第17話 魔物

 その魔物は透き通った不定形の化け物だった。

 ロールプレイングゲームに出てくるスライムを、十メートル近くに巨大化して凶悪化したような感じだと言ったら伝わるだろうか。

 表面は青白い光沢のあるぶよぶよとした質感で、透けて見える体内にはトレッド先生が解説していた魔法石の核が浮いているのが見える。

 スライムはのそのそと鈍重な足取りでこちらににじり寄ってきた。


「ウォータースライムだ! しかも大きいぞ!」


 誰かがそう叫んだ。

 ウォータースライム自体は中程度の脅威度の魔物である。

 脅威度中とは、傭兵が五、六人もいれば討伐できるくらいの危険性を指す。

 ただ、このウォータースライムは大きい。

 ちょっとした家くらいはあるんじゃないだろうか。


 スライムと聞くと某有名RPGの可愛いアレを思い浮かべる人も多いだろうが、元々スライムというのはそんなに弱いモンスターではないのだ。

 物理攻撃が通じず、むやみに近寄ると頭から丸呑みにされる。

 飲み込まれると中から倒すのは至難の業で、多くの場合は火を使わないと倒せない。


「みんな、下がりなさい!」


 トレッド先生がすぐさま避難を呼びかけながら、魔法杖を構えて前に出た。

 素早く火炎弾を放つが、それはスライムの表面を軽く蒸発させただけで、さしたる傷を与えたようには見えなかった。

 それでも、トレッド先生は二発、三発と立て続けに火炎弾を発射して、スライムの注意を引きつけようとしている。


「ちょっとレイ、あなたも下がりなさい!」


 ミシャが険しい声で避難を促すが、私はそれを振り切ってトレッド先生の横に並んだ。


「君! 早く避難を!」

「あの魔物は水属性。効果的な属性である風属性を、先生は使えませんよね?」


 前は割愛したが、属性には相性がある。

 「火>地>風>水>火」といった感じで、じゃんけんのようになっているのだ。

 水属性のこのスライムには、風属性が一番効果的だ。

 一般的なスライムに有効な火は、逆にそれほど効果が高くない。


「それはそうだが、そんなことは言ってられん!」

「私も加勢します」


 私は素早く魔力を編むと、スライムの周りに土壁を生成した。


「なんと。あれほどの魔力壁を瞬時に形成するとは……。初心者とは思えん」


 この魔物襲撃イベントは私の中で織り込み済みのことだった。

 魔法の練習は講義以外にも暇を見つけてずっと続けていたのだ。

 魔法を使う、ということがどういうことなのか、その実感を得られるまでは少し時間がかかったものの、一度コツを掴んでからの上達は早かった。

 もともとこのヒロインの身体は、魔法に秀でている訳だし。


「先生、みんなに攻撃魔法の指示を」

「う、うむ」


 私の魔法の扱いが素人ではないということを見抜いたのだろう。

 トレッド先生は残りの生徒たちに、ありったけの攻撃魔法を放つように指示した。


「放て!」


 トレッド先生の号令とともに、大小様々な魔力弾や魔法矢がスライムに放たれた。

 素養や習熟度によって威力の大小こそあるものの、数自体はかなり多い。

 次々にスライムに着弾し、噴煙が上がる。


「やったか?」


 希望的観測を誰かが口にした。

 いや、それはフラグでしょ、などと私が思っていると――。


「グォーーー!」


 スライムは健在だった。

 どこに口がついているのかしらないが、激高したように雄叫びを上げる。

 獰猛な響きを持つその声に、生徒たちが萎縮してしまった。

 これは魔物の持つスキルの一つで、ヘイトクライというものである。

 魔力を帯びた雄叫びで、相手を居すくませる効果がある。

 生徒の大半が動けなくなっているようだ。


「くっ……」


 トレッド先生と私は大丈夫だったが、それでも攻め手を欠いたのは少し厳しい。

 おかしいな。

 私のシミュレーションだと、私が動きを止めてみんなが攻撃して、それで終わりだったんだけど。

 私は二重属性持ちデュアルキャスターだから、防壁を展開しつつ攻撃魔法を使うことも出来るのだが、土属性をすでに防壁に使っているし、残りの水属性はスライムと同属性だから効果が薄い。

