第3章8話 わたくしは、諦めませんわよ!
「おお~! ソラトおにいちゃん、かえってきた~!」
風の音は消え、エンジン音がうなり小刻みに震えるグラットン船内で、ニミーの無邪気な言葉が俺を呼び覚ます。
目を開ければそこはグラットンの操縦室。
蘇生魔法を終えたフユメは微笑む。
「お疲れ様です。ソラトさんのおかげで、グラットンは雲の中に逃げ込めました」
続けてつぶやいたのはメイティ。
「……やっぱり、ソラト師匠、すごい……」
さらにアイシアが笑う。
「死んでもすぐに蘇る魔術師さんだなんて、いつ見ても恐ろしいですわ」
一応は褒められているのだろう。
こうも一斉に褒められると、照れからか返す言葉が見つからない。
いや、照れている場合ではない。
俺は操縦桿を握るシェノのもとに駆け寄った。
「帝國の戦闘機は?」
「6機があたしたちを見失ったみたい」
「残り2機はまだ追ってきてると」
「そう」
着氷したフロントガラスの向こう側、雨雲の中に消えていくレーザーを見つめたシェノの、短い返答。
彼女の声色は余裕に満ちていた。
「2機ぐらい、さっさと撃墜しちゃうから。あんたらはどっかに掴まってて」
後方にいる敵機をどのように撃墜するのだろうか。
そんな疑問を抱いている暇すら、シェノは与えてくれなかった。
シェノはスロットルレバーを勢いよく引くと、右手を伸ばし、天井にある赤いスイッチを押し込む。
彼女が押した赤いスイッチは、ホバリングモードへ切り替えるためのもの。
当然、グラットンはホバリングモードに移行するため船首のスラスターを全開にし急減速した。
加えてシェノは操縦桿を右に傾け、急減速の勢いを利用し、ドリフトでもするかのようにグラットンを180度回転させる。
無茶な操縦に振り回される俺たちだが、これでグラットンは敵機を正面に据えたのである。
数メートル先も見えない雲の中、こちらをかすめるレーザー。
そのレーザーの先に帝國の無人戦闘機がいる。
ペダルと操縦桿を駆使しながら、シェノはブラスターを発射した。
グラットンから発射された青のレーザーは、雲と雨を突き抜け消えていく。
数秒後、暗い雲の中、かすかに2つの爆煙が飛び散るのが見えた。
レーダーを確認したシェノはホバリングモードを解除、スロットルレバーを倒し、グラットンの船首を宇宙に向けた後、力強くガッツポーズ。
「あたしに勝とうなんて、100万年早い!」
「よくやったシェノ!」
「フフフ、こんなの、あたしにとっては朝飯ま――ふなな!」
「シェノさんシェノさん! すごいですわシェノさん!」
「ちょっと、アイシア!? いきなり抱きつかないでよ!」
「ああ! これこそシェノさん! わたくし、もう我慢できませんわ!」
「ど、どどど、どこ触ってんの!? あわわわ! や、やめて! 匂いを嗅がないで!」
今、俺の目の前で事件が起こっている。
表情をとろけさせたアイシアが、シェノに抱きつき、シェノの服の下に手を入れ、シェノの香りを堪能しているのだ。
それは紛うことなき変態の姿。
あまりの事態に、フユメは顔を真っ赤にしながら、すかさずニミーの視界を手で覆い隠す。
メイティは猫耳と尻尾を立て硬直していた。
俺は目を逸らそうにも、本能には打ち勝てず、絡み合うシェノとアイシアを凝視する。
「良いですわ! 最高ですわ! シェノさんの温かみ、落ち着きますわ!」
「は、は、はは離れろ!」
さすがは数多くのならず者を葬り去ってきたシェノだ。
抱きつくアイシアの腕をはがし、シェノはアイシアを引き離すことに成功する。
「わたくしは、諦めませんわよ!」
なおもシェノに襲いかかろうとするアイシア。
しかし、ここでメイティが立ち上がり、氷魔法を発動する。
氷魔法によって足を凍らされてしまったアイシアは、その場から一歩も動けない。
「ああ……! どうして!? シェノさんが、こんな近くにいるというのに! わたくし、シェノさんに命を救われた恩を返さなければならないというのに!」
「……落ち着いて……あなたは、ただ疲れてるだけ……」
アイシアの側に寄り添ったメイティは、彼女の頭を優しく撫でる。
すると、アイシアの表情が落ち着きはじめた。
「は! わたくし、一体何をして……?」
「……理性、なくしちゃ、ダメ……」
「もしかして、またわたくし、シェノさんに襲いかかっていましたの?」
ぺこりと頷くメイティ。
「まあ! これは失礼しましたわ! シェノさん、申し訳ありませんでしたの」
冷静さを取り戻したのか、アイシアは気品高く謝罪の言葉を口にする。
背後ではフユメがほっとため息をつき、ニミーが首をかしげていた。
ただし、シェノは怯えきった様子。
「ねえ、こいつ、やばくない?」
「絶対やばい」
怯えるシェノに同意である。
情緒不安定の範疇を飛び越え、理性不安定とも言うべきアイシアの先ほどの言動は、狂気に近いものがあった。
まるで心の中に複数の自分を抱えているような、そんな雰囲気がアイシアにはある。
そこがやばいような、怖いような、不安なような、心配なような。
「どうやらわたくし、疲れてしまったようですの。少し客室で眠らせていただきますわ」
「ど、どうぞどうぞ」
「……わたし、アイシアと、一緒にいる……」
苦笑いを浮かべ、あくびをしたアイシアは、メイティに連れられ操縦室を去っていった。
ようやく安心感に浸ったシェノは、嫌なことは忘れようと言わんばかりに口を開く。
「そ、そろそろハイパーウェイの軌道計算も終わる頃かな」
気づけば雨雲ははるか後方、グラットンはすでに宇宙まで高度を上げていた。
帝國の無人戦闘機が追ってくる気配もない。
コンテナをぶら下げたグラットンは、俺たちを乗せ着々と目的地――サウスキアに近づいているのである。
帝國だけでなくアイシアからも逃れようと必死なシェノは、モニターを操作しハイパーウェイ突入の準備を開始した。
俺は黙ってコターツに潜り込む。
「はぁ、やっと落ち着けるな」
「油断は禁物ですよ」
「きんもつ~!」
「分かってるって。ただ、休めるときには休んだ方が良いだろ」
「それはそうですが、ソラトさんは普段から十分な休息をとってるじゃないですか」
「ソラトおにいちゃん、なまけものさ~ん!」
「おいニミー、お前まで俺を怠け者と見下すようになったのか」
「みくだす? ニミー、なまけものさん、だいすきだよ! ミードンといっしょにグダグダ~ってするの、たのしいよ!」
「さすがはニミーだ。怠け者の良さをきちんと理解して、えらいぞ」
「えへへ~」
ミードンを抱きしめ、にんまりと笑ったニミーを見ていると、疲れなど一瞬で吹き飛んでしまう。
小さくため息をついたフユメも、ニミーの可愛さには勝てない。
「フユメおねえちゃんも、コターツでいっしょになまけものさんになる~!」
「仕方ないですね」
できうる限りのお母さん感を出すフユメ。
けれでも彼女は、
フユメの心の奥底に秘められた怠け者の素質を、コターツは容赦なく引き出したのだ。
「ふわぁ、暖かいです~」
「おいおい、俺の何倍も怠け者っぽいぞ、今のお前」
「休めるときには休んだ方が良いと言ったのは、ソラトさんですよ」
口を尖らせるフユメに、俺は何も言い返せない。
言い返す必要もないだろう。
コターツに体をうずめ、心地良さそうにリラックスするフユメとニミーとともに、俺は怠け者を極めようと全身の力を抜いた。
「うん? あれって……」
操縦席に座っていたシェノの不穏なつぶやき。
何事かとフロントガラスに視線を向ければ、そこには白く輝く巨大な球体――ワームホールが。
漠然とした胸騒ぎと、嫌な予感が俺を支配する。
直後、ワームホールから1隻の軍艦が飛び出した。
威容を誇る複数の二連装砲をこちらに向けた、無機質かつ飾り気のない軍艦。
帝國軍のシュトラール級巡洋艦だ。
《ついに見つけたぞ! クラサカ=ソラト!》
グラットンの無線機に紛れ込む、熱意と野望に満ちた鋭利な女性の声。
興奮と喜びを胸にしながら、彼女は続けた。
《栄えある帝國軍第2艦隊第6巡洋隊司令、ケイ=カーラック少将だ。今度こそ、今度こそ私が、貴様に引導を渡してやろう! クラサカ=ソラト! 私の野望の糧となれ!》
ケイ=カーラック。どこかで聞いたことのある名前だが、思い浮かぶのはあやふやな記憶ばかり。
ひとつ確かなのは、カーラックが面倒な人物であるということだけ。
コターツに全ての力を抜き取られ、怠け者を極める今の俺は、面倒事の相手などしたくはない。
「シェノ、さっさとハイパーウェイに逃げ込め」
「あんたに言われなくても、そうするつもりだった」
ぶっきらぼうに答えたシェノはモニターを操作し、ハイパーウェイ突入のためのワームホールを作り出す。
そして、宇宙の闇に浮かぶワームホールを正面に据えた。
《まさか、また逃げるつもりか!? また敵前逃亡か!? ええい! クラサカ=ソラト、貴様の眼中に私の姿はないとでも言いたいのか! あまり私を甘く見ていると――》
まっすぐな怒りを撒き散らし怒鳴るカーラックだが、彼女の言葉は間違っていない。
少なくともシェノの眼中に、カーラックの姿はないようだ。
シェノは普段と変わらぬ様子で、ハイパーウェイ突入のためのレバーを倒す。
エンジンにハイパーウェイ専用の燃料が注がれたグラットンは、一瞬にして数十倍の速度に加速、ワームホールへと飛び込んだ。
カーラックの怒鳴り声は消え失せ、船内は白の波が放つまばゆい光に照らされる。
「だいたい3時間半ぐらいでサウスキアに到着するからね」
それだけ言って操縦席を立ち、冷蔵庫を開け、メイティお手製のプーリンを手にしたシェノ。
彼女は以降プーリンタイムに没頭し、夢の世界へ。
俺とフユメ、ニミーの3人は、コターツの中でゆったりとした時間を過ごす。
客室ではアイシアが眠り、メイティも居眠りしていることだろう。
帝國の追っ手を振り切った途端、グラットン船内に平穏が訪れたのだ。
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