第29話 卒業と始まり
「おや、ぴったりじゃないかい」
「駿君の卒業式を思い出すわあ」
朝、俺は優里子の成人式の日に着た紺色のブレザーにもう一度袖を通した。去年着た時は、肩や腕、足の丈が少し大きかったが、紺色のブレザーもチェックのズボンも、今ではちょうどいいサイズになっていた。
黒いスーツを着る施設長と、紺色のワンピースを着た優里子、登校前の高校の制服姿の佳代が、玄関先の表の道の前で見送ってくれた。
「僕と優里子も後で行くからね」
「しゃんとしなさいよっ!唯我」
「わかってるよ」
「唯君、こっち向いて」
パシャっとスマホのシャッターを押したのは佳代だった。佳代はスマホの画面を確認してから、満足げに笑って手を振った。
「行ってらっしゃい、唯君」
「いってきます」
小学校最後の登校日の朝、俺はランドセルを持たずにゆっくり学校まで歩いた。道の片隅にたんぽぽが咲いている。冬の間裸だった木々には、生まれたての青い葉が開いてる。学校の桜は蕾をつけて、日に日に赤っぽく染まっていた。
****
「今日はいよいよ卒業式です。思い出すことがきっとたくさんあると思います。ですから、今日という特別な一日を、大好きな仲間と共に、大切に過ごしてください」
先生は淡々と話した。教室に集まるクラスメイトたちは、それぞれおめかしをしていた。大沢は緑色のワンピース、長谷川は茶色のブレザーを着て、背筋を伸ばしている。
卒業式の会場となる体育館には、大きな拍手が響いていた。手を叩く在校生の中には泰一がいる。保護者席には施設長と優里子がいる。
「本当に卒業するんだね。私たち」
それは隣を歩いていた大沢だった。大沢はクスクスと小さく笑っていた。
「うん。そうみたいだ」
紅白幕が体育館の壁を彩り、壇上には国旗や小学校の校章の入った幕が下りている。立派な生け花と松の間に立つ校長先生が長々と祝辞を言い、一人一人の名前を読み上げ、卒業証書を授与する。在校生の歌を聞き、卒業の歌を歌う。卒業式がつつがなく進んでいくと、ようやく、小学校を卒業するんだという実感が湧いてきた。
思えば、いろいろなことがあった。
4年生の途中まで、俺は「孤独の子」と呼ばれ、いじめられていた。いつか絶対殺してやると思っていた二人とは、今ではすっかり疎遠だ。
ジェニーズから電話があった夜、俺は施設長や優里子、駿兄に怒っていた。大事な話を隠されて、俺は信用されていないんだと思って悲しかった。あの日、施設長が俺を叩いたのは驚いた。けれど、あの時施設長は俺を守ろうとしてくれていたんだと、今ならわかる。優里子も、駿兄も。
千鶴さんがやって来て、毎日一緒に下校しながら口説かれた。千鶴さんはとにかくイケメンで、カッコよくて、これがアイドルなんだと思った。千鶴さんのように、真っ直ぐやりたいことに全力を注げる人になりたい。今でも憧れの人だ。
ジェニーズに入ってからは、たくさんの人に出会えた。ジェニーズの人達は、夢や目標を持ち、努力し続ける人たちばかりで、誰との出会いも刺激的だった。
出会いと同じように別れもあった。大好きだった駿兄、ダンスが桁違いに上手いイツキ、アイドルとしての自覚を持ち行動していた土井先輩。別れがあったからこそ、人との出会いが大切なんだと思えた。
それに気づけなかったら、大沢や長谷川とは友達になれていなかっただろう。大沢と長谷川は、自分を守ることで精一杯だった俺に話しかけてくれて、一緒に共有できる時間や思い出をたくさんくれた。本人たちには恥ずかしくて言えないけど、俺は、二人のことは施設の家族と同じくらい大切に思ってる。二人には感謝してる。こいつらが困った時は、きっと俺が力になってやるんだ。
****
卒業式が終わると外に出てクラス写真を取り、その後解散、自由行動となった。卒業生たちは、合流した保護者や友達と写真を撮ったり、涙を流しながら別れを惜しんでいたり、周りには卒業を実感する景色が広がっていた。
「唯我!一緒に写真撮ろう」
「大沢。長谷川は?」
「長谷川君ね、隣のクラスの牧野さんに呼び出されてどっか行っちゃった。あれは多分、告白ね。他にも長谷川君への告白待ちしている子が何人かいるっぽいんだよねえ」
「あいつ、モテるからな」
大沢はふふっと笑っていた。夏休み明けに、大沢と長谷川の間でどんな話をし合ったのかははっきりわからないけれど、二人は以前のように普通に話して笑い合える友達同士になっていた。こんなふうに思っては失礼だけど、それまでと変わらず仲良くしてくれていて良かったと思う。
「ん?何見てんの?」
「お前は告白しないの?」
「へっ!!??」
「いや、好きな奴いるって前に言ってたじゃん」
