第304話 憧憬

 魔王が住まう城を守る様に木が生い茂る魔の森で二人の美少女が相対していた。一人は純白の鎧に身を包み、丈の長い騎士剣を構えており、もう一人は対照的に軽装な格好で得物も手にしていない。


「……こうやって立ち会っていると、順位戦を思い出すな」


 静寂を破ったのはエルザの方だった。少し懐かしむような目でマリアを見つめる。


「……あの時は色々と悩んだ挙句、無謀にもエルザ先輩に挑みましたね。でも、あれがあったからこそ私は今ここに立っていられる。エルザ先輩のおかげですよ」


「私のおかげか、私のせいか……」


 エルザが苦笑いを浮かべながら声を落とした。彼女の心に複雑な思いが交錯する。その思いを察しながらも、マリアの表情は変わらない。


「今からでも遅くはない。こちら側に戻るつもりはないか?」


「愚問ですね。私の性格を知っている先輩ならこんな問答は無駄だとわかる、って思うんですけど?」


「あぁ……だがな、無駄だとわかっていても聞いてしまうんだよ。私はお前とこんな形で」


「エルザ先輩」


 エルザの言葉を遮るようにしてマリアが彼女の名前を呼ぶ。


「私の憧れているエルザ先輩は、向かってくる相手には何も言わずに拳で語るかっこいい女性です。戦いを前に無駄口ばかり叩いているような人ではありません」


「マリア……」


「戦う気がないのならそれでも構いません。ですが、私はあなたを倒すつもりです」


 そう言うと、マリアは目つきを鋭くし、僅かに地面を踏み込んだ。


「……いきますよ」


 地面を蹴ると同時に初級シングル身体強化バーストを施したマリアは一直線にエルザの方へと向かっていく。それを見たエルザは大きくため息を吐いた。


「悪いが、あの戦いから私は数段力を上げている。マリアに勝ち目などない」


「それはお互い様ですよ」


「なっ!?」


 マリアの突進に合わせて振り下ろした騎士剣が空を切り、エルザは目を見開く。慌てて顔を横に向けると、マリアの拳が迫って来ていたので咄嗟に腕を交差させ、ガードをした。


 ミシッ。


 両腕にマリアの拳の重さがのしかかる。想像を超える威力に思わず後方へと跳び、威力を減衰させた。あきらかに以前のマリアとは比べられないもの。動揺しながらも体勢を整え、彼女の方へと視線を向ける。


「私も魔族領で色々と鍛えたんです。前の私と同じだと思っていると大けがしますよ?」


 そこには初級シングル身体強化バーストを二つ身体に刻み込んだマリアの姿があった。複数の魔法陣で身体能力を強化するという見たこともない技術。エルザが驚くのも無理はない。クロやアルカが異質なだけで、そんな強化方法は人間の世界にはないのだ。


「なるほど……子供は知らないうちに成長しているというが、後輩も同じなのだな」


「子供扱いしないでください」


「あぁ、そういうつもりで言ったわけではないのだ。許せ」


 エルザは軽く笑うと、最上級クアドラプル身体強化バーストを発動する。クロと戦った時にはまだ不完全であったが、今では完全に使いこなすことができる。それに加え、自身の身体に雷を纏った。グリンウェル家の秘伝ともされている”雷纏い”。身体強化バーストの効果に上乗せする形で自身を飛躍的に強化することができる。


 それを見たマリアは自分の身体に更に二つの初級魔法陣シングルを刻み込んだ。これがマリアのできる最大強化。四種カルテット初級シングル身体強化バースト中級魔法陣ダブル以上の魔法陣を組成することができないマリアの究極奥義である。


 大事な後輩の見違えた姿にエルザの心は喜びで埋め尽くされた。彼女は獰猛な笑みを浮かべると、持っていた騎士剣を構える。


「行くぞ!マリア・コレット!!人間代表として貴様を倒すっ!!」


「私の大切な人が好きな魔族を、私が好きな魔族を私は守るっ!!」


 怒声とともに、同時に二人が地面に亀裂を走らせた。迫りくる騎士剣を紙一重で躱しながら、マリアが拳を突き出す。その拳をしっかりと見極めながら、エルザは冷静に剣を振るっていた。

 おそらく、以前行った順位戦を見ていた観客が今の二人を見れば度肝を抜かれたことだろう。明らかに学生の領域を超えている。いや、それどころか人間の中でもトップクラスの戦い。固唾をのんで目を凝らしても、学生程度ではその姿を捉えることができないレベル。


「どうしたマリア!そんな力では私に勝てんぞ!!」


「くっ……!!」


 激しい剣戟をなんとか潜り抜けているマリアの表情が歪む。エルザのはただの最上級クアドラプル身体強化バーストではない。”雷纏い”によってそれ以上の力を引き出しているのだ。そんな彼女とマリアが渡り合っていけているのは偏にライガとの稽古の賜物。

 そうは言っても、強化の度合いに関しては圧倒的にエルザに軍配が上がる。自分の正拳が何発か当たっているが、エルザの剣はそれ以上に自分の身体を斬りつけていた。このままでは、力尽きるのは時間の問題。


