第100話 怒り


「今なんて……? 千花先輩を痛めつけた? それにモグは……」


 殺した……?


 …………。


 ブチッ!


 俺の中で何かが切れた音が聞こえた。


「くそぉぉぉぉぉぉ! お前! 許さんぞ!」


 俺は怒りで気が狂いそうになる。


 俺の所為で千花先輩を傷付けた、そしてモグを殺してしまった!

 それだけじゃない! 皆を傷付けて泣かした!


 今までの罪悪感が入り混じり、それが行き場の無い怒りとなって轟々と心の中で燃え盛る。


『止めなさい、こーちゃん! 今すぐに謝って許して貰いなさい。今ならまだ病院に連れていけばモグも助かるかもしれない! それにこの体勢で無理に動いたら……』


「やかましぃーーー! そんな事は分かってるんだよ。でも許せるか! こんな事!」


 俺は頭の中に響いた正論母さん(心の悪魔)を怒りに任せて振り払う。


「な、何を突然訳の分らない事を……」


 俺の突然の叫びに驚いている紅葉さん……いや殺人鬼。

 俺は有りっ丈の力を振り絞り、締め上げられた左手を振り払おうとした。


「くそ~! 離せーーー!」


 俺の叫びに大広間からざわざわと声が聞こえてくる。

 学園長や理事長の俺を心配する声に混ざって『野蛮な』とか『聞くに堪えない』等の親族と思しき声も聞こえて来た。


「紅葉! 何をしているのですか! 早く黙らしなさい!」


 美都勢さんがそう叫んだ。

 先程とは違い、何か焦っているような悲痛な叫びに聞こえる。

 さすがに自分の学園の生徒が痛めつけられているのは辛いのか?


「はっ、すみません。……しかし、この力……」


 母さんの血を引いているからだろうか、キレた俺は力が溢れてくるようだ。

 締め上げられている左手も、徐々に動きもう少しで振り払えそうだ。

 右手を床に押し当て、体を起こす為に力を入れる。


「くっ、馬鹿なこの体勢から……、おい! 無茶をするな! 足の傷から血が吹き出るぞ!」


 殺人鬼は急に強くなった俺の力に、気を使っているようにも取れる驚きの声を上げた。

 今更お前殺人鬼が俺の事を心配するような事を言うな!

 お前に勝てるとかどうかなんて、そんなのどうでも良い!


 一発殴らないと気がすまない!


 俺は更なる力を全身に入れた。


「くっ、馬鹿な! お前の何処にそんな力が……? しかし、お前のその怒り! 美都勢様も同じ思いしたと言う事を忘れるな!」


 ッ‼


 その言葉に俺の頭の中が一瞬真っ白になった。


 美都勢さんと同じ怒り?

 大切なモノを踏みにじられた怒り……。


 あっ、ヤバイ!!


 頭が真っ白になった時、思わず体に込めていた力も抜けてしまった。

 俺の抵抗を必死に押さえ込もうと力を入れていた殺人鬼の手が、力の抜けた俺の左腕を人の腕の稼働域を超える領域まで勢いよく捩じ込んでいく。


 ボギィッ!


 その瞬間、俺の左肩の根元から嫌な音が身体を通して聞こえてきた。


 え? 何? 何が起こったの?

 今の音は何?


 本当は一瞬なのだろうけど、まるでスローモーションの様なジリジリとした速度で左肩からの痛みが脳に届いてきた。


「ギ」


 痛い!


「ギャ」


 痛い! 痛い!


「ギャャャャャャャーーーー!」


 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!


 激しい痛みが左肩から全身を駆け巡る。

 まるで心臓がそこに有るかの様にドクドクと痛みが脈を打つ。

 俺は喉が枯れる程絶叫した。

 次から次に沸き起こってくる痛みに、全身から油汗が噴き出してくる。


「あっ、ば、馬鹿な……、急に力を抜くなんて……、そんな……」


 俺の左腕をへし折った殺人鬼は、自らの行為に動揺していた。

 大広間から学園長と理事長が俺の名を悲痛な叫びにも似た声で呼びかけてくる。

 俺はに答える事も、痛みに耐える事も出来ずに、ただ床の上で痛いと叫ぶ事しか出来なかった。


「コーくん!! 大丈夫!? はっ! な、なんて事……」


 どうやら、お姉さんが俺の絶叫を聞き付けてやって来てくれたようだ。

 そして、この惨状を目の当たりにして言葉を失っている。


 お姉さん……助けて……。


「光一!! 大丈夫か! なっ! お前光一に何をした!」


「チューー!」


 え? ドキ先輩とモグ?

 なんで? どう言うこと?


 聞こえてきた二人の声は俺の痛みによる幻聴なのか?

