第27話 クリスマスライブと泰一

「唯我兄ちゃん!これあげる!」

 お昼ご飯を食べてから、事務所に向かおうと玄関先にいたところで泰一に声をかけられた。渡されたのは紙袋に入ったパンだった。ふっくらしたパンは温かく、丸や星などいろいろな形をしていた。

「これ、どうしたの?」

「作ったの!お腹空いたら食べて!」

 意外だった。泰一がパン作り?しかし、応援してもらえている気がして、とても嬉しかった。

「サンキュ、泰一。行ってくる」

「行ってらっしゃい!」

 クリスマスライブの練習が本格化して、たくさんのJrが平日も土日も事務所に通い詰めていた。その日の練習が終わり、俺はリュックから紙袋を出して机の上で広げると、ふわっとパンの甘い匂いがした。

「わっ!パンだ!」

「いい匂い」

 後ろからそう言ってきたのはせい君と貴之たかゆきだった。

「食べる?」

 二人は「サンキュー!」と言うと勢いよく手を伸ばしてきた。

「うんまあっ!!」

「形可愛えなあ。地元のパン屋さんか何かなん?」

「いや。弟の手作り」

「弟、上手!うまかったって言っといて」

「ていうか、唯我、弟おるんや」

「兄貴も姉貴も、妹もいる」

「へえ。大家族!」

「まあね」

 前までは話もしなかった施設のガキたちのことを、俺は最近になって口にするようになった。しても問題ないように、ガキたちのことを家族のように話すようにしている。

 事務所のJrたちと過ごす中で気づいたことだことだけど、施設のことや俺の生い立ちは、俺が思う以上に他の人には関係がなくて、意識しているのは俺だけだとわかった。ステージに立つ機会を重ねる度に、俺が俺をどう思うかよりも、誰かが俺をどう思うか、どう見るかの方が大事だということがわかった。

 泰一のパンは口に入れるとほろっと崩れて、バターの甘い香りがした。思わず「うまっ」と呟き、夢中になってパンを食べた。その間に優里子がエントランスに迎えに来た。


                ****


 優里子の運転する帰りの車の中で、俺は紙袋を開いた。パンはあと1つ。優里子に「食べる?」とちぎったパンを出すと、「ありがとう」と言ってパクっと食べた。

「うん。美味しい」

「泰一のパン、すごいうまい」

「でしょう?ずっと練習してきてたんだよ。唯我兄ちゃんに食べてもらうって」

「泰一が……」

 胸の奥がじわじわと温かくなった。余計にパンが美味しくなった。

「それにしても、どうして?泰一、料理好きだったっけ?」

「泰一ね、基本的な家事を覚えようとしてるのよ。料理はその一つ。まずご飯の炊き方を覚えて、みそ汁の作り方を覚えて。包丁の持ち方とか、調味料の使い方とか、基本的なことを身につけて。それで、試しにパンを作ってみたらハマったみたい。これね、あんたの影響なのよ」

「俺?」

「唯我がジェニーズで頑張ってるの見て、僕も頑張る!って言い出したの」

 施設に帰ると、エプロン姿の泰一が食堂にいた。手元で粘土をこねるようにパンの生地を練っていた。俺が来たことに気づくと、白い粉まみれの顔でニコッと笑った。近づいて、頭を撫でてやると、照れくさそうにして頬を赤くした。

「泰一の目標は、中学進学と同時に、お母さんと暮らすことよ」

 事務所からの帰りの車の中で、優里子が話してくれたことを思い出した。

「お母さんね、泰一をお腹の中で育ててる頃から心の病だったそうで、泰一が生まれてからもずっと……。少しずつは良くなってるみたいだけど、今だに回復はしてないの」

 泰一は、歯が生える頃には既に親に育児放棄されていたと聞いたことがある。泰一の母親は、生まれたての泰一が泣こうが笑おうが、それに答える力もなく、一日に一度だけミルクを与えるので精一杯の状態だった。親から手放された泰一は、施設が引き取るまでの1年間、小児科病院に入院していたらしい。

 その頃の泰一はあまりに細くて、体を支えるだけの力がなかったという。笑うこともなくて、言葉を発しようとしない。自発的な行動も少なくて、寝返りさえうとうとしないで、ずっと小さなベッドの上でただ息をしている状態だった。

