第19話 二日酔いの黒豹
雄叫びを上げる、船上の海賊たち約二十人。
いや、その姿は人とは呼べず、獣ともつかない、まさに二足歩行の獣人とも言うべきモノへと変わり果てた。
「オーッホッホッ! 獣人化魔導薬『
『ヴェアアアアアーーーーーッッ!』
奇声を上げながら襲い来るハイエナの獣人。迫るカギ爪にとっさにチョップは手刀を放ち、その腕を切り落とす。
が、それを意に介さず、追撃をかけてくる海賊!
「グャオオオオオーーーーーンッ!」
「効いてないっ!?」
「オーッホッホッ。狂戦士と化した人間は、思考能力を失う代わりに身体能力は数倍に跳ね上がります。当然、痛みも感じず、耐久力も数倍なのよ」
怯むことなく反対側の腕を伸ばす獣人。チョップはその爪刃をかいくぐり、がら空きの白い腹を縦裂きにかっさばく。
「ギョアアアアアーーーーーッ!」
叫び声を上げるハイエナ人間。だが、腹から内臓をはみ出しながら、なおもチョップに挑みかかる!
「くっ!」
チョップは敵の攻撃を交わすと、手刀を延髄に叩き込んでその首を切り落とす。すると、木板の床に倒れ伏した男は獣人の姿からみるみる内に人間に戻り、悲憤の表情で事切れた。
「これは……」
「言っとくけど、一度その姿になったら死ぬまで元に戻れないからねえ。命ある限り、戦う
血だまりに沈む哀れな男の有り様は、極悪非道の海賊とはいえあまりにも救いがなく、チョップはバルバドスに鋭い視線を向ける。
「おっと、彼らを憐れに思う余裕などないわよ? 貴方たち、まとめてかかりなさい!」
『ヴァアオオオオオオオオオオーーーーーンッ!』
地獄の底から呻くような鳴き声を上げ、獣人たちはタッグを組んでチョップに迫る。
ズバッ! ドゴォッ!
チョップは一匹を手刀で切りつけ、もう一匹は重い回し蹴りでぶっ飛ばす。だが、それだけでは敵を仕留める事ができず、さらに徒党を組んでチョップに仕掛けてくる。
「本当にしぶといっ!」
腕をもがれても足をもがれても、血を撒き散らし肉片を飛び散らしながら、スプラッター映画のように襲いくるハイエナたち。それでもチョップは敵の急所を穿つことで、確実に確実に一匹ずつ討ち果たして行く。
「あー、もう! まだるっこしいわねえ! 貴方たち、全員でかかりなさい!」
バルバドスの号令に応え、ハイエナたちはダンッ! ドンッ! ドガガガガガッ! と、野性の獣の素軽さで甲板やマストを蹴ってピンボールのように飛び回り、少年水兵に踊りかかる。
チョップは怒濤の猛攻をなんとかいなし、マストにロープを投げて空中に回避。
だが、その動きを本能で察知した獣人たちは、一斉に甲板から飛び上がった!
「まずっ……!」
ドバキャーッ!!
ハイエナたちが全方向からチョップに激突し、衝撃音が響き渡る。
いかに少年水兵といえど、あのスピードとパワーで潰されれば、カマボコの材料のように無惨なすり身と化しただろう。
隣の艦船から見上げながら、ほくそ笑むバルバドス。
だが、次の瞬間。
シャヒヒヒヒンッ!
つむじ風のような斬撃が走り、十数人の狂戦士たちは、ブラッドオレンジのように輪切りにされながら弾け飛んだ。
「何ですって!?」
「『
両手を広げ、竹トンボのようにくるくると
降り注ぐ赤い雨の中、チョップは
「次はどいつだあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
ビリビリとマストと艦体を震わせ、チョップが咆哮を上げると、残り数匹のハイエナたちは生物としての格の違いを思い知らされ、全員
だが、思考力を失い泳ぎ方を忘れた獣たちは、そのままゴボゴボと海に沈み、二度と浮かび上がる事はなかった。
ドッバァアアアアーーーーーンッ!
