第三話 狩人と食糧庫の守り手

 ルウが体調を取り戻してからエアリー達の食糧難はほとんど解決された。どこで得た知識なのかルウは男顔負けの狩猟技術を持っていて、三日に一度は潜んでいるはずの動物を狩ってくる。


 ルウが言うには、夜明け前に目星を付けておいた狩場に潜み、日が昇った瞬間に仕留めるらしい。エアリーは今ひとつ狩猟の想像ができなくて、いつもルウに聞いてみるのだが、何となくはぐらかされてしまう。


 狩猟の日は決まっていない。ルウの直感でしか行われない。天候、気温、風向き、自然的な状況が不揃いなのに、ふとエアリーが夜明け前に目を覚ますと、寝ているはずのルウが隣にいない。


 それではエアリーが不安になるだろうと思って、ルウは獲物を探しに行っているという符号を考えた。


 旅の途中で小指の爪先ほどの黒曜石を拾った。それが目覚めたエアリーの近くに置いてあれば、狩りに出ているものと見なすことにした。エアリーはこれまで生きてきた中で、自分の五感は他者に比べても突出していると自覚していたのだが、ルウが狩りのために寝床を出たところを一度も見たことがない。


 いらずらのつもりか分からないものの、黒曜石は目覚めたエアリーの額や鼻の上に置いてあったり、胸の間に挟まっていたり、なんだか奇妙な場所をわざわざ探して置いているような気もする。


 その日の朝も、ルウの姿が見えずに石を探したが見つけられなかった。エアリーは何事かと慌てたものの、石は手のひらに置かれていたようで自分自身が握りしめていたと分かるまでずいぶんと時間がかかったのだ。大抵、そんな日は獲物を担いで戻ってきたルウがエアリーに怒られるというのも珍しくはなくなっていた。


 エアリーの怒りと言ってもルウから見れば可愛いもので、尻尾の代わりに片翼を膨らませて威嚇する小動物のようなものだ。こんないたずらは旅路でしばしばあって、食事を抜きにされるのも厄介に感じたルウは、何気なく狩りの方法について語ってエアリーの怒りをごまかすことにした。


「夜って暗いし怖いし、生き物はみんな不安なんだ。夜明けの直前が夜の中でも一番暗い。太陽が登るまで、生きている誰もが夜を怖がる。太陽が登ると、山の稜線が、雲の輪郭が燃えるように光るよね。暖かい光も差す。どんなに警戒している動物でも、その時だけは気が緩む。絶対に安心してしまう。本能だからね。その一瞬で殺す」


 ルウが簡単そうにさらりと言い、そしてエアリーは感心するうちに怒りを忘れた。自分にはとても真似できそうにない。手伝えることがあればと思ってしつこく尋ねていたが、足手まといになるだけのようだと諦めた。


 エアリーは自らに出来ることを努めようと決めた。それが食糧の管理である。地味に見えても食べ物が無くなれば飢えて死ぬのだから手は抜けない仕事だ。


 食糧の備蓄技術についてはエアリーの方が長けていて、香辛料を細かく砕いてすり潰し、残った肉に塩と共にまぶして干し、それを保存食とした。鮮度が落ちても日持ちを良くする技術と知恵がエアリーにはあり、それらを駆使して熟成が進んだものをルウは好んで良く食べた。備蓄の極みとも言える塩の適量や香辛料の使い方をエアリーは熟知していた。


 収穫した時期やその後の処理によって赤白黒に色づく種子である胡椒、清々しい草花の香りで腐敗防止に長けるローズマリー、葉の先から茎、種子の全てが役立つセロリ、それらを操るエアリーの技術は、ルウが今まで触れたことのない世界だ。


「熟成? 腐るのと似てるけど何か違うんだね。熟成、発酵、腐敗、奥が深いよ」


 旅の途中で羊の群れに出会い、妙に懐っこい羊から乳をしぼった。それをエアリーは革袋に入れておき、その乳がある日、チーズとなって取り出された時の衝撃をルウは忘れられない。しかもそれが美味であったからなおさら仰天した。


 これらは旅団生活の時に教えられて学び、食糧保存を任されていたエアリーならではの技術と知恵だ。これはエアリー本人による数少ない特技としてルウに伝えられたのだが、食料当番をしていた理由は普段理屈でものを考えないルウでもいくらかの推測が立ってしまう。


 エアリーは言葉を発せられないこともあり、他者から疎まれていた存在で、集団生活の中で任せられる役割はほとんどなかった。


 結果、地味ながら責任重大で誰もやりたがらない食糧の保管と番に選ばれることが多かったのだと、察しの機微に鈍感なルウが気付く。それでもエアリーはどこか自慢げに見える仕草を交えてそれらを伝えてくるのだから、ルウは反応に困った場面もあった。


 ルウは二人で旅を始めてしばらくの間、エアリーのこれまでなど、過ぎてしまったことについて深く追求するようなことはしてこなかった。大抵の場合、そのような質問をすると似たような問いが返されるからだ。


 その日の黄昏時もエアリーが調味保存した骨付き肉を、注意深く周囲を警戒しながら蒸し焼いて食べていた。骨付き肉はゆっくり加熱すると骨から染み出た髄のエキスでより一層美味しさを際立たせる。エアリーに出会ってからというものの、ルウにとって食べることは生きることというよりも、一日を生き抜いた喜びの証のように貴重なものへと変化してしまっている。


 虫よけや痛み止めにも重宝する楔の形をしたクローヴという乾燥させた花蕾がある。それを肉に直接刺して塩を揉み込んだもも肉、ルウはその甘い香りの風味を特に気に入っている。エアリーはそんなルウを見て香辛料が取れない地域からやってきたのだろうかと不思議に感じながらも微笑ましく思うのだった。


「それにしても、うん、美味しい。塩って舐めるだけかと思ってたのに、なんだか変な感じ。エアリーが食糧番かぁ。うーん、食糧番……」


 喋り方に疑問を含んでいる口調を敏感に察知したエアリーは、食事の手を一度止めてルウの目を見た。ルウとエアリーの視線が合う。


「それ、一人でやってたの?」

 食糧の管理のことだろう。エアリーは頷く。


「ねえ、もし、あたしがその旅団にいて、どうしてもお腹が空いてしょうがない、我慢できない、なんでも良いから食べ物をかっぱらいたいと思ったら、夜中に忍び込んで食糧庫に行くと思うんだよね、つまり、エアリーが守る食糧庫にさ」


 ルウはそう言ってエアリーを見た。エアリーがその通りだろうと頷いてしまったので、ルウは余計に分からなくなってしまった。


「ええ? 普通は旅団で食糧盗りの掟破りって、見つかったらとんでもない罰を受けるでしょ。だから食糧の管理には最低でも二人は付けるよ。おかしいかな? 二人以上で互いに見張らせる。大抵は男にやってもらう。嫌な言い方だったら謝るけど、エアリーは声を出せないし、女だし、食糧番なんてとても向いてないように見える」


 エアリーは自分もそう思うと表し微笑んで頷いた。ルウの思考は困惑を極めた。

「ねえ、エアリー? あたしをからかってる訳じゃないよね……エアリーはそういうことはしない、はず」

 ルウは頭に血が昇りかけたものの、深い呼吸をして自制した。聞きたいことを聞けていないのは自分の喋り方が悪いせいだ。


 エアリーは尋ねられたことに対して正直に肯定と否定の動作を返している。これまでの旅路でルウが分かっていることは、エアリーの単純な返答に迷いや嘘、悪意が一切ないという経験則である。


「じゃあ、食糧庫に押し入ろうとした奴はいたんだね」

 ルウの予想を違えることなく、やはりエアリーは頷いて見せた。

「その時、君はどうしたの?」


 エアリーは動作だけで伝えられない状態になり、地に棒きれを使って簡易に文字を描いた。その文字を読み取ったルウの目が見開かれる。


「通した。止めずに通した……? 間違ってないよね、読み方と意味。掟を破って食糧を盗みに来た奴を、君はそのまま食糧庫に通したの? そんなことしたら、エアリーが罰を受けることになるんじゃないの?」

