第57話 二つの理由
「先程のアレは仕方無いとはいえ、少し嫉妬してしまうな」
橙子さん達と別れ生物部へ向かう途中に萱島先輩がそんな事を言ってきた。
「何がです?」
意図がよく分からない俺はそう聞き返す。
俺のその言葉に呆れたような顔をして溜息を付く。
「あぁそう言えば牧野くんはそんな子だったね」
その言い方、何か俺凄くダメな子みたいじゃないか?
「分かり易く言うと、さっきはあんなに激しく
橙子さんを抱き締める必要……?
………!
「アァァァァァァッ!」
夢中で気付かなかった! 今にも壊れてしまいそうな乙女先輩を助ける為にと、また勝手に暴走してなんて大胆な事をしてしまったんだ!
手に! 体に! 乙女先輩の体の感触が残ってる!
いつもは冷血漢みたいな乙女先輩だけどやっぱり女の子!
凄く柔らかくて暖かくて思い出したらドキドキしてきた!
痛ッ!
「牧野くん? 君なんか変な方向に思考が流れていってないか?」
萱島先輩がそう言って右のほっぺたを抓ってきた。
「そ、そ、そんな事ないですよ? あっイタタタタ! ほっぺたを引っ張らないで! 片方だけ延びちゃう!」
世にも珍しい片たれぱ○だになってしまう~。
「光一をいじめるなよ~! あの"ぎゅー"はあの時の藤森には必要だったと思うぞ? 光一の"ぎゅー"は凄く安心するんだ。それにああでもしないと逃げてたし、そしたら二度と藤森を助けるのは無理になってたぞ」
そう言ってドキ先輩が俺を庇う為に萱島先輩にしがみ付いた。
ドキ先輩にしがみ付かれて大丈夫だろうかと萱島先輩を見ると特に痛そうな顔はしていない。
一応ドキ先輩って力加減出来るんだ。
ちょっとホッとしたよ。
俺の時もしてくれたらいいのにな。
いや、そんな事よりもドキ先輩が先程の事を理解しているとは思わなかった。
「千花先輩、庇ってくれてありがとうございます。先程は蚊帳の外にしてしまってごめんなさい。でも分かってたんですね」
「よくは分からないけど、生徒会長が心閉ざしたのを、自分の所為だと思って苦しんでた藤森を光一が助けたんだろ? 藤森と生徒会長の関係を見てると悪意が有ってした訳じゃないんだからあれで良かったと思うぞ。良い事したな光一! さすが俺の子分だ」
ドキ先輩が何やら誇らしげに親分風を吹かしてそう言ったが、ほぼその通りだ。
何も知らなかった筈なのに、あのやり取りだけでそこまで理解すると言うのはやはり天才と言う事なんだろうか?
でも手を広げてさあ来いとばかりにどや顔でハグを待っている姿を見ると、やっぱりどこか抜けている子だなと言う感想しか出ないな。
さすがにハグは恥ずかしいので高い高いで勘弁してもらおう。
高い高いで何とか誤魔化せて安堵した俺は、萱島先輩に歩きながら先程の乙女先輩を説得する際だけじゃ無く、学園長との話からずっと気になっていた事を尋ねる。
「萱島先輩は何処まで会長や藤森先輩の事情を知っていたんですか?」
萱島先輩の言動は、事情知っていたら腑に落ちる点が幾つかあった。
おそらく朝の時点では創始者、学園長、ギャプ娘先輩、そして乙女先輩。
この四人全ての立場からの情報を一番多く得て、理解していたのはこの人だったんではないだろうか?
「どうも牧野くんは私の事を買い被っているようだけど、そこまで何でも分かっていた訳じゃないさ。藤森ちゃんが美佐都が心を閉ざした一因であるだろうと言う事は推測していたが、あそこまで思い詰めているとは思わなかった。そんな物だよ私なんて。昨日も『写真の色』とか偉そうな事を言ったけど、色の意味まではまだまだ分からないんだ」
萱島先輩は肩を竦めて自嘲的にそう漏らして話を続ける。
「それに学園長の美佐都への溺愛っぷりを見ると
「!! 会長のお父さんの事を知っていたんですか?」
萱島先輩の口から自然と『和佐さん』と言う言葉が出てきた。
先程俺が言ってはいたのだが、一度聞いただけにしては余りにも自然すぎて驚いた。
乙女先輩も詳細は聞かされておらず、名前さえ初めて聞いた筈だったのに。
まるで最初から知っていたかのようだ。
「あぁ、知っていたよ。と言うか海外で邦人が死んだとなると、それなりにニュースとしてネットにも記録が残るからね。調べたらすぐだったさ」
あぁそう言うことか。
敵を知れば百戦危うからずと言うもんな。
去年萱島先輩から切り出したらしいし、色々と調べた結果そこら辺の情報はきっちり抑えてるか。
「そして、それを知ってショックだった……」
え?
「どう言う事ですか?」
それを知ってショックとは?
「彼はね、生前、大企業の跡取りとまで周囲に言わしめた有能な次男坊と言うのはもう知ってるね? そして君が言っていた通り人格者だったと言う事も、けど、これは知っているかな? 実は和佐さんは写真家としても有名だったんだよ」
「え? そうなんですか?!」
それは知らなかった。
それについて学園長も何も言っていなかったな。
興味無かったんだろうか?
それとも全ての始まりである『写真』と言うキーワードを無意識の内に拒んでいたんだろうか?
「勿論私が生まれる前の話なので雑誌やネットの情報しか持っていないけど、自分からは趣味と言い張っていた和佐さんの作品は、今でもファンが沢山居るんだよ。勿論私もファンの一人さ。今でも彼を偲ぶための個展が開かれる事も有るんだ。それに昨日私が君に語った、私が写真と言うものに初めて興味を持った少女の写真。あれは和佐さんの作品で、まさに亡くなる前日に撮られたものらしい」
「そんな……」
「これもネットの情報だからどこまでが本当かは分からないんだけど、彼が死んだ後の
そ、そんな事……、いや、美佐都さんが心を閉ざした原因は、まさにそんな噂の所為だった。
……けど、学園長は、少なくと和佐さんの事を愛して結婚したんだ……。
学園長自身、どれ程その噂に傷付いただろうか。
その事を思うと、胸が締め付けられた。
「また、これも別の噂だけど二つの家はこの件で絶縁状態となっており、その子供も和佐さんの家の相続権は放棄して血が繋がっていると言う事さえ口外してはいけない事になっていると言う事だ」
「なっ! 何だって!! だ、だから……?」
だから、学園長は美佐都さんに和佐さんの事を……言え……なかった?
「勿論今までの話に明確に御陵家と言う言葉は出て来ていない。世間が興味を引くゴシップ問題でもないからね。ネットでも明確な情報は残っていなかった。しかし、あるルートから手に入れた情報によると、美佐都のお父さんは私が尊敬する写真家の
何と言う事だ!
俺はその話に愕然とした。
だから、学園長は俺に対しても不自然に和佐さんの周囲については詳しく話してくれなかったのか。
そして、美佐都さんに父親の事を語らなかったのも、ただ単に悲しい事だから、喋る事が出来なかったんではなく、喋る事自体が禁じられ、残された者で故人を偲ぶ事さえも許されなかったのか。
学園長が問題を大きくした諸悪の根源と思っていたけど、それを聞くとそうじゃない。
学園長は何も出来なかっただけなんだ。
愛していたと周囲に公言する事さえ出来ず、娘に対しても父親の事を伝える事も出来なかったんだ。
学園長は単なるずぼらで、だらしない大人と思っていたが、そう言う理由が有ったなんて……、後で謝らないと。
だけど、ただ一つ気になる事がある。
「御陵家が亡くなった後、冷たかったと言うのが少し信じられません。少なくとも創始者は和佐さんが学園長を愛しているのを知っていて、彼なら学園長を幸せにしてくれると信じて婚約者にしたそうです。そんな方が亡くなって創始者がその様な態度をとる筈が無いと思います」
むしろ遺された者の悲しみを痛い程知っている創始者が、そんな事をしたとは思えない。
いや、御陵家側の親族自体、和佐さんが亡くなった後の学園長の傷心姿は知っていただろう。
その姿を見て、和佐さんの家に対して噂の様な態度をしたなんて信じられない。
何か……、何かが有った筈だ。
両家の間に亀裂が入る何かが……。
「うん、牧野くんの情報を貰うまでは、私もその噂を信じていたけど、今はその噂が誰かが意図的に流したものなんじゃないかと思えて来たよ」
「意図的に……?」
「情け無い事にね、去年学園長に言われて私がすごすごと引き下がったのは、その噂を信じていたからさ。創始者に会った時に自分を止める自信が無かったし、学園長自身にあまり良い感情は無かったからね。あっ、美佐都は別だよ。和佐さんの娘なんだから大好きさ。彼の忘れ形見と知った時はとても嬉しかった」
誰かが意図的に噂を流した……何の為に?
