第61話 テイラー家
「クレア様、覚悟はいいですか?」
「……大げさじゃありませんの?」
クレア様と私は、私の実家の扉の前にいた。
扉にはテイラーと書かれている。
その名の通り、私の家は服屋なのだ。
私はクレア様に最後の確認をしたかったのだが、クレア様はあきれ顔である。
「じゃあ、いいんですね?」
「さっさとなさいな」
クレア様が促すので、私は扉を開けた。
「ただいまー」
「お邪魔致しますわ」
声を掛けて中に入ると、すぐにいらえがあった。
「はーい……あら?」
店の奥から出てきたのは、十代にしか見えない若い女性だった。
「あらあらあらあら、レイちゃん! お帰りなさい」
女性は私に駆け寄ると、熱烈なハグをしてきた。
私の肉親とは思えない豊かなお胸が、私の顔を圧迫する。
「く、苦しいです」
「あら、ごめんなさい」
「……レイのお姉様ですの?」
私たちの抱擁を見て、クレア様はそんな感想を抱いたようだった。
「まあまあまあまあ、お姉様だなんて。お上手なお嬢さんだこと」
女性は頬に手を当てて照れながらくねくねしている。
「……母です」
「レイの母です、可愛いお嬢さん」
「……姉にしか見えませんわ」
そう、この女性こそ、前世の記憶が戻ってから初めて会う私の母親――メル=テイラーである。
容姿がとても若々しく、とても私くらいの娘がいるようには見えない。
姉妹に間違えられることがしょっちゅうである。
「あらあらあらあら、本当にお上手ね。ところでレイ、こちらのお嬢さんは?」
褒められて舞い上がっていた母が、はたと気づいた。
「クレア=フランソワ様。財務大臣ドル=フランソワ様の一人娘だよ。今の私のバイト先」
「クレアですわ。どうぞよしなに」
ここに来る途中、クレア様はなぜか身分を隠したがったが、流石に両親にまで隠す必要はないだろう。
私はクレア様を紹介し、クレア様も平民にするにしては割と丁寧に自己紹介をした。
それを見た母は、一瞬ぽかんとした後、
「娘がお世話になっています。どうかこれからもよろしくお願いしますね」
と、柔らかい微笑みを浮かべながら言った。
「……ちょっと、レイ。この方のどこがアレなんですの。素敵なお母様じゃありませんのよ」
クレア様が小声で非難してくる。
散々脅したせいか、かなり警戒していたのだろう。
「いえ、確かに母は一見無害そうなんですが……」
「が?」
「クレア様、上着どうしました?」
「え?」
そこで初めて、クレア様は上着がなくなっていることに気がついた。
「あ、ごめんなさい。私ったらまた……」
そして、その上着は母の手に収まっている。
「ちょっ!? どういうことですの!?」
「母は気に入った相手を無意識に脱がせる悪癖があるんです」
「本当にアレでしたわね!?」
クレア様は母から上着をひったくると、身の危険を感じたのか一歩距離を取った。
「ご、ごめんなさい! あんまりにも理想的なボディラインをなさっているから、採寸したいなって思っていたらつい……」
「つい、で脱がせるのはどうなんですのよ!?」
「母にも自覚はないんです。気がついたら脱がせているらしくて」
「無意識に出来ることじゃありませんわよね!?」
クレア様の言うことはいちいちごもっともなのだが、こればっかりは事実なのでどうしようもない。
「……何の騒ぎだ?」
続いて姿を現したのは、身長一八〇cmほどはあろうかという巨漢の男だった。
「あらあなた。レイちゃんが帰ってきてくれたの。とっても可愛らしいお嬢さんを連れて」
母の説明に、父は鋭い眼光をこちらに飛ばしてきた。
「ただいま、お父さん」
「お、お邪魔していますわ」
私は慣れっこだが、クレア様は若干怯えた様子である。
娘が言うのも何だが、私の父は顔が怖い。
しかし――。
「……お初にお目に掛かります、クレア様。この町で服屋を営んでおります、バン=テイラーと申します。娘がお世話になっております」
そう言って、父は礼をとった。
「私のことをご存じでして?」
「……この国で王族に次いで有名なご令嬢のことを、知らぬはずがございません」
「そうですの? どうぞお楽になさって」
「……恐縮です」
父の態度に、クレア様は少し警戒感を弱めたようだった。
「お父さん、クレア様を何日かうちに泊めたいんだけどいい?」
「まあまあまあまあ。大歓迎ですよ。ねえ、あなた?」
「……うちのような貧乏家にお泊まり頂くのは無礼ではないか?」
