第35話 政体問答
第三王子であるユー様はロッド様やセイン様と母親が違う。
ロッド様とセイン様の母親は隣国アパラチアの姫君だったが、セイン様を生んですぐに亡くなった。
この辺りもセイン様の面倒くささを加速させる要因になっているのだが、今は詳しく触れない。
現王妃でユー様の母親であるリーシェ様は、元々、精霊教会の枢機卿だった。
地球におけるカトリックとは違い、精霊教会では女性も高い地位に就くことが出来るのだ。
むしろ、女性には霊的・神秘的な力が強く宿るとして、男性よりも強い力を持つことすらある。
現に、現教皇は女性であるのだが、これまた今は話の本筋ではないので割愛する。
今、大事なのは、ユー様に教会勢力の血が流れているということである。
元々、国王がリーシェ様を娶ったのには、勢力を増しつつあった教会の力を吸収しようという狙いがあった。
だがそれは、同時に教会勢力が王家に近づくということでもあり、結果的に教会は以前にも増して力をつけている。
ユー様はそんな教会勢力の権威の結晶とも言うべき存在である。
「ユー様に限って、そんな軽々しい真似をするとは思えませんわ」
レーネの話を聞いたクレア様の第一声はこれだった。
ユー様は一見すると世間知らずの王子様に見えるが、その実はとんでもない狸だ。
それだけに、自分の微妙な立場は分かっているはずであるし、平民運動家と軽々しく接触できないことも分かっているだろう。
ところが――。
「いいや、会ったよ」
「!? ユー様!?」
突然、話に割り込んできたのは、他ならぬユー様だった。
「何でも、教会の力を借りたいって言われてね。断ったけど」
ニコニコと微笑みを絶やさないまま、ユー様はそう言った。
「ユー様にしては軽率でしたわね。平民側としては、ユー様に話を聞いて頂けたというだけでも価値があったでしょうに」
「そうかな? 結局は断ったわけだし、そこまでのことにはならないと思うよ。というか、教会としては門は誰にでも開かれているわけだから、最初から会わないっていう選択肢はなかったんだよ」
クレア様の反論に、ユー様は柔らかく返した。
「ユー様は王族であって教会の方ではないのでは?」
私は思ったことをぶつけてみた。
「まあ、建前上はそうだね。でも、僕の母様が元枢機卿で、教会勢力の筆頭であることはれっきとした事実なわけだし」
あくまで問題はなかったとするユー様。
クレア様は腑に落ちない顔をする。
「でも、建前は建前として、それを理由にお会いになるのを避けることは出来たのでは?」
「そうだね。でも、そもそも僕は平民運動とやらに、それほど忌避感がないんだよ」
まさかのびっくり発言である。
「正気ですの?」
「ねえ、平等という思想はそれほど悪いことかい?」
クレア様の質問に質問で返すユー様。
「善悪の問題以前に、非現実的かと思いますわ。貴族がいなくなったら、誰が国を運営していきますの?」
「それはもちろん、平民さ」
「高等教育を受けた貴族ならともかく、読み書きすらおぼつかない平民に、政(まつりごと)が出来るとは到底思えませんわ」
「逆に言えば、平民にも教育を施せば問題ないということじゃないのかい?」
「それは……」
言葉を詰まらせるクレア様。
ユー様の考え方は、幾分、地球における民主主義に近い。
「僕はね、貴族制というものはやがて無くなる運命にあると考えているんだよ」
「!? なんということを!」
「先入観を捨てて冷静に考えてごらん? そもそもの数が貴族と平民とでは圧倒的に違う。平民たちが本気で武装蜂起したら、貴族に止められると思うかい?」
「軍がおりますわ」
クレア様としては、貴族制が崩壊するなどという事態は絶対に認められないのだろう。
あくまで冷静なユー様に対して、幾分感情的になっているように思える。
「軍は確かに強い。でも、今は魔法がある。平民でも軍人に匹敵する力を持つ個人はこれからたくさん出てくるよね。そうなったら、やはり最後にものを言うのは数だよ」
「しかし……!」
「そもそも、貴族は領民からの税によって生かされている存在だ。領民が支配を拒むようになった時、それでも支配を正当化できる論理があるかい?」
「……」
クレア様が黙り込んでしまった。
これまで息をするように信じていた貴族制度の正当性を揺らがされて、目に見えて動揺している。
「クレア様」
「……なんですの」
「難しい話ばかり聞いてお腹がすきました」
クレア様がずっこけた。
「あなたはまた……。空気を読みなさいな、空気を」
「あはは、確かに柄でもなく難しい話をしたね。クレア、ごめんね?」
「……いえ」
「さあ、食堂に行こう。少し遅れてしまったから、混んでいるかもしれないね」
政治形態の話をしていたのと全く同じ口で、昼食は何にしようかななどと言いながら、ユー様は会議室を出て行った。
本当に食えない人だ。
「ちょっとあなた」
ユー様に遅れて会議室を出て行こうとしたとき、クレア様が不意に私を呼んだ。
「何ですか、クレア様」
「先ほどのユー様のお話、どう思いまして?」
「難しかったです」
「理解出来ないほど?」
「理解は出来ましたが……」
私に意見を求めるなんて、どういう風の吹き回しだろう。
「あなたも、貴族制はいずれ立ちゆかなくなるとお思い?」
「分かりません」
「……そう」
「分かりませんが、たとえクレア様が貴族でなくなっても、私はクレア様にお仕えしますよ」
そう言うと、クレア様は驚いた顔をした。
「どうしてですの? 貴族制がなくなって、運動家たちの言うような世界が実現されれば、わたくしに仕える理由などないでしょう?」
「いいえ。何度も申し上げているでしょう? 私がクレア様に仕えるのは愛ゆえにですって」
クレア様は顔をしかめた。
「また冗談ですの」
「冗談なんかじゃありません。大真面目です」
「はいはい。あなたに訊いたわたくしがバカでしたわ」
そう言うと、クレア様は食堂への道を一歩踏み出した。
私も後に続く。
「クレア様。私、本気ですよ?」
「はいはい。で、今日は何を食べますの?」
「牛丼定食です」
「……またですの。あなたそれ好きですわね?」
「クレア様が私の食事の好みを覚えて下さった!」
「なんの感動ですのそれは。これだけ何度も目の前で食べられたら、いい加減バカでも覚えますわ」
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすクレア様。
「クレア様もいかがですか、牛丼定食」
「結構ですわ。ただでさえ不満足な食事が、余計に不味くなりますもの」
「じゃあ、一口差し上げますよ」
「いりませんったら」
「え? あーんしてくれないとやだ?」
「言ってませんわよ!?」
だんだん調子が戻ってきたようである。
「クレア様」
「何ですの?」
「世の中がどう変化しても、クレア様のことは必ずお守りしますよ」
「だから! わたくしはあなたなどに守って貰わずとも――」
そこまで言って、クレア様は私の真剣な顔に言葉を詰まらせた。
「必ず、何があっても」
「……なんですのよ、全く」
珍しく私がシリアスしたせいか、クレア様が戸惑っている。
「さしあたっては、まずあれからですね」
私は食堂の入り口を指さした。
めっちゃ混んでいる。
「……」
「さあ、クレア様、行きますよ!」
げっそりした顔のクレア様を、私は引っ張っていった。
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