第28話 新しい家族

 クリスマスライブでへとへとになった後、施設の布団で爆睡していた12月26日。爆睡する俺以外のガキたちは居間に集まっていた。

「皆さんに紹介します。服部みこちゃんです。しばらくの間、施設で預かることになりました。皆の新しい家族です。仲良くしてあげてね」

 施設長の隣に立つのは、4歳の女の子だった。両手でぎゅうっと抱きしめられる白いうさぎは、首をくたっと垂れている。ガキたちは「はーい」と返事して、それから皆で施設を案内して回っていた。

「ここが寝室だよ。皆で一緒に寝ようね」

 泰一が元気よく言うので、俺はうっすら起きてしまった。

「あ、一人お寝坊さんがいるけど、起きたら紹介するね」

「……るさい」

「唯我兄ちゃん!もう11時だよー。お昼までには起きてね!」

 泰一うるせえ。俺はもう一度眠る時、泰一の手を握る小さい女の子が、俺をじっと見ているのに気づいた。ボブカットの黒いツヤツヤした髪の毛、黒い大きな目、柔らかそうな桃色の肌。ピンク色のワンピースの上に白いカーディガンを着ている。きれいな恰好だった。俺は夢うつつの中で、この子はちゃんと大切に育てられていた子だと思った。

 ようやく起きたのはお昼時だった。1階からは食堂から漂う昼ご飯の匂いが空腹を刺激した。階段を下りたところで優里子と会った。

「唯我、おはよう」

「……はよ」

「今日から新しい子が来たのよ。後でちゃんと挨拶してね」

「女の子?」

「そう。よく知ってるわね」

「泰一が大声立てて寝室に来たから」

「ふふっ。泰一らしい」

 すると優里子が手を伸ばして、俺の髪を撫でた。不意打ちのことでドキッとした。

「寝ぐせ。顔も洗ってから食堂来るのよ」

 俺は黙って優里子の手を払い、視線をそらした。

「後で食堂行く」

 優里子は間を空けて「わかった」と言った。手を払ったことで、優里子には嫌な気持ちにさせたかもしれない。ごめん、と思いながらも、やっぱり簡単に触れてほしくはなかった。

 別に触られるのが嫌なのではない。触られて、異性を感じてドキッとして、そんな下心がバレてしまうことが嫌だった。何より、優里子にとって、俺は相変わらずガキで「弟」としか思われてないことが嫌だ。

 食堂に行くと、食事を終えてテレビを見ながらしゃべっているガキたちが手を振ってきた。そこに、小さい女の子が座敷わらしみたいにちょこんといた。じっと見つめてくるのでびっくりした。

「唯我兄ちゃん、この子が新しい子だよ。服部みこちゃん」

「小山内唯我。よろしく」

 みこはボーっとして俺を見つめていた。みこは昼ご飯を食べる俺をじーっと見つめ続けた。何かあるなら言ってほしいんだけど。俺は変な緊張をした。

「一目惚れされたんじゃない?ぷぷぷ」

 文子は相変わらずバカでうるさい。

「慣れてないだけだろ。バーカ」

「バカって言う方がバカ」

 俺たちがにらみ合っていても、みこはじーっと見つめていた。するとニコニコしながら泰一が言った。

「お兄ちゃんとお姉ちゃん、あれでも仲良しなんだよ」

「「余計なこと言うな!」」


                ****


 その夜、みこの歓迎会と昨日だった俺の誕生日会が行われた。装飾された食堂には、たくさんの食事が用意され、最後に大きなケーキが運ばれてきた。ろうそくは、みこの年と同じ4本だけ立っている。このろうそくはみこのためだと皆分かった。

「みこちゃん、フーって」

 泰一が言うと、俺の隣に座るみこがもじもじしていた。ウサギのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめながら、俯く口を尖らせてフーっとしている。ろうそくをフーっとやりたいけれど、恥ずかしい。やっていいのかわからい。そんな様子だった。

 うう、可愛いっ!俺はみこを抱き上げ、「ほら」と言った。みこは恥ずかしそうにしながらも、小さな口をとがらせて、フーっと息を吹いた。

 火が消えると、皆からは拍手が起こった。

「みこちゃん、ようこそ!」

「唯我、誕生日おめでとう!」

 すると、みこが俺にぎゅうっと抱きついてきた。背中をポンポンと軽く叩いてやると、みこが顔を上げた。目が涙でうるうるしていた。まつ毛は濡れ、頬は赤くなって、鼻の奥でズッと音がする。しばらくすると、もう一度ぎゅっと抱き着いて、とうとう離れなくなった。うううっ、可愛い!