 その通り、とエアリーは頷いた。続いて、空腹は悲しい、という意味の文字を地に書いた。

「意味が分からない……それ、全く食糧番になってない」


 ルウの指摘は間違っていない。しかし、食糧番としての役割は、実質的にエアリーはきちんと果たしていたのだ。それを説明するのは難しかったが、文字や身振りを使ってエアリーは出来事の伝達に努力し、やがてルウは理解しがたい顛末に辿り着いて、背に嫌な寒気がする。


 順序立ててルウは言った。

「エアリーは、食糧の管理を任された。お腹が空いて耐えきれずに食糧を盗ろうとした者もいた。でも君は、食糧を守ろうとしないで、好きに持っていくのを見逃した。食糧が奪われたことで責任を問われ、エアリーはひどく罰された……?」


 ルウは今自分が言ったことが正しいかどうかの確認を込めて強く聞いた。エアリーは蒸し肉を頬張りながら、それで合っているという頷きを返す。


「エアリーの背中の深い傷跡は、これまでに繰り返されたからだったんだね……君は馬鹿だ、信じられない。おかしいよ、それは! あたしでも分かるよ、その罰はエアリーが受けて良いものじゃない!」


 ルウは立ち上がり、しゃがんだままのエアリーの背中側に回り込んだ。そして編み込まれたエアリーの衣服の首周りを指でつまみ、その背に残るおぞましい傷跡を覗き込む。古傷くらいは誰にでもあるだろうとルウは自分に言い聞かせて問うまではしなかったが、水場で身体を洗う時にはいつもエアリーの背中は気になっていた。その残酷な傷を追わせた者が、天使ではなく、同じ堕天使だとついに知り、納得が出来なかった。


 怒りを通りこした何かの感情が、ルウの顔面を青ざめさせる。

 エアリーは、それでも食糧を守らなかった自分が悪い、と地に書いた。


 食糧番として、エアリーに一切の救いがなかった訳ではなかった。エアリーは食糧管理の役目を果たせなかった罰を何度も、いくつもの旅団で受けてきたのは事実だ。しかし、幾度となく皮膚も肉も裂けるほどの、しなる木の枝で背を打たれ、骨が剥き出しなるほどの処罰を無言で受け続けている姿に耐えられない者がいたのだ。


 それは食糧を持ち去っていった者達だった。その者達は自白と物証で罪が自分達にあると明らかにし、そしてエアリーの許しを乞うて申し出た。

 結果、その旅団では決して食糧を守ろうとしないエアリーのいる保管庫には、誰も近付かなくなった。男二人がかりでさえ食糧に関する問題に苦しむというのに、エアリーはたった一人でそれを成し遂げてきたのだった。


 無言で無力なエアリーは、そうして食糧番を繰り返し、集団の中で誰も持ち得ないほどの影響力を持つ役割を担ってきた。その圧倒的な守りは、時として集団の中で圧力さえ発し、余計にエアリーを孤立させてきたのだ。


 打ち裂かれた肉に対してどのような香辛料をどのように使えば上手く洗浄して、膿まずに消毒ができて、痛みを抑え、腐らずに済むのか? その答えを得られたのは、エアリーが香辛料を全て自分自身の体に全てを試していたからだ。


 ルウは何かを言いたくて、それでも言うべき言葉が見つけられなくて、小刻みに肩を震わせながら後ろからエアリーを抱きしめた。ルウは自分の頬を、エアリーの羽のない方の背中に当てる。荒い生地を挟んでさえも、幾重に癒えた皮膚の異様な硬さが、肌にごつごつと痛みを感じさせる。


「エアリー」


 呼ばれて振り向こうとしても、ルウに抱きしめられていて身動きがとれない。ルウの声はとても悲しそうで、どうしたのかと尋ねたかった。エアリーは片腕を後ろに伸ばして、ルウの頭を探って撫ぜる。


「その前にいた人達、みんな天使達にやられちゃったんだよね」とルウは言った。

 エアリーは頷く。

「そっか、残念だったね」と、ルウはエアリーの肩を抱く腕に一層力を込めた。

 エアリーはルウの声が震えていて、耳元で囁かれた全てを聞き取ることができなかった。


「生きてたら、あたしは全員……しに戻ってたよ」

 全てを聞き取れなかったエアリーだが、自分のせいで旅路を引き返す羽目にならずに済んだことをただ安堵するのみだった。

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