひとまず安全だということだ。


『だが、俺たちは商人だ。都市の中に引きこもってるわけにはいかない。時には危険を冒してでも、外に出る必要がある』


 アヒムの息子が魔族に捕まったのはその時のことだそうだ。

 彼は人質を取られていたのだ。


『カトは俺にこう言った。息子を預かった。バウアー寮に卸す食料品に毒を盛れ、と』


 この時になって判明したことだが、バルツァー商会はバウアー寮に食料品を提供している商会だったらしい。

 バウアー寮では帝国からの攻撃を警戒して、食料には全て解毒の魔法を使っていたが、アヒムはそれを上手くすり抜ける策を思いついていた。

 大量に摂取することで内蔵機能を低下させることもあるナツメグを、段階的に量を増やしながら食品に混ぜていたらしい。

 ナツメグは一般的な香辛料なので、解毒魔法では取り除けない。

 ただ、これにはカトの目をくらます目的もあったようだ。


『多少時間はかかるが、徐々に量を上げていけば、蓄積されている毒素がある時を境に一気に臓腑の動きを止める』


 そうカトに説明しつつ、アヒムは時間を稼ごうとしたらしい。

 魔族に脅されながらも、彼はなんとか殺人を未然に防ごうとあがいていたようだ。


 そうして時間を稼いでいるうちに、私たちが捜査にやって来た。

 私は彼が口を滑らせたのだと思っていたが、どうやらあれはわざとだったようだ。

 彼にはある種の呪いが掛けられていた。


『裏切るなよ? 私のことをバラしたり、私に攻撃を行った瞬間、貴様の体は業火に焼かれることになる』


 一種のギアスである。

 アヒムは自分が死ぬことは怖くなかったが、息子の命はなんとしても助けたかったのだという。

 だが、彼は薄々気付いていた。

 息子がもう既に殺されているということに。

 それでも、一縷の望みをかけて、毒を盛る行為を続けていた。


 そしてそれを、アルノーに目撃された。

 アヒムはアルノーと言い争いになり、その拍子に彼を殺してしまった。


『ああ……私はもう一人の息子をこの手にかけてしまった』


 後継者争いになってしまったが、アルノーを実の息子のように可愛がっていたアヒムは、そのことを深く悔やんだという。


『あの魔族も息子を預かったとは言ったが、生きているとは一言も言わなかった。返してほしくば、ともな。そう言うことなのか……。息子たちよ、妻よ。すまない、今すぐそちらに行きたいが――』


 アヒムはただ魔族の手のひらの上で踊らされる道化には甘んじなかった。

 彼の中に、覚悟と怒りが結実した。


『冥途の土産は持って行く』


 後は、私たちの知る通りである。

 アヒムは自らを犠牲にしてカトに痛手を負わせ、後のことを私たちに託して逝った。

 彼のしたことは許されない犯罪だが、情状酌量の余地は十分にあると私は思う。

 後の捜査で、アヒムの息子はとっくに殺されていたことが判明した。

 彼もまた、魔族の被害者の一人だ。


 魔族が都市の結界内に影響を及ぼす方法を探っていたということで、事件は新聞各紙にも大きく報じられた。

 関係者が一切口を割らなかったことで、反政府勢力のことは事件の闇に葬られている。

 また、事件が反政府勢力内の対立とは独立したところで起きたものだということが証明されたため、私たちの捜査は無駄にならずに済んだ。


『大したものデスネ。お約束通り、ワタシたちはあなた方に協力シマス』


 事件後、改めてフリーダを通じ、メリカ、ダナ、キコの三宗派の人間と会談を行った。

 宗教組織のお偉方との会談だったが、フィリーネは堂々と彼らと渡り合った。

 フィリーネも成長したもので、事件に関わって亡くなったアルノーを丁重に扱うことも彼らに約束させた。

 アルノーはいずれ、彼らの宗派の中で列聖されるかもしれないらしい。


 こうして、フィリーネは帝国の魔法技術部門に引き続き、反政府勢力という後ろ盾を得ることにも成功した。


 ◆◇◆◇◆


「よく来たな、レイ=テイラー、それにクレア=フランソワ」


 事件の数日後、ドロテーアの呼び出しを受けた。

 呼び出されたメンバーは三人。

 クレア様、フィリーネ、そして私の三人だ。

 初めての組み合わせに、どうしてこのメンツなのかと少し首を傾げた。


「わ、私もいます、お母様!」


 名前を呼ばれなかったことが不満だったのか、フィリーネが自己主張した。


「うむ、そうだな。お前もよく来た、フィリーネ」


 ドロテーアは表情の読めない顔でフィリーネにも言葉を掛けた。

 フィリーネはそれでも嬉しかったのか、笑顔を浮かべた。


「此度の魔族が関わる一件、よくぞ未然に防いだ。褒美を取らす。何なりと申せ」


 ドロテーアは相変わらず玉座の肘置きに頬杖を突く横柄な態度で言った。

 隣ではじいやさんが沈鬱な面持ちで立っていた。

 ドロテーアの行儀が悪いことを気に病んでいる……というわけでもなさそうだ。

 はて?


「わたくしからは特にございませんわ。アレアの剣の修行を引き続きお願い出来ればそれで」

「ああ、アレアか。ヤツは筋がいいな。余の剣を継ぐ存在になるやもしれん。教え甲斐がある。頼まれずとも続けよう。ヤツを鍛えるのは、余の娯楽である」


 娯楽と言われると微妙な気持ちになるが、それでもアレアを褒められるのは嬉しい。

 クレア様も満面の笑みである。


「私からも特にありませんね。貸しにしておきます」

「貴様からの借りは怖いな、レイ=テイラー。まあよい。今回の件と帳消しにしてやる」


 ドロテーアがよく分からないことを言った。

 今回の件と帳消し?


「そしてフィリーネ」

「お母様に折り入ってお願いしたいことが――」

「違う。貴様に褒美はやらん」

「……は?」


 フィリーネは恐らく、この期を捉えて外交方針の転換を提案しようとしたのだろう。

 しかし、その出鼻はあっさりとくじかれた。


「フィリーネ=ナー」


 実の娘を呼ばわるその顔には、何の表情も浮かんでいなかった。


「貴様は大逆の罪により、国外追放処分とする」


 ドロテーアの冷厳な声が、謁見の間に重く響き渡った。

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