第86話 幸せな日々

 

「ここに学校を作ろうと思うんだ」


 あれからほぼ一年の月日が流れた。

 その間も幾度かの空襲を経験したが、思い出の木は相変わらず無事で山の中腹に佇んでいる。

 僕達は今その木の側に立ち、少しづつ傷を癒すように復興されていく街並みを見下ろしていた。


 僕はこの一年間ずっと考えていた想いをミトセさんに伝えた。

 再会から数日後、時同じくして遠く故郷に住んでいた両親と弟が空襲による被害で亡くなったとの知らせが僕の元に入った。

 それにより、唯一の血縁であった僕が家督と遺産を継ぐ事となったのだが、家から捨てられたも同然だった僕は家督を捨て、ミトセさんの家に婿入りする道を選んだ。


 遺産の使い道を考えたが、なかなかいい案が思い浮かばない。

 ミトセさんは『貯めときゃいいのよ』と言っていたが、戦後復興にかける人々の想い、そしてこれからの未来を考えて僕は一つの結論に至った。


「小等学校を作るの?」


 僕の奥さんとなったミトセさんはそう聞いてくる。


「いや違うんだ。小等学校は義務教育なんで、子供達に対してある程度平等な教育としての場が与えられている。僕はその先の勉学の場を、意欲有る子供達に与えてあげたいと思っているんだ」


「じゃあ、中等教育学校を作る気?」


 ミトセさんがそう言って首を傾げる。


「それも違う、噂では近々学制改革と言う大幅な教育の見直しが行われるらしいんだよ。僕はそこで設立される新制高等学校を作ろうと思うんだ」


「う~ん、良く分からないわね? 新制?」


「うん、現在の高等学校はその際、大学と言う名称に統一されるらしいけど、そこに至るまでの道筋を与えてあげられる場を作りたいと思うんだ」


 ミトセさんはまだよく分かっていないらしく、いまだ首を傾げていた。


「まぁ良いわ! 私も応援するわね」


 しかし、悩むのを止めたミトセさんは顔を上げ、いつもと変らない太陽のような笑顔で、僕の新たな夢をそう応援してくれた。


 僕は、新しい夢を決意したこの日を、記念として眼下に広がるいまだ戦禍傷跡が著しい街並みを写真に収めた。



 ―――― そこからは世界が暗転しなかった。の視界にビデオの早送り如く、目まぐるしいまでの色々な出来事が流れていく。



 その一年後、娘のミコトも生まれた。

 僕はあの木の横に立って太陽の笑顔で笑っている愛する妻と娘を写真に収める。


 政府への学校新設認可を受ける活動の最中、生涯の親友となる光善寺君と出会えた事はとても幸運だった。

 少し変った所が有るのが玉に瑕だけど、製薬会社の御曹司である彼は政府要人への顔も広く、財政界に大きなパイプを持っていた。

 学校設立と言う意気込みだけは有ったけど、地方議員の家系に生まれながら、正直なところ親から半ば見捨てられていた僕は、まつりごとについて全く知識が無かった。

 そんな、僕とって非常に強力な助っ人となって色々と動いてくれたんだ。



「学校の名前は何にするつもり? 私か、あなたの苗字でも使う? それともあの芸人みたいなあなたの友達の名前でも使う?」


 認可申請において学校の名前は必須なので色々と考えていたのだが、なかなか決まらない。


「いや名前を使うのはどうかなぁ? と言うか、光善寺君を芸人って言うのは酷くないかい? まぁ分からなくも無いけどね」


 彼はいつもふざけていて、僕がそれを訂正するのを楽しんでいるようだ。

 僕はあまりそちらの方には詳しくないのだけれど、傍から見ると光善寺君がボケて僕が突っ込むと言う、まるで『しゃべくり漫才』みたいだと皆は言っていた。


 僕の……、いや今では僕とミトセさんの二人の夢を形にした学校だ。

 何か良い案は……?


 ッ!!


 そうだ、僕たちが出会ったあの木の側に建てるんだ。

 ならば仏の従者達が守ってくれたこの土地の名前を付けたら良いじゃないか!


「ミトセさん、あの山にある峠の名前を取って『十鬼乃坂学園』ってのはどうだろうか?」


 僕は名案だと思ったんだけど、ミトセさんは腕を組んで悩んでいる。


「う~ん、確かにあそこら辺はそう呼ばれているけど、昔からのただの俗称だし、何より物騒じゃない? 十匹の鬼なんて名前」


 ま、まぁそうかもしれないね。

 って言うか、鬼の数え方って匹なんだ……。


「でも、あれだけの空襲を受けても、あの山と木の周りだけ被害が無かったんだ。君が教えてくれたその昔話の様に、仏の従者になった鬼達が守ってくれたんだと僕は思っているよ。だからそれに敬意を表して使わせてもらおうと思ったんだ」


「あら? あなた結構神秘主義者なのね? う~ん……、まぁいいか! 私達の始まりの場所の名前だもんね! それにそれくらい厳つい名前の方が目立つわ!」


  目立つと言う理由はさすがミトセさんだけど、これで僕達の学校の名前が『十鬼乃坂学園』に決まった。


 遺産を使い、山を開拓し、徐々にあの木の横に校舎が出来上がっていく。

 夢が一歩づつ形になって行く事に、僕は無上の喜びを感じた。



 ―――― 更に時が進む。



「私がこの学校の代表? 何であなたじゃないの?」


 ミトセさんが政府より認可された事を示す書類を見ながら言ってきた。


「僕は一生涯教師として現場に立っていたいんだよ。だから代表は君になって欲しいんだ。それに僕は婿養子だしね」


 半分は嘘だ。

 僕の一生は、もうあまり残されていないのを自覚している。

 結核によって一度は生死を彷徨ったこの身体は、元々弱かった生命力と言う物をすり減らし、元はどれ程有ったのかは分からない僕の寿命を削り取ってしまったらしい。

 もし代表の僕が死んでしまうと創立間もない学校の運営など簡単に混乱してしまい、最悪廃校になる恐れがある。

 しかし、この元気の塊の様なミトセさんなら末永くこの学校を見守ってくれるだろう。


「ふ~ん、まぁ良いわ。じゃあ創始者としての名声は私が頂くわね!」


 悪戯っ子の様に愛らしい仕草で僕にそう言うミトセさん。

 初めて会ったあの日から十数年。

 それなりに年は重ねているのだけれど、いまだに僕の前ではあの頃のままだ。


「あら? あなたから、ちょっとイラッとする邪念を感じたのだけど?」


 ヒィ! 超能力者?


「そ、そんな事無いよ。君はいつまで経っても可愛いねって思っただけさ」


「えへへ、そう? ありがとう」


 僕の言葉に照れるミトセさん。

 本当に可愛い。

 その顔、その仕草に癒される反面、心が締め付けられた。


 以前サナトリウムのベッドの上で決意した想い。

 彼女を残してこの世を去ると言う事。

 それによって彼女の心を悲しみで縛ってしまわないかとの焦燥が僕の心を苛んでくる。

 僕は彼女の人生を僕の我侭で縛り付けてしまうのではないだろうか?

 僕は、この命が一日でも長く続く事を神に祈った。



 ―――― そしてまた、周囲は早送りの様に目まぐるしく過ぎていく。



「ミトセさ~ん! いい事を考えたんだ! 」


 校舎も完成に近付き、来年の春に開校する事が決まったある日の朝、街を歩いている時に路地裏で佇んでいる戦災孤児を見て思いついた事をミトセさんに伝えた。


「え? 親が居ない孤児達をうちの学校で面倒見る? それはちょっと色々と問題が出てくるわよ? お金を納めて入ってくる他の生徒達に示しが付かないし」


 ミトセさんは『またか』と言う顔をして、僕の思い付きに対してため息を付きながらそう言ってきた。

 まぁ彼女の言葉はもっともだよね、ちょっと説明が足らなかったみたいだ。


「少し違うんだ。あくまで素行良好で勉学に対して勤勉で向学心が強く学習意欲の高い子達が、その想いを持って我が校の門戸を叩くのならば、奨学金と言う形で援助しようと言う事だよ」


「同じじゃないの?」


「あくまで日々努力するように、きちんと入試試験や定期試験を実施し、それに合格すると言う条件を付けるよ。そうそう、我が校の生徒は清廉潔白で精錬された心の持ち主であれと言うのを座右の銘にしようと思うんだ」


 あぁ、両親を亡くしたがこの学校に無償で入れたと言うのはこう言う事だったのか……。

 そして、が入学するのを拒まなかったのも……。


 ……ん? ?

