第1章17話 アハハ、困った困った

 珍しく、わずかながらの朝日がフロントガラスに差し込んでいる。


「起きてください。魔法修行、行きますよ」


「もうそんな時間か?」


「そんな時間です。今日は山頂の雲がないので、ドゥーリオの街は良い天気ですよ」


「いや、魔法修行は地下でやるんだから、天気関係ないだろ」


「気分の問題です。ほら、コターツから出てください」


「嫌だ! コターツからは出ないぞ! わしはここで一生を過ごすんじゃ! わしはコターツの中に骨をうずめるんじゃ!」


「はいはい」


 華奢な体つきのわりに、フユメの腕の力は強い。必死の抵抗も虚しく、俺はコターツから引きずり出されてしまった。


 大きなあくびをしながら、外出のためドゥーリオで揃えた服装に着替える。

 俺は作業着のようなパンツに簡素なシャツ、少し厚めのベストという、どこか釣り人感の漂う格好。

 フユメはスカートに白シャツ、フォーマルなジャケットという、学校の制服とスーツの中間のような格好。


 着替えを終えると、昨日の夕食の匂いが残るグラットンを後にし、俺たちは修行の場へ。

 途中、武器の手入れを行うシェノと出会ったが、彼女はいつも通りの様子だった。いつも通りの、ならず者の目をしていた。


 普段と変わらぬシェノに安心し、俺たちは地下世界へと向かう。


 なお、ドゥーリオで目にした情報によって、俺は『ステラー』という世界の仕組みが分かってきた。

 どうやらこの『ステラー』という世界、非常に恵まれた世界らしい。

 数多の植民惑星によって人々の食料、資源は半永久的に確保され、労働をせずとも、大方の生命は死ぬまでの生活を送れるようになっているのである。


 働くか働かないかすらも、『ステラー』では自由に選べるのだ。


 それでも、世の中の仕組みからあぶれてしまう者たちがいる。シェノをはじめとするならず者たちがその代表例だ。

 異世界からやってきた俺たちも、世界の理から外れた存在である以上、ならず者世界にしか生きて行く道はない。


 だからなんだと、俺は思う。

 生きる場所がどこであれ、俺たちは魔法修行を続けるだけだ。


 ドゥーリオの街を抜け、エレベーターに乗り、空洞の地下深くまでやってきて、クリスタルのような景色と寒さに震えるまでは、昨日と全く同じ展開である。


 魔法修行の内容は、昨日と同じではない。

 今日、俺がこの氷に閉ざされた地下世界で覚える魔法は、氷の壁を作り出す魔法だ。

 尖った氷しか生み出せないのは少々不便であり、できれば分厚い氷の壁などが作り出せるようになれればと、俺は思ったのである。


 地下世界にやってきたのだから、さっさと修行をはじめてしまおう。面倒な修行はすぐに終わらせ、わしはコターツで一生を過ごすのだ。


「なあフユメ、ちょっと来てくれ」


「はい、なんでしょうか?」


「今回はいつもと違って、フユメに治癒魔法をかけてもらいながら魔法修行をしたい。さすがに毎日死ぬのは嫌だかなら」


「なるほど。では、お任せください」


 これで魔法修行そのものも、少しは楽になるはず。

 俺は目的の魔法を覚えるために、フユメとともに氷の壁の前に立った。


 凍てつく氷の壁は、触れてもいないのに俺の肌を冷やす。

 そんな場所に張り付いてみると、当然だが皮膚の感覚は一瞬で吹き飛んでしまった。

 氷柱に張り付いた時と同じく、わずかに感じるのは痛みだけ。


「ち、ちちちち、ちちちゆままままほう、たた、た、たののむむ」


 震える舌ではまともに喋ることすらできない。

 だが、まともでないということだけはフユメに通じたらしい。

 

 フユメは俺の背中に手をかざし、おぼろげな深緑色の光で俺を包み込む。

 傷つくのと治癒魔法では、治癒魔法の方が優勢なようで、修行がだいぶ楽になった。


 とはいえ、氷の壁の感覚を五感に叩き込まなければならない以上、あまり治癒魔法が優勢になるのもよろしくない。いくら経験しても覚えられぬ治癒魔法と蘇生魔法ばかり経験していても、意味はない。

 微調整の末、幾ばくか氷の壁の感覚を覚えることを優先、治癒魔法はおまけ程度に。


「これくらいで良いだろう」


 氷の壁から離れ、しばらく治癒魔法をかけてもらいながら、俺は『ラーヴ・ヴェッセル』と口にする。意味すらも分からぬこの言葉にも、だいぶ慣れてきたものだ。

 治癒魔法のおかげで健康な体を持て余しながら、ラグルエルからの魔法使用許可を待つ。


「あ、魔法使用許可が下りましたよ」


「やっとか。ちょっと時間かかったな」


「もしかすると、マスターは昼寝の時間だったのかもしれませんね」


「仕事中に昼寝するのか、あの女神様。タイミング悪かったらどうするんだ……」


「ご安心を。魔法使用許可申請が届いてから10分以上経つと、本格中華料理屋さんの厨房の音が、マスターの執務室に大音量で流れるようになっていますから」


「はぁ」


 何を安心すれば良いの分からぬが、10分も待てば確実に魔法使用許可が下りるという認識で良いのだろうか。


 とにもかくにも、氷の壁を魔法で生み出せるのかの確認だ。

 例のごとく両腕を突き出し、例のごとく五感が覚えた氷の壁の感覚を想起。

 すると俺たちの前に、空洞を塞ぐような分厚い氷の壁が登場。想像力を働かせれば、高層ビルや城の形をした氷を生み出すことも可能。修行はうまくいったようだ。


 ついでに撃ち放った氷柱は、分厚い氷の壁を砲弾のごとく粉砕する。

 

 2日に渡る修行によって、俺はついに氷魔法をマスターした。一昨日の水魔法と風魔法を合わせれば、すでに俺の力は超人レベルに達しているだろう。

 チート能力を手にしつつ、救世主らしいことはまだ何もしていない俺。

 これ以上の自己満足はできそうにないので、少し早いかもしれないが、俺たちは魔法修行を切り上げグラットンに帰ることにした。


    *


 エレベーターを使い地下世界を後にし、ドゥーリオの街へ。

 錆びた鉄の軋む音が鳴りを潜め、街に到着すると、ふとフユメが首をかしげる。


「あれ? いつもより人が少ないのに、なんだか騒がしくないですか?」


「かもしれないな」


 ゆっくりと開かれたエレベーターの扉の向こう側には、確かに誰もいない。

 ついさっきまで当たり前の生活が営まれていたと思わしき痕跡を残しながら、街はもぬけの殻だ。


 しかし人々の声は、おそらく広場の方向から聞こえてきている。

 まさか祭りでもやっているのだろうか。それとも、町長が大演説会でもやっているのだろうか。

 街に何が起きているのかを確認するため、俺とフユメは広場へと目的地を変えた。


 広場に近づくにつれ、俺たちの心はざわつく。遠くから聞こえてくる人々の声が、恐怖に張り詰めたもののように感じられたからだ。嫌な予感がする。


 俺たちの嫌な予感は的中してしまった。広場に集められた街の住人たちは、銃を持った人間の兵士たちに囲まれていたのだ。

 これはどういうことなのか。どうして人間の兵士たちは住人たちに銃を向けているのか。そもそも、あの兵士は何者なのか。


 俺とフユメは物陰に隠れ、現状を理解しようと広場を眺めた。


 恐怖と不安が渦巻く広場にて、兵士のリーダーと思わしき人間の男を発見。

 ロングコートを着たその男は、黒のマントを身につけた、ホログラムに浮かぶ初老の男と会話をしている。


「ハオス提督、誰も口を割りません。アハハ、困った困った」


 リーダー格の男は、この場に似合わぬふざけたような口調。

 対してハオス提督と呼ばれた、ホログラムとしてこの場にいる初老の男は、何もかもを見下すかのように言い放つ。


《愚か者どもめ、栄えある帝國を敵に回すか。普段から劣等種と人間を蔑視しながら、自分たちはろくな判断もできないとはな。まあ、命の危機が迫れば、お得意の合理的判断をするだろう。デイロンよ、あとは自由にしろ》


「アハハ、ハオス提督はよく分かっていらっしゃる。楽しい任務を与えてくださって、感謝しますよ」


 捻じ曲がった会話を終え、ハオスのホログラムは消失。直後、デイロンと呼ばれたリーダー格の男は、部下たちに指示を下した。


「2発だ。2発だけ撃って良いぞ。標的は誰でも構わない」


 命を奪うには大雑把すぎる命令を、兵士たちはニタリとした笑みを浮かべながら遂行。

 30人ほどの兵士たちが、それぞれ2発ずつのレーザーを撃ち放った。

 レーザーは不特定の住人を襲い、広場に罪なき者の死体が転がる。


「アハハ、良いねェ、命が消える瞬間はたまらないねェ。たった一度しか見られない大イベント、見逃せないねェ」


 正気を失っているあの男は、化け物として生きる道を楽しそうに散歩しているかのよう。

 まさに狂気の沙汰だ。


「次は誰が命を散らせるのかな? それは分からない。だが、『オーク』の在り処を教えてくれた者が命を散らせずに済むのは、確実だ」


 兵士に銃口を向けられた住人たちを脅しつけるデイロン。

 彼は今、オークと言わなかったか? なぜ『ムーヴ』の魔物図鑑に書かれていた生物の名前が、あんな男の口から飛び出したのだ?

 もしや『ステラー』にもオークは存在するのか?


「どうしてオークという単語が……『ステラー』にオークはいないはずなのに……」


 俺の隣で表情を強張らせ、理解できぬと言わんばかりに呟くフユメ。

 分からないことばかりだ。あの男たちの正体も、オークという言葉が飛び出したことも、住人たちに降りかかった理不尽も、何かもが分からない。


 ひとつ確かなのは、またも罪のない住人たちが殺されようとしていることのみ。


「また沈黙か。アハハ、まあ良いさ。お前たち、さっきと同じ、2発だけ撃って良いぞ」


 これ以上、わけの分からない理由で罪のない者たちが死んでいくのは御免だ。

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