第110話 風ふたたび
クレア様に拒絶されたことで、私は生きる屍となっていた。
どうやってその日まで生きていたのか分からないが、気がつくと私は知らない部屋にいた。
「どうやら正気を取り戻したようだね」
厳しい顔でそう言ったのは、マナリア様だった。
「マナリア様……? どうしてここに?」
「バウアーで革命が起きたと聞いて飛んできたのさ。クレアはどうしたの?」
「……クレア様は――」
私はおずおずと事の顛末を説明した。
クレア様を貴族勢力の中から切り離そうとしたこと。
それは概ね成功したこと。
でも、クレア様自身がそれを良しとしなかったこと。
私の説得も虚しく、クレア様は自ら貴族として滅びる道を選んだこと。
「そうか。それでそんな腑抜けた顔をしていたんだね」
「……申し訳ありません」
マナリア様の挑発にも何も感じない。
全てがどうでも良かった。
手応えのなさに拍子抜けしたような顔をして、マナリア様が続ける。
「諦めるのかい? クレアに諦めるなと言っておきながら、自分はさっさと絶望してしまうのかい?」
「だって……もうどうしようもないじゃないですか」
クレア様自身に生き残る気がないのだ。
それが意地だとかプライドだとかそんなものならまだいい。
クレア様のそれは、生き方だ。
他人にどうこう出来るものとは思えない。
「やれやれ……。こんなことならキミにクレアを任せるんじゃなかった。ボクならもっと上手くやれたのに」
「そうなんでしょうね、きっと」
これも分かりきった挑発。
私にはもうどうでもいい。
そんな私を見て、マナリア様は一つ大きく溜め息をついた。
「……前にも訊いたけど、もう一度問おうか。キミの想いはそんなものかい?」
今度は挑発的な口調ではなかった。
むしろ、こちらを労ってくれるような声色さえあった。
私は少し戸惑ったが、それも少しのこと。
「どれだけ想っても、届かない想いだってあるんですよ、きっと」
ふて腐れたように、私はそう言った。
「そっか、それじゃあクレアのことを忘れられるんだね? それなら――」
マナリア様は私を抱き寄せると、顔を寄せてきた。
ボーイッシュだが文句のつけようのない美人の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
口づけされようとしているという事実を、私はぼんやりと認識していた。
(……そう言えば、クレア様ともしたんだっけ)
何の感慨もない、悪夢のようなキスだった。
あんな――あんなキスが――。
(クレア様との最後の思い出……?)
そう思った瞬間、気がつけば、私はマナリア様を突き飛ばしていた。
「……そう来なくちゃ」
マナリア様はチェシャ猫の笑みで笑った。
「すみません、マナリア様」
「いいさ。ボクは意外と尽くす方なんだよ」
おどけているのは、きっと私を慮ってのことだろう。
「これがもし他の人のことならさっさと諦めろとでも言ったかも知れない。でもボクは、クレアとキミなら言葉を尽くせば分かり合えるって信じてる」
「どうして、そんな……」
「このボクが負けた二人だからさ」
マナリア様は茶目っ気たっぷりにそう言って微笑んだ。
「ボクが認めたキミたちに、乗り越えられない壁など存在しない。それは今のこの難局だって変わりはしないよ」
「でも、実際にクレア様と私は……」
「キミはクレアに想いを伝えたかい? その心の内を全て伝えきったかい?」
「伝えた……はずです」
「本当に? キミはクレアのためを思ってこうしたとは言っただろうけど、キミ自身の言葉で彼女を求めたかい?」
どうだろうか。
あの時は夢中だったから、よく覚えていない。
「キミも分かっているとおり、もうクレアは理屈では止まらない。彼女を止められるとしたら、それは他ならぬキミのワガママに他ならない」
「私の……ワガママ?」
よく分からない。
そんなことでクレア様の心を動かせるのだろうか。
「レイ、キミは大した人物だ。ボクだってここまで用意周到に、クレアを救う手立てを思いついて実行できたとはそうそう思わない。でもね――」
よく聞いて、とマナリア様が言った。