最後の副艦を沈めると、チョップは本艦に飛び戻り、言葉もなくサン・カリブ王国勢が布陣する船尾へと赴いた。
「……チョップくん!」
純白の花嫁衣装のマルガリータは少年に駆け寄り、言葉をかけようとしたが。
「マルガリータ……、良かった……。怪我はない?」
彼女の無事を確認し、チョップは心底ホッとしながら逆にマルガリータに問いかける。
「えっ、わたし? わたしは、全然平気よ。わたしよりもチョップくんの方が……」
「僕も……、全然大丈夫だよ」
そう言ってチョップは気丈に振る舞ってみせるが、その笑顔はどこか痛々しい。
マルガリータは少年の血に染まった左手を見つめ、少しでも彼に寄り添おうとするが。
「触らないで!」
伸ばしかけた手をビクッとひっこめるマルガリータ。チョップは思わず口調が強くなってしまった事を悔やみつつ。
「ごめん……。僕は汚いから、服が
そう言うと、少女から顔を背けて敵陣を向くチョップ。マルガリータは少年が遠く離れて行く予感を覚え、焦りを感じるが何もできずに立ちすくむ。
そこへ、パチ、パチ、パチと場違いな拍手の音が響いた。
「オーッホッホッ。『
見ると薄ら笑いを浮かべながら、バルバドスが両手を打ち合わせている。艶然と紡がれるその言葉に、チョップはバルバドスをキッと睨み。
「……僕の事を、化物などと言わないでください」
「へえ。貴方、意外に感じ易いのねえ。乳首の感度も良いのかしら?」
「あと、いちいちいやらしい事を言うのもやめてください」
「セクハラですわ!」
顔を赤くするチョップと、うーと唸りながら睨み付けてくるマルガリータにバルバドスは。
「オーッホッホッ。貴方たち、本当に可愛らしいわねえ。二人ともまとめて美味しくいただきたいわあ」
ケツアゴのくせに、舌なめずりをしながら気色の悪い事を言うバルバドスに顔をしかめつつ、チョップは前に進み出ると。
「形勢は逆転しました。もう、降参した方が身のためですよ」
五隻の黒船のうち四隻はすでに沈み、残すは本艦ただ一隻。
戦闘員の人数は、サン・カリブ水兵団も帝国海賊連合軍もそれぞれ残り五人ずつ。
魔導海賊バルバドスの実力は未知数とはいえ、圧倒的な兵力差をここまで埋められたという点では、チョップの言うとおり水兵団が優位に立ったと言っても過言ではない。
だが、それに対してバルバドスは、またまだ余裕だと言わんばかりに。
「まあ、化物と言われたくらいでそんなカリカリしなさんな。ウチには他にも貴方以上の化物がいるんだから、同類相憐れむで仲良くして欲しいものだわあ」
「他にも……?」
バルバドスの言葉に、チョップが怪訝な表情を浮かべたその時。船首側にある船室の扉がバカンと開き、中から頭を押さえながら、黒装束を纏った男が現れた。
「あー、あったま痛ってえ……」
*
正午を過ぎ、太陽がわずかに傾き始めた昼下がり。
晴天の空にはわずかに雲の姿が現れ、先ほどまで吹いていた風が止んで、現在は凪の状態にある。
舞台は引き続き、西海洋の東の海上にある一隻の黒船。
風変わりな男の登場に、戦況は新たな
「さっきからドタバタドタバタ、うるっさいなあ。こちとら二日酔いで、頭がガンガンするってえのに……」
褐色の肌の端正な容姿を持ち、黒鞘の刀を腰に下げた、文字通り全身黒ずくめのその男は、ダルそうに半開きの眼を船上に巡らせて戦いの跡を見て取ると、船首にいるバルバドスに向け、一言。
「……あれっ? もしかして、もう始まってました?」
「見りゃ分かるでしょ。
「えー、そこは起こして下さいよ。だいたい、前祝いつって船長が飲ませすぎなんすよ」
「『船長』じゃなくて『提督』と呼びなさいと何度も言っているでしょう。自分の酒好きを棚に上げて、人のせいにするんじゃないわよ」
あっちゃあ、やらかしたなあ。と、男は艶のないぐしゃぐしゃの黒髪をボリボリかいて、さらにキョロキョロ辺りを見回す。
「……なんか、船の数減ってません?」
「貴方が寝てる間に、残りの艦は全部沈められちゃったわよ」