あっ! そう言えば、学園長を諦めて別の女性と結婚させようとしていた者達が居たと学園長が言っていた。
「学園長が言っていたんですが、学園長を諦めさせて別の女性と結婚させようとしている人達が居たそうです。もしかすると……」
「なるほど、それは十分に有り得るね。大企業の傘を被りたい者達は彼の周囲にはごまんと居ただろうからね。絶対婿入りを阻止したかった。けど、和佐さんの意志は硬く、御陵家に婿入りをしてしまった。諦めきれず、あらぬ噂を流して別れさせ様とする輩が居ても不思議じゃない。いや普通するだろうな。しかし、不幸にも和佐さんは亡くなってしまった。そして悪評だけが残り、河内森家の者はそれを信じて……悲劇が始まった」
萱島先輩は今喋った事以上の情報も持っているんだろう。
全てのピースが揃いパズルが完成したと言う顔をしていた。
ただその表情はまるで苦痛に歪んでいるように見える。
しかし、俺の心配するような顔に気付いたのか、表情を戻し俺の事を見詰めてきた。
「牧野くん、本当にありがとう。和佐さんの事を創始者は認めていて、学園長は愛していた。そして、美佐都は望まれて生まれて来たって事を知る事が出来た。これで心置きなく君を全力でサポート出来るよ」
萱島先輩は、そう言うと今まで見せた事のない様な、とても優しい笑顔を浮かべて俺に感謝の言葉を述べてきた。
「正直ね、今の今まで私の意地の為だけに協力していたんだ。もう一つ理由が出来た。いや、二つだね」
「二つの理由? なんでしょうか」
「一つは私を写真家への道に導いてくれた和佐さんへの恩返しをする事。生まれてくる娘に会えず、愛している者と死に別れ、更に遺した二人が苦しんでいる。天国と言う物が有るとしたら、今、和佐さんはその天国でどれだけ心を痛めていただろうか? その無念を晴らしてあげたいと思うよ。そして、残る一つ……」
残る一つ? なんだろうか?
俺が残る理由のことを考えていると、不意に萱島先輩に抱き締められた。
えぇぇぇぇ―――――? なんで? なんで?
あまりの急な事に俺は身体が硬直してしまい、反応が出来なかった。
「私を真実に導いてくれた牧野くんに対する恩返しさ。本当にありがとう。私はこれから何が有っても君の力になる事を誓うよ」
萱島先輩はそう言って、俺を抱く手に力を入れた。
いや、そりゃ自分の尊敬する人の事で心を痛めていた事が誤解だったと言う事が分かって嬉しかったって言う気持ちは分かるけど、抱き付いてくるのはこの人のキャラと違うくない?
「せ、先輩! ちょっと」
周りに人は……?
よし、誰も居ないか。
ただでさえ入学早々悪目立ちしている俺だ。
廊下で女性と抱き合っているのは何か色々とアウトだろう。
昨日のドキ先輩持ち去り事件は多分ギリセーフだ。
「ふふふ、これは感謝の気持ちと、先程の藤森ちゃんに対する嫉妬だよ」
俺を解放しながら萱島先輩はそう言って頬を薄く染めながら笑った。
この人ってこんな愛らしい笑顔も出来るんだ。
何度目かの鍵が開く音が聞こえた気がした。
足が痛い! あっドキ先輩! ダッ○ちゃん人形みたいに足にしがみ付かないで!
高い高いで誤魔化された事を思い出し頬を膨らまして拗ねているドキ先輩。
何で俺の時は力の加減が出来ないんですか!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さあ、ここが生物部の部室だよ」
萱島先輩に案内されて生物部の部室の前までやって来た。
部室と言っても部室棟の中ではない。
生物部は各クラスで世話をする小動物の飼育までしているので校舎内ではなく、敷地内の外れに有る建物を部室としているとの事だったが、その建物の外観は漫画に出てくる『怪しげな研究所』と言う様相を呈していた。
中からは小動物が発する鳴き声とは一線を画した得体のしれないうめき声のようなものが聞こえるし、本当に高校の部活動で使用している施設なんだろうか?
「萱島先輩? ここ大丈夫なんですか? とんでもなく怪しい建物なんですけど?」
俺がそう言うと萱島先輩は気まずそうに頭を掻いた。
やっぱり怪しいんだ……。
『失礼だな君は! どこの誰だ? おや? あぁ、君は昨日の朝の……、確か三木野君と言ったかな?』
「誰ですかそれ! 俺の名前は牧野です!」
「ふむふむ、なるほどなるほど」
不意に何処かから声を掛けられたが、名前を間違えられていたので思わずツッコミを返してしまった。
俺は声をかけて来たその人物に目を向けた。
…………。
そこにはもじゃもじゃ頭で白衣を着たマッドサイエンティストとしか形容出来ない女性が立っていた。
前髪で目が隠れているし口元はにやにやと歪んでいる。
怪しい! 怪しすぎる!
少なくとも高校の生物部なんて響きの場所に居ていい人物ではない!
「萱島先輩? マジで大丈夫なんですか? あの人怪しいなんて次元の人物じゃないと思うんですが」
「う~ん、それ程怪しい人物じゃないよ。10段階で言えば2くらいかな。……1がトップとしてね」
「それ完全に怪しい人物じゃないですか!」
「萱島君! 失敬だな!」
あぁこんな怪しい人でも面と向かって怪しいと言われるのはさすがに気分悪いんだろうな。
「なんでトップじゃないんだい?」
「そっちかよ!」
思わず光速のツッコミを入れた。
「なかなか良いツッコミをするじゃないか。将来有望だよ」
「そんな将来要りませんよ!」
ここって実はお笑い研究部とかじゃないだろうな?
出だしから所謂お約束の連発なんだけど。
「話は聞いてるよ。部活紹介写真の件だろう? さぁ我が『生物進化研究……』ゲフンゲフン『生物部』へ案内しよう」
「いま怪しげな言葉を言い直した!!」
「ははははは! 気のせいだよ。牧野くんは耳が遠いなぁ~」
あぁ油断していたなぁ~。
昨日は運動部ばかりだったんで、写真部以外さわやかな気分でこれぞ青春! て感じのインタビューをする事が出来たんだけど、今日はいきなりこんなの来ちゃったよ。
既にあとは創始者への説得だけと思い込んでいた自分の愚かさを嘆きつつ今まさにこの人外魔境な建物に招き入れようとしているこの『怪しい』が人の皮を被っている様なお笑い芸人に俺は今日のミッションを達成する自信が崩れていくのを感じた。
「ああ一つ忠告だよ。途中ではぐれてしまって迷子になると危険だから気を付け給え。下手に飼育部屋に紛れ込んじゃうと、食べられちゃうかもしれないからね」
「どんな狂暴な生物飼ってるんですか!!」
俺は生きて帰れるか不安になりながらもお笑い芸人の後を着いて行く。
「あっ萱島先輩!! なんで入り口で立ち止まってるんですか!! 一緒に来てくださいよ」
「いや~、私も命は惜しいからね~」
「酷い!!」
俺も命は惜しいよ!!
あ~不安だなぁ~。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます