第154話 陰謀の終幕

「邪魔じゃと申しておる」


 ラテスが無造作に前足をなぎ払った。

 これまで、この攻撃を耐えた者はいなかった。

 ただのなぎ払いではあるが、その威力は破城槌にも等しい。


「……む?」


 何かが宙を舞う。

 ドロテーアの身体ではない。

 どさり、と重い音を立てて落ちたその物体――それはラテスの前足だった。


「誰に向かってそのような口を叩いているのか。余の御前であるぞ。平伏せよ」


 再び何かが宙を舞った。

 それはラテスに残されていた昆虫の足四本の先だった。


「!? お、お前様!?」

「余は皇帝ドロテーアである」


 さらに鋭い音がしてラテスの人間の腕が切り飛ばされた。

 私には何も見えなかった。

 ドロテーアは先ほどから二本の剣をぶらりと下げたまま、自然体で立っているようにしか見えない。

 しかし、彼女が何かする度に、ラテスの身体が切り飛ばされていく。


「むむ、これはたまらん」


 ラテスが慌てて距離を取った。

 切り飛ばされた足の先を再生させ、反対側の壁まで飛びずさった。

 しかし、


「遅い」


 ラテスが着地するよりもさらに早く、ドロテーアがその先にいる。

 今度はゆらりと剣を構え、空中を飛んでくるラテスを迎え撃った。


ざん


 次の瞬間、甲高い音がしてラテスの身体は両断されていた。

 ドロテーアが着地すると同時、半分に分かたれたラテスの巨躯が、ずしんと重たい音を立てて落下した。


 私にはドロテーアの剣閃がまるで見えなかった。

 信じがたいことに、この女性は剣技だけで高位魔族を圧倒した。


「これが……剣神……」


 すぐ横でクレア様がうわごとのように呟いた。

 剣神の二つ名は伊達でも何でもない。

 ドロテーアの強さは常軌を逸している。


「こりゃ驚いた。お前様、強いのう」


 事切れたと思われたラテスの身体から、のんきな声が聞こえた。

 そして、ラテスの身体がどろりと溶けていく。

 ゲル状になったラテスの身体はひとかたまりになると、再び硬質化し――。


「ふん……。三大魔公を名乗る輩が、あれくらいでは死なんか」


 ドロテーアが面白くもなさそうに吐き捨てた。

 再び姿を取り戻したラテスは、一回り小さくなってはいたものの、傷は全て回復しているようだった。


「剣神、か。めっぽう強いと聞いていたが、まさかこれほどとはのう。部下からの報告も、少しは真面目に聞いておくんじゃった」

「安心せよ。後悔など必要ない。すぐに何も考えられなくなるがゆえに」

「お前様が殺すからか?」

「その通りである」


 ドロテーアが無造作にラテスへと歩み寄って行く。


「剣技はまさに神のごときじゃな。じゃが……こういうのはどうじゃ!」


 ラテスが口を大きく開けると、そこから極太の闇光が迸った。


「陛下!」


 ヒルダが悲鳴じみた声を上げた。

 しかし、


「なんじゃと!?」


 皇帝はその身を暗闇の柱に晒したまま、何事もなかったかのように間合いを詰めた。

 両手の剣が一瞬霞む。

 次の瞬間には、ラテスの首がごろりと地面に落ちた。


「残念だったな。余に魔法は効かん」


 転がったラテスの頭を踏み潰しながら、ドロテーアは何でもないことのように言った。

 そうだった。

 ドロテーアは魔法無効という特殊な体質の持ち主だった。

 いくら彼女の剣技が人外じみているとはいえ、この体質なしにスースの一個大体を返り討ちにするなどという芸当が出来るはずがない。

 軍隊において魔法という力が中心化されているこの時代において、ドロテーアの特殊体質は恐ろしいほどの有利を作り出す。


 ただし、それは諸刃の剣でもある。

 彼女が無効化するのは攻撃魔法だけではない。

 支援魔法や回復魔法すらもドロテーアには効果を発揮しない。

 超人的な強さを持つが、彼女は常に一人だ。

 それはなんと孤独な強さなのだろう、と私は思う。


「やれやれ……。なんというデタラメな強さじゃ……」


 切り落とされた部分からにょきにょきと首を生やすラテス。

 こちらはこちらで十分デタラメである。

 そこに、


「満ちよ」


 教皇様の範囲回復が発動した。

 倒れていた兵士たちが全員回復し、次々と立ち上がる。


「ジュデッカ」

「む」


 広範囲凍結魔法ジュデッカ。

 本来であれば敵の近くに味方がいる状況下では使えない魔法だが、私は遠慮なくドロテーアを巻き込んだ。


「貴様、戦術家としての才もあるな。ますます欲しい」

「いいから追撃を」


 その腕を見込んでアーススパイクを省略したのだ。

 ドロテーアも意を得たとばかりに氷漬けになったラテスをみじん切りにする。


 しかし――。


「魔法が効かないと見るや否や、容赦なく巻き添えにするとは……。レイ=テイラー、お前様もなかなか肝が据わっとるのう」


 ラテスは三度再生した。

 再生の度に全体のサイズが小さくなるものの、これでは完全に倒しきるまでどれだけかかるか分からない。


「参ったのう……。皇帝一人ならまだ何とかなりそうなんじゃが……。雑兵どもはともかくとして、そちらにはクレア=フランソワとレイ=テイラー、おまけに聖女や教皇までおるしのう」


 どうしたものか、とラテスはおどけるように言った。

 そして、


「おおそうじゃ。こういう手はどうじゃろう」


 そう言うと、ラテスの身体から濃密な魔力の波動が流れ出した。

 ラテスの身体が不自然に膨張していく。

 それはまるで、破裂寸前の風船のようで。


「こいつ……、自爆する気か!?」

「ほっほっほ……、まあワシは死なんがのう。そうさなあ、辺り一面、五十メートル四方くらいは更地になるかもしれんのう」


 コイツ……!


「クレア様、私の後ろに!」

「でも、他の者たちが!」

「早く!」


 私はとっさにタングステンカーバイドの多重障壁を張り、その後ろにクレア様を押し込んだ。

 サッサル山の噴火にも劣らないような大音響が響いたのは、その次の瞬間だった。


◆◇◆◇◆


 次に目を開いたとき、目に飛び込んできたのはあまりにも酷い惨状だった。

 会談に使われた公会堂は跡形もなく吹き飛んでおり、ラテス自身が言っていた通り、辺りは更地になっていた。

 ラテスは脱出したようで、その姿はない。

 

 無傷な者など一人もいなかった。

 不幸中の幸いと言うべきか、教皇様はドロテーアが、ミシャはリリィ様が、クレア様は私が守っていたため、主要な人物のほとんどはその命を取り留めた。

 しかし――。


「母様! どうして……!?」


 ユー様も傷を負っていたが無事だった。

 リーシェ様が身を挺して彼女を守ったからだった。

 リーシェ様は血まみれになって倒れており、ユー様が懸命に回復魔法をかけ続けていた。

 しかし、リーシェ様が助からないことは、誰の目にも明らかだった。

 リーシェ様はもう、半分だけだった。

 下半身はなく、その残酷な断面から流れ出す鮮血は、彼女の命がもう僅かなことを物語っている。


「あぁ……、ユー……。無事だったのね……」

「母様……あなたは……どうして……!」


 うっとりと我が娘の顔を見上げるリーシェ様に、ユー様は何を言ったらいいのか分からない様子だった。

 聞きたいこと、掛けたい言葉がありすぎて、どれから口にすればいいのか分からないような、そんな感じだった。


「ユー……、ごめんなさいね……。結局、私はあなたに何もして上げられなかった……」

「そんなこと……そんなことはありません……!」


 今にも事切れそうなリーシェ様の手を、ユー様が握る。

 懸命に、自分の存在をリーシェ様に伝えようとしているようだった。


「王位がダメなら……せめて教皇にと思ったのだけれど……結局、私は空回りね……ごめんなさい……」

「そんなこと……そんなこと……私は望んでいなかった……! 私はただ……、ただ……!」

「なあに、ユー……。もうよく声が聞こえないわ……」

「……!」


 リーシェ様の命の灯火が、消えつつある。

 そのことは、ユー様にも分かったようだった。


「教皇様! 母様を回復して下さい!」


 ユー様が叫んだ。

 それは紛れもない懇願だった。

 母を救ってくれと言う子の願いに、教皇様はふるふると首を振った。


「もう、苦しみを長引かせることにしかなりません」

「そん……な……」


 ユー様の目が絶望に染まった。


「ユー……、私が死んだら、あなたは自由に生きなさい……。どうか……幸せ……に……」


 最後まで言い終えることはなく、リーシェ様は事切れた。

 ユー様は呆然としながら、それを看取った。

 ミシャが傷ついた身体を引きずって駆け寄ると、ユー様の肩を抱いた。

 ユー様は黙って身体を預けると、肩を震わせて泣いた。


 教皇暗殺事件は、こうして未遂に終わったのだった。

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