第149話 懐古

 教皇様と入れ替わって数日が経過した。

 ドロテーアとの会談はまだだが、それ以外にも細々としたイベントはたくさんある。

 私はほとんどのことを周りに任せて、出来るだけボロを出さないように努めた。

 幸い、教皇様は普段から他人と直接やり取りすることは少ないので、致命的なやらかしをすることはなかった。

 それでも、細かな言葉の選び間違いや、段取りの勘違いなどはあったのだが。


「は~~~~~~、疲れた~~~~~~」


 帝国の教会関係者との面談を終え、与えられた自室のベッドに行儀悪く法衣のまま突っ伏して、大きく溜め息をついた。

 お分かり頂けると思うが、教皇としての振る舞いは普段の私とは全く違う。

 おちゃらけたことは一切出来ないし、常に気を張っていないといけない。

 何より辛いのは、すぐ側にクレア様がいないことである。


 これが終わったら存分にクレア様で遊ぼう、などと決意を新たにしていると、


 コンコン。


 とドアがノックされた。

 私は慌てて居住まいを正してベッドに座り直すと、どうぞ、と声を返した。


「失礼します、教皇様」


 入ってきたのはリーシェ様だった。

 私の方を見てわずかに眉を上げたが、すぐに表情を戻す。


「本日のご公務は以上となります。お疲れさまでした。お着替えをお持ちしましたので、お召し替えさせて頂きますね」


 リーシェ様はそう言うと、普段着である簡易法衣を広げた。


「それと……、あまり法衣でベッドに横になられませんように。皺になりますからね」


 あ、バレてる。

 そりゃそうか。

 本物の教皇様なら、ベッドに腰掛けるなんてことしないか。


「申し訳ありません、リーシェ様」

「口調」

「リーシェ」

「はい、教皇様」


 短く注意されて慌てて口調を直すと、リーシェ様は満足そうに微笑んで私の着替えを手伝い始めた。


「……とは言え、流石に疲れも出るでしょう。教皇様としての振る舞いは窮屈ですか?」


 二人だけにしか聞こえない小さな声で、リーシェ様が尋ねて来た。

 その声色には配慮とねぎらいの色がある。


「ええ、流石に。普段は野生動物のような振る舞いをしていましたもので」

「それは虚言が過ぎるでしょう。学院時代のあなたは礼法の成績もよかったと聞いていますよ」


 重たい法衣の上着を脱がされつつ、私は答える。


「それでも、本物の貴族様たちには遠く及びませんでした。やはり住む世界が違ったのでしょう」

「……それも今となっては昔のことです。今は貴族も平民もないでしょう」


 それがいいことなのか悪いことなのかは、私には分かりませんけれど、とリーシェ様は呟くように言った。


「リーシェ様は元々教会の方でしたよね」

「ええ。と言っても、血統をたどればそれなりに高位のバウアー貴族でしたが」


 まあ、いくら枢機卿と言っても、ただの聖職者では王妃にはなれまい。


「王宮に入るとき、戸惑ったりしませんでしたか?」

「まあ、それはそれなりに。教会でも礼法は習いますが、王族に求められるそれは基準が違いますからね」


 必死に練習したものです、とリーシェ様は当時を懐かしむように言った。


「助けてくれる者もそれなりにいましたし。あなたにはいい印象はないでしょうが、サーラスは本当に良くしてくれました」


 リーシェ様によると、サーラスはリーシェ様が王妃になる前から、積極的に彼女の力になっていたらしい。


「革命が起き投獄されたことで、皆がサーラスのことを悪し様に言います。もちろん、帝国と繋がってバウアーを窮地に陥れたことは許されることではありません。でも、彼が王国に残してきた功績もまた、否定されるべきものではないと私は思います」