 は空襲で亡くなったのだけど?

 それに?

 なんだろうこの声は?


「あら! いいじゃない、その座右の銘。ただ格言的としたいならもう少し硬い言葉が良いわね? こう言うのはどう? 『我が校の生徒は清廉たれ、そして精錬なれ』って? それにそう言う事なら、まぁ制度として検討してみましょうか。私達も親を亡くした身だしね」


 なるほど、僕の言葉じゃ柔らか過ぎたか。

 ミトセさんの案は素晴らしいな。


「うん、それ良いね。それで行こう! それに僕の提案も検討してくれて嬉しいよ」


「ふふ、どういたしまして」


 子育て中にも拘らず、最近は学校経営者になるべく経営学の勉強に勤しんでいるミトセさんは、考え方も含め経営者としての立ち振る舞いもなかなか板に付いて来た。

 今の様に僕が思い付いた色々な提案も経営者としての立場からダメ出しされる事も多々有った。

 最近の彼女の口癖は、あの日ミトセさんが僕に言った『あなたは詰めが甘い』だ。

 本当に面目無い。



 ―――― また時が進んだ。



 新設した校舎の前で一期生と共に記念写真を撮っていた。

 これから始まる、実現した夢の始まりに心が躍る。

 僕は僕の生きて来た証としてこの実現出来た夢を日記として記録を残そうと思う。

 ミトセさんにも内緒のこの日記は『十鬼の坂学園回顧録』と名付けて僕の想いを書き綴ろう。

 最初のページは勿論、この夢を最初に決意した時に撮った復興の息吹が芽吹いているものの、まだ瓦礫だらけだった街の写真だ。

 今ではもうその面影も無く、新しい建物が立ち並ぶ活気有る街に様変わりした。

 そして、もう一枚、愛する我妻と赤ん坊のミコトを抱いたあの写真。

 そんなミコトは今年で二歳になる。

 僕に似ず活発で元気に育ってくれて本当に嬉しい。


 本当に毎日が楽しく、キラキラととても輝いていた、とても幸せな日々は続く……。




「ねぇ、あなた。生徒達から部の設立申請が届いているんだけど、どうする?」


 学園生活が始まり、一ヶ月程が過ぎたある日の放課後、学園長兼理事長室に立ち寄った際にミトセさんがそんな事を聞いて来た。

 部かぁ~、そう言えば考えた事なかったな。


「どんなのがあるの? 正直僕って今まで部活動と言うものをしてきた事がなくてすっかり忘れてたよ」


 学校にそう言う活動が有るのは知っていたけど、体が弱い僕はそう言うものに参加した事が無かった。


「あ~、そう言えば体が弱かったんだったわね。最近元気そうだからすっかり忘れていたわ。私は女学校時代に運動部の掛け持ちとかしたわよ。今申請が来ているのは、『べーすぼーる部』…一瞬ドキッとするわね。まぁ『野球部』よ。他には『陸上部』に『漕艇部』、『乗馬部』とか他にも幾つか来ているわね。まぁ『乗馬部』はうちでは敷地の問題で無理だけどね」


