第29話 摂取

 

「サバの味噌煮込みにもチョコ玉子は入れるの?」


「え? 入れませんよ?」


 涼子さんいきなり何をいうんです?

 俺がサバの下処理の為、霜降りを行ってると涼子さんがそんな事を聞いてきた。


「あっ、そーなの? 前に味噌煮込みにも入れるって言ってたからサバの味噌煮込みにも入れるのかなって思って」


 あ~そういや言ったよな。

 良く覚えてるな。


「それは牛スジ煮込みの時ですね。サバの味噌煮込みにも合うかもしれませんが取り敢えずはきちんと一回作ってからにしますよ」


 基本が出来てないからね。

 取りあえず長時間煮込む系はあとで味の調整も簡単だから良いけど短時間での調理の場合、まだ冒険するには早いと思う。


「牛スジ煮込み! あたし大好き! 勿論里芋とこんにゃく入ってる奴よね?」


 さすが腹ペコモンスター! その組み合わせよく分ってる。

 涼子さんって何でも大好物だよね。

 あっそう言えば金と銀のアルミ箔に包まれたサイコロ型のおつまみは嫌いなんだっけ?

 あれ美味しいのになぁ。


「今週土曜日にでも作りますよ」


 俺も久し振りに食べたくなってきたな。


 本来なら硬いスジの部分に歯を当てただけですっと入って行くほどにトロトロに煮込んだ牛スジ。

 噛んだ瞬間に口の中に甘く広がる牛脂と味噌の塩分が織り成す芳醇な味わいはゼラチン質の中にも染み渡り噛めば噛むほど力強く舌全体を支配し、A10神経のシナプスから大量に放出されたセロトニンの影響で溢れ出る多幸感に思考が流される。


 勿論里芋も主役の一つ。

 牛スジ煮込みには欠かせない。

 牛と味噌のエキスを取り込んだビスケットブラウンの小さな玉の表面は、煮込まれてぬるりとした舌触りで溶けて消え去るが僅かな土臭さと共にその味の存在感を残していく。

 中もホクホクでその中心まで染み込んだエキスにより里芋の控えめな甘みはより一層引き立たされ味覚中枢を刺激する。


 忘れてならないのがコンニャクだ。

 牛スジ煮込みの味が染み込んだコンニャクほど普段との違いに驚かされる具材は無いと思う。

 元は自己主張もせず瑞々しい僅かな甘みを滲ませるプニプニとした存在だが、長時間煮込まれ味が染みたコンニャクはどうしても味が濃くなるこの料理のオアシス的存在と様変わりする。

 どんなに美味しくとも口の中にくどく残る煮込まれる事によって蠱毒の如く濃縮された脂分は、食べ進む内に食欲を削り取ってく。

 そしてある水域を越えた途端、箸が進まなくなりその後暫く襲ってくる胸焼けは、言うなれば親しい人と喧嘩別れした後のような焦燥感と喪失感に苛まれてしまう、まるで三流の悲恋劇のようだ。

 しかしそれを守り防いでくれるのが味が染み込んだコンニャクという存在。

 噛むと歯ごたえが良い弾力感と共に口の中に広がる瑞々しさは、つらく厳しい砂漠を旅する者達の前に現れたオアシスかの如く、口の中の脂っこさに膝を付きそうになるこの身を優しく助けてくれるのを感じる。

 しかしただ単にコンニャクであれば良いと言う訳ではない。

 味の染みていないコンニャクなど、海辺の高級リゾートホテルに泊まったはいいが、通された部屋から見える景色は何の変哲も無い山しか見えなかった時の様な台無し感に辟易する。

 濃い味の中で味の染みていないコンニャクは、その自己主張のしない性格上、噛んだ際に全く味を感じさせず一気にそれまで感じていた料理に対する幸福感に水を差し、百年の恋も冷めるかのようだ。

 しかし、味の染みているコンニャクは気流に煽られエマージェンシーコールが鳴り響く墜落寸前の旅客機を助ける為に天から舞い降りた天女か女神か。

 その手によって優しく導きソフトランディングしてくれるかのように口の中に味を残しつつ脂っこさを和らげてくれる。

 これにより最後まで牛スジの味噌煮込みを美味しく食べる事が出来る。


 他にも具材を入れる牛スジ煮込みは有るのだが俺はこの三種の神器による牛スジ煮込みが至高だと思う。

 牛脂があまり好きじゃない俺でもこれだけは大好きだ。

 あ~想像したら食べたくなったなぁ~。


 とは言え今日はサバの味噌煮込みなんだけどね。



「あの申し訳有りませんが、私土曜日は少し用事が有りこちらに来れません。牧野さんのお料理が楽しみでしたが残念です」


 あらら残念。

 でも黄檗さんも色々と忙しい中いつも来てくれてるんだから仕方無いな。

 おや? めずらしいな黄檗さんが少し寂しそうな、悲しそうな顔をしてる。

 どうしたんだろう?


「黄檗さんどうしました? 大丈夫ですか? なにかあったんですか?」


「え? いや特には……別に……大丈夫」


 いつもと違う雰囲気に心配した俺の問いかけに黄檗さんは何故か激しく同様しているようだ。


「そうですか? 少し悲しい顔をしていたように見えて気になりまして。ごめんなさい」


 牛スジ煮込みが食べたかっただけなのかな。

 俺の自慢の料理だし、黄檗さんには食べてもらいたいや。


「黄檗さんの分はちゃんと冷凍してとっておきますから、その次に来た時にお出ししますよ」


 さぁサバの味噌煮込みを作るか……な?


 俺が料理を再開しようと台所に振り向いた時、誰かが俺の元に駆けて来る音が聞こえたので誰だろう? とそちらに振り向き直す。

 俺に近付いてくるその人は、顔を赤くし悲しみを堪えてるかのように眉を歪ませた黄檗さんだった。


「え? おう…ば? え?」


 俺が名前を呼ぼうとしたのだがそれより早く黄檗さんに抱きしめられた。


「え? え? どうしました?」


 俺が訳を聞くが黄檗さんは何も答えずただ力いっぱい抱きしめてくる。

 後ろで涼子さんが良い物を見たと言うような声を上げながらスマホで写真を撮っている。

 なにやってるんですか涼子さん。恥ずかしいんで撮らないでください。


 黄檗さんは俺を抱きしめながら何やらふるふると震えている。

 突然の事に俺は混乱して頭が真っ白になり体も硬直して動かない。


 なななな、なんで? なんで黄檗さんに抱きしめられてるの?

 今の会話の何処にこうなる要因があった?

 て言うか、凄く良い匂いがする!!


 なんか色々と柔らかくて気持ち良い!!


 色々な事が頭の中で混ざり合い思考が纏まらない。

 暫くこのままの状態が続いたが、黄檗さんは小さく息を吐くと俺を放してくれた。

 もう少しこのままでも良かったのだが……。


「ど…どうしたんですか? 黄檗さん?」


 黄檗さんは目を瞑って何か自分の思いを自分の中で消化させようとしているかのようだった。


「あのすみません。すこし牧野さん分が足りなくなって来たので摂取させていただきました」


 そう言って優しく笑う黄檗さん。

 えーーーーーー! 消化って思いとかじゃなくて物理的に?

 牧野さん分って養分かよ! 俺摂取されたよ! 体縮んでないかな?


「な、な、な……」


「冗談ですよ」


 慌てふためく俺を見て黄檗さんはいたずらっぽく笑った。

 そんな砕けた笑い方をした黄檗さんを見た事が無かったので心臓が高鳴り顔が赤くなる。


「ひゅーーひゅーーお熱いねーーー。あれれ? 私はお邪魔かなぁ~?」


 漫画チックな俺達のやり取りの光景に満足した涼子さんが嬉しそうに声を上げている。

 流石の黄檗さんも涼子さんの言葉が恥ずかしかったのか頬を染めていた。


「深草先生? 先程撮られました写真を削除させていただきます」


 少しいつもの感じに戻った黄檗さんが涼子さんのスマホを奪い取ろうと襲い掛かる。


「いやーーーー消さないで!これは拡大印刷して部屋に飾るのーーーー!」


 無茶を言うな。

 そんな場面人に見られたらやばいわ!


「何を言ってるんですか深作先生! そんな事はさせません!」


 頑張れ黄檗さん。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「サバの味噌煮込みですが、最後ちょっと裏が焦げてしまいました。すみません」


 フライパンで作る簡単味噌煮込みと言う謳い文句のレシピで途中までは調子が良かったのだが、水分が思ったより早く飛んでしまって一部味噌が焦げてしまった。

 表面は水分がまだ有った様で安心してたんだけどフライパンとの接地面は見事に焦げている。

 これなら大人しく鍋で水分多めに煮込んだ方が良かったかもしれないかも。


「味噌は水分少ないと焦げやすいですからね。でも下側の表面だけですので大丈夫と思います。焼き味噌と言う料理も有りますし、この程度のコゲなら香ばしくて逆に美味しいかもしれません」


 普段の状態に戻った黄檗さんがそう言ってくれた。

 先程のバトルは見事に黄檗さんが勝利を収め、先程撮られたデータは全て消去されて世に流出する事は無くなったので安心だ。

 ……でも、ちょっと欲しかった気もするな。


「うん美味しいよ。コゲの部分はちょっと苦い所もあるけど確かに香ばしいし、何より味自体は私好みの甘めで好きな味~。生姜の風味も利いててサバの臭みも消えてるわ」


「牧野さん、この短期間で大分味の付け方が上手くなってきましたね。やはり多少なりとも料理の経験が生きているのでしょう。美味しいですよ。あとは火加減等に関しては実践有るのみですね。……私も昔良く焦がしたものでした……」


 よし大分褒められるようになってきた。

 ん? でもやっぱり今日の黄檗さんはちょっといつもと様子が違うな?

