第155話 それもまた愛と呼びたい

 事件の後、ユー様を始めとするリーシェ様の関係者は捜査の対象となった。

 調べが進むにつれ、徐々に陰謀の全容が明らかになって行った。


 事件の首謀者はやはりリーシェ様だった。

 彼女はユー様を次期教皇にするために、教皇様を亡き者にしようと今回の計画を立てた。

 警備の責任者となることで警備計画の全容を把握し、隙をついて魔道具を持ち込み魔族を召喚しようとした。

 結局それは失敗したが、代わりにサーラスが魔族を手引きし、結果としてあのような形になったようだ。

 リーシェ様に協力した者の証言では、ドロテーアや私も暗殺対象だったようである。

 ドロテーアは王国を危機に晒した敵、私はユー様の王位をなきものにした敵、ということだったようだ。


 サーラスの行方は結局、分からないままだった。

 ヤツの脱獄についてはやはりリーシェ様の手助けがあったようだが、その後の足取りは掴めていない。

 あの場にいたことは間違いないようなのだが、例の姿を変える魔道具を使っていたようで、どのようにしてあの場に乗り込んできたのか、そしてどこへ行ったのかも分からないままである。

 サンドリーヌさんを操ったのもヤツのようだ。

 ヤツは得意の暗示魔法を使ってサンドリーヌさんに潜在催眠をかけた。

 バウアーの専門家に調べてみて貰った所、あのロザリオがキーだったらしく、サンドリーヌさんが教皇様の身体に触れる際のロザリオへのキスをスイッチにして、教皇殺害の犯行に及ぶように暗示を掛けられていたらしい。

 本当にろくな事をしないヤツである。


 サンドリーヌさんは容疑が晴れ、無罪放免となっている。

 これからも彼女は敬愛する教皇様のために毒見を続けるだろう。

 もう入れ替わりの必要はないのだが、教皇様が急に痩せたと騒がないか心配ではある。

 アレアの料理で少し太ったと言っていたし、多分、大丈夫だとは思うけど。


 ユー様にも捜査の手は及んだが、彼女は潔白であることがほどなく明らかになる。

 何しろ、関係者の全てが揃ってこう証言したからだ。

 全てはリーシェ様の独断であり、ユー様は何もご存知ではない、と。

 これは私の推測だが、リーシェ様はこうなることをある程度予想していたのではないだろうか。

 事件前にドル様が言っていたように、リーシェ様ならもっと自分の関与やその証拠を残さない方法も取れたはずなのだ。

 それが出来なかった、あるいはしなかったというのは、証拠隠滅よりもユー様の潔白証明を優先したからではないか。

 計画が失敗に終わった時、ユー様に累が及ばないよう徹底していたのではないだろうか、と私は思う。


 今となってはリーシェ様が何を考えていたのかは、誰にも分からない。


 ユー様は事件後も表面上は何も変わらなかった。

 少し沈んでいる様子は見せていたが、それでも相変わらず柔らかい笑みを絶やさなかったし、自暴自棄になるような様子も全くなかった。

 そんな彼女をミシャが痛ましいものを見る目で見つめている、そんな構図を何度も私は目にした。


 事件が終わって一週間ほどが経ったある日の夜のこと。

 バウアーにあてがわれた寮の部屋でクレア様とゆっくりしていると、隣の部屋から言い争う声が聞こえてきた。


「……レイ」

「はい」


 クレア様に促され、私は隣の部屋を訪ねた。

 ベルを鳴らすと、少ししてからミシャが出た。

 彼女の赤い瞳は、事件前の言い争いの時より真っ赤だった。


「……ごめんなさい」

「いきなり謝らないでよ。とりあえず、入っていい?」

「ええ……」


 私はミシャの涙を見ないフリをして、奥へ進んだ。


「やあ、レイ。また迷惑をかけたみたいだね。ごめんよ」


 ユー様は普段と変わらないように見えた。

 ゆるゆると柔らかく微笑んでいる。


「今日は、どうしたんですか?」

「事件の後、私が笑わないってミシャが言ってきてね。そんなことはないって言ったんだけど……」


 ユー様が笑わない?