「それでも、泰一はお母さんのこと大好きでね。きっと、また一緒に暮らすんだって言ってた」

 顔を白くして笑う泰一顔を見たら、とても離しがたくなって思わず抱きしめた。俺は、いつもはしゃいでばかりの泰一しか見ていなかったんだと思い知らされた。だから泰一がそんなことを考えるようになってたなんて知らなかった。

 あと1年で泰一は施設を出ていくつもりなんだ。泰一が頑張る先には、避けようのない「お別れ」があると知った。


                ****


 クリスマスイブ前々日、会場では各ジェニーズグループによるパフォーマンスのリハーサルが行われていた。俺は学校が終わると、泊まりの荷物を持ってすぐに会場に向かった。去年と同じ大江戸ドームには、子供から大人までのイケメンが大勢揃って、それぞれ固まってダンス練習をしていた。

 真っ暗な大江戸ドームの中では、ジェットスターのヒット曲メドレーが流れていた。舞台の上にはジェットスターのメンバー、その後ろに俺たちバックダンサーが立った。立ち上る熱気、リズミカルな足音、息づかいが舞台の上に広がっていた。

『はい!オーケー!皆お疲れ様!』

『バックダンサーの皆もサンキュー!』

『本番も頑張ろうな!』

「はいっ!!」

 イヤホンマイクから発せられるジェットスターの声を聞くと、ジェットスターのバックダンサーに選ばれたという実感が沸いた。リハーサル終了後にはジェットスターのバックダンサー用衣装が配布された。クリスマスらしいキラキラとした緑色のTシャツとジェットスターのロゴが入る白い半ズボンを見るだけで嬉しくてたまらず、ワクワクした気持ちが疲れた体に力が戻っていくようだった。

 明日は全体最終リハーサルが行われ、12月24日はいよいよ本番だ。外に出ると、火照った頬からは熱気が上がり、冷たい空気が気持ちよく首筋を撫でてくれた。冬らしい高く暗い空には星が光り、都会の眩しい光が雲を照らしていた。

 会場からは事務所に向かうバスが出る。バックダンサーの人達は前々日から事務所の隣にある宿泊施設、通称「城」に泊まることになっている。一昨年のクリスマスライブで同じ部屋だった智樹と矢久間がそれだった。ようやく俺も当時の二人と同じレベルのJrになれたのかもしれない。そう思えると、腹の奥がこそばゆくなった。

 バスの外から入ってくるクリスマス一色の街の灯りが、リハーサルを終えて眠っているJrたちの体にいくつも落ちていく。それは、まるでサンタクロースの落とし物のような光だった。俺は大きなバッグをぎゅっと抱えて、ニヤけそうになる口元を隠した。


                ****


 クリスマスライブ1日目の朝、「城」のエントランスで一人で踊っていた。日課の朝練ができるところがそこしかなかった。音は出せず、自分のカウントだけでステップを踏んでいると、エントランスに別の人の足音とガラガラとキャリーケースを転がす音がした。

「あ、唯我だ!」

 通路から現れた人は俺を指差して叫んだ。ニット帽を深くかぶり、茶色のサングラスにマスクをしているので顔がわからない。もこもこに着込んでいるので体型もはっきりしない。その人が突然俺に駆け寄ってきた。少し怖かった。

「……え、誰?」

「ひっどーい!!僕だよ僕!!愛しの樹杏様だよ!?」

「は?樹杏!?」

「そう!」

 ニット帽を取り、マスクを取り、サングラスを取ると、くりんくりんの赤毛、ほてった頬、ビー玉みたいな真っ青な瞳が現れた。樹杏は「唯我あん!」とキモイ声を出して抱きついてきた。

「樹杏。何て変な格好してんだよ」

「ふふん。僕くらい有名になるとね、こうでもしなきゃ街も歩けないの。っていうか早いね、唯我。まだ6時だよ?ライブの皆、全然起きて来ないでしょ」

「うん。だからいいんじゃん」

「ああ、それわかる。僕も同じだな」

「お前、今年もライブ不参加なんだな」

「そらそうでしょ。ギャラ発生しちゃうぞ?へへへ」

 樹杏は親指と人差し指で輪っかを作って見せた。現金な奴。しかし、それは確かなことで、夏のJr祭に出てこないのもこれが理由だということを最近知った。お金が発生する上に、Jr人気投票数もかっさらった樹杏が高笑いしているのが目に見える。

「うぜえ樹杏」

「あはは!お褒めいただけて嬉しいよ。んじゃ、僕は年一の自主帰宅をするよ」

「いつぶりに帰るの?」

「んとね、……あれ?いつだったか忘れちゃった!夏休みかな?家帰るの嫌だけど、Jrだらけの知らない人で溢れるここにいるよりはましだし」

「相変わらずのJr嫌い。人見知りでもないくせに」

「だってえ、何か嫌っていうかあ~」

 樹杏はくねくねと体をゆすり恥ずかしがるような素振りを見せた。意味わかんねえ。キモイ。

「まあ、家でゆっくりするよ。唯我はライブ頑張ってね!時間空いたら遊ぼうね!!」

「バカ。お前が空けろよな」

「あはは!それは確かに!ごめんね。売れっ子は多忙で結構なのだよ!まったねえ~」

 樹杏は元気よく手を振り、出入り口の自動ドアを開いたところで「あ」と立ち止まった。

「唯我、誕生日おめでとう」

「……今日じゃねえし」

「知ってるよ失礼な!明日、会えないから!今言ったの!お・め・で・と・う!!」

「はいはい。サンキュ。またな、樹杏」

「うん。いいクリスマスを」

 樹杏は笑って自動ドアを抜けていった。樹杏が「城」から自主帰宅するのはこの日だけだというから、その見送りをしてしまうと、いよいよクリスマスライブの本番だという実感が沸いた。体に熱がたまり、気合が入った。

「全員集まれ!ほら、Jrたちも来いよ!」

 その日の午後、クリスマスライブの会場は度重なるジェニーズのライブに熱狂するファンに溢れ、割れんばかりの大きな歓声が鳴り止まない。舞台裏でジェットスターのメンバーと控えている間も、まるで地震でも起こっているように響く声を聞き、全員がワクワクしていた。手を重ねて円陣を組む中に俺も混ざった。隣にはジェットスターのメンバーが同じように肩を並べている。

「今日が最高の舞台だ。爪の先まで力入れろよ!」

「行くぞおっ!!」

「おおおおっ!!!」

 そして、クリスマスライブの初日が始まった。ステージにジェットスターが現れると、歓声は一層大きくなった。おかげでステージは観客の声だけで揺れている。小刻みでリズミカルな振動は、まるでステップのカウントのようだった。 

 俺は足の裏から伝わってくる振動にワクワクした。ライブ会場のあちこちから当たってくるライトの光、震える空気、イヤホンから流れるジェットスターの曲。Jrとしてライブを重ねてきて、もう全部知っているつもりだった。しかし、今はとても特別なステージに立っている気がして落ち着かない。悪い意味じゃない。いい意味で落ち着けない。まだステップを一歩も踏んでいないのに、もう楽しい。

 今、ここに立つまで2年かかってしまった。いや、2年かけてよかったんだ。ここに立てることが楽しいと思える俺になれてよかった!

『ヒアウィーゴ―!!』

『ジェットスター!!』

 歓声に揺れるステージにステップの振動が加わる。一つ一つの振りにペンライトが揺れ、ジェットスターの呼びかけに空気が揺れる。会場にいる全員が一体になっていた。熱くて、せわしくて、面白くて、楽しくかった。


                ****


 クリスマスライブの最終日、俺は昨日と同じようにジェットスターと踊り、最後はクリスマスライブ恒例の大量Jrダッシュで幕は下りた。真冬の夜の外に集まり、解散を待つJrたちは息を切らせ、熱の冷めない体のまま、上着を手に持っている人がほとんどだった。

「唯我、お疲れ様」

 そう声をかけてきたのはジェットスターのメンバーの一人、敦美あつみさんだった。背が高く、短髪でキリっとした顔立ちがキレイな人だった。

「敦美さん。二日間、ありがとうございました」

「お前、ジェットスターと踊るの憧れだったんだって?事務所のネコちゃんから聞いた」

 「ネコちゃん」とはキャリアウーマンのことだ。

「そんなJrがいるなんて嬉しいぜ。またよろしくな」

 敦美さんは「ほい」と手紙を差し出した。

「誕生日、おめでとう」

「え?あ、ありがとうございます」

 頭を下げると、敦美さんは手を振って帰っていった。

「唯我、何渡されたの?」

「何だろう……」

 封を開け、隣にいた聖君と貴之と一緒に中を見た。中には「HAPPY BIRTHDAY 唯我!」と書かれた、ジェットスターのライブ終了後に全員で撮った写真が入っていた。写真の後ろには一緒に踊った人たち皆からの寄せ書きがあった。


「誕生日おめでとう!特別な一日をありがとう!」

「また一緒に踊ろうぜ!」

「もう少し背中の柔軟をしろ」

「水も滴るイケメンめ!」

「来年も勝手に活躍してろよ!」


「わあ、何これ!いいなあ!!ってか唯我、今日誕生日なの?言えし!」

「ほんまやで。俺もジェットスターの敦美君が声かけてくれんかったら知らへんかったもんなあ。水臭いわあ」

「あ、貴之も書いてんじゃん!何々?”これからもずっと友達やで!”だって!卒アルの後ろに書くやつだぜこれ!うははははっ」

「確かに!自分で書いといて、今更気づいたわ!でも、他の人達のも大概やで」

「確かにな!適当ウケる!でもいいなあ。なあ、唯我!」

「うん……」

「……テンション低っ!」

「もしかして唯我、こういうん嫌やったんか?それなら悪かったよ……。なあ、唯我」

 その時、貴之が俯く俺の肩を回して、強引に振り返らせた。その反動で抑えていた涙がコロッと落ちた。それを見た聖君と貴之は固まった。

「は、反応薄くて悪かったな。何て言えばいいのかわかんなかったんだよ。……こんなの、もらったことねえから、その……。こっち見んな」

 目に溜まった涙がこぼれないように眉間に力を入れた。鼻をすすると、冷たい風がしみてツンとした。すると沈黙していた二人からは大きな笑い声が上がった。貴之なんて人を指差して笑ってやがる!

「唯我ってさあ、ホントあれだよねえ」

「聖君、言いたいことわかるで!」

「……何だよ」

「「案外、泣き虫」」

「クールぶってるけど、意外に感動屋だよな」

「ホンマになあ!夏の祭の時だって、壇上でわかりやすく涙でうるうるしてさあ!」

 俺はだんだん恥ずかしくなった。寒さで冷たくなった頬はみるみる赤くなり、頭のてっぺんまで熱くなった。

「黙れ二人ともっ!落ち着けって……。ふふっ」

 二人の大笑いは、俺が反発すればするほど盛り上がった。冬の風はひんやりして冷たいはずなのに、たくさんの人に囲まれてとても温かかった。もらったカードを、俺はどうしてもただのバースデーカードとは思えなかった。二人の大笑いが、いつの間にか俺にもうつって、目尻からコロッと涙がこぼれてしまった。


               ****


 クリスマスライブが終わってみれば、今年もヘトヘトだった。施設に帰るまでの車の中でうとうとして、半分寝ている頭を一生懸命動かして、施設の玄関に入った。

「唯我、おかえり!今年もお疲れさま」

「たーいま。疲れた」

「夕飯は?」

「いらね。もう眠くて……」

「今年も!?全く。ほら荷物、やっといてあげるから」

「サンキュ」

 俺は3泊4日分の荷物が入ったバッグを優里子に渡し、そのまま階段を上がろうとした。すると、優里子が「唯我!」と呼び止めた。

「誕生日、おめでとう。12歳ね」

「……うん。サンキュ。おやすみ」

 俺はさっさとと階段を上がった。その言葉を、今日までに何度聞いただろうか。特別嬉しくて、照れくさい。

 消灯した寝室に入ると、静かな寝息が聞こえた。俺は音を立てないように寝間着に着替え、すぐに布団に入った。

「兄ちゃん、おかえり」

 隣の布団から顔を出した泰一が小さい声で言った。

「誕生日おめでとう」

「サンキュ」

「今日、楽しかった?」

「今までで一番楽しかった……」

「ならよかった」

 脳みそのほとんどが既に動いていない。それでも泰一の顔を見たら、優里子から聞いた話と泰一のパンの甘い味を思い出し、少し心細くなった。

「なあ、泰一」

「何?」

「お前、ずっとここにいればいい…のに……」

 もう目も開けていられなかった。泰一の頭を軽く触れて、撫でたかわからないうちに、俺は眠ってしまった。泰一は布団から伸びたまま落ちた俺の手を布団の中にしまい、今度は泰一が俺の頭を撫でた。

「……おやすみ、唯我兄ちゃん」

 俺は既に夢の中だった。泰一は自分の布団の中にもぐり、目を閉じた。

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