 姿を確かめようにも今だ組み伏せられている状態では、そちらの方向を伺う事が出来ない。


「な、なんで? 妖精ちゃんはケブラー製の拘束具で縛って鍵もかけたし、ハムちゃん・・・・・も、象でさえ一日は眠りこける筈の睡眠薬を使ったのよ? ここに来れるはずが……」


 殺人鬼が、お姉さんに続いて現れた二人に、信じられないと言った風にポツリと溢した。


 え? 何を驚いているんだ?

 さっき自分で言っていたじゃないか、痛めつけたって。

 それにモグは……、言ってた事と違うじゃないか!

 妖精ちゃんにハムちゃん? 意味が分からない。

 もしかして、さっきの言葉は俺の心を挫く為の嘘だった……のか?


「へへ~ん! あんな拘束具なんて、姐さんに掛かればたこ糸みたいなもんだ」


 ドキ先輩が得意気に自慢している。

 いや、ケブラー繊維って、なんか凄く丈夫なやつだよな?

 さすがのお姉さんでさえ、たこ糸って事は無いんじゃないかな。

 ……いやお姉さんならそれくらい出来そうな気もするな。

 それにモグはアレだろう。

 芸人先輩は薬品耐性の強い・・・・・・・生物を造るのを目指しているとか言ってたけど、既に完成してたんだろうな。

 だって人以上の強さは実現済だったもんね。

 

「あぁ良かった、皆無事で……」


 二人が無事だった事に、俺は痛みを忘れて安堵の呟きを溢した。

 それに三人がかりなら、この殺人鬼……いや、それは嘘だったか、この化け物を何とかしてくれるかも知れない。


「お姉さん……助けて……」


 俺は声を振り絞ってお姉さんに助けを求めた。



 サァァァァ―――――



 俺がその言葉を発した途端、世界が一変した。

 何が起こったのか分からない。

 しかし、確かに何かが変わったのだけは分かった。

 辺りは静寂に包まれたかの様に何も聞こえない。

 ふと、足の爪先が何かを感じた。

 それは徐々に身体を登ってやって来る。


 何だ? この身体がゾワゾワする違和感は?


 それはとうとう俺の身体をすっぽりと包み込み、更なる広がりを見せた。

 その中はまるで時間が止まってしまったかの様に重く苦しい。


 ピキ ピキキ


 何かが辺りに響く。

 その音は、何も無い周囲の空間・・から聞こえてくる。


 俺は今日初めてと言うものを聞いた。


【貴様……、何をしたのか分かっているのか……】


 後ろから地獄の蓋が開いたのかと錯覚する声が低く響く。

 この声はお姉さんなのか……?

 と言うことは、この異様な空間はお姉さんの怒りによるものなのか?

 俺が傷付き助けを求めたから?


 大広間から『ヒッ』や『な、なんだ?』と言う男性達の酷く狼狽える声が聞こえる。

 このお姉さんの怒りによる圧力に恐怖を感じての事だろう。

 お姉さんの怒りは大広間に達しているようだ。


 それを嗜める『情けないですよ、あなた』と言う美都勢さんに何処と無く似ている女性の声が聞こえたのは、俺の知らない美都勢さんの血族かもしれない。

 いや、何処と無く分かる。

 今のが美幸・・だな。

 どうやら、御陵家の女性達は全員肝が据わっているようだ。


「う、動くな! こいつがどうなっても……、どうなっても良いのか?」


 俺の上に陣取っている化け物が声を震わせながらそう言った。

 いや、いまはもうお姉さんの殺気に当てられた所為か、先程までの覇気も消え失せて、とても弱々しく感じる。

 なんせ怒りの対象外の俺でさえ、これほどまでにこの空間に違和感を感じているんだ。


 直接殺気を当てられているはどれ程の恐怖を感じているんだろうか?


『フフフッ。あの頃の幸子ちゃんが帰ってきたわね。平和ボケして牙を亡くしたのかと思ってたわ。この状態の幸子ちゃんは、私でも死を覚悟した事は一度や二度どころじゃなかったのよ。余裕に見せている裏で、本当は避けるのに必死だったんだから』


 母さん(心の悪魔)が懐かしそうに呟く。

 これがお姉さんの本気の本気。

 純度100%、正真正銘。


 真の嵐を呼ぶものストームブリンガーなのか……。


【やってみろ……、お前がコーくんに何かをしようとした瞬間、その首叩き落としてくれる】


 とても物騒な事を紅葉さんに言ってるのだか、それは冗談じゃないのだろう。

 紅葉さんは『ヒッ』とその言葉に悲鳴を上げた。

 恐らくお姉さんの言葉が真実と言うのを肌で感じての事だ。

 このまま恐怖に負けて俺から離れてくれれば良いのだけど。


【これが最終警告だ。そこを退いて、コーくんを解放しろ……】


 お姉さんはそう紅葉さんに命令しながら近付いて来る。

 その言葉と共に迫り来るお姉さんに、紅葉さんはビクッと身体を震わせたが、俺から離れる気配はない。


 何故だ?

 強者は強者を知るのだろう?

 もう、万が一にも勝ち目が無いのを紅葉さんは一番分かってるんじゃないのか?


 俺はその時、カタカタと震えにより歯が当たる音と共に、小さく呟く紅葉さんの声を聞いた。


「……こいつは、美都勢さんの敵だ。私の命に代えても……」


 ハッ! そうか! 紅葉さんは美都勢さんの為にこの恐怖と戦い、身を犠牲にするつもりなんだ!


【退かないなら、それでも良い。動かないお前の頭をかち割ってやる】


 お姉さんの声がすぐ近くで聞こえる。

 もうお姉さんの射程範囲の様だ。

 恐らく腕を振り被り正拳付きの構えを取ってるのかも知れない。

 ギリギリと拳を握り締める様な音が聞こえてくる。

 紅葉さんは下に組伏せられている俺でも分かる程、恐怖によって身体が震えている。

 そこまで美都勢さんの言い付けを守り、俺を大広間に入れさせないとする為に死さえ覚悟するのか?


「申し訳有りません……、美都勢様の言い付けを守れそうも有りません。さようなら、どうかお元気で……」


 俺は紅葉さんの口から絞り出される様に漏れた、涙混じりの美都勢さんに対する謝罪の言葉を聞いた。


「お姉さん!! ダメだ!!」


 俺は力の限り叫ぶ。

 それにより左肩に鈍い痛みが走るが、そんな事を言っている場合じゃない!


「お姉さん! 攻撃しちゃダメだよ!」


「なっ! でも、コーくんをそんな目に合わせた奴なのよ!」


 お姉さんは俺が攻撃を止めた事に驚き、俺に訳を聞いて来た。

 けど、何とか放った拳を紅葉さんに当たる寸前で静止させたくれたみたいだ。

 当たっていたら本当に紅葉さんは無事じゃ済まなかっただろう。

 なぜなら、お姉さんが放った拳の威力は、振りぬく前に静止させたのにも関わらず、その残滓が衝撃波となり、辺り一面に吹き荒れたからだ。

 それにより大広間の障子戸が音を立てて激しく揺れた。


 これが嵐を呼ぶものストームブリンガーと呼ばれた所以なのか。


 ……てっきり、行く先々で騒ぎを起こすからそう呼ばれてると思ってた。

 な、何にせよ、危機一髪何とか間に合った。


「良いんだ。絶対攻撃したらダメだからね。もし攻撃したら嫌いになるから」


「えぇ~、そんなぁ~」


 俺が『嫌いになる』と言ったので、そのショックから情けない声を出した。

 それによって辺りを支配していたお姉さんの殺気は消え失せ、密度を伴い呼吸さえ疎外していた周囲の空気も元に戻った様だ。


「あ、あなた……。なんで? なんで止めたの?」


 紅葉さんが、自らの命が助かった事に対する安堵と、理解出来ない俺の行動に対する困惑で、子供の様な声で俺にそう尋ねる。


 なんでって? そんな事決まってるじゃないか!

 発想の転換さ。

 美都勢さんの言い付けで俺を大広間に通せない・・・・のなら、美都勢さんの言い付けで俺を大広間に通したら・・・・良いんだよ。

 しかし、俺はその答えを紅葉さんに伝えないまま、大声で叫んだ。


「創始者ぁぁーーーー! お願いします! 話を聞いて下さい!」


「なっ!」


 紅葉さんは俺の声に驚き、俺の左手を掴んでいる手に力を入れた。


「ぐぁ!」


 アドレナリンによって鈍く麻痺していた左肩に、再び激しい痛みが走り、俺は呻き声を上げる。


「あぁっ、ご、ごめんなさい」


 俺の呻き声に、何故か紅葉さんは謝り力を緩める。

 もう、彼女の頭は混乱によって正常に働いていないんだろう。

 今のは、ただ単に俺の声にびっくりして力が入っただけだと思う。

 それ程までに、彼女はただの人となってしまっていた。

 再び身体を支配し出した激しい痛みになんとか耐え、俺は更に声を搾り出す。


「美都勢さん……! お願いです……。話を聞いてください」


 しかし、障子を隔てた大広間で俺の声を聞いている筈の美都勢さんからの回答がない。


 ……駄目だと言うのか?

 もう本当に、俺の声は美都勢さんの心に届かないのか?


 これが最後。

 次の呼びかけで応えてくれなかったら、そのまま意識を失うだろう。

 俺は持てる力全てを振り絞り、大きく息を吸い込んだ。


 お願いです……、美都勢さん。

 貴方を……貴方を救いたいんだ! 


 想いの全てを糧にして、叫ぼうとしたその刹那、俺の耳に待ち望んだ声が聞こえてきた。


「……良いでしょう。話だけなら聞きましょうか」


 静かだが、色々と複雑な感情が入り乱れた、謁見を許可するその言葉。

 やった! やったぞ! やっと美都勢さんと話をする事が出来る!

 俺は、ついに勝ち取った美都勢さんの囚われた心を解放するチャンスを、絶対に無駄にすまいと心に誓った。


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