第112話 紡いだ糸

※本日は二話同時更新です。

――――――――――――――

「あたしたちは何もこいつに踊らされたっていうだけで、革命なんて大それた事を起こしたわけじゃない。切実な理由があってのことだ」


 アーラのよく通る声が、革命の正当性を主張する。

 群衆がそうだそうだと囃し立てる。


「貴族たちはあたしらを顧みなかった。実際に、餓死者が出るところだったんだ。どんな事情があるにせよ、そこにいる二人は貴族の代表者だろう? 責任ってものがあるんじゃないのかい?」


 サーラスと違い、アーラには後ろめたいところがない。

 彼女の言に抗するには、こちらにも大義が必要だ。

 しかし――。


「旧勢力は引っ込んでろー!」

「貴族を殺せー!」

「革命万歳!」


 アーラの言葉に呼応した群衆は、すっかり勢いづいている。

 私は懸命に声を張り上げたが、彼らはこちらの言葉を聞くつもりなどさらさらなさそうだった。

 言いたいことはたくさんある。

 しかし、これでは言葉が届かない。

 どうしたものかと焦っていると――。


 ポロン……。


 喧噪の中に、静かに響く音があった。

 セイン様が竪琴を奏でていた。

 その音は最初、群衆の怒号にかき消されてほとんど聞こえなかったが、徐々にセイン様の近くにいる人から順々に耳に届いた。

 波が引くように、染み渡るように、罵声が竪琴の音色に置き換わっていく。

 最初こそ興奮した群衆からうるさいなどと罵声と共に石を投げられたりもしていた。

 しかし、それでもセイン様は竪琴を奏でることをやめない。

 額から血を流したまま竪琴を奏でるその姿に圧倒されたのか、やがて辺りに響くのはセイン様の竪琴の音だけになった。

 セイン様は竪琴を弾き終わると、静かに言った。


「民よ。一度でいい。彼女の話を聞いてくれないか?」


 深いバリトンは、すでに王の風格を備えていた。

 群衆――そしてアーラまでもが、押し黙って聞く体勢になる。


「レイ=テイラー、申してみよ」

「はい。ご配慮に感謝致します、セイン陛下」


 私はセイン陛下に礼をした後、再び群衆に呼びかけた。


「親愛なる民の皆さん。あなた方の願いは、なんですか?」


 私はゆっくりと問いかけた。

 言葉を慎重に選び、声色や表情にさえ細心の注意を払って。


「あなた方は貴族を殺したかったのですか? 違うでしょう? 切望したのは自らの生活の平穏……違いますか?」


 群衆は戸惑っているように見えた。

 しかし、まだまだ反感の色が強い。

 私は続ける。


「私たち民の平穏のため、これまで誰よりも尽くしてきたドル様やクレア様を、あなた方は殺そうというんですか?」


 私はそこで初めて語気を少し強めた。

 案の定、反論の声が上がる。


「我々民衆は――!」

「民衆なんて言葉で片づけないで下さい! ……あなた、お名前は?」


 名を問われて、叫びかけた男性が言葉に詰まった。


「今石を投げたそちらのあなたは? その横のあなたは?」

「う……」

「私はあなた方自身の考えを聞きたいんです。一人一人名前を持ち、生きているあなた。あなたはドル様やクレア様を、ここで殺してしまいたいって本当に思うんですか?」


 今度は、反論の声はなかった。

 一人一人に名前を問うたのは、群集心理からの脱却を狙ってのこと。


「確かに、貴族の中には平民を顧みなかった者たちがいたでしょう。でも、このお二人は断じて違います」


 民たちが耳を傾け始めてくれているのが分かった。


「ここでお二人を処刑したとして、あなた方は自分たちの子どもにそれを誇れますか? 私たちの革命は正しいものだったと、胸を張って語れますか?」


 こういう話術を教えてくれたのは他ならぬ――。


「クレア様もクレア様です」

「……え?」


 急に話を振られて、クレア様が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「この先平和を取り戻して、皆が笑顔で暮らせるようになった時、クレア様まで死んでしまっていたら、自分を犠牲にしてきたドル様の誇りを誰が取り戻すんですか?」