 だが、彼女には武器があった。


「“小さき火の玉ファイヤーボール”!!」


「ちっ!それぐらいじゃ……!!」


「“石飛礫ロックシュート”!!」


「なっ!?速いっ!!?」


 マリアの初級魔法シングルが火を吹く。初級の魔法だというのに、それを思わせないほどの威力。しかも、セリスとの修行の成果もあって、間髪なく魔法を放つことができるようになっていた。


 巨大な火の玉をなんとか切り伏せたエルザであったが、次に襲い掛かってきた岩石は避けることができず、そのまま後方へと吹き飛ばされる。この機会をふいにするわけにはいかない、とマリアは追撃をかけるべくその後を追った。


「舐めるなっ!!”雷光線サンダービーム”!!」


「っ!?」


 自分目掛けて繰り出された雷光を見たマリアはたまらず横へと跳ぶ。だが、エルザの放った雷は途中で方向転換し、マリアの身体を貫いた。


「きゃぁぁぁ!!」


 全身に電気が流れる。あまりの衝撃にマリアは片膝をついた。彼女の魔法によって飛ばされたエルザも勢いよく木に叩きつけられ、意識が飛びかける。


「……本当に腕を上げたんだな」


 剣を地面に突き刺し、杖のようにしながら立ち上がると、エルザは口元の血を拭った。マリアも自分の身体に鞭を打って、しっかりと地面を踏みしめる。


「はぁはぁ……商人は……はぁはぁ……体力が命ですから……」


 笑いながら答えるが、その身体がボロボロだった。それに対してエルザは傷ついているものの、まだまだ戦うことができそうだ。やはり少し鍛えたぐらいで、生まれた時から己を高め続けている彼女には敵わない。そんなことはわかりきっていたことだった。だからと言って、それを理由に心で負けたくはない。

 だが、心と身体は別物だ。いくら心はまだ戦えると叫び声をあげていても、身体の方はもうあまり持ちそうにない。痛む身体を支えながらマリアは賭けに出ることにする。


「エルザ先輩……私の全てをぶつけます!!」


 そう言い放つと、マリアは木の間を縫うように走り始めた。頭の中で魔法陣を構築しておく。これはアルカに教わった瞬時に魔法陣を組成する技だ。頭に思い描いたものをそのまま生み出せばノータイムで魔法陣を発動させることができる。アルカやクロの様に複雑な魔法陣は無理だが、初級魔法陣シングルであればマリアでも可能だった。


 エルザはしっかりとマリアを見据えながら騎士剣を握る手に力を込め、正眼の構えを取る。段々と近づいてくる彼女を見ながら、不思議と心は落ち着いていた。

 マリアは的を絞らせないように走りながらエルザの隙を伺う。自分が今からやろうとしていることは自爆覚悟の捨て身の攻撃。ゼロ距離から初級魔法シングルを叩き込むつもりだった。それだけに慎重に近づかなければあっさりと迎撃されてしまう。

 けん制に魔法を放つことはできない。人並みの魔力しか持たないマリアにとって、ここまでの戦いによる魔力消費はかなりのものだった。最後の魔法に全力を注ぐためにはここで魔力を無駄にすることはできない。


 そんな自分を見ながらエルザはまったく動きを見せなかった。彼女の狙いがなんであるかわからない以上、目の前に飛び出すのは危険極まりないが、それでもマリアは強行する。

 エルザに勝つためにはこの方法しかない。勇気を振り絞ってエルザの前に現れたマリアは即座に魔法陣を組成する。それを見たエルザは目を閉じ、ゆっくりと剣を下ろした。


「なっ!?”風の刃ウインドカッター”!!」


 予想外のエルザの動きに驚きを隠せなかったマリアだが、構わず魔法を唱える。初級魔法陣シングルとしては破格の大きさである彼女の魔法陣から生み出された鋭い風刃を、エルザは何もせずに正面から受け止めた。


「がっ!」


 彼女の口から血があふれる。ぐらりと揺れる身体。だが、エルザは奥歯を噛みしめ、倒れぬようしっかりと地面を踏みしめると、満身創痍のマリアの胴体に騎士剣の腹を叩きつけた。


「げふっ……」


 空気の漏れるような声がマリアの口から洩れる。倒れかかってくる彼女の身体をエルザは優しく抱きとめた。


「な……なんで……?」


 上手く口が動かない。薄れゆく意識の中でどうしてエルザは自分の魔法を防がなかったのか聞きたかったのに、声が出せなかった。


「……大事な後輩の全力を込めた一撃、避けるわけにはいかないだろう?」


 だが、エルザはマリアの言いたいことが分かっているようだった。マリアの耳を暖かさに満ち溢れた声が撫でる。


 なるほど……そうだったのか。本当にこの人はいつも自分の全てを受け止めてくれる。


「や……やっぱり……エルザ先輩は……」


 私の憧れの人だ。


 そう伝えたかったのに、その前にマリアの意識が途切れてしまった。そんな彼女を倒れそうになる身体に必死に力を入れながらエルザは見つめる。マリアの全てを込めた最後の一撃は自分の想像をはるかに超えるものだった。


「マリア……お前は私が誇りに思う最高の後輩だ」


 その言葉が聞こえているはずもないのに、腕の中で眠るマリアの口角が僅かに上がる。彼女の体温を肌で感じながらエルザは微笑を浮かべると、気を失っている大切な後輩を慈しむ様に抱きしめた。

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