「へえ。
バルバドスの言葉に興味を惹かれたのか、男は眠そうだった眼を見開く。大胆にもサン・カリブ陣営付近までずかずかと歩みより、ぐるりと顔を見渡すと。
「そこの少年! これ、やったの君か?」
いきなりビシッと指をさされ、思わずコクンとうなずくチョップ。
「うんうん、そうだろうそうだろう。他の奴等も強そうだけど、君の内包する『気』っていうの? ケタが違うもんなあ」
自分勝手に納得しながら、男は楽しそうにチョップに語る。
「おおっと、俺の事かい?」
「僕、何も言ってませんけど……」
「俺の名前はナヴァザ。この海賊団の用心棒で、世界最強の剣士だ」
「世界最強?」
「そっ、俺まだ負けた事がないからね。まあ、暫定王者ってとこだな。地元じゃあ、『南海の
「黒豆納豆??」
「あ、いや、『黒ゴマ豆腐』だったかな……? 船長、俺って向こうで何て言われてましたっけ?」
ナヴァザの問いかけに、バルバドスは呆れながら。
「『南海の
「そうそう、それ
「全く覚える気はなさそうね……」
「何なんだ、この人は……?」
何がという訳なのか分からないが、臆面もなくべらべらしゃべり続ける黒剣士ナヴァザに、あっけに取られるチョップ。
「そんじゃま、あいさつがわりに……『
「!」
音もなくナヴァザは一瞬で間合いを詰めて斬りかかり、ガキィッ! と、チョップはとっさに手刀で受ける。
『何っ!?』
ナヴァザは、自分の斬擊を素手で受けられた事に驚愕し、チョップは鉄をも斬る手刀で、彼の刀を折れなかった事に驚嘆する。
さらにナヴァザは前方宙返りでチョップを飛び越えながら後頭部に斬りつけるが、彼はそれを反対の手刀で弾き返す。
スタッと着地したナヴァザは間合いを取り直し、立ち位置を変えて二人は再び対峙した。
「君、すごいなあ! 俺の刀を手で止めるなんて!」
「その刀は……」
「あ、これ? これは俺の愛刀『
ナヴァザは得意げに白刃をかざして見せると、『渦村正』は太陽の光を受けて妖しい輝きをみせる。
次の攻撃に備えてチョップは構えを取るが、ナヴァザは片手でそれを制すと。
「あー……、ちょっと待ってくれないか。急に動いたから気持ち悪くなってきた」
近くにあった桶を拾ってしゃがみ込み、オエーッ、エレエレエレエレーッと嘔吐した。
「えぇ……。そこで吐くの……」
「本当に、何なんだこの人は……」
頭を抱えるバルバドスと、ポカンとするサン・カリブ王国の面々。だが、そんな中に一人だけ、集中を切らさず機会を伺う男がいた。
サン・カリブ王国水兵団、第二部隊の副隊長である。
地味ではあるが、彼は水兵団一の剣の達人。ほんの数歩踏み出すだけで敵を間合いに捉える事ができる立ち位置に加え、その敵は完全に自分に背を向け油断しきっている。
第二部隊の副隊長は湾曲刀を上段に構えると、鋭い踏み込みから、ナヴァザの脳天に
だが。
「せっかちなおっさんだなあ……」
背を向けながらナヴァザが言葉を発した、次の瞬間。
「ぎゃあああああーーーーーっ!」
キンと、刀を抜いた挙動すら見せていないのに、ナヴァザが刀を鞘に納めると、第二部隊の副隊長はシュレッダーをかけられたように、スライスされて地に
『
『第二部隊の副隊長ーーーっ!』
「後ろから斬りかかるなんて汚ねえなあ。ゲロってた俺が言うのもなんだけど」
とぼけた言動に気を緩ませられていたが、やはりこの男は海賊の一員。
残酷に第二部隊の副隊長を
「まあ、おかげで酒は抜けたけどね」
そして、酔いざましとばかりにジョボジョボヴィッチと頭に水をかけて、自身のトレードマークである白いターバンを巻き付けると。
「さて、準備運動も済んだ事だし、そっちも仲間を殺られて戦う理由と覚悟は出来たろ? そろそろ本番と行こうか……」
ズズズズズと
「来る……!」
「久々に骨のある闘いが出来そうだ……。楽しませてくれよ、なっ!」
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