7-3温泉

 狭山さんの言った通り、キッチン脇のスライドドアを抜けるとそこは脱衣所だった。

「……広くね? ただの脱衣所のはずだよな、ここ」

 なんなら俺の部屋より広いぞ。

「今更脱衣所が広いくらいじゃ驚かないさ」

 銀はあまり動じる風でもなく、男子用の札の貼られたタンスの一段目の引き出しを開けて二人分のフェイスタオルを取り出して、一つを俺に放った。

「お、サンキュー」

 そのタンスは脱衣所の入口脇に二つ並んだ洗濯機の隣に、やはり二つ並んでちんしていた。一段目は段の真ん中で二つに分かれた引き出しがあり、二、三、四段目は普通の引き出しがあるだけ。その上には洗濯カゴが置かれており、使用済みのバスタオルが入っている。おそらく香子達が使ったものだろう。

 普通だ。ここまで普通じゃない家にもこんなに普通のタンスがあるものなのか。

 ん? 逆に普通じゃないタンスってなんだ。

 いや待て、普通ってなんだ。難しいな。

 俺が哲学的な問いに向き合っている間に銀はそそくさと服を脱ぎ始めていた。

 思い返してみてもTシャツすら着ていない状態の銀は初めて見る。知ってはいたが改めて見るとすごい身体をしている。腹筋なんか六つどころか八つに割れている。腹筋だけじゃない。分厚い筋肉が全身を覆っていて、さながら鎧武者のようだ。鎧武者なんか見たことないけどな。

 俺の凹凸のないたるみ始めた身体とは大違いだぜ。

 俺も少しは鍛え始めようかな………。

「……なぁ、土橋。俺、洗濯機回したことないんだが……、わかるか?」

「え? あぁ、わかるぞ。そうか、銀は実家暮らしだから、いつもは家の人がやってくれるのか」

「あぁ。おかげでこんなこともできない。一人暮らし組は立派だよ。俺にはできる気がしない」

 これしきのことで銀に褒められるとは思わなかったな。大変気分がよろしい。

「ま、簡単だよ。まず脱いだ服を重い順に入れる。シロモノとイロモノは分けるんだが、今は二人ともシロモノはないから、全部一緒でいい」

「シロモノとかイロモノってなんだ?」

「そっからかよ!」

「悪かったな……」

「シロモノっていうのは白い洗濯物で、イロモノは白くない洗濯物のことだ。シロモノとイロモノは一緒に洗うと、シロモノに色移りしちまうから、分けて洗うんだ」

「ほう、そうなのか。それで?」

「あとは洗剤を入れてスイッチを押すだけだ。電源を入れておまかせコースにしてしまえば、あとは洗濯機がなんとかしてくれる。しかもこりゃ脱水だけじゃなくて乾燥までやってくれるやつだな。優れものだ」

 言いながら俺は実際に洗剤を入れ、洗濯機を操作する。

「ふむふむ。頭いいんだな」

「それほどでもねぇよ。慣れればどうってことない」

「いや、土橋がじゃなくて洗濯機がだ」

「そっちかよ!」

「フッ、すまんすまん」

「ったく……。教えてやってるっていうのに……。ま、いいや。早く入ろうぜ」

 俺は失礼千万の銀を連れ、スライドドアを開けて浴室へ足を踏み入れた。



「うぉあっ、すっげぇな。なんだこれ」

 俺は思わず歓声をあげる。

「本当に旅館みたいだな」

 ヒノキ造りの浴室には、実家の俺の部屋よりも確実に広い浴槽があり、そこへ温泉が滝のように掛け流されている。

「銀、滝行できるぞ、滝行」

「やらんよ……。ていうか、はしゃぎ過ぎだ……」

「へへっ、いいじゃねぇか。こんなデッケェ風呂、滅多に入れねぇからな。テンション上がるんだよ」

「それは……まあ、同感だが」

 なんだよ。銀もなんじゃねぇか。

 銀の意外な一面を垣間見れたところで、俺たちは浴室の端へ並べて置いてあった湯桶をつかい、身体を清め始めた。シャンプーやボディソープなんかのアメニティグッズも充実している。

 そしていよいよ俺たちは温泉に浸かった。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

「土橋、おっさんみたいな声を出すんだな」

「ばっか、こういう風呂入るときの作法みたいなもんだよ」

「そんな作法、聞いたことないぞ」

 案ずるな。俺もない。

「だが、いい湯だな」

「あぁ、香子の言ってた通りだな……」

 …………。

 しばらく無言の時間が続いた。

 聞こえる音は滝のように浴槽に流れ落ちて溢れ出ていく温泉の音だけ。俺は温泉につけてこしらえたホットタオルを閉じた目の上にのせる。

 あぁ……このまま寝てしまいそうだ。そんな心地よい沈黙の時間が俺の身体を癒してくれた。

 どれほどそうしていただろうか。サバァッという音とともに、隣にいる銀が立ち上がる気配がした。

「土橋、俺はそろそろ上がるが、お前はどうする」

 銀の問いかけに俺はホットタオルをとって答える。

「え? あぁ、そうだな。うーん、俺はせっかくだし……、滝行しようかな」

「せ、せっかくって、本当にやるのか……? まあ、構わないがのぼせないように気をつけろよ」

「へっ、わかってるよ」

 脱衣所へ戻る銀を見送り、俺はいざ温泉の滝へと入った。

 流れ落ちてくる温泉の刺激は、肩や頭皮をマッサージしてもらっているような気持ちよさを生む。一日の疲れを叩き落としてくれているようだ。

「うぉあぁぁぁ……、効くなぁ……」

 毎日でもやりたいくらいだ。銀もやればよかったのに。あとでみんなにも教えてやろう。

 そうして一分程滝に打たれて、俺はようやく温泉から出た。

 バスタオルを求めタンスの二段目の引き出しを開ける。

 そこに入っていることは知らなかったが、実家ではそうなっていたからたぶんそうだろうと思っていた。実家と同じ配置なことにちょっと感動しつつ体を拭き、服を着ようとして気づく。

 パ、パンツがねぇ……!

「え、嘘、どうしよう。どうすりゃいい。ノーパン? いやいや……。え、銀は、他のみんなはどうしたんだ? みんなシレッとノーパンなの?」

 あたふたしつつもとりあえず寝間着とやらを求め、タンスの三段目を開けると上下セットの甚平を見つけた。

「おぉ、よしよし。あったぞ。これだな」

 じゃあ四段目は何があるんだ……?

 開けてみると、浴衣と帯が入っていた。

「ゆ、浴衣かよ……」

 思わず嘆いてしまう。

「え、じゃあマジでノーパン? いやいやきっついわ。始めてお邪魔した別荘でノーパン? ムリムリムリムリ」

 独り言を呟きながらあわてふためく俺は、ここでようやく気づく。

 あれ、一段目の右側開けてねぇよな。

 左側はさっき銀が銀がタオルを取り出すのに開けていたが、右側はまだ開けていなかった。

 俺は最後の希望を託して引き出しを開ける。そこには百均で売ってるようなボクサーパンツが入っていた。

 あった……!

 今日解いた謎の中で一番嬉しいかもしれない。

 大富豪も百均のパンツ履くんだな。まあこれはゲストに使い捨ててもらうつもりで大量に用意してるってだけなのかもしれないか。

 今日わかったことは、狭山家は細かいところまで無駄に金をかけるイヤミな金持ちってわけじゃなくて、余分なことには一切金をかけない庶民的な金持ちなんだろうってことだ。庶民的な金持ちって表現は変な気もするがな。

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