 ちょっと困ったことになった。


「一旦、引くぞ! 軍に任せよう」

「だめです。ヘイトクライで動けない生徒がいます。離脱出来ません」

「ぐ……」


 これは結構まずいかもしれない。

 ちなみにゲーム本編だと、ピンチに陥ったヒロインを攻略対象がかっこよく助けてくれることになっている。

 今は私がその名前を叫ぶシーンなのだ。

 ゲーム画面があれば、こんな選択肢が示されてるところだろう。


 →ロッド

  ユー

  セイン


 でもまあ、私が名前を呼ぶとしたら、この三人なわけはないわけで。


  ロッド

  ユー

  セイン

 →クレア(NEW!)


「助けてください、クレア様!」

「あ……え……?」


 突然名前を呼ばれたクレア様は、見事に萎縮していた。

 あちゃー。

 このシーン、クレア様もヘイトクライにかかってたのか。

 やばいな。


「しっかりしろ! クレア=フランソワ!」


 そう言ってクレアの肩を揺さぶったのは、なんとセイン様だった。

 他の二人の王子のせいで無能な印象が強いセイン様だが、実はこと魔法に関しては王子たちの中で一番適性が高い。

 そのため、ヘイトクライからの立ち直りも早かったんだろう。


「セイン様……」

「俺が援護する。お前はありったけの魔力でスライムを攻撃しろ」

「わ、私……」

「大丈夫だ。お前なら出来る」


 セイン様の属性は風属性である。

 攻撃魔法が使えれば、水属性のスライムには一番効果的な属性なのだが、セイン様は補助魔法特化なのである。

 その辺りも、セイン様の人気がない理由の一つである。

 でも、クレア様の補助に回ってくれるなら、これほど頼もしいことはない。


 まあ、どうでもいいんだけど、ヒロインを置いてけぼりでいいシーンを展開しないで欲しいとは思う。


「わ、わかりましたわ!」

「よし」


 クレア様の目に力が戻った。

 勢いよく立ち上がると、セイン様と二人でスライムに向かいあった。


「はぁっ!」


 クレア様が魔法の槍を放った。

 セイン様への愛がなせる業なのか、超特大の炎槍である。

 さすがクレア様。

 高適性は伊達じゃない。


 ただ、火属性はそのままだと水属性とは相性がよくない。

 どうするかというと――。


「エンチャントウィンド!」


 セイン様の魔法が発動すると同時に、炎槍の色が白に変わった。

 風属性付与の魔法である。

 これを使うと、攻撃魔法の属性を換えることが出来るのだ。

 魔法初心者には少し難しいこの魔法だが、セイン様たち王族は護身の為に幼い頃から魔法の手ほどきを受けている。

 それが功を奏した。


 超特大の風属性魔法槍は、巨大なスライムのどてっぱらに大穴を開けて貫通した。


「グォォォッ!」


 どうやら、核に直撃だったようだ。

 悲鳴とともに、スライムがどろどろに溶けて崩壊していく。


「なんとか……なったか」


 トレッド先生が安堵の息を漏らした。

 遅れて、生徒たちから歓声が上がる。


「凄いですわ、クレア様!」

「あんな恐ろしい化け物を倒してしまうなんて!」


 萎縮が解けたクレア様の取り巻きたちが駆け寄り、やんややんやと囃し立てる。

 取り巻きたちだけではない。

 命を救われた全員がクレア様を褒め称えた。

 クレア様は照れくさそうに、でも嬉しそうに笑っている。


 そんな人だかりからそっと離れていく人物がいた。

 セイン様である。

 彼だって今回のスライム撃退の立役者のはずなのだが、彼の貢献度は素人にはわかりにくい。

 トレッド先生はもちろんその功績を分かっているのだろうが、今は別の魔物の追撃を警戒していてセイン様を褒める余裕はないようだ。


 でも、そんなセイン様に駆け寄る人物がいた。

 クレア様である。

 クレア様は人だかり抜け出してセイン様に声を掛けた。


「セイン様!」

「……」


 クレア様の声に、セイン様が面倒くさそうに振り返る。


「あの、ありがとうございました。わたくし一人では、とてもあのスライムを倒すことなど出来ませんでしたわ」

「そんなことはない。俺などいなくても、お前なら大丈夫だっただろう。だが――」


 セイン様はそこで色のない表情をふっと緩めて――。


「よくやったな」


 そう言って僅かに微笑むと、クレア様の頭を撫でた。


「……はい」


 最初はびっくりして硬直していたクレア様だが、やがて表情を和らげて心底嬉しそうに微笑んだ。


◆◇◆◇◆


 そんなラブコメ空間を離れて私が何をしているかというと――。


「あ、いたいた」


 私の眼下には先ほどのウォータースライムを何十分の一にも小さくしたような、小さな水の塊があった。

 いや、いた。


「怖がらなくていいよ。さあ、おいで」


 私がそっと手を伸ばすと、水の塊がゆらりと揺れた。

 この子は先ほどのウォータースライムの赤ちゃんである。

 ウォータースライムが襲ってきたのは、子連れで近くを通りかかった時に、私たちが魔法の練習で的を外した流れ矢が直撃したからである。

 つまり、彼女たち(雌なのだ)にとっては、自衛行動に他ならない。


「大丈夫。おいで」


 私は両手でそっとスライムの赤ちゃんを持ち上げた。

 スライムはふるふると震えている。

 まだ怖いのだろう。


 魔物は実は飼い慣らすことが出来る。

 使役者と同属性であることが条件だが、私の場合、水と土属性であれば問題ない。

 こうして飼い慣らされた魔物を従魔という。


「あなたを従魔にするね。ここに契約を」


 スライムの核となっている魔法石に触れて魔力を込める。

 核は青色から赤色に変わった。

 赤色の核は従魔の証だ。


「ママのことはごめんね。でも、私がキミのママになるよ」


 私はスライムの表面をそっと撫でた。

 ふるり、と冷たくてぷるぷるした感触が伝わってくる。


「そうだ。キミの名前を考えないとね」


 とは言え、この子の名前はゲームプレイ時からずっと決めている。


「キミの名前は、レレアだよ」


 レイ+クレアでレレア。

 いい名前だと、私は思っている。


「よろしくね、レレア」


 レレアは返事をするように、またふるりと身を震わせた。


◆◇◆◇◆


「平民! どこに行っていましたの!」


 みんなのところに戻ると、なぜかクレア様に怒られた。


「ちょっと野暮用を済ませてまして」


 さっきの今でみんなを怖がらせてもいけないので、レレアはポーチの中である。

 いずれはみんなにも紹介することになるだろうが、今はさすがに間が悪い。

 下手をすると、殺してしまえと言われかねない。


「帰ろうと思ったらあなたの姿が見えなくて、みんなで探してましたのよ?」

「ごめんなさい」

「ふん! これだから平民は……」


 くどくどと嫌みを言われるかと思ったのだが、クレア様の追撃が来ない。

 どうしたのだろう、と思っていると――。


「……まあ、平民にしてはよくやりましたわ」

「は?」

「だから! よく足止めしてくれましたわ、と言ってるの!」


 あらあらまあまあ。


「デレ期ですね。とうとう来ましたか」

「来てませんわよ!? っていうか、そのデレ期ってなんですの!? 不穏な響きにしか聞こえませんのよ!?」


 照れ隠しにまたギャーギャー言うクレア様。

 相手が気に入らなくても、ちゃんと言うべきことは言える。

 これだからクレア様、好きなんだよなあ。


「クレア様」

「なんですの?」

「ご無事で何よりでした」

「……ふん!」


 ぷいっと顔を背けて、クレア様は歩き出した。


「何をぼさっとしてますの! さっと行きますわよ!」

「はい!」


 私は犬だったら尻尾をぶんぶん振っていただろうな上機嫌で、クレア様の後を追いかけた。


――――――――――――――――――――――――――

次回は明日19時更新の予定です。

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