母は乗り気のようだが、父が難色を示した。
「無礼などということはありませんわ。こちらが泊めて頂くのですから、我が儘は申しません」
「あらあらあらあら。なんて謙虚な貴族様でしょう。いいんですよ、少しくらい我が儘仰って」
クレア様は私がびっくりするくらい殊勝なことを言った。
母はその様子にまたクレア様に対する好感度を上げたようだった。
「……しかし、部屋がないぞ?」
「レイと同室で構いませんわ」
「……寝る場所が……」
「簡易ベッドを母屋から運べばいいじゃありませんか。クレア様にはレイのベッドを使って貰って、レイは簡易ベッドでいいわよね?」
なおも難色を示す父にクレア様と母が食い下がる。
「何でしたら一緒のベッドで寝ます?」
「あらあらあらあら? 二人はそういう関係なの?」
「うん」
「違いますわよ!? ……いえ、この際同じベッドでも構いませんけれど」
ホント、クレア様どうしたのだ。
まるで借りてきた猫のようである。
「……簡易ベッドを運んでおく」
「お願いしますね。じゃあ、今日はもう店を閉めてしまいましょう。うふふ、晩ご飯は期待しててね?」
などと言って、両親はクレア様歓迎の準備をしに、奥へ引っ込んでいった。
と思っていたら、
「あなた。せっかくレイちゃんが恋人を連れて帰ってきたのに、あの態度はないんじゃありません?」
「お前な……。フランソワ家のご令嬢相手に何を血迷ったことを……」
奥から何やら聞こえて来るが、私は知らん顔をした。
クレア様にも聞こえたのか、複雑な顔をしている。
「部屋に行きましょうか。こっちです」
「ええ」
微妙な空気を打ち消すように、私はクレア様を自室へ案内することにした。
クレア様の着替えなどの荷物が入った鞄を両手に抱えて二階へ上がる。
私の自室は寮の部屋よりもさらに狭かった。
六畳ほどの部屋に勉強机とベッド、それにタンスが一つという質素な部屋だった。
それでも、自室を持っているというだけで、平民にしては恵まれている方だった。
兄弟姉妹がいたら、こうは行かなかっただろうが。
鞄を床に置き、ひと心地つく。
「ここがレイの部屋なんですのね」
「何もないところでしょう?」
「……そうですわね。でも、不思議と落ち着く部屋ですわ」
そう言うと、クレア様はベッドに腰掛けて部屋を見回した。
私も机の椅子を出してきて座る。
「面白いご両親ですわね」
「よく言われます」
「特にお母様は、なるほどあなたのお母様だと思いましたわ」
「よく言われます」
クレア様に相づちを打つ。
父は愛想はないが比較的常識人なのに対し、母は常識人というには少しアレである。
それでも、人から嫌われないのが母の不思議な所なのだが。
「それより、うちに泊まりで本当に良かったんですか? 近くに宿もありますよ?」
「構いませんわ。わたくしにしてみれば、平民が使うような安宿もここも大差ありませんもの」
「そうですか」
ならいいのだが。
「あ……でも……」
「?」
「考えてみたら、ご家族の方には負担ですわよね」
「まあ、負担がないと言えば嘘になりますね」
平民の生活は苦しい。
客をもてなすということもそう軽々に出来ることではないし、まして今回はクレア様という貴族のご令嬢が相手だ。
歓待するとなれば、その負担はかなり大きいものにならざるをえない。
「まあでも、あの母ですから上手くやるでしょう」
「そ、そうですの?」
「母はあの悪癖以外は、比較的有能な人なんですよ」
可愛い女の子に目がないのは母も同じである。
クレア様のような可憐なご令嬢を歓待できるとなれば、母はなんとしても費用を捻出するだろう。
「まあ、クレア様はあまり難しいことを考えずに、ゆっくりしてて下さい。私は荷ほどきしちゃいますから」
元々、クレア様の気分転換になればと思ってお屋敷から連れ出したのだ。
あまり気を遣われては、来て貰った意味がない。
「そうさせて貰いますわ」
そう言うと、クレア様は疲れがあったのか、ベッドに横になってすやすやと寝息をたて始めた。
「……少しは信頼されてきた……ってことかな?」
私のベッドで無防備に寝顔をさらしてくれるクレア様の様子に、ちょっぴり自尊心をくすぐられながら、私はいそいそと荷ほどきを始めた。
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