第103話 痴話喧嘩
「さっきから何をジロジロと見てるのですか? 話が有るなら早く喋りなさい」
俺が美都勢さんを見詰めていると、しびれを切らしたのか美都勢さんが不機嫌そうに言って来た。
その言葉で俺は我に返った。
どうやら、また少しあの夢に引っ張られていたようだ。
痛みによって意識が飛びかけているのかもしれないな。
目の前に居る美都勢さんには、101歳と言う年月を表す深い皺が幾重にも刻まれていて、夢の中の面影は薄く残す程度だった。
しかし、その力強い眼光、そのピンと綺麗に背筋の伸びた姿勢、その体から溢れ出る覇気は年月を感じさせず、夢の中の若かりし美都勢さんが重なって見えた所為で、変な話だが少し見蕩れてしまっていた。
「すみません。創始者の顔をはっきりと見た事が無かったもので、つい」
「はん、何を言うかと思えば。私の顔など既に知っていたんだろうが! 金曜日にあんな卑劣な事を仕掛けて来た奴が言う事か!」
美都勢さんは再び声を荒げ、憎悪に染まった目で俺を睨んで来た。
そうか……、やはり美都勢さんは、俺があの場に居たのは光善寺家の策略で、美都勢さんが合同教員会議の為に学園にやって来る、あの日を狙って出会いの場面を再現したと思っているんだな。
まぁ、それに関しては親父の前例が有るんで仕方無いか。
なら、まずはその誤解を解かないと話は進まない。
「金曜日の時点ではあなたが創始者と言う事は知りませんでしたよ。あの時に説明したじゃないですか。本当にあの木が気になって中庭に寄っただけです」
美都勢さんの様に気の強い人に対して、いきなり『誤解だ』と言う単語で、その思い込みを否定しても話は平行線のまま終わってしまう。
まずは誤解を解く為に、あえてその時の事を思い出させる説明で、相手の意識に再考の余地が有ると思わせる事が大事だ。
そして話を誘導させ、最終的に元の話を有耶無耶にして、和やかな雰囲気にまで持っていく。
それが俺が自分の居場所を作る為に会得したぬらりひょんスキルの奥義だ。
「よくもぬけぬけと! わざわざあの人との出会いを汚す真似をしおって!」
「その事ですが、出会いの再現だったと言うのは、俺も今日初めて知ってショックを受けました。考えてもみて下さい、もし俺が貴女に対して何らかの思惑が有って会おうと思っていたのなら、あんな途半端な所で話を終わらせませんでしたよ。それにもっとズバズバと出会いのエピソードを盛り込んでいたと思います」
要点をあえて簡単な言葉で畳みかけて、美都勢さんの頭の中を思考の波に沈めて行く。賢くて察しの良い彼女には有効だ。
本当は出会いの事を知ったのは、その日の夜の夢でだけどね。
俺の言葉にグッと息を飲み、一瞬思案にふける美都勢さん。しかし、彼女が今までこの学園を切り盛りして来た経験上、ここで引いたらダメだと思ったのか、表情を元に戻し声を荒げた。
「それは自然に出会って、心を許すように仕向ける為の作戦だろうが!」
「では、一つ聞きますが、創始者はあなた達の二人の馴れ初めについて、今まで誰かに語った事がありますか?」
「え?」
あえて相手の問いに直接答えず、その問いの根幹に纏わる事柄を、こちらから質問を返して不意を突く。
今回は、美都勢さんが出会いの場面を汚されたと思い込んでいる事自体を、ちゃぶ台返しの如く無かった事にする為の質問だ。
案の定、俺の問いに美都勢さんが呆気に取られた顔をして言葉を失っている。
ただ、これはちょっとした賭けだな。
それに夢の出来事の知識も使っているから少し卑怯だ。
少なくとも夢の中の幸一さんは二人の馴れ初めについて誰にも言っていない。
そう、親友であった光善寺君にも言っていない。
なんたって二人の出会いは、一目惚れの思い出は、幸一さんの中でとても大切な事だったから。
賭けと言うのは、美都勢さんが恋バナで友達の誰かに喋っていた場合、説得力が大きく欠けてしまう事だ。
でも、少し自信が有るのは、美都勢さん自身が快く思っていなかった光善寺君に喋るとは思えないし、それに芸人先輩も俺が出会いの場面を再現した事について光善寺家も知らなかったと言っていた。
そもそも知っていたら親父の時に試していただろう。
もう一つ、美都勢さんはずっと幸一さんを待って縁談を断っていたと言っていた。
御陵家は仕来り云々とうるさい高貴な家系と言う話だった。
今のご時世ならいざ知らず、そんな厳格な家系の直系なのに『生きているか、死んでいるか分からないけど、好きな人が迎えに来るのを待っている』なんて乙女な理由で、婿入りの縁談を断り続けられると思えない。
恐らく本当の想いは胸の内に秘めて、適当な理由をでっち上げて断っていたのだろう。
だから、これはかなり分の良い賭けとも言える。
その証拠に美都勢さんはかなり焦っている様子だ。
「そんな事、こ、幸一さんの事だから、仲が良かったお笑い芸人にでも喋ったんだわ」
美都勢さんは焦りのあまり、言葉が崩れて当時の様な口調になっている事にも気付かず、『幸一さん』の名前まで出して来た。
この反応からすると、やはり美都勢さん自身も、二人の馴れ初めの事を誰かに喋った事が無かったのだろう。
