第136話 籠の鳥のさえずり
※フィリーネ=ナー視点のお話です
クレアたちと別れて、私は帝城へと帰ってきた。
使用人に荷物を預けて、自室への道を歩く。
私は少し気分が高揚していた。
クレアに教えて貰った言葉が、胸に残っていたからだ。
こんな私でも何か、自分に出来ることがあるのではないか。
そんなことを考えながら、何かが変わる予感がしたのだ。
「これは姫様。ご機嫌麗しゅう」
「こんにちは、ヒルダ」
私に声を掛けてきたのは、女性ながらに帝国の官僚をしているヒルデガルト=アイヒロートだった。
銀色の髪に赤い瞳をした彼女は、女性にしては珍しいモノクルを掛けている。
冷たい印象を与える容姿をしているが、実は優しい人だ。
私の飼い猫が帝城で迷子になった時助けてくれたのが縁で、話をするようになった。
「学館からのお帰りですか」
「ええ、今、帰ってきたところです」
「お疲れ様です。……何かいいことでもありましたか?」
「え? 顔に出ていましたか……?」
ヒルダの言葉に、私は両手を頬に当てた。
知らず、顔が緩んでいたのだろうか。
「顔というよりは雰囲気ですね。どこか嬉しそうでした。フィリーネ様のことは、よく見ていますので」
「そ、そう……? 恥ずかしいです……」
浮かれていてはいけない、と思い直す。
それでも、クレアから貰った「熱」は、まだ胸の奥で燃えている気がした。
「何があったのですか? よろしければおうかがいしたいです」
「実は――」
私はヒルダに今日あったことを話した。
珍しいお菓子を頂いたこと。
クレアにとてもいいお話をして貰ったこと。
彼女と友だちになったこと。
きっと私は誰かに聞いて欲しかったんだろう。
自分でも珍しいと思うくらい、弾んだ声で私は話した。
「――ということなの。私にも何か出来るかしら?」
「フィリーネ様、一つよろしいですか?」
「?」
私がひとしきり話し終えると、ヒルダは堅い声を出した。
私は怪訝に思った。
「何かしら?」
「あまり、その者たちには近づかない方がいいと思われます」
「ど、どうして?」
私は狼狽した。
せっかくお友だちになったのに、近づくななんて。
「その者たちはバウアーの人間。みだりに近づくのは危険です」
「危険って……。クレアはそんな人ではありません」
「そうかも知れません。ですが、そのクレア=フランソワは革命の英雄。ただの学生とは言えないでしょう。下心があって姫様に近づいている可能性があります」
指摘されて、ドキリとした。
自分でも忘れそうになるが、私はこの国の皇女。
悪意を持って近づいてくる輩は少なくない。
私はそれが煩わしくて、人と余り関わらないようにしてきたのだけれど……。
「でも、クレアは違います。彼女はとても真摯に私の話を聞いてくれました」
「それも損得勘定の上かもしれません。姫様の弱みにつけ込んでいるのかも」
「!」
そう言われて、私は言葉を失った。
確かに私は自分に自信がない。
クレアに勇気づけられたことにとても感謝しているし、彼女ともっと親しくなりたいと思う。
……それが、つけこまれていることになるの?
「姫様、ご相談でしたらどうぞ私にお話し下さい。私ならその者たちのような危険性もありません。安全です」
ヒルダはわずかに目元を緩めて微笑んだ。
そうすると、彼女の冷たい美貌が柔らかいものに変わる。
彼女は私のことを案じてくれているのだろう。
「そうですね……。ええ、ヒルダにも聞いて貰います。でも、私はクレアと仲良くなりたいの」
「仲良くなることはいいことです。外交的にも大変意味があることでしょう。ですが、一線は越えない方がよろしいかと存じます。姫様のためにも、我が国のためにも」
国のため――それを持ち出されると、私は弱い。
お飾りの、ただいるだけの皇女でも、私は皇族の一員なのだ。
クレアと話したことで浮き立っていた気持ちが、しゅんとしぼんでいく。
「申し訳ございません、姫様。ご気分を害するようなことを申し上げました。ですが、姫様のお優しい心が傷つけられるようなことは、私には耐えられないのです」
「ええ、分かっています、ヒルダ。ありがとう」
ヒルダとてこんなことは言いたくないのだろう。
彼女は私の為を思って苦言を呈してくれているのだ。
「ご理解頂けて助かります。お部屋までご一緒しましょう。ぜひ、学館のことをおうかがいしたいです」
「いいえ、ヒルダ。忙しいあなたの時間を取ってしまうのは申し訳ありません。一人で行けます」
「そんなことはお気になさらなくても……」
「少し、考えたいこともありますから。それじゃあ、またね」
優しいヒルダの折角の申し出を断って、私は部屋へと足早に戻った。
使用人たちを人払いして、一人にして欲しいと頼む。
学生服のまま、ベッドに倒れ込んだ。
「クレア……」
釘は刺されたが、私はもっとクレアと話してみたい。
もっともっと色んなこと――他愛のない話から踏み込んだことまで。
彼女のことが知りたい、と思う。
予感があるのだ。
「クレアなら、力になってくれるかもしれない」
私も皇族の一人。
自分なりにこの国について真剣に考えている。
お母様は非常に有能な方だが、今のままで本当にいいのだろうか。
ナーの外交方針は超積極外交――いや、侵略外交だ。
強大な国力を背景にしたそれは、これまでは上手く行っていたが、これからもそうとは限らない。
ナーは敵を作りすぎている。
バウアーへの内政干渉の失敗は、三カ国連合という反ナーの動きへと繋がるところだった。
今は時間稼ぎをして軍拡を進めているが、軍事費の増大は他予算を圧迫する。
他の支配地域への目配りも、相対的におろそかになるだろう。
反ナーの動きがもし他の国へも飛び火したら、ナーは敵国に囲まれてしまうことになる。
そうなれば、いくらナーと言えども太刀打ちできないはず。
「侵略外交には、限界がある……」
ナーはどこかで融和外交へと舵を切る必要がある。
それは、今まさにこの時ではないのか。
「でも、お母様が私の言葉なんかに耳を貸すはずがない」
お母様は自分の信念を曲げない方だ。
よほどのことがない限り、今の外交方針を改めることはないだろう。
お母様にはお母様なりのお考えがあるはず。
それを揺るがすというのは、並大抵のことではない。
「私に、何が出来るかしら……」
皇女とはいえ、私に出来ることはそれほど大きくない。
ヒルダのような政治的な才覚もなければ、フリーダのように人を惹きつける人柄の良さもない。
それでも、このまま何もしないでいいとは思わない。
「あんなことを、繰り返させてはいけない」
脳裏に蘇る赤い記憶。
幼い私の心に深く刻まれたあの光景。
私はそれを忘れないように噛みしめながら、しかし、その痛みが胸を苛んだ。
「クレア……」
また話がしたい。
彼女と会って悩みを打ち明けたい。
クレアのあの自信に満ちた笑顔が頭から離れなかった。
「私……どうしてしまったんでしょう……」
胸が苦しい。
クレアの顔を思い浮かべると、とても切ない気持ちになる。
ヒルダに咎められても、もっともっとと彼女を求めてしまう。
「早く、明日にならないかしら」
学館に行けばクレアに会える。
私はやるべきことを早く済ませて、今日はさっさと眠ってしまうことにした。
のろのろと体を起こすと、着替えを呼ぶためにベルを鳴らす。
まずは着替え、そして勉強だ。
「自分に出来ることを少しずつ、よね」
クレアに教えて貰った言葉を噛みしめながら、私は立ち上がった。
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