 みこは俺の膝の上から降りず、同じ席で一緒にケーキを食べた。

「唯君に妹ができたみたいね」

 充瑠を膝にのせている佳代が言うと、その隣にいた優里子も「確かに」と頷いた。よく考えてみると、俺より下のガキは泰一と充瑠だけだった。これまで「妹」のようなガキがいなかった俺にとっては、とても新鮮だった。しかし、それは泰一も同じだった。

「唯我兄ちゃんの妹は、僕の妹でーす。ねえ、みこちゃん」

 泰一は自分のイチゴをみこの皿に乗せた。そのイチゴにフォークを刺して食べると、みこは初めて笑った。その笑顔を見て、皆も笑った。

 泰一がみこと手をつないで階段を上がっている。その後ろをついて一緒に寝室に戻ろうとした時、優里子が俺を職員室に呼んだ。

 職員室では、施設長と優里子が並んでニコニコしていた。

「な、何?」

「唯我、誕生日おめでとう」

「施設長、ありがとう。え、何?」

「誕生日プレゼントです。はい、どうぞ」

 優里子が渡してきたのは、手の平より少し大きい白い箱だった。開けてみると、平たい黒い画面が見えた。スマホだった。

「施設の決まりでは、ケータイ電話は中学入学後にあげることになってるんだけどね、唯我はジェニーズの活動もあるから、早いうちにあった方がいいだろうってことになったのよ」

「きっと、これからどんどん忙しくなるでしょうから、いつでも、誰とでも連絡を取れるように、持っていなさい」

 施設長は優しく微笑んだ。

「頑張りなさい。唯我」

 その言葉は、俺の胸を強く打った。施設のためにジェニーズになる必要はない。そんな責任を俺が負う必要はない。2年前、そう言って俺を守ろうとしてくれた優しい人が、今、俺に「頑張りなさい」と言った。

 認められた気がした。これまでの努力を。俺がやりたいと思うジェニーズの活動を。そして、期待してくれているんだ。これからの俺の活躍に。

「……はい。頑張ります」

 声が震えた。受け取ったスマホは、とても重かった。その重さが、とても嬉しかった。

 次の朝、布団の中がやけに温くて心地よかった。ああ、起きたくないなあ。そう思って布団を体に巻き付けようとした時、布団と一緒に体に引き寄せるものがあることに気がついた。目を開けると、腕の中でスヤスヤ眠るみこがいた。

 どんなに小さい子だからって、女の子と同じ布団の中というのは、とてもじゃないけど平常心ではいられなかった。俺は驚きすぎて声も出せず固まった。布団の中に閉じこもっていた熱を、体が一気に吸い上げたように熱くなった。

 その時まつ毛がふわりと動き、みこが目を覚ました。俺はどうすることもできず、みこがじっと見つめてくるから視線を外せない。

「ふわぁぁ……。あれ、みこちゃんがいない」

 その時、泰一が起き上がり、部屋をきょろきょろし始めた。俺は心臓が飛び出るんじゃないかと思った。反射で布団を頭まで被せたが、泰一の「あれえ?」というアホな声が恐ろしかった。暗くなった布団の中では、みこがじっと俺を見つめてくる。俺は唇の前で人差し指を立てた。みこは小さな両手で口を押さえている。

「ねえ、唯我兄ちゃん。みこちゃんがいない……」

 突然、布団が持ち上げられた。泰一が布団の中を覗くと、そこに顔を真っ赤にした俺と、みこがいた。バレた!何も悪いことはしていないが、バレた!