 さすがミトセさん、元気の塊だ。

 僕は学生時代、ずっと憧れより妬みに近い感情を持って部活動と言う物を横目に過ごして来た。

 そう言えば学制改革の学習指導要領の中にも部活動に関する規定が有ったな。


「う~ん、まぁ学校には部活動は必要になってくるだろうし、経験者のミトセさんにお任せするよ」


 確かに学園生活において、生徒の精神面の育成については教師と生徒の繋がりだけでは不十分だろう。

 僕を教師の道へと言う夢を持たせてくれた先生は部活動と言う形ではなかったけど、僕と同級生の絆を深める為に色々と尽力してくれた。

 僕が尋常小学校時代、殆ど出席出来なかったにも拘らず寂しくなかったのはそのお陰だと思う。



 ―――― あれからまた数ヶ月後。『十鬼の坂学園回顧録』のページは順調に書き連ねていっている。



「なんなんだ! なんなんだい? これは!」


 新設された部活動の現場を査察した際に、僕は目の前で行われているに、思わず驚愕の声を上げた。

 僕の声にミトセさんが笑っている。

 知らなかった……、いや、知ろうとしなかった……これも違う、出来なかったが正しいか。


「ね? 部活動って良いものでしょ?」


 ミトセさんのその言葉に僕は首を大きく縦に振った。

 目の前で行われている生徒達の部活動の熱量に当てられ、僕は体の芯が熱くなって来るのが分かる。


 そうなのか! 生徒同士の絆の交流、それは部活動を通じてお互いに切磋琢磨し時には反発しあい、そして認め合い、己を、そして皆を、皆で高めあう。


 これなんだ! 僕達教師だけでは勉学しか教える事が出来ない、いや僕の恩師の様に大切なものを教える事も出来はするけど、それにしても僕に同級生との絆を結ぶと言う大切さを示してくれているものだった。

 その時は、ただ単に寂しがっている僕を励まそうとしてくれているだけだと思っていたけれど、先生が本当に言いたかったのは、まさにこれなんだ!


 教師達が学業を教えるだけでは学べない人間として本当に大切な教育がそこにあるんだ!


「あぁ! 凄いよ! くやしいな! 何故僕はこんな素晴らしいものを体験する事が出来なかったんだろう。 でも、だからこそ、僕の教え子達にはこの素晴らしい経験の場をしっかりと与えてあげないとって思うよ」


 僕が興奮してミトセさんにそう言うと、ミトセさんは嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ、安心したわ。またあなたが後ろ向きな事を言ったらとっちめてやろうかと思ったのよ」


 彼女の厳しさは愛情の裏返しなんだ。

 出会った時から変らないな。


「相変わらず、厳しいね。そうだ、あの格言なんだけど、『部活動においても』って入れたいんだけど、どうかな?」


 勉学だけじゃない、いや僕が目指す教育は部活動による絆の交流、そして想いを繋げると言う事が有ってこそだと今確信した。


「本当に部活動の事を気に入ったのね」


「あぁ!」



 ―――― 早送りの風景は、あの問題の部活紹介写真誕生の場面で止まった。



 僕の机の上には新入生を迎えるに当たり歓迎の意味を込めた部活動報告写真が並んでいる。


 素晴らしい! この己の成長を誇り、そして後輩に想いを託すようなこの熱い眼差し!

 あ~、良いなぁ~、やっぱりこの学校を設立して良かったよ。


「呆れたわね。またそれを見てるの? 最近ずっとじゃない」


 ミトセさんが言うように僕は最近仕事が終わると、ずっとこの写真を見ている。


「だって見てごらん? この素晴らしい写真を! 先輩達が後輩に対して誇りと想いを伝えると言うこの立ち振る舞い、そしてこの眼差し! この志が次の世代に受け継がれていくんだなぁって想うと感慨も一入ひとしおだよ」


 僕はこの写真を、あとどれだけ見る事が出来るのだろうか?

 刻一刻と寿命が近付いて来る足音に怯える日々。


「はいはい、何回も聞きましたよ。でもまぁ確かにとてもいい写真よね。私も大好きだわ。でもちょっと堅苦しくない? もっと、こうパァ~っと楽しそうな方が良くないかしら?」


 フフッ、ミトセさんらしいな。

 元気いっぱいのミトセさんは、このビシッとした整列写真にちょっとご不満のようだ。


「う~ん、僕はこっちの方が好きだなぁ~。いかにも清廉潔白で精錬された感じが出てるじゃないか」


「本当にその写真が好きなのね。分かりました、あなたの意志を尊重しますよ。フフフ」


 そう言って呆れながらもいつもと変らない太陽のような笑顔で僕を照らしてくれた。



 ――――とても幸せな日々だったが、 この頃からの視界にノイズが入るようになってきた。


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