「そそそそそそれはいいの!唯我が気にすることじゃないんだからっ!!」
「そうか」
「ああもうっ!ビックリさせないでよね!」
顔を真っ赤にして胸を抑えて息を整える大沢は、想いを寄せている相手が、まさか「告白しないの?」なんて言い出すとは思いもしていなかった。隣の顔を見上げると、すました顔でいつものように周りの様子を見ている。
きっと、卒業式に集まった保護者から盗み撮りされてるなんてことにも気づかないで、「長谷川まだかなあ」とか考えてる。人の気も知らないで普段通りでいるなんて、ちょっとムカつく。
「ゆ、唯我の方こそどうなのよ。お姉さんとは……」
「…………」
「あ、無視!?私には聞くくせにっ!」
大沢に聞かれて、俺はこれは野暮な質問だったと反省した。大沢が隣でガミガミ言っている間に、遠くから長谷川が「おおい!」と叫んで手を振ってきた。長谷川の横には、長谷川ママと、見知らぬおじさんがいた。
「大沢さん、唯我君、写真撮ろう!パパ、カメラお願いね」
「はいよ」
長谷川はメガネをかけた太ったおじさんにカメラを持たせると、大沢と俺の横に並んだ。
「ねえ、長谷川君。それ、中学の制服?」
「そうだよ。似合う?」
「うん。似合ってる!」
「ありがとう、大沢さん」
長谷川は見事に第一志望の私立中学校に合格を決めたのだった。俺や大沢とは、4月からは同じ学校には通わない。少し寂しい。はっきり言わないけど、多分、本人が一番寂しがっている。
カメラを持つ太ったおじさんが、手を振りながら「撮るよー」と柔らかい声で言った。
「長谷川、あの人……」
「うん。パパ」
パパ、つまり長谷川のお父さん!あの人がジェニーズの追っかけで、ライブの写真を撮った人か!
「いきますよー。はい、チーズ」
3人で並んで撮っていると、そこに施設長と優里子がやって来た。
「僕にも撮らせてね!3人ともそのまま、そのまま」
パシャッとシャッター音が鳴り、施設長がオーケーサインを出した。
「撮れた写真、すぐ現像して夜のクラス会には持ってくよ」
「俺も施設長に言ってやってもらうよ」
「うん。ありがとう」
久々の長谷川ママが近づいてきた。相変わらず表情が長谷川そっくりだ。
「唯我君!久しぶりねえ!相変わらずカッコいいわあ」
「あ、ありがとうございます」
「こらこら、唯我君、困ってるよ」
「あらごめんなさい」
長谷川ママが俺と握手をしながらペタペタ触っていると、長谷川パパが助けてくれた。俺は長谷川パパをじっと見つめた。素材のいいジャケットに、トンボ柄のネクタイをしている。
「あの、いつも、あ、ありがとうございます」
「え?ああ、徹のことかい?こちらこそ、いつもありがとうねえ」
……長谷川のことではなく、ジェニーズの写真のことを言ったつもりだったのだが、伝わっていないようだった。長谷川パパは、ぷっくり丸い頬をふくふくと動かして話を続けた。
「唯我君は、何の虫が好きかい?」
「えっ」
唐突だな。何の話だ。
「パパ、突然だなあ。ごめんね唯我君。パパは大学の虫博士なんだ。だから僕の友達には必ず好きな虫を聞くんだよ」
「はあ……。ん?大学の虫博士?」
あれ?フリーのカメラマンじゃなかったか?混乱している間に長谷川パパは名刺をくれた。
「何の虫が好きかな?よかったら僕のコレクションを見においで。いつでもウェルカムだよ」
「好きだなあ」
「好きじゃなきゃやってないよ」
長谷川パパの、のほほんとした雰囲気が周りの人を和ませた。俺は少し混乱していた。長谷川の部屋にあった写真を撮ったのはこの人?フリーのカメラマン?いや、大学の虫博士?そもそも長谷川自身は虫がダメだったと聞いたことがあるような……。
その時、遠くから「成美っ!」と声を上げながら走ってくるおばさんがいた。
「あ、お母さんだ」
大沢は「おおーい」と手を大きく振った。息を切らせた大沢ママは大沢そっくりの笑顔を浮かべていた。
「今日はお仕事だって言ってたじゃない。どうしたの?」
「職場の人たちがねえ、半休でいいから卒業式行っておいでって。もう、ありがたいことねえ」
「そっか。来てくれて嬉しい」
俺は周りの人たちを見ながら、親子って表情や話し方がそっくりなんだなと思った。俺にとって、それは当たり前のことではない。親を知らない俺にとって、それは望んでも手に入らないものだ。だからうらやましいという感覚にはならない。その代わり、少しの疎外感が胸をスッと通り抜けた。
「唯我、小学校は楽しかったかい?」
施設長が俺の肩に手をのせた。優しい微笑みに、俺はいつも安心させられる。
「うん。でも、早く大人になりたいよ」
「4月からは中学生だからね。小学校と比べたら、きっとすぐ卒業を迎えることになるよ。そこからはどんどん時間の感覚は早くなる」
「そういうもん?」
「ふふ。そういうもん。だから、時間を大切にしなさいね」
施設長は背中をポンポン叩いた。この優しい人が、俺を拾って育ててくれたことは、俺の人生で最も幸運なことだったと言える。そうじゃなければ、きっと今の俺はいないだろうし、優里子にも出会わなかっただろう。
「いいなあ。私も学生に戻りたいわ」
優里子が隣に立った。見上げる顔は、小さい頃から見る笑顔と何も変わらない。
俺はこれまで、どれだけ優里子に助けてもらえたかわからない。小さい頃は、俺が優里子を守ってるもんだとばかり思ってた。だけど、ジェニーズに入ってからは、迷惑もかけたし、困らせてしまうこともたくさんあった。そうやって、優里子の時間を奪っていたかもしれないと思うと申し訳ない。
それでも、いつも優しく手を伸ばして笑ってくれる優里子が俺は大好きだ。これからは、俺が優里子に手を伸ばして、支えてやるんだ。俺はそういう大人になるんだ。
施設長が離れ、優里子と二人きりになった。しばらくして、優里子はもぞもぞと話し出した。
「ゆ、唯我はさ」
「ん?」
「その……。好きな女の子とか、いるの?」
それお前が聞くのかよ。本当に自分のことには鈍感で嫌になる。イラっとした。だけど、その質問に対して嘘をつくつもりにもならなかった。
「……いるよ」
「えつ!?誰!どの子!?誰誰誰っ!!」
圧がすごい。優里子はグイグイと俺に近づいてくる。何でわからねえんだよ。
「あ……」とだけ口を開くと、自分の心臓の音が大きくて、周りの様子や、優里子の顔さえまともに見れなくなった。顔から火がふきそうだ。それでも、この際言ってやると思った。
「……まえだよ」
「ん?前田さん?誰」
違げえっ!誰だよ前田って!
「……、……お前だよ」
春の草花の香りを漂わせる風が、ザアッと音を立てて俺と優里子の間を抜けていく。地面を転がる冬の枯れ葉はどこかの土に帰り、もうすぐ花咲く季節がやって来る。
優里子は何も言わず、じっと俺を見つめた。俺も目をそらさない。ドキドキしてる。どんな返事をもらっても、この瞬間、これからきっと、新しいことが始まるんだ。
「ごめん、唯我……」
「え……」
優里子はケロッとした顔で答えた。
「聞こえなかった。ねえ、誰だって?もう一回!」
どうやら新しい春は始まらなさそうだ。俺は「はああ」と深いため息をつき、優里子を無視して校門に向かった。
「ねえ、誰?前田さん?誰よ」
「知るかよ」
「ねえってば!」
「知らない。いない!」
「いるって言ってたじゃない!ねえ、ねえってば!」
優里子が駆け足で俺の後ろにやって来たが、もう真面目に答えてやるつもりはなかった。
****
泰一は居間のテレビを凝視していた。
『今年の25時間テレビのパーソナリティーは……Aファイブです!』
「キター!!Aファイブ!!」
泰一が無駄に体を動かして盛り上がっている時、俺は都会の街の中を走っていた。日差しが一段と温かくなり、町には花の匂いが漂うようになった。事務所まで走っていると、風に乗ってきた桃色の花びらが、耳元をひらりと通り過ぎた。
事務所のレッスン室で、一人音楽を流しながら腕を伸ばしていたのは樹杏だった。
「ごめん、遅くなった!」
「唯我!」
息を切らせてレッスン室に入ると、樹杏は運動着を着て俺を待っていた。
「明日ライブだもんね。リハーサルお疲れ様。時間つくってくれてありがとね」
「お前こそ、明日は舞台だろう?」
「まあねん。忙しいのはお互い様だね。でも、演技は僕の方ができても、ダンスは唯我ほどできないからさ、教えてもらえるのちょーありがたい!」
「そんな褒められるもんでもねえよ」
「いやいや!明日もジェットスターのバックなんでしょう?それができるんだから、唯我はすごいんだよ!?」
「そうかよ。サンキュ」
荷物を置き横に立つと、樹杏は嬉しそうに笑った。その太陽みたいな笑顔につられて、俺も口元が緩んだ。
「ウォーミングアップはいらないね。さっそく始めようか!」
「おう」
樹杏はスマホから曲を流した。俺たちはポーズを取り、頭の中でカウントする。
1・2・3・4、1・2・3・4!
天井へと伸ばした手を胸の前に戻す。1ステップ、2ステップで樹杏と向き合い、目を合わせる。互いの手を合わせて、もう一度カウント。1・2・3・4。正面を向き、スッと息を吸いこむ。そこから歌が始まる。
ジャニーズJr 小山内唯我の、次のステージが始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます