第10話 メイドの日々。(1)

「おはようございます、クレア様」

「……」


 クレア様の朝の支度を手伝うために部屋を訪れた私を、クレア様は胡乱な目で見返してきた。

 うん、たまらん。


「……本当にあなた、わたくしのメイドになりましたのね」

「はい。これからたくさんお世話します」

「そこはお世話になります、ではなくて?」

「え? でも、私メイドですから、クレア様のお世話をする側ですよね?」

「そういうことを言ってるんじゃありませんわ!」

「ええ、私もからかっただけです」

「むきー!」


 朝から元気だなあ、クレア様。


「レイちゃん、あまりクレア様を困らせてはダメよ? はい、クレア様。お着替えをお持ちしましたわ」


 おっとりとした声で私をいさめるこの人は、クレア様付きのもう一人のメイドで、レーネ=オルソーという。

 年齢は私たちよりも少し上。

 亜麻色のふわふわな髪をした、どこか包容力を感じる女性である。


「おはよう、レーネ。着せてちょうだい」

「あ、私にやらせて下さい!」

「あなたは下がってて下さる!?」

「あらあら、仕事熱心ね?」


 下心丸出しの私とキーっと威嚇するクレア様を、レーネはニコニコと見守っている。

 レーネは私と同じ平民の出身なのだが、平民とは言ってもこの国有数の豪商オルソー商会の長女で、お金にはさほど困っていない。

 そんなレーネがなぜクレア様のメイドなどをやっているかというと、これには商会の思惑が絡んでいる。

 クレア様のお父上であるドル様は財務大臣。

 商会としては、ぜひとも縁故を繋いでおきたい相手だ。

 そこでオルソー商会は、長女のレーネをクレア様のメイドにすることで取り入ろうとしているのである。


「せっかくだから、レイちゃんに着せて貰いましょう」

「嫌よ! この平民のことだから、ろくなことにならないわ!」

「まあまあ。この先、私が体調を崩してクレア様のお着替えをお手伝い出来ないこともあるかもしれません。そうなった時、レイちゃんが不慣れではクレア様が困りますよ?」

「……それは……そうかもしれないけど」


 ここまでのやりとりでお分かり頂けると思うが、レーネはクレア様に大層気に入られている。

 レーネはなんというか、クレア様の操縦がとても上手いのだ。

 下手には出ているが、その実、クレア様を手のひらで転がしているような節がある。

 ただのおっとりお嬢さんではないのだ。


「レイちゃんも、クレア様をからかうのはほどほどにね。愛があふれちゃうのは仕方ないけど」

「はい」

「レーネ!」

「ふふ、冗談ですよ」


 ほがらかに笑うレーネは、まるでクレア様の姉か何かのようだ。

 実際、二人の付き合いは長い。

 レーネはクレア様が物心つく前からメイドとして働いている。

 クレア様のメイドは何人もいるが、その苛烈な性格のせいでその多くが長く勤められずに変わっている。

 しかし、レーネだけはずっとクレア様に仕え続けているのである。

 この辺りはゲーム中では語られていないが、設定資料集に詳しい。


「さあ、着替えましょう。レイちゃん、クレア様の服を脱がして?」

「はい。クレア様、失礼します」

「……」


 観念したのか、クレア様は私に体を任せた。

 クレア様が身につけているものは、どれも特注の超高級品である。

 それはパジャマも例外ではない。

 なめらかなシルク製で、麻や綿の衣服が主流なこの世界ではそうそうお目にかかれない一品だ。


 とはいえ、私の目はパジャマをほとんど見ていない。

 クレア様を舐めるように見ているからだ。

 まごう事なきセクハラである。

 

 間近でみるクレア様はちょっとやばいくらいにお可愛らしい。

 その肌はキメが細かく、シミ一つ無い白磁。

 身長はそれほどではないものの、手足がすらりと長く、肉付きは理想的な曲線を描いている。

 まさに非の打ち所がない、完璧美人なのだ。

 つり目がちの目は、賛否が分かれるのかもしれないが。


「……視線がよこしまじゃありませんこと?」

「失礼しました。クレア様があまりにもお綺麗なもので」

「世辞など聞き飽きていますわ。まだ終わりませんの?」

「もうちょっと眺めていたいのですが」

「さっさとしなさい!」


 残念である。


 気を取り直して、学院の制服を着付けていく。

 王立学院の制服は、現代日本で言えばブレザーに近いが、デザイン性が非常に高く優美な印象を与える。


 この世界では、制服がある学校の方がむしろ少ない。

 制服なんぞというものを作る意味があまりないからだ。

 平民はそもそも学校に通うこと自体がまれであるし、貴族は着飾ってなんぼである。


 そんな中でなぜ王立学院が制服を採用しているかと言えば、この制服が一種のステータスだからだ。

 この制服に袖を通すことが出来るのは、選ばれた真のエリートだけ。

 日本の制服が無個性・画一化の象徴であるのに対して、学院の制服は秀麗の象徴なのだ。


 フリルと刺繍をあしらった白いブラウスから、クレア様の腕に通していく。


「髪のセットはレイちゃんにはまだ無理よね。私がやるわ」


 クレア様のトレードマークであるくるくるカールは、天然パーマではなく毎日セットしているものなのだ。

 これにはコツがいるらしく、ウィッグで練習中ではあるものの、まだ私には再現不可能だった。

 レーネが手際よくセットしていく。


 ちなみにこの世界ではシャンプーやリンスといったものが存在せず、髪を洗うのに使うのはもっぱら石けんである。

 ところが、この石けんがどうも現実世界のそれとは製法が違うらしく、シャンプーやリンスを使わなくてもそこそこ綺麗に髪が洗えるのだ。

 よくある異世界転生もので、手作りシャンプーやリンスを開発して一儲けする展開があるが、それを狙っていた私はほぞをかんでいる。


「さすがね、レーネ。見事なできばえね」

「もったいないお言葉です」


 満足そうに鏡を見るクレア様は、どこから見ても完璧な貴族のご令嬢だった。

 可愛い。


「さ、食堂に参りましょう」


 学院の食事は、もっぱら食堂でまかなわれる。

 貴族の子女が通うだけあって、メニューはなかかなに豪華なものだ。

 さすがにコース料理が出てきたりはしないが、主食、主菜、副菜、スープ、デザートがそろった定食が供される。

 平民出身である奨学生たちの日々の楽しみの一つは、この恵まれた食事だといっても過言ではない。


「はぁ……。貧相な食事だこと」


 とはいえ、それは一般の貴族や奨学生たちにとってはの話。

 生粋の上流貴族であるクレア様が満足出来るレベルではない。


「そうですか? こんなに美味しいのに」


 私は牛丼定食を堪能している。

 間違ってもクレア様は食べないメニューだ。


「これだから平民は。せめてブルーメのコースくらい食べさせて欲しいものですわ」


 ブルーメというのは、今、王都で一番人気の料理店のことである。

 今までにない新しいレシピを次々と世に送り出し、貴族たちがこぞって出かけるという名店だ。

 そんなブルーメのコースともなれば、一食で平民の半年の収入が飛ぶほどの高級料理である。

 いくら学院が王立で資金が潤沢にあるとは言っても、そんな贅沢をしていれば経営に差し障りが出ることは明らかだ。


「クレア様、好き嫌いはいけませんよ」


 クレア様はピーマンを器用によけている。

 それをめざとく見つけたレーネがとがめた。


「ピーマンなんて人の食べ物ではありませんわ。いいじゃないですの。他にも野菜はあるのですから」

「そういう問題ではありませんよ。この食事は民の税から作られているのです。貴族でいらっしゃるクレア様には、ピーマンを食べる義務があります」

「う……」


 貴族の義務と言われて、クレア様が言葉に詰まった。

 これはもう一押しで落ちるな。


「あ、じゃあ、私が食べていいですか? やった。クレア様と間接キ――」

「ごちそうさまでした!」


 私が言い終わる前に、クレア様は猛烈な勢いでフォークを動かし、ピーマンを全て口に放り込んだ。

 ふむ、残念。


「レイちゃん、やりますね。クレア様にピーマンを食べさせるなんて」

「いやー、それほどでも?」

「あなたは絶対、本能に従ってるだけですわよね!?」



 食事が終わると、いよいよ講義である。

 この日は教養の座学だった。

 設定資料集を丸暗記している私にとっては、退屈なだけである。


「では、このクーリー三世の政策が、後の世に及ぼした影響について……クレア様、お答え下さい」


 教師と生徒という立場だが、クレア様は様づけである。

 貴族の教師もいるが、それでもフランソワ家に勝る家はない。

 建前上、学院は平等ということにはなっているものの、実際には明確な身分差が存在していることの証である。


「クーリー三世の食糧政策は、隣国アパラチアの凶作に端を発する大飢饉を迅速に解決しましたわ。でも、この一件で王国の食料インフラの脆弱性が明らかになりましたの。こののち王国は西部の穀倉地帯の開発に力を入れ、輸入に頼らない食糧自給率の向上に努めましたわ」

「大変結構です」


 クレア様は非常に勉強が出来る。

 幼い頃から優秀な家庭教師をつけられて英才教育を受けていたこともあるが、何より本人が筋金入りの負けず嫌いなので、放っておいても勝手に勉強するのである。

 先の試験で私に教養科目で負けたことで、クレア様は勉強にさらに熱心に取り組んでいる。

 悪役令嬢というとイメージが悪いが、彼女はとても努力家なのだ。

 フランソワ家から指示された私の仕事の中には、彼女の家庭教師という役割も入っているのだが、今のところ私に教えを請うようなことはない。


 ちなみに、レーネは講義には参加していない。

 彼女はクレア様付きのメイドであって、学院の生徒ではないからだ。

 学院には学生が住む学生寮のそばに、そば仕えが暮らす施設が設けられている。

 レーネはそこからクレア様の所に通っているのだ。


 クレア様が講義を受けている間、レーネたちメイドは働いている。

 主人の服の洗濯をしたり、実家との連絡をしたり、冬の社交に備えて情報収集をしたりと仕事には事欠かない。

 私はメイドであると同時に学院の生徒でもあるので、そういった仕事はレーネに任せて学院内でクレア様の補佐を行っている。

 もっとも、仕事らしい仕事はさせて貰えていないのだが。


「私も早くクレア様にあれこれしたいです。手取り足取り」

「そんな言い方をしている内は、何もさせませんからね?」

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