第73話 大橋零の初恋(1)
「でさ、その見るからにオタクなヤツが言うわけよ。ボクと付き合って下さい……って。笑わせんなっつーか、笑えねーっつの」
「も、もう……。ダメだよ
「あー、小咲はいい子だねー。あんなオタク男にまで情けをかけるんだから」
「そ、そんなことない……よ。零ちゃんだってそう思うでしょ?」
私は自分の名前を呼ぶ声で我に返った。
少し茶色に染めたショートカットの女子と、肩程までのミディアムボブの黒髪女子が、私を見ていた。
ここは百合ヶ丘学園中等部の教室である。
私こと大橋 零は、普段から仲のいい二人の女子となんでもないお喋りに興じていたのだった。
「零ちゃん?」
「ううん、なんでも。そうだねー。まあ、美咲はモテるから、男子たちへの評価も辛いよね」
「だよね」
そう言って、
美咲はクラスでも中心的な役割を担っている子で、小咲と私はその取り巻き……とまで言うと卑屈すぎるが、まあ、そんな立ち位置である。
スポーツ万能で勉強もそこそこできる美咲は、くるくると表情の動く勝ち気な性格の子である。
小咲はどちらかというと内気で、ともすればいじめられそうなタイプなのだが、美咲と名前が近いことがきっかけで仲良くなり、以来、「咲々コンビ」などと言われて仲のいい関係が続いている。
美咲が大輪の薔薇だとすれば、小咲は路端に咲く一輪のタンポポといったような感じだ。
私はと言えば、背が高いだけが取り柄の一般ピープルで、取り立てて特徴もないただのモブでしかない。
自分を花にたとえるのは気恥ずかしいが、せいぜいセイタカアワダチソウとかそんなものだと思う。
クラスで浮くのはイヤなので、なんとなく美咲のグループに所属している。
もっとも、最近は理由がそれだけではなくなってきているのだが。
「そうかなー。だってさー、アイツらオタクって二次元の女で妄想いっぱいじゃん?」
「へ、偏見だよ、美咲ちゃん」
「いや、絶対そうだって。アタシ兄貴がいるんだけど、やっぱりマンガとか持ってんのよ。で、読ませて貰ったらもう、これが酷いのなんの」
それを皮切りに、美咲はオタク男子が読むマンガが、いかに女への偶像と煩悩で出来ているかを語った。
私もあまりマンガやアニメは見る方ではないが、美咲の言うこともかなり偏っているな、と思った。
もちろん、それを口にすることはない。
男子の世界がどうだかは詳しく知らないが、女子の世界には非常にナイーブな「空気」がある。
その「空気」から逸脱した行動を取った者には、大抵、悲劇的な結末が待っている。
具体的に言えば、いじめや仲間はずれだ。
私はあまり空気が読める方ではないが、それでもここで美咲に意見することの危険性が分からないほど鈍くはない。
小咲が先ほどから美咲の言葉にちょいちょい反論を許されているのは、彼女が美咲のお気に入りだからである。
「オタクって言えば、女子にもいるよね。なんつーの? びーえる? 男同士の絡みに悶えてるヤツら。キモい」
私はその言葉を聞いてドキリとした。
別に私は腐女子ではない。
むしろ逆だ。
私は先ほどから小咲をちらちら見てしまう自分の視線を、無理矢理外した。
私は最近、小咲のことが気になって仕方がない。
彼女の小動物めいたかわいらしさが、とても気になる。
こんな大柄な女でも一応女子だから、可愛いものは好きだ。
だから、最初はそれに類する感情なのかとも思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
髪をかき上げるときの仕草、リップを塗った瑞々しい唇、はにかむような笑顔――そんな小咲の何気ない部分にいちいちときめいてしまう。
私だって年頃の女子だから、知識としては知っている。
こういうのはレズとか百合とかいうあれだ。
私は自分がそんないびつな――とこの時はまだ思っていた――恋愛感情を持っていることに恐怖を覚えた。
異端であるということは、学校社会の中では容易に排斥の対象になる。
先ほど述べた「空気」が真っ先に狙いを定めるのは、そういう者たちなのだから。
私は内心の動揺を押し隠しつつ、そうだね、と美咲に相づちを打った。
万が一にも彼女にバレれば大変なことになる。
「アイツとか、そうなんじゃないの?」
そう言って美咲が指さした先には、また別の女子がいた。
眼鏡を掛けた、天然パーマの子だった。
「
「そんなことないよ。上手だよ?」
「小咲、あんなヤツ、弁護することないって」
小声でたしなめる小咲に対して、美咲の声は比較的大きい。
片野さんには絶対に聞こえているはずだが、彼女は気にするそぶりを見せずに黙々と絵を描いている。
「零はどう思う? ああいうの、キモくない?」
美咲が尋ねる。
言外に同意の強制を匂わせつつ。
「うーん……。まあ、私にはよく分からないかな」
「だよねー。理解不能。ホントキモい」
中立的な意見を私は述べたつもりだが、美咲はそれを肯定と受け取ったらしい。
私は片野さんに悪く思われていないかな、などと小者そのものでしかないことを考えた。
片野さんをちらっと見ると、彼女と目が合ってしまった。
慌ててそらす。
「なに、片野? なんか文句でもある?」
「……別に」
片野さんがこちらを見ていることに気づいて、美咲が威嚇した。
片野さんは小さな声で応えると、すぐに絵を描く作業に戻った。
「なにアイツ。感じわる」
「美咲ちゃん! もう……。ごめんね、片野さん」
吐き捨てるように言う美咲と、取りなすように言う小咲。
私は猛烈に気まずかったが、今さら口にした言葉の意味を美咲に言い訳することも出来ない。
結果的に、私も片野さんをのけ者にすることに加担していることになる。
罪悪感が胸を重たくする。
「これだからオタクっていう人種はキライなのよ。空気も全然読めないしさあ」
「まあまあ……。片野さんはマイペースなんだよ、きっと」
その後も、美咲は片野さんを含めたオタク一般をあしざまにまくしたてた。
私はそこまで言わなくてもと思ったが、やはり反論することは出来なかった。
学校の女子社会という枠組みから外れることは、それほどに恐ろしかったからだ。
何もしていなくても、爪弾きにされることはある。
そんなただでさえ壊れやすい関係性の中で生きて行くには、「空気」を読むしかない。
でも、一方で私は片野さんのあり方に憧れを覚えてもいたのだ。
「空気」なんてものともせず、自分の好きなことは好きだと言える、そのあり方。
片野さんは明らかに私にはない強さを持っている。
孤独になることを恐れていないように見えるその姿に、私は強い羨望を覚えた。
(彼女のようになれたら、私も小咲に――)
ふと湧いたその危険な思考を、私は頭を振って追い出した。
「どうしたの、零ちゃん?」
「ううん、何でもない」
私に向かって小首をかしげる小咲に、私は誤魔化し笑いで応えた。
この思いは、違う。
友情をちょっと勘違いしてるだけだ。
よく言うじゃない。
私たちくらいの女子は、同性に恋愛感情に似た感情を覚えることがあるって。
きっと大きくなったら、私も普通に男の人を好きになるはず。
だから、私は異常じゃない。
この時の私は、まだ色んな事が怖いだけの小娘だった。
でも、人はいつまでも子どもではいられない。
それから程なくして、私はそれを思い知ることになる。
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