 あまり昔の事を喋らない人なのに。


 でも黄檗さんの料理か~。

 ちょっと食べてみたいな。


「黄檗さん、俺今度黄檗さんの料理が食べてみたいです」


 俺が何の気なしにそう言うと、黄檗さんはまたも少し驚いた顔をしてる。

 やっぱり今日の黄檗さんはちょっとおかしい。

 涼子さん相手のストレスが貯まっているのだろうか?


「……はい、来週にでも私の得意料理をご馳走しますね」


 またも少し寂しそうな悲しそうな雰囲気を醸しながら黄檗さんはそう微笑んだ。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「じゃ~また明日ね~! お休みなさーい」


「それでは夜分までお邪魔しました。おやすみなさい」


 食事後暫く三人で話しをしたが、9時を回ったので二人は帰っていった。

 しかし、今日は本当に濃い一日だったな。

 学園長に呼ばれ、ドキ先輩からの痴漢認定、生徒会広報任命に最後は黄檗さんのハグか。

 色々と疲れて今すぐ寝たいんだけど……、この横に置いてる涼子さんの漫画本読まないとダメなんだろうな~。


「え~とまず確かこれがデビュー作なんだよな。全3巻か」


『スクランブルスクール』と書かれた漫画の一巻を手に取る。

 表紙を見るといかにも青春少女マンガと言うタッチで制服姿の男女が笑ってる書かれている。

 はぁこれが恋人同士になるストーリーなのか?

 この女の子の何処にブタ要素があるんだろう? とても可愛く思えるが。

 中を読む前に少し気になる所があったので次の巻を手に取り表紙を見る。


「あれ? 一巻の男女は何処に言ったんだ?」


 二巻には一巻の男女とは別の男女が書かれていた。

 まぁ表紙毎に友人とか別のキャラを表紙に書くと言う事も良くあるし不思議でもないか。

 さて三巻はと思い手に取ると明らかに違和感があった。


「あれ? 別の漫画と間違えたかな? いや題名は合ってるか」


 それまで表紙はピンクや黄緑と言ったパステル調の下地だったのだが、急に黒く塗られた下地に劇画チックな筋肉マッチョキャラが書かれていた。


「これがバトル展開なのか……でも絵柄変わりすぎだろ。少女マンガの最終巻に筋肉マッチョって、よく出版社はOKしたな」


 子供が見たら泣くぞ?


 もう一度一巻を手に取り読み始める。


「え~と話はっと、最初は本当にふつーの学園漫画だな」


 どうも冒頭から慌てて走っている女の子が主人公のようだ。

 モノローグ的な自己紹介が綴られている。

 それによると寝坊して学校に遅刻しそうになっており、朝ごはん代わりのパンを口に咥えて走っているとの事だ。


「あーこれは世に良く聞くパンを咥えて出会い頭にぶつかって恋に落ちるってパターンだな」


 ん? 結構長く尺を取った割にはこの女の子、誰にも会わずに普通に学校に着いたぞ?

 それに途中で電車に乗ったのにずっとパン咥えたまんまなのはどう言う事だ?


 不思議に思い、ページを飛ばしたのかともう一度最初から丁寧にコマを見ていく。

 幾つかのコマで咥えてるパンが無いコマを見つけた。


「あーー! 良く見ると何気無しにパンを鞄から取り出してる。これ出会いの為の演出かと思ったら、ただの朝の食事風景だ!」


 枚数を数えると6枚。

 どうやら通学鞄の中身は6枚切りの食パン一袋が入っていたようだ。

 どこの世界に一話の大切な冒頭数ページを食事風景に当てる少女マンガがあるというのだろう?

 しかも飲み物無しで食パンを6枚食い尽くすと言うかなりハードな荒行をだ。


「いや、これもしかしたら涼子さんの実体験なんじゃあ?」


 たった数ページでかなりの疲労感を感じる。

 ハードな一日を送った俺にはこの一巻でさえ読むのに相当な覚悟が必要なようだ。


「涼子さんごめん! 今日はこれ以上無理!」


 土日改めて読む事にして俺は明日に備えてとっとと寝る事にする。



 明日から始まる生徒会活動に正直不安の二文字しかないが、それでも頑張ろうと心に誓うのであった。

 

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