 いや、今だってユー様は穏やかに笑っているけれど。


「作り笑いはやめて下さい。他の誰かは騙せても、私には分かるんです」

「考えすぎだよ、ミシャ。私はもう立ち直ってる」

「嘘です!」


 ミシャがここまで取り乱すなんて珍しい。

 私には分からないが、ずっとユー様を見てきた彼女にしか分からないことがあるんだろうか。


「私はリーシェ様が許せません。ユー様にこんな思いをさせるなんて……。実の母親なのに、どうしてあんな馬鹿なことを……!」


 数日前にユー様とミシャが揉めたときとは打って変わって、ミシャはリーシェ様を責めていた。

 彼女からすれば、信じたかったのに裏切られたという心境なのかも知れない。

 そもそも、異性病のことも今回のことも、客観的に見ればリーシェ様のしたことは、酷くワガママで独善的で、何一つユー様のことなど考えてないように見える。

 ところが、


「それでも、母は私のことを思ってくれていた。それはきっと間違いないことなんだよ、ミシャ」

「ユー様……」


 何かを諦めたような、それでいて愛おしむような、複雑な声色でユー様が言った。

 ミシャはそんなユー様をじっと見つめている。


「母は間違っていた。彼女がしたことは犯罪だし、私にしてきたことも全て私には苦痛でしかなかった」

「だったら――!」

「それでも……。それでもあれは、母の愛だった。私には、今はそう思える」


 気色ばむミシャを押しとどめ、ユー様は言葉を続ける。


「母の行動は全て間違っていたけれど、私利私欲では決してなかった。見当違いだし空回りしかしていなかったけれど、全ては私の為を思ってのことだった。歪ではあったけれど、あれは母なりの愛情の示し方だったんだよ」


 ユー様はそう言って笑った。

 ミシャがはっとした顔をした。

 恐らく、彼女には分かったのだろう。

 少なくとも、今、ユー様が浮かべている微笑みは、偽りのそれではないということが。


「私はずっと母が理解出来なかった。彼女はずっと、私のことを苦しめたいのだと思っていた。でも多分、それは違う。違うんだよ。あの時、爆発から身を挺して私を守ってくれたあの人は、間違いなく私の母だった」


 最後の別れを思い出しているのか、ユー様は右手をぎゅっと握りしめた。

 それを見たミシャが、自分の手をそこに重ねる。

 ミシャももう、ユー様の笑顔が偽りのものだとは思っていないはずだ。

 二人の間に、もう誤解はない。


「私は母と最期まで分かり合えなかった。それはとても悲しいことだよね。だからミシャ、キミとはそういうすれ違いをしたくない」


 そこまで言うと、ユー様はミシャの手を取って、その赤い瞳をひたと見つめた。


「今こそキミに言うよ。ずっと私を支えてくれてありがとう。これからも力になって欲しい。出来るなら、死が二人を分かつまで」

「ユー様……!」


 ミシャが涙の粒をこぼしながらユー様の胸に飛び込んだ。

 私は、ミシャがこんなに取り乱して泣くのを初めて見た。


「心配掛けてごめんね。これからもいっぱい心配掛けると思う。それでも側にいて欲しい」

「……はい……はい……!」


 ユー様がとても穏やかな表情でミシャの銀糸の髪を撫でた。

 ミシャは声にならない声で、何度も頷いていた。


 二人は多分もう大丈夫だろう。

 それはそれとして。


「あのー……、私お邪魔ですか?」


 心配して来てみたのに、私は何を見せつけられてるのだろう。

 虚しくなった私は、思わず茶々を入れた。

 だってこの人たち、二人の世界を作りすぎでしょ。


「ああ、ごめんごめん。いい機会だったからつい」

「つい、で告白シーン見せつけられるこっちの身にもなって下さい」

「でも、ボクらも革命の時見せつけられたんだけどね?」

「う゛……それはそうでしたけれど……」


 ユー様がからかうように言ってくる。

 まずい。

 元々、ユー様には口で勝てっこないのだ。

 このたぬきめ。


「ともかく、もうお二人は大丈夫ってことでいいんですね?」

「うん、心配はいらないよ。ミシャも大丈夫だよね?」


 余裕の表情で言うユー様だったが、しかし、


「よくありません。今のお言葉が本心なら、証を下さい」


 ミシャの口から大胆な発言が飛び出した。

 私、目が点。

 ユー様も驚きに目を見開いている。


「証?」

「はい、証です」

「うーん……。だ、そうだけど、どうする、レイ? 見ていく?」

「失礼します」


 私はくるりと回れ右して、足早にその場を立ち去った。

 振り返る直前、二人の影が重なるのが見えた。


「どうでして?」


 部屋に帰るとクレア様が心配そうな顔で出迎えてくれた。


「心配して損しました。クレア様、ちょっといいですか?」

「え? ちょ……ちょっと、レイ、引っ張らないでちょうだい。もう寝ますの?」

「寝ません。当てられたので、ちょっと欲求不満を解消します」


 大体、影武者のお役目のせいで、ここ数日クレア様不足が続いていたのだ。

 ただでさえじりじりしていたのに、あんなのを見せつけられて何もせずにいられるか。


「ま、待ちなさい、レイ! するならちゃんと順番を踏んで――」

「待ちません」


 なおも抵抗しようとするクレア様の口を封じて、私は欲望に身を任せることにした。


 恋は盲目、と人は言う。

 リーシェ様もあるいはそうだったのかもしれない。

 彼女の生き方は決して褒められたものではないのかもしれない。

 それでも、同じく恋に生きる私にとって、彼女の生き方は眩しかった。


 最後は我が子を身を挺して守った彼女。

 私もいつかメイやアレアのために、この身を捧げることが出来るだろうか。

 もしもそれが、クレア様との天秤になるとしたら。

 それはとても辛い想像で、私はそこから逃げるようにクレア様の身体に溺れた。


 例えいつか決断を迫られるとしても、今だけは。

 今だけはこの温もりに甘えていたかった。

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