しかも当時の光善寺君への渾名まで飛び出した為、親族達もポカーンとした顔でこのやり取りを見ている。
それにこの焦りは、口では幸一さんが喋ったんだと言っているが、本当は分かっているんだろう。
幸一さんがそんな事を言う人ではないと言う事に。
「違います。もしそうなら、俺の親父の時に既に試してると思いますよ?」
「そ、それはそうだろうけど」
「それに幸一さんと言う方は、そんな大切な馴れ初めの話をべらべらと他人に喋るような人だったんですか?」
「そんな訳無い! 幸一さんはそんな人じゃないわ! で、でも幸一さんって私に内緒でお笑い芸人と二人でいつもコソコソと仲が良くて」
「それは、男の友情って奴です。
「ほら、いつもそんな事言って! 絶対悪い遊びとか吹き込まれたに決まっているわ!」
「いや、それは考え過ぎですって」
「……ん? なに? それって痴話喧嘩?」
「「え?」」
俺と美都勢さんが、いつの間にか本来の話から脱線して当時の事をアレこれ言い合っていると、学園長の横に座っていた妹さん(仮)がボソッと呟いた。
その言葉に俺と美都勢さんは一緒にハモって、妹さん(仮)の方を振り返る。
すると、呆れたと言う顔で俺達を見ていた。
「ちょっ! 場を弁えなさい! あなたはまた思った事を直ぐ言葉に出す!」
「あっ、ごめんなさい」
学園長が妹さん(仮)を諌めてるけど、学園長も大概思った事をすぐ口に出しますよね。
しかし、しまったな……、今のは他の人からそう見えたのか。
あまりにも美都勢さんが当時の口調で喋る物だから、つい夢での光景に引っ張られて、気付かない内に幸一さんになって会話してしまっていた。
痛みは相変わらず酷いし、血もいまだに畳を汚している。
恐らくその所為で、夢と現実の境が曖昧になって来ているのだろう。
俺が気合いで意識を保っていられるタイムリミットが迫っている様だ。
「プッ、有ったなぁこんな事」
「フフフ、そうね。こんな感じだったわね」
俺が自分の残り時間に焦る中、理事長夫婦がそう言い合って笑い出した。
理事長夫婦は親族の中で唯一、幸一さんと美都勢さんの日常を見て来たのだから、今の俺と美都勢さんのやり取りに当時の二人を感じ取ったのだろう。
その言葉で思い出した。理事長の旦那さんの事。
この人は、幸一さんが亡くなった時の生徒会長だ。
確か名前は郡津 郡衙と言ったか。
十周年と学園名変更と言う一大行事の際の生徒会長と言う事も有り、家に呼んで夜遅くまで打ち合わせを行っていたのを早送りの記憶の中で見ていた。
確かに美都勢さんと光善寺君の事で喧嘩していた事も有ったと思う。
それに、最後の時に幸一さんに対して意志を継ぐと言ってくれていた。
その言葉の通りに、この学園に残り、美都勢さんと
ん、と言う事はあの頃から密かに美呼都と仲良くなってと言う事か?
くそ! やっぱり小学生の内から目を付けていたんじゃないか!
って、今はその事は置いておこう。
それよりも、まず誤解を解かなきゃ。
「い、いや、今のは一般論ですよ? 幸一さんと、光善寺く……ゲフンゲフン。そのお笑い芸人の方がそうだったかまでは、俺には分かりません。けど、普通は大切な思い出で有れば有る程、他の人に言ったりなんかしませんよ。一目惚れなら尚更です。少なくとも俺はそう思います」
う~ん、理事長夫婦絶対勘違いしてるよ。
俺の事を幸一さんの生まれ変わりかなんかと勘違いしているようだ。
今の言い訳も『そう言う事にしておきましょう』って顔しているし……。
違いますよ、俺そう言うのじゃありません。
幸一さんの使者では有るんだろうけど、生まれ変わりじゃ有りませんよ。
厳格な性格になる前の美都勢さんを知っている理事長夫婦と、現在茶飲み友達である学園長は先程の美都勢さんに免疫が有るだろうけど、その他の親族、特に幸一さんが死んだ後に生まれた美幸さんの血族達は、顎が落ちんばかりの驚き様で見ている。
ただ、これはとてもまずいんだよ。
場が和やかになるのは本来の目的では有るけど、幾らなんでも早過ぎる。
まだ美都勢さんの思考が、俺の言葉に納得するレベルまで落ちていない。
あまり早過ぎると頑固でプライドが高い人の場合、馬鹿にされたと思って逆効果になってしまう。
そして、美都勢さんはその頑固でプライドが高い人なんだ。
美都勢さんに目を向けると、やっぱりと言うかなんと言うか、親族に対して醜態を晒してしまった羞恥心も混ざり、顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。
「お、お前は、お前は私を馬鹿にしているのか!! やはり我慢ならん!」
怒号と共に更なる殺気が、和やかになりかけていた雰囲気を吹き飛ばす。
辺りはまた重い空気が支配した。
どうやらこの空気は俺がやっとの事で大広間に入った時より前の状況に戻ってしまったようだ。
皆の顔が引き攣って硬直している。
くそ! 妹さん(仮)恨みますよ。
しかし、ここで軌道を戻さないと説得する前に全てが終わってしまう。
俺が意識を保っていられる時間はあと少し。
それまでに何とかしないと!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます