第26話 ジェニーズ舞台と頭の中のぐっちゃぐちゃ

 10月の下旬から事務所で受けていたのは、12月初旬に行われるジェニーズ舞台の練習だった。ジェニーズ舞台を仕切る座長はジャックウエストの純君である。事務所の地下にある体育館に集まったJrたちの前で、純君は相変わらずマイクを握り、大声で「本気!」を連呼していた。

『本気出せよ!1か月なんてなあ、あっという間なんだぞ!この時間を無駄にしてんじゃねえぞ!!』

「はいっ!!」

 初めてライブに参加した時のことを思い出した。その時も今日のようにたくさんのJrでダッシュ、移動、ダンスを繰り返したことを思い出した。

『はい、もう一回行くぞ!本気ポニー!1・2・3・4!』

 純君のカウントで、Jrが体育館全体をポニーステップで大移動した。これがかなり忙しくて疲れる。往復するだけで汗が流れ始め、息を整える間もあごから汗が落ちていく。ステップが少し遅くなるだけで純君から叫ばれるので、純君を知らないJrは先輩からの圧と恐怖に体を縮めていた。本気ダッシュ。本気ステップ。本気ポニー!

 練習が終わると、一緒に練習に参加していたJrのせい君と貴之たかゆきがエントランスの机でへばっていた。

「キツかった……」

「ほんまや。今回のジェニーズ舞台のイメージ全くわかんのに、通常運転の純君とあのステップ地獄は誰でもキツイで」

「ポニーで移動とか何だし。”本気ポニー”ウケるわ」

「ああウケる。カニか俺らは。斬新過ぎるっちゅうねん」

 クスクス笑う聖君と貴之は、夏のJr祭で表彰を受ける壇上に上がった時に手を振ってくれた二人だ。関西弁の貴之が「そういえば!」と顔を上げた。

「唯我、今年のクリスマスは出るん?」

「ああ。そのつもりだけど」

「今年はあるで!バックダンサーオーディション!!」

「何の?」

「「ジェットスターの!!」」

「えっ!?」

「去年は、ジェットスターはオーディションやらずにD2-Jrがバックやったんだよ。でも、今年はあるみたいだよ」

「せやねん。公表されるんは来週くらいらしいけど、Jrの中ではもう広まってる。俺らは受けるで!」

「唯我は、どうすんの?」

「そりゃ受けるに決まってる!」

 ジェットスターといえば、キャリアウーマンにもお願いして、出れるステージがあるならやらせてほしいと伝えている憧れのグループだ。優里子の成人式にも関わらず、当日のヘルプで急遽参加したことを思い出す。

 俺は立ち上がり、事務室にいるであろうキャリアウーマンのところに行こうとした。その時、エントランスの自動ドアが開き「唯我!」と呼ぶ優里子の声がした。

「あ、優里子。ちょっとだけ待ってて」

「いいよ」

 俺は事務室に走った。その間、優里子は二人に頭を下げ、近くの席に座って俺を待っていた。俺はすぐに事務室から飛び出て来ると、二人のところへ戻った。

「オーディション、俺も受ける」

「どんなオーディションか言ってた?」

「それは公表と一緒にされるから待てって。じゃあまたな」

 リュックを肩にかけ、優里子と一緒に事務所を出た。

「なあ、貴之。あの人誰だろうな?」

「これやろ。これ」

 そう言って貴之は左の小指を立てた。

「先輩から噂聞いたことあんねん。あいつ、彼女いるって」

「マジか!年上じゃん!」

「しかも可愛いあまりに大貫樹杏に寝取られたんやって!」

「やるなあJ!」

 二人がそんなことを話しているとは知らず、俺と優里子はそろってくしゃみをして目を合わせた。


                ****


 朝の白い光がカーテンを通して施設の居間を照らした。履きなれたダンスシューズはリズミカルに音を立てる。踊りなれたジェットスターの曲で朝練を終え、ふうっと息を吐き、肩を上下に動かし体の力を抜いて、目を開いた。

『では、これよりクリスマスライブのジェットスター・バックダンサーオーディションを始めます。全員起立!』

 事務所の中にある体育館には50人以上のJrが立っていた。集まったJrたちは、胸元に名札をつけている。遠くには聖君と貴之がいる。

『まずはジェットスターの一曲”ジェットスター”。皆さんには、6人の振り付けを順番に踊っていただきます。まずは木戸劉生りゅうせいの振り付けで踊っていただきます』

 ジェットスターの曲は、毎日の朝練でもう2年も踊っている。メンバーの誰の振り付けだっていつでもできる自信がある。絶対勝ち取ってやる!

 大音量の曲が鳴り響く。この曲は始まってからメンバー一人一人がステップを踏み始め、動きが重なっていく。木戸劉生のステップは、6人中5人目に始まる。だから曲が始まってからのカウントが大事になる。大きな部屋には、そのカウントを間違えて先にステップを始めてしまった人の足音がチラッと聞こえた。しかし、そんな音に惑わされてはいけない。

 ……12345678。12345678。12345678!

 一斉にステップを踏む音がダダンッと響いた。俺は周りの誰よりも大きく、強く踊ろうと意識した。審査する大人が4人、踊るJrの間をうまく通り抜けていく。

 その一人はオカマコーチだった。腕組をしてゆっくり歩いていく。俺の横に来た時、オカマコーチは口をとがらせてウィンクした。その振りは正面に手を伸ばすはずだったが、俺はあえてオカマコーチに向かって体を回転させて手を伸ばした。一瞬、オカマコーチは驚いて固まった。俺はすぐに体を正面に戻してそのまま踊り続けた。

 このオーディションは即日結果報告だった。体育館には、踊り続けて息を切らせたJrが、結果待ちのために座っていた。俺は聖君と貴之と輪になって、水分を取っていた。

「俺、この後イーストのバックダンサーのオーディション」

「聖君、まだやんねんな。頑張るなあ」

「でも年々思うよ。やっぱグループに所属することには意味がある」

「せやな。グループやったらオファーが来るんやろ?そっちの方が絶対いいに決まってんなあ。唯我はどう思う?」

「ステージに立つことを考えたら、その方が手っ取り早いのは確かだな」

「だよなあ。だって周り見てみろよ。高校生も、多分大学生くらいの人たちだっているんだ。こん中からバック勝ち取らなきゃ日の目も見れねえんだから」

「せやけど、唯我は多人数のグループにいるイメージあらへん」

「え?」

「ああ、それ俺もそう思う!だって……」

 2人が口を揃えて言った。

「「お前、マイペース過ぎんもん」」

 俺は知らなかった。俺ってマイペースなのか?その時、審査員の4人が戻って来た。すると、2人は急いで持ち場に散っていった。女の人がマイクを持つと、いよいよ結果発表が始まった。

『では、これより結果発表を始めます。参加者62人中、選考人数は10名。お名前を読み上げますので、その場でご起立下さい。まずは……』

 そうして名前を読み上げられると、座っていたJrは立ち上がった。誰しもと同じように俺もドキドキしていた。呼ばれろ、呼ばれろ!呼ばれろ!!

『8人目、小山内唯我君』

「はいっ」

 よっしゃああ!俺は嬉しくて勢いよく立ち上がった。これまでの2年間の朝練の努力が報われたような喜びと開放感でいっぱいになった。しかし平然を装いたい。ニヤける口元に必死に力を込めた。遠くの聖君と貴之は親指を立てて俺に「やったな!」と口を動かしてくれた。

『9人目、鈴木貴之君』

「え!?ははははいっ!!」

 貴之は立ち上がると、嬉しそうに握った拳を何度も上下に動かした。残念なことに、名前を呼ばれなかった聖君は、予定通り「イーストのバックダンサーのオーディション」を受けることが決まった。

「ああ、悔しい!!ジェットスターやりたかったあああ!!」

「次のオーディション、頑張れよ」

「せやで。切り替えるんや!お前ならできるで聖君!」

「ありがとよ!絶対イーストのバック取ってやるからな!!」

「おう」

 その時、後ろから「唯我ちゅわあんっ!」とオカマコーチが抱きついて来た。

「皆素敵で目移りしちゃって困ったわあん。でも、唯我ちゅわん。表現が一層豊かになったわねん。よく観客の視線を意識できるようになったと思って関心したのよん。手を伸ばしてくれた唯我ちゅわん、素敵だったわあ」

 体をうねうねと動かしながら頬を染めるオカマコーチは力強くて、俺は抱きつかれたままフラフラと揺らされるばかりだった。しかし、ちゃんと俺が踊れていたとほめてもらえていることが嬉しかった。

「ありがとうございます」

「やあ~ん。唯我ちゅわんのそのスマイル、素敵!ファンになっちゃうう」

「は、あ……、ありがとうござい、ます……」

 オカマコーチは頬ずりをして、しばらく俺から離れなかった。少し出っ張る頬骨がゴリゴリとして痛い。そろそろ離れてほしい。そう思って目の前の2人に目配せすると、一緒にいたはずの聖君貴之は、いつの間にか姿を消していた。あいつら巻き込まれないように離れやがった!


                ****


 オーディションを終え、11月中はずっと12月のジェニーズ舞台とクリスマスライブの練習に明け暮れた。ジェニーズ舞台の練習では、覚えた振り付けや立ち位置、やることが次の週には変わっていたりする。同時にクリスマスライブに向けたJrの練習、ジェットスターのバックダンスの練習が重なり、頭の中はぐっちゃぐちゃだった。

 俺は施設に帰ってからも何度も振り付けを復習し、ステージのイメージを膨らませた。あそこでこうしてああして……。

「唯我、あんた大丈夫?わかりやすく疲れてるけど……」

 平日も事務所で練習をして、施設に帰る頃には時計が9時を過ぎていた。夜遅い夕飯になると、優里子と一緒に食堂でご飯を食べた。

「箸、左手で持ってるから!右手はこっち!さっきからご飯粒落としてるのよ!小さい子供かっ」

「ああ、悪い……」

「去年より忙しいわね。体だるかったりしない?大丈夫?」

「体は平気。頭の中が……。ダメだ。箸ってこんな難しいっけ。今日スプーンで食べる」

「しょうがないなあ。まあこぼされるよりはいいわ。はい」

「サンキュ」

「今週の日曜日が終われば一段落でしょ?頑張れ」

 優里子が頭を撫でた。不思議と頭の中のぐっちゃぐちゃになっているものが整理されたみたいに、少しすっきりした。

「うん」

 顔を上げると優里子がニコッと笑うので、その可愛い顔に見とれて、結局スプーンからご飯をこぼして怒られた。

 12月の第1日曜日、ジャックウエストが舞台を仕切るジェニーズ舞台は、7月に参加したkiss your hand2キス ユア ハンズの舞台とは全然違っていた。舞台の上には、夏に行ったプールのスライダーのように長くくねくねと曲がるスロープが張り巡らされている。舞台の床の真ん中には仕掛けが隠されている扉がある。

 Jrの控室は、衣装を着てワイワイと話す声で溢れた。衣装は首が白く縁どられた黒いスウェットで、少しダボっとしている。とてもラフな衣装だった。配られたリボンは聖君が黄色、貴之が緑、俺が赤のラメでキラキラ光っており、それを胸元に安全ピンで止めることになっていた。

「キラキラ要素は忘れないんだね」

「そら忘れんやろ。ここは夢の国、ジェニーズ舞台やで!」

「12時40分開演だろ。もう11時半だ。舞台袖行こうぜ」

「せやな。行こう、唯我」

「ああ」

 あのキラキラの夢の舞台が始まるんだと、俺はワクワクした。


                ****


 舞台の床の真ん中にある仕掛け扉からは、大きな和太鼓が上昇し、半裸の純君が『はあっ!!』と声を張り上げ長いバチでドンドン叩く。下の段では、他のメンバーと選ばれしJrが半裸で太鼓を鳴らしている。天井からつるされているボールは音に合わせてカラフルに点灯し、舞台背景は冬空の下のような背景が使われている。

 観客席には、太鼓のリズムに合わせてペンライトが揺れ、歌でもないのに合いの手が入れられる。kiss your hand2とは違う方向性の盛り上がりだった。

 この太鼓演奏の間、俺を含む他のJrは次の出し物の準備を始めた。あの舞台装置になっているスライダーは、大玉を転がす装置で、太鼓演奏と並ぶジャックウエストのジェニーズ舞台恒例の出し物だった。

 大玉は舞台袖で上に持ち上げられる。舞台袖では結構な音が響いているが、大太鼓の音には敵わない。ゆっくり慎重にスライダーのスタート位置につけられた大玉は、万が一にも転ばないようしっかり押さえつけられ、準備は整った。

 太鼓の演奏が終わると紙吹雪が飛び、大喝采が起きた。真ん中に設置された大太鼓はグーンと床の下の仕掛け扉の中に消える。舞台袖に控えていたJrが舞台の上の太鼓を素早く撤収し、ジャックウエストが早や着替えをしている間にJrのダンスが20秒間だけ披露される。

 手拍子しながら登場したJrたちは定位置につくと、ジャックウエストの曲に合わせて本気ポニーステップを始める。舞台の上から延びる通路いっぱいにJrがひしめき、観客席の間の通路にもJrが入る。俺はその観客席の間の通路に立っていた。動き回る照明が観客席とJrを捉え、胸元のリボンがキラリと光った。

 横を見れば、目が合うお客さんも多くいる。手を振ってくれた時には手を伸ばした。少しの隙間に俺を認識してくれる人が一人いるだけで嬉しい。

 曲が終わると、観客席のJrは一斉にしゃがみ込む。すると、舞台の上に大きな笑い声が響いた。

『ふあっはっはっはっはああっ!レディースアンジェントルマン!今宵もこの時やって来た!』

『闇夜を照らす月の光を打ち砕き、星々のきらめきに酔いしれよ!』

『そして、今宵も君たちの心を、ジャックする!』

 ジャックウエストの曲が始まると、「キャー」という歓声が上がったところで、Jrは全員即退場する。会場裏の通路を早足で移動し、すぐに次の持ち場に戻った。

「唯我、こっち早く!」

「おうっ」

 俺は貴之と「せーのっ」と声を合わせて、小さいボールがたくさん入ったカゴを真っ暗な舞台袖まで運んだ。貴之も俺も汗だくだった。

「スウェット暑いなあ」

「だな」

 ボールにはメンバーのサインが一つ一つ入っている。これを舞台のフィナーレで観客席へ投げまくるという演出らしい。何百という数のボールにサインを書くなんてとても大変だっただろうと思う。太鼓演奏や大玉、ボールのプレゼントも、お客さんのためにメンバーが考えた、面白くも思いやりのある舞台演出であることをとても実感した。

『カウント行くぞー!!3・2・1・ゴー!!』

 大歓声の中、大玉が発射され、スライダーをゴロゴロと落ちていく。ジャックウエストのメンバー6人揃って大きなバットを構えた。大玉は舞台の床を走り出し、『せーの!!』という声に合わせてバットは振られた。

 大玉はパッカーンと真っ二つに割れる、はずだった。しかし割れない。メンバーは『あれ?』『話と違う』と舞台の上を右往左往していた。すると頭上から小さいボールの雨が降り出した。ボールはポンポン跳ね、舞台を飛び出し観客席へと飛んでいく。それは純君が企てたサプライズ演出だったらしく、他のメンバーは『純君だろっ!!』と叫び、舞台の上で純君を押し倒した。観客席からも、舞台袖にいたJrからも笑い声が上がった。

 最後はサイン入りのボールをメンバーが投げて配った。会場には「キャー」という歓声と一緒に笑い声が上がり、さらに拍手が起こった。

『最後に、今日の協力Jrをご紹介!』

 大玉のことでメンバーにもみくちゃにされた純君がマイクを握り、全Jrが舞台の上に上がった。純君はカンニングペーパーも無しに、参加したJr40人の名前を読み上げた。

『小山内唯我』

 名前を呼ばれ、一歩前に出て頭を下げた。ステージには拍手の音が絶えず響いていた。純君から名前を呼ばれたことが嬉しいし、温かい拍手が嬉しい。観客席を見ると、誰かが手を伸ばして振っているのが見えた。手を振り返すと「キャ」と小さい声がした。あの人一人、俺の名前を覚えてくれたら、今日まで頭パンパンにして頑張ってきたかいがあるなと思った。


                 ****


「お前ら、本番で気い抜いてたわけじゃねえよなあ……」

 これも恒例となった。純君を知らないJrは「ひっ」と体をこわばらせたが、純君はJrを前にじっと睨んでから大きな口を開けて笑った。

「俺にはわかるんだよ。だって、本番が一番良かったんだからよお!気い抜いてる奴なんて誰一人いなかったよ!サイコーだったよお前ら!ありがとなっ!!」

「じゅ、純君っ!!」

 わははと笑う純君の胸元に押し寄せるJrたちの中、俺と聖君、貴之は「純君ありがとう!」と手を振った。

「楽しかったあ!またジャックウエストの舞台呼ばれないかなあ」

「いや、本気ポニーさえなければええねんけどなあ」

「言えてる」

「はああ。疲れた、疲れた」

「ああ、早よ帰ろう。明日からはクリスマスライブだけ集中やで!」

「だな」

 荷物をまとめ、皆と最寄り駅に向かい電車に乗った。席に座った瞬間、電車の中の温かさと心地いい揺れに任せて、3人して肩を寄せ合って眠ってしまった。

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