「そ、それは……」


 クレア様が体勢を立て直す前に私は畳みかけた。


「無実の罪を被って死ぬことが貴族ですか! 犬死にすることが誇りですか!?」

「待って、レイ。わたくしの話を――」

「そんな一時の誇りのために死ぬよりも、一時でもいいから私の為に生きて下さい!!」

「……でも、わたくしは」


 なおも煮え切らないクレア様に向かって、私は――。


「一度くらい、私のワガママ聞いて下さいよ、ばかぁぁぁー!!!」


 思いの丈を叩きつけた。


「ば、バカって……、あなた……」

「うわぁぁぁぁん!!!」

「れ、レイ……」


 言いたいことを全部言ったら、私の中で何かが切れてしまった。

 私はもう思いを言葉にすることも出来ず、ただただ泣いた。

 駄々っ子のように。

 クレア様がおろおろしてるけど知ったこっちゃない。


「お前らさあ……痴話げんかならよそでやってくれ、よそで」


 アーラが苦虫をかみつぶしたような顔で言った。


「おい、誰かこいつを連れて行け」

「イヤです! 私はクレア様からもう一生離れません! クレア様が死ぬって言うなら、私も死にます!」

「ちょ、ちょっと、レイ――!」

「あー、あー! わーった。わーったから喚くな、泣くな。どうせ処刑はなしだろうよ」

「……え?」

「見てみろ」


 戸惑ったように言ったクレア様に、アーラが群衆を指す。


「確かに……もう、貴族に悩まされることはないんだよな」

「私、クレア様に助けて頂いたわ」

「オレも。仕えていた貴族が悪い奴でさ。食いっぱぐれそうになったところを、クレア様が再就職先を斡旋してくれて――」


 流れが、変わっていた。

 アーラはクレア様を縛っていた縄を切ると、遠い目をしながら続けた。


「民が自分の頭で考え始めた。これからはあたし一人が引っ張っていく時代でもないんだろうね」

「アーラ……」

「あたしは目的を達した。貴族なんていうド腐れ制度がなくなるなら、後はどうだっていいのさ。命までは取らないよ。貴族なんて、どうせほっといたってくたばる奴らが大半だろうからね」


 平民に頭を下げて金を借りる元貴族なんてもんも見られるかもね、とアーラは豪快に笑った。


「ほら、行きな。新時代の幕開けに、しけた面は似合わないんだよ」

「……ありがとうございますわ」


 そう言うと、クレア様は私を連れて裁判所を後にした。


◆◇◆◇◆


「……まったくもう、あなたっていう人は……」


 私は議事堂近くにある公園の芝生で正座をさせられていた。

 あるぇー?