 泰一はニコッとして、布団を閉じた。パタパタと足音が遠くなる中、泰一が声を上げた。

「唯我兄ちゃんが、みこちゃんを布団に連れ込んでる!!」

「バカ泰一!!ふざけんなっ!!」

 俺は布団を飛び出し、泰一を追いかけた。足音がバタバタと聞こえる中、すると「施設の中を走るんじゃない!」という施設長の声が響いた。

 布団の中から出てきたみこは、ウサギのぬいぐるみを抱いて、パジャマのまま寝室を出て廊下をきょろきょろしていた。そこに充瑠を抱きしめた佳代がやって来た。

「みこちゃん、おはよう。お着替えして、一緒に顔洗いに行こっか」

 しゃがみ込み、同じ目線になった佳代と充瑠を、みこがじっと見つめた。

「二人なら先に下に行ってるわ。また皆でご飯食べましょう。さ、お着替えお着替え」

 それから年末まで、みこはガキたちと一緒に過ごしながら、少しずつ意思を示すようになり、お正月を迎える頃には、よく笑うようになった。


                ****


「行ってきます」

「唯我兄ちゃん、いってらっしゃい」

 新年初めての事務所の集まりに出かけようとした時、玄関先で泰一とみこが手をつないで見送りをしてくれた。

「いってらっしゃい。にいに」

 みこが「にいに」と呼ぶと、腹の辺りがムズムズとした。可愛い。手を振ってやると、ウサギの耳の間ではにかんで、小さい手をフリフリと動かすのも可愛い。俺も泰一も、みこの可愛さにやられていた。

 優里子が運転席にいる車に乗り込むと、優里子がクスクス笑っていた。

「唯我、ニヤけてる」

「うるさいな。早く行こう」

「はいはい」

 新年を明けた事務所には、大人からガキまで、たくさんの人が集まっていた。エントランスで会ったJrたち、聖君や貴之と会い、オカマコーチに絡まれ、表現レッスンの先生に絡まれた。

「唯我!!」

 その聞き覚えのある声は、集団で歩く男たちの中からひょっこり顔を出す矢久間だった。

「……矢久間っ!」

 矢久間は両手を広げて走ってきた。アハハと笑いながら矢久間が俺を抱きしめ、聖君や貴之の頭を撫でた。

「久しぶり!皆元気だったか!?」

「ああ。矢久間こそ。……身長、すげえ伸びてるな、矢久間」

 以前までは、俺より矢久間が少し身長が高いという程度だったのに、今目の前にいる矢久間は、頭一つ違うほど身長が高くなっていた。

「俺さあ、忙しいけどめっちゃ元気で成長期なの!秋くらいから身長も伸び始めてさ、まだまだ伸びてるとこ。唯我、こんな小っさかったんだな!アハハ」

「これでも少しは伸びてるよ」

「心配すんな。これからぐっと伸びんぞ!今日は社長に新年の挨拶しに来たんだ。夜の顔合わせが終わったら、実家に帰って、明日には関西に帰るよ」

「1年も関西おったのに、全然関西弁ならへんなあ、やっくんは」

「お前こそ、関東組のくせに関西弁流暢すぎんだよ、貴之」

「やっくん、今度グループでNステ出るって聞いたよ!いつ?絶対見るよ」

「サンキューな、聖君!唯我、また手紙書くよ」

 その言葉で、俺は持っていたスマホのことを思い出した。ポケットから取り出し、矢久間に見せた。

「連絡先、教えて」

「やったぜ唯我!トークし放題じゃん!ちょっと待ってろ」

 矢久間も自分のスマホを取り出し、指を動かした。トークの画面を二人で確認し合いながら、連絡先を交換した。

「これでよし!いつでも連絡してこいよな。そうじゃなきゃ、俺、寂しくて死んじゃう」

「ウサギかよ」

「実はそうかも。ピョンピョン!なんつってな!アハハ!」

 すると、既にそばを離れていた矢久間のグループの男たちから、矢久間を呼ぶ声がした。

「もう行かなきゃ。またな、唯我!」

「ああ。またな」

 矢久間は笑って手を振りながらグループの元へと走って行った。矢久間が関西に行っても何も変わらず楽しく過ごしていることに安心した。次会うまでに、もっと成長している俺を見てほしい。今年も頑張ろうと思えた。


               ****


 聖君と貴之とも別れ、俺は事務室にいるキャリアウーマンに挨拶をし、スマホの連絡先を伝えた。

「え、自社映画?」

「はい。主にジェニーズJrたちがキャストされています。唯我君も、そのメンバーに含まれています。脚本です。どうぞ」

 受け取った本の青色の表紙には『ジェニーズJr大集結!ジェニーズ城の晩餐会~君へ捧げるひととき~』とあった。すごい題名だ。そして、脚本・演出・監督は秋川千鶴とある。あの人はこんなこともやるのかと驚いた。

「内容は、ジェニーズJrが集うお城で繰り広げられるアイドルたちのダンスバトル、というものです」

 すごい内容だ。訳わかんねえ。

「撮影は3月からです。順調にいけば、4月中には終わるかと思います。読んでおいて下さい」

「はい。あ、あのお願いがあって……」

「お願い?」

 俺はクリスマス頃から思っていたことがあり、キャリアウーマンにお願いしたいことがあった。

「あ、唯我だ!あけおめ!」

 キャリアウーマンにお願いを伝えていると、事務室のドアが開いた。現れたのは樹杏だった。樹杏は俺を見つけると、すぐに抱きついてきた。

「ちょっと、樹杏っ」

「今年もよろしくね!愛してる!」

「わかった。わかったから離れろ。どこだと思ってるんだよ!」

「もう、恥ずかしがりやさんなんだからあ。あ、スマホ!買ったの!?」

「そうだよ」

「後で!後で連絡先頂戴!!あ、今日からはまた城住まいだから、807号室!いつでも来てね!」

 事務室の中で上げる声があまりにうるさく、返事をすればするだけ音量が上がるようだった。俺は口元で人差し指を立てた。

「後でな」

「……わかった」

 樹杏は黙ってくれた。よかった。

「では、これで失礼します」

「はい。唯我君、さようなら」

 俺が事務室を出ると、樹杏は静かにキャリアウーマンに耳打ちした。

「ねえ見た?ネコちゃん。あのさり際の微笑み!唯我のイケメンったらないよねえ」

 「ネコちゃん」ことキャリアウーマンは、頬を染める樹杏にため息交じりに言った。

「樹杏君は、とことんイケメンに弱いわね」


               ****


「あれ、みこ?」

 施設に帰ると、玄関先でウサギをぎゅっと抱えるみこが立っていた。俺が玄関を上がっても、みこはじっと俺を見つめるばかりだった。上履きに履き替え、みこの前でしゃがみ、視線の高さを合わせる。

「ただいま、みこ」

「おか…えり。にいに」

 「にいに」とか、可愛い。みこの頭を撫でてやると、みこは両手を俺の首に回してきた。腹に押し込められたウサギが温かい。頬にくっつくみこのもちもちほっぺがすべすべで気持ちいい。みこの背中をポンポン軽く叩くと、余計に可愛く思えて仕方がない。

 もう離しがたい。「妹」とかいう、何て可愛い生き物が世の中には存在しているんだろうか。「妹」の発見は、まるで世紀の大発見だ。

「唯我兄ちゃん、ニヤニヤしてる」

 それは、いつの間にか目の前に立っていた泰一の声だった。そういう泰一もニヤニヤしていた。

「唯我、あんたからは何か”可愛がる”とは違う何かを感じる気がする……」

 事務所から送ってくれた車を止めてきた優里子が、俺の後ろに立っていた。俺に向ける優里子の視線には、疑いと軽蔑を感じた。こいつ変な誤解してやがる。

「可愛い以上のものがあるもんかよ。何だその目は。ったく、こういうことばっかり目ざといんだから、優里子は」

「はあ?こういうことって何よ。私は空気の読める勘の鋭い女ですう!」

「お前が目ざといのは、人のことばっかっつってだよ」

 俺は立ち上がり、優里子と額を近づけて睨み合った。すると、みこを引き寄せた泰一がさらりといらぬこと言おうとしていた。

「つまり、唯我兄ちゃんは優里姉に”俺の気持ちぐらい気づけ”って」

「たーいーちいいいいいいい!それ以上言ったらぶん殴るぞ!」

「やだあっ!怖いいっ!みこちゃん、逃げよう!ダーッシュ!!」

「待てこの野郎!!」

 泰一はキャッキャッと高い笑い声を上げるみこと一緒に走って行った。俺は頭に上った血を沸騰させて泰一を追った。

 一人、寒い玄関に取り残された優里子は、俺たちを追って廊下を見たが、施設の奥の方から「室内を走るな!」という施設長の声と、みこの泣く声が響いた。

「新しい家族ができても、何も変わらないんだから」

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