 確かにサーラスは宰相としてはとても優秀だったのだ。

 彼が宰相となって以降、王国の政治は安定した。

 賢王ロセイユ陛下の能力第一主義だって、ともすればお題目だけで終わってしまったかもしれないのを、現実と折り合いをつけて実現化したのは他ならぬサーラスだった。


「以前の彼は、純粋な理想を抱く夢想家のような人でした。それが変わってしまったのは……、あの方――ルル様のせいです」


 ルル様というのは、リーシェ様の前の王妃である。

 ロセイユ陛下の妃となりながら、サーラスと不義の関係を持ちセイン様を産んだ方だ。


「ルル様は大変恋多き方でした。典型的な貴族のご令嬢でしたね。純朴だったサーラスは、あの方に誑かされたのです」


 その辺りの事情についての評価は私の抱くそれとはだいぶ異なるが、私は沈黙を守り別のことを尋ねた。


「リーシェ様は、サーラスがお好きだったのですか?」

「……」


 私の質問に、リーシェ様はすぐには答えなかった。

 しばらく、着替えの衣擦れの音だけが部屋を満たす。


「個人の好悪など、政治の世界では取るに足らぬものです。私はロセイユ陛下の妃であり、サーラスとは結ばれなかった。それだけです」


 その言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだ、と私は思った。


「いずれにしても、私は王妃となりました。ユーが生まれ、ユーこそが私の生きがいとなったのです。あなたは……そしてきっとユーも私のことを良くは思っていないでしょうけれど、私はユーを心から愛しています」


 ユー様の名前を口にするとき、リーシェ様はとても優しい顔をする。

 そのことが、とても印象に残った。


「ユーの性別について、私は許されないことをしました。恐らく、母親としてもいい母親ではなかったでしょう。それでも、私はユーのことを第一に考えてきました。誰に否定されても、それだけは本当です」


 リーシェ様はそう言って私を見つめた。

 その顔に、嘘はないように私は感じた。


「ミシャのことはどう思っていらっしゃいますか?」


 私はかねてから聞いてみたいと思っていたことを口にした。

 リーシェ様は苦笑して、


「ミシャはとても優秀な子です。元々、彼女の家は家格の高い貴族でしたし、性別のことでも協力をしてくれていました。信じて貰えないかも知れませんが、彼女の家が没落する前、私は彼女こそが将来のユーの伴侶になるのだと信じて疑わなかったのですよ」


 と、昔を懐かしむように言った。

 リーシェ様の脳裏には、幼い頃のユー様とミシャの姿が思い出されているのかも知れない。


「今はどうです?」

「今は……よく分かりません。ユーは女性になってしまったし、その上でミシャを生涯の伴侶としたがっていますから……。クレアとあなたもそうだけれど、同性を恋愛の相手に選ぶという感覚が、私にはどうしても理解出来ません」


 気を悪くしたらごめんなさいね、とリーシェ様は申し訳なさそうに言った。

 私は気にしていませんから、と答えた。


 同性愛者の感覚は、異性愛者には完璧には分からない。

 逆に、異性愛者の感覚が、同性愛者に分からないのと同じことだ。

 どちらが悪いとかそういう話ではない。

 単純に、性的指向の問題だ。


「でも、ユーやあなたが羨ましいと思うこともあります。少なくともあなたたちは、自分の気持ちに正直に生きようとしていますから。それが困難を伴う道だったとしても、それと戦う覚悟がある。それはとても凄いことだと思います」


 意外な言葉を聞いた。

 リーシェ様はそういった恋の形を嫌悪するだけかと思っていた。

 しかしリーシェ様は、理解は出来ないが羨ましくもある、と言った。


「時代の流れなのかしらね。私があなたたちくらいの年齢の頃は、恋も結婚も私のものではありませんでした。年寄りは昔を懐かしむものだと言いますが、そこにはきっと、自分にはままならなかったことが許されている今に対する嫉妬が含まれているのではないかしら。今を否定するというよりも、過去をなかったことに出来ないのよ」


 リーシェ様の言葉は、まだ若々しさを十二分に備えているその容姿からはかけ離れたものだった。

 自らを過去の者として語るその姿は、見かけ以上に年齢を感じさせる。


「レイ。あなたも大人になったらきっと分かります。過去に囚われるというのはどういうことか。そんな中で、未来を見せてくれる子どもたちがどんなに眩しく、そして羨ましいものであるか」


 この時のリーシェ様の言葉を、私はきっとずっと忘れない。

 この後にあんなことが起こるのだとしても、この時のリーシェ様の言葉は一つの真実だと思うからだ。

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