「キミは一度くらい、クレアに感情をぶつけるべきだ」
全てを諦めるのはそれからでも遅くない、とマナリア様は言った。
「終始ふざけて見せてはいるけれど、キミは理性的な人だ。クレアが感情的になりやすいこともあって、これまで努めて冷静に振る舞ってきたんだろう。でもね、一度くらいなりふり構わず、取り繕わず、生の感情を露わにしてみたらどうだい?」
「感情を……露わに……」
それでクレア様が戻ってくるのだろうか。
分からない。
でも、万に一つでも可能性が残されているのなら。
「さて、キミはどうする? クレアを救い出しに行くなら、協力するよ?」
「私は……」
「キミは?」
麻痺していた心が動き出す。
「私は……クレア様を助けたい」
可能性が残されているのなら、私はそれに賭けてみたい。
私の答えに、マナリア様は満足したように笑った。
「その言葉を待っていた。それでこそ、ボクのレイだ」
マナリア様が私の頭を撫でた。
「マナリア様の、じゃありません。私の全てはクレア様のものです」
「ふふ、それだけ憎まれ口を叩ければ、もう大丈夫だね」
最後にぎゅっとハグしてくれてから、マナリア様は言った。
「じゃあ、さっそく始めよう。お姫様を取り戻す算段をね」
チェシャ猫の笑みでそう言うマナリア様に、私はやっぱりこの人には敵わないな、と思った。
◆◇◆◇◆
クレア様はドル様と一緒に公開裁判に掛けられる、と新聞が報じた。
裁判とは名ばかりの公開処刑である。
クレア様の身柄は厳重に警備されていて、その日の他にチャンスはなかった。
公開裁判は議事堂前の広場に柵を巡らせた簡易裁判所で行われるようだった。
私はそれを取り囲む群衆の最前列にいた。
「出てきたぞ!」
群衆の誰かがそう言った。
見ると、柵の向こうから縄で繋がれた貴族が二人連れてこられる所だった。
「……クレア様」
貴族はクレア様とドル様だった。
二人は礼服を身にまとっていた。
ボロを着ていないのは、二人が貴族であるということを群衆に見せつけるためだと思われる。
クレア様もドル様も毅然としていた。
その態度が、また群衆の反感を煽っているように私には思えた。
「国王陛下、ご来場!」
その言葉と共に場に現れたのは、先日正式に即位したセイン様だった。
王室は一応その権威を回復した。
ただし、バウアー王国の統治権は失っている。
国王は君臨すれども統治せず、という地球のどこかの国と似た政治形態である。
セイン様は仏頂面をしている。
彼の場合いつものことだから、その表情からは何も読み取れない。
「これより、人民裁判を始める!」
高らかにそう宣言したのはサーラスだった。
柵の内側には、他にアーラとアーヴァインの姿も見受けられた。
サーラスは群衆を見回すと、さらに続けた。
「ここにいるドル=フランソワならびにクレア=フランソワは、貴族という身分を振りかざし人民を搾取してきた!」
自分のことを棚に上げてよく言う、と私は思った。
「のみならず、王室をないがしろにし、この国を私利私欲で動かそうとした! これは許しがたい犯罪行為である!」
サーラスの扇動に群衆は簡単に乗せられた。
ドル様はともかく、ついこの間まで救国の英雄とまで持ち上げていたクレア様すらも処断しようとする民衆の尻の軽さに、私は憤りを隠せなかった。
裁判は続く。
サーラスはドル様とクレア様にかけられた容疑を読み上げ、その全てを有罪と断じた。
そして、何か反論はあるか、とドル様に問うた。
「何もない。この身は王国に捧げたもの。王国が滅びるとあらば、我が身もまた王国とともに消える定めなのだろう」
ドル様はそれだけ言って、目を閉じた。
「罪人は罪を認めた! よって、これより処刑を行う!」
サーラスの合図で、兵士たちが入ってきた。
その手に剣を携えて。
ドル様とクレア様が膝を付かされ、群衆に向けて首を差し出した。
傍らに立つ兵士が剣を振り上げる。
その時――。
「その裁判、異議あり!」
抗えない流れにそれでも抗う声が、裁判所に響き渡った。
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