「たくさんの人に迷惑を掛けて……反省してますの?」

「あ、あのぅ……クレア様? 普通はこの流れですと、クレア様が殊勝な面持ちで私にお礼とか謝罪を述べる場面じゃないかと思うんですが……」

「何を世迷い言を言ってますの!」

「はい、何でもありませんでした!」

「大体、レイはいつもいつも命知らずで――」


 クレア様の怒濤のお説教が始まった。

 ホントに、どうしてこうなった。


「……まあ、そう責めてやるな、クレア」

「セイン様! ……いえ、セイン陛下」


 凄い剣幕のクレア様を取りなしてくれたのは、セイン陛下だった。


「裁判はもうよろしいんですの?」

「……あんなことがあったからな。中止になった。元々あの裁判は、お前たちを見せしめにするためだけにサーラスが言い出したことだ」


 革命政府的には既に終わった案件だ、とセイン陛下は言う。


「そう言えばセイン陛下。陛下にお礼を申し上げるのを忘れてました」

「……何のことだ?」

「竪琴です。凄かったですね」

「本当ですわ。みな、聴き入ってしまいましたもの」

「……あんなものは、何でもない。ただの手慰みだ」


 竪琴のことは相変わらずコンプレックスの元なのか、話題に出すとセイン様は難しい顔をした。


「あの竪琴はどなたから教わったんですか?」

「……母だ。まだ存命の頃、病床で」

「そうだったんですね。ああ――」


 私はふと思いついたことを口にした。


「セイン陛下は今もなお、お母様に愛されていらっしゃるんですね」


 何気なく私がそう言うと、セイン様が驚いたように目を見開いた。

 私が何か変なことを言ってしまったかといぶかっていると、セイン様の瞳から涙がひとしずく流れ落ちた。


「へ、陛下!?」

「セ、セイン陛下、どうなさったんですの!?」

「……なんでもない。なんでもないが――」


 母はずっと側にいてくれたのだな、とセイン陛下は独り言のようにこぼした。

 彼の中にあった長年のつかえ、それが今取り払われたのかも知れない、と私は思った。


「レイ、クレア、よく頑張ったね。さすがボクが見込んだ二人だ」

「クレア様、お久しぶりです!」

「お姉様! それにレーネまで!」


 久しぶりの再会に、クレア様は嬉しそうに笑った。

 レーネなど、感極まってクレア様に抱きついて泣いている。

 無理もない。

 無理もないんだろうけど――。


「妬けるか、レイ? なんならいつでもオレの元に嫁に――」

「行きません」

「だよなー」


 そう言ってカラカラと笑うのはロッド様だ。

 片腕を失った後だというのに、明るく前向きなその性格は変わらない。

 彼はこれからも、折れず曲がらず歩いて行くのだろう。


「レイさん……クレア様……」

「リリィ様」


 リリィ様は両脇を兵士に固められてやってきた。


「一言、お詫びを言いたくて」

「そんな。リリィ様は悪くありませんよ」

「そうですわ。全てはサーラスの差し金じゃありませんの」


 クレア様も私もそう言ったが、リリィ様は首を振った。


「それでも、リリィがしたことは許されることではありません。リリィは民たちの裁きを待ちます」


 その決意はどうあっても揺るぎそうになかった。


「そうですわね。なら、罪をきちんと償うことですわ」

「クレア様、そんな言い方――」

「そして、償ったら、必ず戻っていらっしゃい。わたくしたちは、いつまでもあなたを待っていますから」

「――!」


 クレア様はそう言って、リリィ様に笑いかけた。

 リリィ様の目から涙がこぼれ落ちる。


「ありがとうございます、クレア様。いつかまた、レイさんを挟んでケンカさせて下さいね」


 そう言い残して、リリィ様は連れて行かれた。


「それにしても、凄いメンツが集まったもんだな」


 ロッド様が集まった面々を見て呟く。

 言われてみるとそうそうたるメンバーだ。

 レーネにランバート様、三王子にミシャ、マナリア様まで駆けつけてくれた。


「本当にそうですね。クレア様もレイも、人の縁に恵まれています」

「それは違うよ、ミシャ」


 感慨深げに言ったミシャを優しく諭したのはユー様だった。


「ここに集まった者たちはみな、レイとクレアに救われたものばかりだ。クレアとレイのこれまでが、こうして今、ここに形となって現れているんだよ」


 うんうんとランバート様も頷いている。

 そっか……。

 クレア様と一緒にあれやこれやと色んな事に手を出してきたけれど、そのどれも無駄ではなかったっていうことか。


「ほらほら、レイ。クレアと再会したら言いたいことがあったんじゃなかったっけ?」


 マナリア様がからかうように言って、クレア様の背中を押した。

 クレア様はたたらを踏みながら私の前にやってくる。


「あー、えーと……、クレア様?」

「な、なんですの」

「いえ……。やっぱり、なんでもないです……」

「煮え切りませんわね……。言いたいことがあったらハッキリおっしゃいな」


 言わないで後悔する日が、また来ないとも限りませんのよ、というクレア様の言葉で私の覚悟は決まった。


「クレア様!」

「だから、なんですの」


 私は、両手でクレア様の肩を抱きながら言った。


「私と結婚してください!」


 クレア様は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて顔を真っ赤にして、


「こ、こここ、公衆の面前で何を言っていますの! そういうのは二人っきりの時に厳かにですわね……!?」


 と、おろおろし出した。


「そうですか? それじゃあ、やり直しさせて下さい」

「い、いいですわよ? 特別に許して差し上げますわ」

「いえ、そちらではなく」

「え?」


 当惑の表情を無視して、私はクレア様の唇を奪った。

 固まるクレア様。

 静まりかえる観客たち。


「ファーストキスがあんな味気ないんじゃ嫌ですし」


 私はしてやったり、と笑ってみた。

 クレア様は耳まで真っ赤にゆであがった。


「も……ももも、もう! 貴女は本当に本当に本当に! 本当にレイなんですから、本当にレイは頭がレイなんですから!」

「私の名前がなんか変な形容詞にされてる!?」


 我に返ったクレア様がぽかぽか叩いてくる。

 いやー、こういうのも生きていればこそだよねぇ。

 などと私がしみじみしていると、


「……幸せにしないと許しませんわよ?」

「「「……え?」」」


 私と観客たちの声がダブった。


「で、ですから、幸せにしないと許しませんわよ!?」

「……」

「な、なんですの。なにか言いなさ……」


 一呼吸置いて、観客から湧き上がる祝福の歓声。

 ニヤニヤ笑いを浮かべるみんなの顔を見るのが恥ずかしくて、私はクレア様の手を取って駆けだした。


「どこへ行くんですの!?」

「どこへでも! もうどこへでも行けますから……二人なら!」


 破滅エンドは蹴っ飛ばしたのだ。

 これからは私たちが自由に物語を作っていく。


 クレア様と私と、二人で。

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